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「はぁ。こんなにのんびりするのは久しぶりねぇ」


「さようでございますね。アメリア様は、働き過ぎでございましたから」


 侍女のニコラが淹れてくれたお茶を飲みながらしみじみ呟くと、ニコラが苦笑しながらお茶菓子も勧める。あら、新作ね。


「だって、バーンスタイン領もオースティン領もどちらも手掛けていたんですもの。流石にこの3年は目が回るようだったわ」

 

 婚約解消のお陰で、オースティン領の仕事は手放せた。分刻みのスケジュールから解放されたわ。急に私が事業から手を引いたから大変だろうけど、息子のやらかしの所為なんだから、オースティン伯爵も自分で何とかするでしょう。

 

 バーンスタイン領も、有能な叔父様と勤勉なお父様だけでは手が足りないぐらい発展を続けている。オースティン領の仕事が無くなったからといっても、私が手伝える事はあるはず。まだまだやりたい事もあるしね。


 私の天使の弟ウィリアムは5歳。あの子が領主として立つ頃には、より豊かになったバーンスタイン領を引き継がせてあげたい。私の癒しの天使のためなら、いくらでも頑張れるわ。


「あのっ!アメリア様。お客様が!」


 侍女のサリナが慌てたように入室して来た。ノックもしないで入って来るなんて、礼儀に厳しいサリナらしくないわね。


「お客様?今日は何の予定も入ってなかったわよね?」


「先触れもなく失礼。先触れを出すと、貴女はいつも都合が悪いのでね」


 サリナの後に続いて入室した人を見て、私は紅茶を吹きそうになった。


「殿下っ!?」


 断りもなく入室してきたのは、エリオット・デジェネレス。我がデジェネレス王国の王太子だ。

 漆黒の艶やかな髪とアメジストの瞳、人形のように整った顔立ち。騎士団に混じって日々鍛錬を続けている為、身体付きも逞しく、性格も公明正大。我が国の未婚女性の憧れの的である。


 私は慌てて立ち上がり、淑女の礼を執る。伏せた顔が無表情になるのが分かる。何しに来たのよ、この男っ!


 今日のドレスは普段着だし、顔もスッピン、髪も結わずに下ろしている。久しぶりに予定が空いたので完全オフモードなのにっ!他人に会える格好じゃないわよっ!


「あぁ、アメリア。楽にしてくれ。そんな堅苦しい礼を執られては、君の顔も見られないじゃないか」


 見せたくないのよ、察しなさいよ、この馬鹿。

 渋々顔を上げると、目の前には一部の隙もなく完璧な王子様スタイルのエリオット殿下。女性に絶大な人気を誇るご尊顔は今日も麗しいですね。


「…休日の貴女はそんな風なのか。装った貴女は大輪の薔薇のように美しいが、着飾らない貴女は可憐なスミレのようだ」


 エリオット殿下が私の右手を取り、唇を落とす。

 うわ、何するのよ、この人。今まで手にキスなんてされた事ないんだけど。

 それにしても、さっきの言葉って褒めてるのよね?これまでの態度を思い出すと、スッピンが地味で普段が化粧濃すぎるって、馬鹿にされてる気がするわ。


「突然いらっしゃったのでこのような装いですのよ。お目汚しですわね。私、退室いたしますわ。すぐに父が参りましょう」


 エリオット殿下に握られている右手を引き抜こうと試みると、ニッコリ微笑まれて右手をギュウと掴まれた。地味に痛い。馬鹿力め。


「私は君に会いに来たんだよ、アメリア。それにバーンスタイン伯爵は先程、城からの呼び出しを受けていたよ。お出かけになった筈だ」


 ちっ。お父様に押しつけて出かけようと思ったのに。コイツが適当な用事でお父様をお城に行かせるように仕向けたに違いないわ。この腹黒。


 私は急速に何かがガンガン削られていくのを感じた。癒しっ!私の癒しが足りないっ!あぁ、弟のウィリアムをギュウギュウ抱きしめたいわ。呼んでこようかしら。


「アメリア。急に訪ねたことは謝るよ。こうでもしないと君は会ってくれないだろう?」


 私の側に座り、右手を握ったままエリオット殿下はそう言って私の顔を覗き込む。距離感がおかしいわ。なんか近すぎない?この人。暫く会わない内に、皮肉な自信家でやたら攻撃的な嫌な態度はどこに行ったのかしら。


