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「嫌われていますねぇ、殿下…」
「煩いっ」
アルトが情けないと言わんばかりに、私を見ている。
「まさか、陛下と殿下が王太子妃の打診をして、親子に同時に断られるなんて」
「まだ断られたわけじゃない!一旦保留になっただけだ!」
「アメリア嬢には即答で嫌だって言われてたじゃないですか。後からフォロー入れてましたけど、あれが本心だと思いますよ?だからあれほどキツイ態度を改めた方がいいと申し上げましたのに」
「黙れっ!」
アルトの容赦のない言葉にグサグサと刺され、私はため息をついた。言い返してはいるが、アルトの言葉は紛れもない真実だ。アメリアは反射的に嫌だと言っていたが、あれは本心だろう。
「アメリアには他に好きな男でもいるんだろうか」
「いや、あれは単に殿下が嫌いなだけだと思いますよ?」
「お前、本当にちょっと黙れ」
私の言葉に追従するだけの側近など要らんが、もう少し王族を慮るという事は出来ないのか。
「おまけにあの温厚なバーンスタイン伯爵にまで嫌われている」
仏のバーンスタインと言われるアメリアの父が、陛下の言葉に泣きながら真っ向から反発したという。私のアメリアに対する態度が気に食わない、娘の幸せの為なら爵位の返上をするとハッキリ言い切ったようだ。陛下には父親なら当然の反応だと冷たい目で見られた。
「我が国に尽くすバーンスタイン伯爵家の爵位返上など、あってはならん事だ。己のしでかした事だ、己で解決してみせよ」
王家の権威で無理やりアメリアを王家に迎える事は許さないと言うことだ。アメリアに承諾して貰わなければいけない。
どうしたらいいのか。誠心誠意謝り、許してもらえるのか。
しかしそんな猶予はなかった。アメリアが、エルナン国に留学する許可を陛下が出したと言うのだ。
彼女の有能さを思えば、許可も当然と思えるが、彼の国の男どもは未婚、又は婚約者のいない女と見れば口説くのが礼儀という習慣がある。あの美しく宝石のようなアメリアが短期間とはいえエルナン国に渡れば、どれ程の男が群がるか…。
また気づいたら手遅れだったなどという事になれば、悔やんでも悔やみきれない。何か、何か手立てはないものか。
私は頭を振り絞って、彼女を手に入れる方法を考え続けた。
◇◇◇
「不敬を承知で言いますが、馬鹿ですよね、殿下」
アルトはバカにしきった顔で、冷たく言った。
「……」
「あのバーンスタイン伯爵が激怒ですよ?仏のバーンスタイン伯爵が怒ったのって20年ぶりって聞きました?娘を娶ろうって時に、父親を敵に回してどうするんですか?」
「……」
「しかも私がいない隙を狙ってアメリア様を王太子宮に閉じ込めて泣かせるなんて。王妃様が激怒してましたよ?今首の皮一枚で王太子の地位にいるって分かってます?」
「……」
「その上、閉じ込めた理由が、王太子宮で一晩過ごせばアメリア様が貴方にしか嫁げなくなるからって…。貴方、本当にあの頭脳明晰、冷静沈着と言われたエリオット殿下ですか?私、いつの間にか別人に仕えてました?」
「……」
一言も返せなかった。アルトの言う通りだ。
焦りすぎて判断を間違えた。結果バーンスタイン伯爵の怒りを買い、アメリアを泣かせた。しかもあんな、あられもない姿を…。
思い出しそうになって、頭に血が昇るのを感じた。今はこんな、不埒な事を思い出している場合じゃない。
しかもアメリアは、王太子妃の打診をルイーザ嬢やジェシカ嬢と同じように、対外的なお飾りの王太子妃候補としての打診だと思っている。
アメリアを招いてのお茶会の後、ルイーザ嬢とジェシカ嬢に私のアメリアに対する言動を白状させられたが、その時のあの2人の反応もキツかった。
「学園の幼稚舎に通う子どもじゃあるまいし、好きな女性に対してやる事では御座いませんわ」
「そんな態度で悪印象しか持ってない方に婚姻を申し込まれても、嫌悪感しか持てませんわ」
「誠心誠意の謝罪があったって、到底許されないような愚行ですわよ?」
「まさか、王命での婚姻なんて恥知らずな事を考えておられませんわよね?」
「王太子宮に閉じ込めて泣かせた!?犯罪ではありませんか!?」
