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「まだ来ないのか?せっかくドレスを贈ってやったというのに!」


 第3王子ガデスは、傍に控える侍女に、持っていたグラスを投げつけ、怒鳴った。

 侍女は怯えたように詫びの言葉を繰り返す。


 ガデスは腹を立てていた。せっかくアメリアに似合うドレスを見繕い、()()()も準備したというのに…。今日も欠席するつもりか。

 

 ガデスは今、隣国、デジェネレス王国から来た伯爵令嬢を手に入れようと躍起になっていた。

 国王から、たまには働けとエルナン国に咲く雑草の取引の仕事を押し付けられ、全く気が進まないまま交渉の場に出たガデスだったが、そこにいた美しい女に、一目で心を奪われた。その女は、今まで出会ったどの娘よりも素晴らしく魅力的だったのだ。


 美貌、気品、教養、全てを兼ね備えたその立ち振る舞い。銀の髪を緩く結い上げ、露わになった頸は艶かしく、サファイアブルーの瞳はキラキラと輝き、表情は柔らかで、常に微笑を湛えている。こちらの風習からするとやや堅苦しいドレスを好む様だが、彼女の細身で円やかな身体を慎ましやかに包み込み、肌を露出しなくとも醸し出される色香が堪らない。

 ガデスは賢しい女は嫌いだが、あの娘なら妻に迎え、寝所に侍らせてもいいと思った。


 しかし娘もその叔父も、婚約破棄されたキズモノのくせにお高くとまり、ガデスの誘いをのらりくらりと躱している。キズモノの伯爵家如きの娘を、王族の一員に加えてやろうというのに、勿体ぶっているのか条件を釣り上げるつもりなのか知らないが、なかなか頷かない。苛立ったガデスは強硬手段に出ることにした。


 まずはドレスと特別な薬を用意した。

 若い娘の間で人気の店で、新進気鋭のデザイナーが手掛けるドレス。生地も最高級品で、着るだけで男の視線を引くと人気の品だ。

 そして薬。若い娘の気分を高揚させ、身体を敏感にする薬だ。あの娘にいつもピタリと張り付き目を光らせている叔父を引き離す手筈は整えてある。薬を飲み物に混ぜてあの娘に飲ませ、そのまま寝所に連れ込めば…。泣こうが喚こうが、身体さえ奪ってしまえばこちらのものだとガデスは知っていた。

 あの取り澄ました淑女面が、泣きながら自分の下で乱れる様を思い浮かべると、身体が熱くなるのを止められなかった。


 今日の夜会は急遽開かれた王国主催のもののため、参加人数も多い。なんでもデジェネレス王国より、王太子が視察のためやってきたそうだ。予定にない急な訪問だったため、我が国も対応に追われていた。

 

 この大人数の中、扇情的なドレスを纏ったアメリアが、ガデスに腰を抱かれエスコートされれば、誰があの娘の相手なのかを知らしめる事ができる。

 美しいあの娘に心を奪われている男は多い。ガデスの兄や弟も、目の色を変えてあの娘を見ていた。彼らが第2、第3夫人に迎えようと画策していたあの娘を、ガデスに掻っ攫われたと知ったら、どんな顔をするだろうか。さぞかし溜飲が下がるだろう。


 ガデスがそんな事をツラツラと考えていると、俄に人々のざわめきが止んだ。

 華やかな音楽とともに、父親である王と王妃が入場し、全員が臣下の礼をとった。


「顔を上げよ」と王から合図があり、一同が顔を上げる。夜会の開会が王より宣言され、貴賓である隣国デジェネレス王国の王太子の入場を告げた。


 エルナン国にとって、隣国デジェネレス王国は最大の友好国にして、国力の弱いエルナン国にとっては強力な後ろ盾だ。他の強国にエルナン国が侵略されないのは、デジェネレス王国との同盟があるからに他ならない。最近、エルナン国の治水の工法がデジェネレス王国で評価され、両国の友好関係はますます深まったといえる。