 私、このエリオット殿下が嫌いなのよね。

 初めて会ったのは確か3年前。ルイス様との婚約が整い、オースティン領の治水工事のために、エルナン国から技師を招き、治水工事の裁可を国からもらった時だった。

 エリオット殿下にその裁可の最終決定権があったんだけど、通常は書類審査で終わるところを呼び出されて、根掘り葉掘り質問されて、結局裁可は降りたんだけど、そこからが大変だった。治水工事の有益性が認められて、国中の浸水被害のある地域全てに治水工事を行うことになって、エルナン国から技師の調達と技術提供を受けられるよう、調整するよう命じられたのよ。

 私、一介の伯爵令嬢よ?大臣も文官もお城には山程いるじゃない。なんで私にそんな大役を任せるのよ?


 ちゃんとやりましたよ、命令だし。エルナン国にも我が国との交流がより深まったと喜ばれて、結果我がバーンスタイン領にも益があったから良かったわよ?でもエルナン国の技法を取り入れた治水工事が王太子の功績になってるのは何でよ?私が調べてエルナン国に繋ぎをつけて始めた事業だったのに!


 私がバーンスタイン領やオースティン領で事業を始める度にこの腹黒殿下に手柄を持って行かれたのよ!腹立つ!それで私に感謝の一つも無いんだから!会う度に皮肉に嫌味のオンパレード!女が手柄を立てるのが許せないタイプなのかしら?

 

「あら、そんな事はありませんわ。たまたま都合が合わなかっただけではなくて?」


 私は近すぎる距離を離すべく、さり気無く身体を引いて殿下との間を空ける。侍女達が急いでお茶の準備を私の向かいの席にセットする。ナイスアシストよ!貴女達!


「そうかい?7度も予定が合わないとは…。君とはすれ違う運命だったのかな?」


 チラリと向かいの席を見たけど気付かないフリをして、エリオット殿下は私が空けた隙間すら埋めてきたわ。だーかーらー、近いのよっ!前の婚約者すらこんなに近寄った事ないのに!


「あら、そんなにお会い出来てませんでした?申し訳ない事ですわ」


 それにしても、そんなに断ったかしら?昨日までは本当に忙しかったから、半分は都合が悪かったはずよ!半分は嫌で断ったんだけど。


「…アメリア、学園での事は聞いたよ。オースティン家との婚約、残念だったね」


 エリオット殿下が、私の右手に再度口付け、痛まし気に私を見つめる。

 揶揄われたり、女らしくないからだとか嫌味を言われると思っていた私は、殿下の態度に面食らった。この人本物のエリオット殿下かしら?まぁ、この2人といなさそうな美形は本物よねぇ?


「まぁ、殿下のお耳にも入ってしまいましたか…。円満な婚約解消でしたので、私は何とも…」


「オースティン家は何を考えているんだ?婚約してからの君の献身に対してこの仕打ち…しかも学園のサロンで君を悪し様に罵ったそうだな…」


 エリオット殿下の静かな声に反する様に、アメジストの瞳が怒りに燃えているようで…。ハッキリ言って怖いわ。いつも私に嫌味を言ったり揶揄ったりしている時とは比べ物にもならないぐらい、怒りのオーラが出まくっているわよ?


 私が怖くて思わず身震いをすると、エリオット殿下からフッと怒りのオーラが消えた。ちょっとホッとしたわ。


「アメリア…可哀想に。婚約者に裏切られて、悲しかっただろう」


 悲しい…?まあ、自分が嫁ぐつもりだったから、本腰入れて領地改革をしていたのに、全て無駄になったから残念ではあるけれど…?