幼馴染みでもあり、気心が知れた相手だからこそ出る容赦のない言葉は、やらかしたばかりの私をグサグサと刺し貫く。しかし彼女たちは、呆れ返っていたが愛想を尽かさずにいてくれて、その上助言までしてくれた。
「いいですか!アメリア様は殿下の心無い、およそ紳士とは言えぬ言動に深く、それこそご自身の価値が低いと思ってしまうほど深く傷ついていらっしゃいます。貴方に出来る事は、誠心誠意の謝罪!それのみです!下手な小細工をしようなんて、烏滸がましいことを考えてはいけません!謝って謝って謝り通すのです!」
「アメリア様の自尊心を回復させなければいけません!あんなにお綺麗でお優しくて優秀な方に、派手だの地味だの出しゃばりだのと…!あぁ!もう!腹が立ちますわ!褒めて褒めて褒め尽くして下さい!貴方が普段、心の底に押し込めていた言葉を出すだけで宜しいんです!」
「「それでも許してもらえるのは奇跡だと思った方が宜しいですわ!私なら、生涯許せることではありませんもの」」
私を貶しながらも的確な助言をくれる彼女たちは、得難い友だと心から思う。しかし声を揃えて断言した最後の言葉は、私を絶望させるのには十分であった。
◇◇◇
エリオット殿下の長いお話を聞いて、私は呆然としてしまった。
殿下は叱られる前の子どもみたいな顔で、私を見つめている。
「あの…殿下…」
私が声をかけると、殿下の肩がビクッと動いた。
「今のお話をまとめますと、殿下の想い人は私で、婚約者がいたので想いを伝えられない殿下が、苛立ちの余り私を貶し、婚約者が居なくなったのでこれ幸いと王太子妃に打診し、断られたので強行策に出ようとして怒られたということで、宜しいのでしょうか…?」
あら、身も蓋もない言い方になってしまったわ。あらら、エリオット殿下の顔が泣きそうになっているわね。
「う…、そ、その通りだ」
エリオット殿下が頷くのを見て、私の頭の中にようやく緩々と事実が染み渡る。
「殿下が貶していらしたドレスや装飾品は…」
「とても似合っていた。君はいつも妖精のように儚げで美しくて。ルイスから贈られたものを身に着けているのかと思ったら、嫉妬で身が焼かれそうだった」
「私が出しゃばりとか賢しいと仰ったのは…」
「出しゃばりだとか、そんな事は思った事はない…。優秀でいつも領民のために身を粉にして働く君を尊敬している」
エリオット殿下の言葉で、酷く傷ついてお気に入りのドレスやお婆様のネックレスを着けることが怖くなった事。女だからと頑張っても馬鹿にされ、悔しくて悔しくて泣いた事。王太子宮の部屋に閉じ込められて、亡霊の仕業かと怯えた事。
そんな事が思い出されて、私は思わずソファにあったクッションを、殿下にぶつけた。
不敬だとは分かっていたけど、止められなかったわ!何なのよ、この男!馬鹿じゃないの?
私がクッションでポカポカ殴りかかるのを、エリオット殿下は情けない顔のまま受け入れていた。
「ひっ、酷いわっ!わ、私がどれだけっ…」
「すまない…」
「ルイス様から貰ったものなんて、誕生日のカードぐらいですわっ!お婆様の形見のネックレスも、お父様から頂いたドレスも、どれも私の宝物なのにっ!」
「すまない…」
「閉じ込められてっ!とっても怖かったのにっ!」
「すまない…」
エリオット殿下は私に殴られながら、謝罪を繰り返す。それでも許せなくて、私はボロボロと泣きながら叫んだ。
「う、うっ、うわぁ〜ん、き、嫌いよっ、大っ嫌いっ!」
「っ!す、すまない…アメリア、すまない、泣かないでくれ」
「うわぁ〜んっ」
私の泣き声を聞きつけたお父様と叔父様が、子どものように泣く私とオロオロと狼狽える殿下に、何とも言えない顔をしている。
「おやまぁ、アメリア。とりあえず、殿下を殴るのはやめなさい。一応、不敬だからね」
「ほらほら、淑女がそんな大声上げて泣かない。いい子だから泣き止みなさい」
お父様と叔父様の言葉にも、なかなか涙が止まらなくて、私はしゃくりをあげながらエリオット殿下を睨みつけた。
「もうっ!もうっ!絶交です!ううぅ、嫌いぃ〜」
「アメリア…」
エリオット殿下が真っ青になっていたけど、知らないわ!こんな人っ!