 そのデジェネレス王国の王太子の突然の訪問に、エルナン国に否やがあるはずなかった。デジェネレス王国の治水工事の責任者が王太子だったこともあり、その関連での視察であろうと、エルナン国は二つ返事で諾としたのだ。


 隣国の若き王太子が入場した時、会場内からどよめきが上がった。隣国の王太子の麗しさはエルナン国でも有名だったが、今回のどよめきはそれに対するものだけではなかった。王太子の傍に寄り添う、一輪の高貴な百合の如き女性に対するものだった。

 艶やかな銀髪と宝石の様な青い瞳。艶かしい首筋には大粒のアメジストをあしらったネックレス。揃いのアメジストの耳飾り。レースと繊細な刺繍の施された紫のドレス。全身に王太子の色を纏うその女性が、王太子にとってどういう女性なのか如実に表している。


「今宵は急な夜会を催していただき、デジェネレス王国王太子、エリオット・デジェネレスの名において感謝する」


 朗々とした深い声。その場を従える様な迫力はさすが、大国デジェネレス王国の世継ぎといったところか。他国に於いても全く臆する事なく、その場を支配していく。


 エリオットは傍の女性に微笑みかける。女性は美しい淑女の礼をとる。その指先まで洗練された動きに、会場から溜息が漏れた。


「また、ここにいる我が国のアメリア・バーンスタインの滞在中、心を尽くして歓待してくれたことに感謝する」


 エリオットの声に甘さが加わり、アメリアの頬に係る後毛を優しく撫でつける。アメリアは頬を染め、恥ずかしそうな笑みを浮かべる。そのもの慣れぬ初心な様子に、また周りの溜息を誘った。


 ガデスは目の前の光景を信じられない思いで見つめていた。あれはアメリア・バーンスタイン本人に間違いない。デジェネレス王国の王太子エリオットの横に並び立ち、堂々と振る舞っていたかと思えば、エリオットの言動に初々しい反応を見せる娘。二人が並ぶ姿は一対の絵画のようであり、明言はせずとも、どのような関係か、いや、今後どの様な関係になるのか、容易に想像できた。


 ガデスは背筋が冷たくなった。心臓が不規則に嫌な音を立てる。己のアメリアに対する言動を思い返し、肝が冷えた。自分は誰に手を伸ばそうとしていたのだ?もしも今日の計画を実行していたら…。

 愚かなガデスですら、デジェネレス王国を敵に回し、己の国の命運が尽きていた事を想像する事が出来た。

 

 ガデス同様、彼の父、エルナン国の王の顔も強張っている。黒炎花の取引について、ガデスに一任したのは王だ。バーンスタイン家が、それとなく担当者の変更を願い出ていたはずだが、それを握り潰したのも王だった。ガデスに少しでも功績を挙げさせたくて、バーンスタイン家のお陰でデジェネレス王国とより強固な関係を築くことができたということも忘れて、彼らを軽んじたのだ。ガデスの女狂いを知っていて、交渉相手が美しく若い娘ならやる気を出すのではと安易に考えていた。

 またガデスが悪い癖を出し、バーンスタイン家の娘に手を出したとしても、その時は愚息の妃として迎えればよい。婚約破棄されたキズモノとはいえ、優秀で麗しく、デジェネレス王国の信頼も厚いバーンスタイン家の娘を王家に迎え入れれば、今後のデジェネレス王国との関係も強固になるだろう。ガデスの評判を上げることが出来るかもしれない。そんな目論見もあったのだ。

 