「特に、悲しくは有りませんわね。まだ稼働したばかりの事業もあって、楽しみにしていた分、見届けられないのが残念ではありますけれど…」


「…オースティン家の嫡男に、未練はないのかい?」


 ルイス様に?片手で数える程しか会ってない上に、天気の話題以外は交わした事がなかったからなぁ。嫌だ、本当に希薄な婚約関係だわ。ルイス様も浮気したくなるわよね。


「未練があるほど深いお付き合いをしてはおりませんもの。ルイス様に会うよりもオースティン伯爵にお会いする回数の方が多かったくらいですし…」


「なるほど、未練は全くないわけだな!」


 何故か嬉しそうなエリオット殿下。先程の怒りのオーラは何処へ言ったやら、ニコニコと笑顔すら浮かべてらっしゃる。

 この人、本当にどうしちゃったのかしら?いっつも気難しい顔か仏頂面しか見た事なかったけど、今日は笑ってるわ。食べると笑いたくなると言われているキノコでも食べたのかしら?城の毒見役は何してるの?


「それで、今後君はどうするつもりだい?バーンスタイン伯爵とは何か話し合っているのかな?」


「今後…?いえ、円満な婚約解消とはいえ、私はキズモノですもの。父も特に急いで今後を決める必要はないと言ってくれてますし、暫くはゆっくりしようかと…」


 婚約解消の話を聞いたお父様とお母様には、抱き締められ頭をポンポン撫でられ、もう一生お嫁に行かないでいいからねっ!と泣かれたのよね。いくら何でも、一生嫁に行けないのは嫌だわぁ。可愛い天使のウィリアムは、よく分かってないようで、僕もー!って一緒に抱きついてきて、もう!可愛くて悶絶したわ。


 その時のことを思い出して頬を緩めると、エリオット殿下にジッと見られてたわ。やだ、緩みすぎて涎でも出てたかしら?


「アメリア、本当のことを言って。何処からか婚約の打診は無かったかい?」


 エリオット殿下から再び怒りのオーラがっ!何よっ、何で怒ってるのよっ!


「ち、父からは何も聞いておりませんわ。こう言った場合、間を置くのが礼儀ではありませんこと?」


「…そう、まだないんだね」


 エリオット殿下から怒りのオーラがシュッと無くなる。何なの?今日は本当に何なのよっ!


「いい機会ですから、この間にエルナン国に留学をと考えております。向こうの技術はまだまだ興味深い物が沢山ありますし、向こうの習慣も学びたくて一」


「ダメだ!」


 3度めの怒りのオーラ!しかも特大!!何でっ!

 がっしりと両手を掴まれ、目の前には怒れるエリオット殿下の顔が。近い、近いってば!


「君はエルナン国の習慣を知らないのか?あの国の男性は妻を複数持つことが許されていて、若く美しく魅力的な女性を見れば口説かずには居られない性質なんだ」


「聞いた事はありますけど、ただの噂かと…。何度かエルナン国の男性とお会いした事はありますけど、そんな事は一度もありませんでしたわ」


 息を吐くように自然に女性を褒めるのは皆さん共通してますけど。口説かれた事は無いわね。


「それは君に婚約者がいたからだ。向こうのルールでは、婚約者がいたり既婚の女性は口説かない」


 あら、そうなの。でも私も複数妻を持てる風習は嫌だわ。好きでもない婚約者に浮気されただけであんなに不快だったんだもの。好きになった相手が、熱心に他の女性を口説くのを許さなきゃならないなんて、真っ平だわ。

 その点我が国は王室といえど一夫一妻制が基本。結婚するなら我が国の男性よね。


「まぁ、ご忠告有難うございます。ではエルナン国では男性のリップサービスに騙されないように気をつけますわ」


 私の言葉に、エリオット殿下は顔を歪ませる。


「行って欲しくないんだよ、アメリア」


「でも、エルナン国の技術を学ぶいい機会ですから」


 何でこの人、私の留学に一々口を出すのかしら。どうせ学園の卒業に必要な単位は取ったし、オースティン領の仕事がなくなった分、予定はガラ空き。お父様や叔父様の許しだって貰えたのに。