「アメリア、すまない。一生掛けて償うから、絶交は許してくれ。本当にすまない」
殿下が必死に言い募っていたけど、私は知らんぷりしてやった。
結局、私はエルナン国に旅立つまで、殿下と口をきかなかった。
出発の日、わざわざ我が家まで押しかけてきたエリオット殿下は、泣きそうな顔で私の額に口付け、「手紙を書くよ…」とか仰っていた。
お見送りのお礼なんて、言いませんでしたよ!当たり前よね!
◇◇◇
「手紙が来ているよ、アメリア」
「っ!ありがとうございます、叔父様」
叔父様がヒラヒラと手紙を振っている。封筒の表に王太子の印章を見つけて、私は頬が緩みそうになるのを引き締めた。
エルナン国に来てもう2月目になっていた。
初めての他国での生活は刺激的で、目に入るものが自国のものとは全く違って見える。街並み一つとっても、建物の建築様式、街を行き交う人々の服装、言葉、匂いが全く違う。エルナン国の文化は我がデジェネレス王国よりも鮮やかな色彩を好むようで、生活の色々な所に極彩色を巧みに取り入れている。
開放的というか、どこか陽気な人々との交流は、私の感覚では到底受け入れられぬこともあるけど、それもまた新鮮に感じた。
そんな刺激的な生活を送る中、エリオット殿下は出立の時に仰っていたように、私の元へ手紙を送って下さっている。
手紙には、治水工事の進捗状況やデジェネレス王国での近況、殿下の日々の小さな出来事や、国事に関わる事など、内容が多岐に渡り、読んでいて笑ったり感心させられたりする。私は手紙が届くのを、いつの間にか楽しみにするようになっていた。
私もこちらで体験したことや、生活の様子を書いて送っている。デジェネレス王国にいる時より、こちらにいる方がエリオット殿下と多くの言葉を交わしているような気がする。
あら、今日は封筒にいつもより厚みがあるわ。何か入っているのかしら。
はやる気持ちを抑え、封を開けると、中からスミレを押し花にした素朴な栞が出てきた。端に穴が開いていて、そこに菫色のリボンが付いている。
「まあ!可愛い」
エリオット殿下の手紙によると、その栞は、オースティン領の村の子が作ったものらしい。川の工事をしてくれた月のお姫様にお礼に渡して欲しいと言付かったと書いてあった。
「おや、可愛らしい栞だね」
叔父様が目を細め、栞を見つめる。
「オースティン領の村の子が、治水工事のお礼に作ってくれたんですって」
私の言葉に、叔父様は笑みを深くした。
「我ら貴族は民のために尽くす事は当たり前の事だけど、こんなに素敵な贈り物があると、やはり嬉しいものだねぇ」
「ええ!もっと頑張ろうと、気力が湧いてきますわ!」
「それにしても、小さな子どもでも感謝を知っているというのに。あの恥知らずどもが…」
叔父様が深いため息をつく。どうなさったのかしら。
叔父様が取り出したお父様からの手紙には、驚く事が書かれていた。
「オースティン家から、再度の婚約の申し込みがあったそうだよ」
「ええっ?でもルイス様はクララ様と婚約なさったのよね?それなのに、どうして…」
「先日、婚約破棄になったそうだよ」
驚く事に、クララ様が他の男の方と逢引きしている現場に、ルイス様が踏み込んだそうだ。
元々、私に害されたなどと嘘をついていたクララ様に、ルイス様は不信感を持っていたらしい。密かにクララ様の素行調査を行い、ルイス様との婚約後も複数の男性と同時進行で関係を持っていた事を突き止め、現場を押さえて婚約を破棄したのだとか。
2度目の婚約がダメになり、オースティン家の評判は地に落ちているらしい。無理もないけど。
「やつら、後がないくせに強気でね。婚約解消になった令嬢など、碌な嫁ぎ先などないだろうからウチで貰ってやろう的な事を言ってきたそうだ。厚顔無恥とはこういう事を言うんだろうね」
それは…失礼な言い草だけど、事実ではあるのよね。
私の元に来る縁談なんて、うんと年の離れた方の後妻か、持参金目当ての零細貴族が良いところかしら。
「まさかお父様、お受けになるなんて事…」
「兄さんがそんな事はする筈ないだろう。婚約の打診の手紙を、暖炉の焚き付けに使ったそうだよ」