 エルナン国王の前に進み出たエリオットとアメリアは、穏やかな笑みを浮かべている。


「急な訪問を受け入れていただき、感謝しますエルナン国王」


「な、なんの。デジェネレス王国は我が国の良き友。いつでも歓迎しよう」


 エルナン国王は内心の動揺を押し隠し、鷹揚に頷く。


「私の最愛も、エルナン国の滞在を楽しんでいますよ。…楽しみ過ぎて中々帰る気にならないらしく、つい心配で迎えに来てしまった」


「エリオット殿下、ご心配をおかけして、申し訳ありません」


 しゅんと項垂れるアメリアに、王太子は優しげに微笑みその手に口付けた。


「私の元に帰ってきてくれるなら構わないよ、私の最愛。ただ君は美しすぎるから、何処かの誰かに摘み取られないか、私は心配で夜も眠れない」


 チラリと一瞬、鋭い視線をガデスに向ける。その氷の様な一瞥だけで、ガデスは心底震え上がった。


「私はエリオット殿下のお側でしか咲けない花でございます。他の誰かに摘み取られるなど、ありえませんわ」


 頬を赤らめるアメリアの腰を抱き寄せ、王太子は蕩けるような笑みを浮かべる。


「ではアメリア。そろそろこの魅力的なエルナン国から我が国に帰っておいで。君がいないと、私の人生は暗黒に閉ざされてしまうよ」


「まあ、エリオット殿下。でもデジェネレス王国より賜った大事なお仕事がまだ済んでいませんのよ?流行病の特効薬の研究にどうしても必要なのです」


「ふぅむ。黒炎花の取引だよね?我が国にもエルナン国にも益があることだと思うが、それ程難しいことなのかな?」


 王太子の言葉に、アメリアは肩を落とした。


「申し訳ありません。きっと私の説明が悪いのです。この取引について、ガデス殿下になかなかご理解を頂けないのですわ」


「気を落とさないで、アメリア。明日から私も交渉の場に加わろう。ガデス殿下にもう一度ご説明して、エルナン国でも幾度となく猛威を奮った流行病の特効薬の有益性をご理解していただこうじゃないか」


 王太子とアメリアの言葉で、それとなく会話に注意を払っていた周囲の参加者たちはザワザワとし始める。

 

 第3王子ガデスとアメリアが何度となく会食を共にしていたのは、エルナン国でも知られており、アメリアの婚約解消についても噂されていたので、バーンスタイン家はアメリアをガデスの元に嫁がせる気ではと囁かれていた。しかし、今の会話から判断するに、バーンスタイン家はデジェネレス王国より命じられた黒炎花の取引を、エルナン国の代表の第3王子と交渉しており、それが難航しているらしい。

 流行病は数年に一度猛威を奮い、体の弱いものや老人、体力のない幼児の命を奪っていく。その特効薬がエルナン国の黒炎花であるとすれば、早急に纏める必要がある交渉だ。いつまた流行病が広まるか分からないからだ。

 

 しかしそのような重要な交渉の窓口が女狂いの無能者と噂される第3王子ガデス。バーンスタイン家のアメリアの美貌を見れば、何故交渉が滞っているのか、自ずと原因は分かるというものだった。


「エリオット殿下が交渉の場に同席なさるというのなら、我が国も同格のものを…。以後は我がエルナン国の王太子、シュデトが対応いたしましょう」


 エルナン国王が冷や汗をかきながらそう答える。控えていた壮年の男、シュデト殿下が、生真面目そうな顔で頷いた。それを受け、デジェネレス王国の王太子は冷ややかな笑みを浮かべた。


「なるほど。エルナン国も流行病の特効薬についてようやく関心を示してくれたようだ。ご理解頂いて助かるよ。そう遠くない時期に、我が国挙げての祝事があるのでね。その時に伝播性の高い流行病が出ないかと、ついつい心配になったのだよ」


 エリオットはアメリアを抱き寄せ、その頬に口付ける。

 周囲から再びどよめきがあがった。エリオットの口から予告されたデジェネレス王国の祝事。傍のアメリアとの関係性を隠そうともしない態度から推察されることは一つだった。


「祝事には、もちろんエルナン国もご招待させていただくつもりだよ。バーンスタイン家が我が国にとってどれほど重要な位置にあるのか、知っていただく良い機会になるだろうからね」