「どうしてもエルナン国に行きたいと言うなら、そうだな…」


 ニコリとエリオット殿下が微笑む。


「私と婚約してからなら、許そう」



◇◇◇



「嫌です」


 あら、脊髄反射で断っちゃったわ。いくら何でも不敬よね。

 しかしこの人何を言い出すのかしら?いくら女が活躍するのが気に入らないからって、こんな実現しそうにないこと言い出して、留学を阻止しようだなんて。腹立つわね。


 私が即断ったのが意外だったのか、エリオット殿下がすごい顔しているわ。ポカンとした美形って間抜けね。

 あんなに酷い態度をとっておきながら、私が喜んで承諾すると思ったのかしら。キズモノ令嬢だから、婚約話をしたらすぐに飛びつくとでも?傷心の令嬢を笑い者にしようだなんて、相変わらず性格悪いわぁ。

 

 でもまぁ一応相手は王族。ちゃんとフォローしなくちゃね。


「エリオット殿下。婚約解消したばかりの私を慰めようとそんな事仰って下さったのね。お優しい心遣い感謝しますわ」


 ニッコリ微笑んであげますわよ。腹は立ってますけどね。


「しかしそんな戯言を簡単に仰ってはいけませんわ。殿下は尊きお方。そのような戯言でも、他の者に聞かれたら要らぬ誤解を招きますわ」


「冗談なんかじゃない。私は本気だよ」


 シュッと真顔に戻って、エリオット殿下は熱意を込めて、にじり寄ってくる。その勢いに、私はジリジリと後ろに下がった。


「まあ、殿下。我が家は伯爵家。王家に嫁ぐのは侯爵家以上と慣習で決まっていますわ。それに婚約解消後の次の縁談までは一年を置くのが」


 エリオット殿下の本気モードに、私は慌てて婚姻できない理由を連ねる。何でますます近づいてくるのよ。もうソファの端っこで逃げ場が無いじゃない。


「バーンスタイン伯爵家には侯爵への陞爵の話が出ている。君達の功績を考えれば当然だが」


 はぁ?!聞いてないわよっ!嫌よ、侯爵なんて!面倒が増えるもの!

 引きつる私に、エリオット殿下が逃すまいと言葉を重ねた。


「ちなみにバーンスタイン家は先代の頃に一度陞爵を蹴っている。これ以上断るのは王家に叛意でもあるのかと疑われるよ?それに、これほど成果を上げているバーンスタイン家を陞爵させないと、王家が臣下に褒美を与えぬと思われる。臣下からの不満が増えれば国が揺るぎかねない。受けざるを得ないだろう」


 ああぁぁ!断れないやつだわ、これ、絶対断れないやつ。

 エリオット殿下のことだから、こんなに確信を持った言い方してるってことは、もう議会にも根回し済みだわきっと。無駄に有能!なんなのよっ!


「まぁぁぁ…光栄なお話ですわ…」


 頭が空回りして何も考えられないわ。侯爵に陞爵?何から手をつけたらいいのかしら? 

 はっ!もしかして、お父様が王城に呼び出されたのって?


「君の父上も、今頃、陛下から今と同じ話を聞いているだろうね」


 無理ー!陛下からのお話を断るなんて、お父様のスキルでは絶対無理!その場で受けちゃってるわね。叔父様が一緒だったとしても回避は無理だわ、多分。

 お父様、大丈夫かしら、驚きすぎて失神してないかしら。


「本来ならば一年は間を置くのが慣習ではあるけどね」


 ニコリとエリオット殿下が微笑む。私の両手に、チュッと音を立てて口付けた。


「婚約の話も陛下から出ているはずだよ」


 あ、これは失神しているわね、お父様。


 だって私も失神しそうだもの。

 何なのこれ。昨日の婚約破棄から災難続きじゃないの?

 私、毎日領民の為に頑張ってきたのに、神様、あんまりじゃありませんか!?



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