お父様…。前にエリオット殿下に対して怒って以来、ニコニコ笑顔なのに凄く迫力があるのよね。
叔父様曰く、一度怒ると暫く余韻が残るそうで…。早く元のポヤンなお父様に戻って欲しいわ。
「まだ陞爵の話は公表されてないからね。公表されれば、ちゃんとした縁談もあるさ。アメリアが嫌な縁談は受けなくても良い。君が好きな人を選べば良いよ」
叔父様が慰めるようにそう仰った時、私の胸がズキンと傷んだ。
ちゃんとした縁談…。そうね、きっと、素敵な縁談があるわね…。ルイス様みたいな浮気性ではなく、私1人を大事に思ってくださる方が…。そんな方ときっと、幸せになれるわ。
私はエリオット殿下の手紙を再度読み返した。
手紙の最後は、いつも同じ言葉で締められている。
『早く君に会いたい。君の帰りを待っているよ』
◇◇◇
「全く。困った御仁だよ」
「今日もダメでしたわ…」
私と叔父様は、会食の帰りに揃ってガックリと肩を落としていた。
会食の相手は、エルナン国の第3王子だ。王子といっても、お父様と同じぐらいの年齢なのだが、この方がなかなかの曲者なのだ。
「はあぁぁ。断るなら断るで、ハッキリと仰って下さればよろしいのに」
「先方にとっても益のある話だけどね…。第3王子の狙いは、取引だけじゃなくアメリアだからねぇ…」
叔父様の言葉に、私は肌が粟立つのを感じた。第3王子のねちっこい視線を思い出したのだ。
今回のエルナン国への訪問の目的の一つ、黒炎花の輸入について、交渉は難航していた。
エルナン国の黒炎花という植物は、これまでは特に耳目を集める花ではなかった。
我が国の学者がある流行病の特効薬として、黒炎花の花に含まれる成分について注目しており、その研究の為に黒炎花の輸入についての交渉を、陛下より直々に頼まれているのだが、先方の第3王子になかなか頷いてもらえないのだ。
この花はエルナン国にしか生息していないという事以外は特に特徴のない花であり、花びらに黒に赤い稲妻のような模様が走っていて、見た目も毒々しく観賞用にもならない。ほとんど雑草のような扱いだったため、研究のための輸入も特に問題がないだろうと思っていたのだが…。
エルナン国の第3王子とは、エルナン国滞在の当初から交渉を続けているのだが、花の輸入の交渉のはずが、何故か私を第5夫人に迎えたいという話にすり替わってしまうのだ。
キッパリと断り続けているのだが、やれ婚約破棄された伯爵令嬢の輿入れ先としてはこれ以上の縁はないだとか、第5夫人とはいえ第3夫人の商人の娘や、第4夫人の踊り子よりは身分が高いので実質は第3夫人として扱うだとか、全然嬉しくない条件を提示され続けている、
私が交渉の場にいなければ話は進むかと第3王子との面談を欠席すれば、交渉自体が取りやめになってしまう。最近では交渉とは関係のない夜会等にもしつこく誘われ、私と叔父様はすっかり辟易していた。
「あと10日で帰る予定であったけど、これは滞在を延ばすしかなさそうだねぇ」
「えっ…!」
ドキッと心臓が嫌な音を立てた。
滞在を伸ばす…。確かに、今の状態じゃ、それも考えなくてはならいだろう。でも…。
「君は先に戻ってもいいんだよ、アメリア。交渉は私一人で行える。…早く帰りたいだろう?」
叔父様が優しくそう仰る。私の頭には、ある方のお顔が過ったけど、首を横に振った。
「私もバーンスタイン家の娘。途中で投げ出すなんてこと、致しませんわ」
「いいのかい?」
「私が居なくなったら交渉が中断されるかもしれませんし。なんとか先方を頷かせるよう、頑張りましょう!」
叔父様はフッと頬を緩めた。
「頼もしいね。美しき月の女神が居てくれたら、百人力だよ」
「まあ、叔父様ったら」
私は胸の奥の気持ちに気づかないよう蓋をして、叔父様の軽口に笑い声を上げた。
自室に戻った後、机に向かい、便箋を取り出した。
いつもならあれも書こう、これも書こうと羽ペンも滑るように動くのに、今日は中々進まない。
滞在を延ばすなんて書いたら、怒らせてしまうかしら。
これからも暫く見るのが叶わないアメジストの瞳を思い浮かべながら、私は重苦しい気持ちで手紙を書いた。