 エリオットの言葉に、エルナン国王が顔を引き攣らせる。エリオットが交渉の場に加わった途端、王太子シュデトを交渉の場につかせると言うことは、バーンスタイン家とアメリアを軽んじていた事を認めたという事だ。婉曲にエリオットにその事を責められ、エルナン国王は己の失言を悟った。


「も、勿論、バーンスタイン家がデジェネレス王国の一翼を担う事は存じておるとも。アメリア嬢、これからもデジェネレス王国と我が国の交友にご助力いただけるよう、私からも願いますよ」


「微力ながらお力になれますよう、これからも励みますわ」


 ニコリと慎ましやかな笑みを浮かべ、アメリアはエリオットを見上げる。これで十分ですとエリオットを止める視線だった。


「華やかな音楽ですこと」


 楽団が奏でる曲に耳を傾け、アメリアはエリオットを見つめる。


「本当だ。こんな日に、仕事の話とは私も無粋だったな。これでは私の最愛に愛想を尽かされてしまう」


 エリオットはアメリアの手を取り口付けた。


「美しき私の女神。宜しければ私を、一舞のお相手に選んで頂けないかな」


 クスクス笑って、アメリアは応えた。


「喜んで」


 エルナン国王に一礼し、二人は連れ立ってダンスホールに向かう。


 賓客である彼らがファーストダンスを踊り、その後に他の者が踊るのが慣習となっている。沢山の観衆を前に少しも臆する事なく優雅に踊る二人に、周囲から溜息が漏れる。


「エリオット殿下…」


 軽やかなステップの合間に、アメリアがエリオットの耳に囁くように呼びかける。


「うん?」


「殿下と踊るのは初めてでございます…」


「そうだな…」


 アメリアを抱き寄せ、エリオットは頷く。アメリアに婚約者がいた時は、敢えて自制のために触れる事を避けていた。

 それが夜会で堂々と、大勢の観衆の前でアメリアに触れられるようになったのだ。もう二度と離したくない。


「これほど楽しくて幸せなダンスは、初めて…」


 ウットリと頬を染めるアメリアに、エリオットは衝動的に唇を重ねたくなるのを耐えた。


「全く、君という人は…。私の理性を簡単に壊すのだから…。2人きりになったら、さっきの言葉の責任は取ってもらうからね」


「えっ?!」


 ただ素直に幸せな気持ちを述べただけなのに、なぜ責任問題になるのだ。アメリアは困ったようにエリオットを見上げていると、エリオットはアメリアの唇に指で触れ、微笑んだ。


「沢山しようね、アメリア…」


 スッと唇を指でなぞられ、熱い瞳で見つめられれば、それがどういう意味かすぐに察せられた。瞬間的に頭が沸騰し、ステップを外しかけたが、エリオットが強く腰を抱き華麗にフォローする。


「ふふっ。可愛い。大丈夫。帰国までに沢山触れれば、君も慣れて、好きになるよ」


「…も、もう好きですからっ!沢山はダメです!」


 エリオットと触れ合うのは好きなので、沢山触れなくても大丈夫と言いたかったのだが、エリオットは別の意味で取ったようだ。


「好きなんだね、嬉しいな。じゃあ沢山しても大丈夫だね」


 耳元でそう熱く囁かれ、アメリアはへたり込まないように踏ん張るので必死だった。


 ファーストダンスの曲が終わり、お互い向き合って一礼すると、観衆から拍手が注がれる。

 続けて軽やかな二曲目が始まると、エルナン国王夫妻や王太子夫妻、その他の貴族たちも続々と踊り始める。


 エリオットとアメリアは当然のように二曲目も続けて踊った。周りがまたザワザワと騒いだ。二曲続けて踊るのは夫婦か婚約者同士のみだ。


 こうして夜会は、少々物騒な気配を孕みつつも、和やかなうちに幕を閉じた。


 夜会の最中、第3王子ガデスがアメリアに近づく事はできず、いつの間にか夜会の会場から消えていたことに気づく者は誰もいなかった。

 


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