10
翌日。
改めてシュデト殿下主体で黒炎花の輸出に関する交渉が持たれたのだけど。
終わったわ。僅か1日で。
終わった瞬間、叔父様とガックリ脱力したわよ。私達、4月近くもこの交渉に費やしていたのよ?4月よ?
交渉の場にはエリオット殿下と人が変わった様に大人しくなった第3王子のガデス殿下もいらっしゃったのだけど。
シュデト殿下は多分この交渉に臨む前に、一通りガデス殿下から引き継ぎを受けたのでしょうけど、私が黒炎花の有用性や我が国の条件を説明する度に、シュデト殿下が聞いてないぞと言わんばかりにガデス殿下の事を睨み、ガデス殿下が真っ青な顔でしどろもどろに言い訳するのが面白かったわ。
エリオット殿下が一切容赦しなかったお陰で、当初エルナン国に示していた条件より遥かに有利に交渉を進めることができたわ!良かった。
交渉の後、シュデト殿下より誘われて、エリオット殿下、叔父様、私は美しい花が咲き誇る中庭でお茶をいただく事になった。
そこで、シュデト殿下より改めて謝罪をされ、エルナン国王の退位とシュデト殿下の即位、それに伴いガデス殿下が全ての妻と離縁の上断種され、辺境の地へ送られる事になったと説明された。
エルナン国王はもう大分お歳なので元々シュデト殿下へ王位を譲る事を考えていたらしいけど、ガデス殿下については、部屋から違法な薬物が発見されたりと、色々と王族としては相応しくないことが発覚し、荒地に近い辺境送りになるみたい。今までは末っ子可愛さにエルナン国王が庇っていたらしいけど、シュデト殿下はそれほど甘くないようね?
シュデト殿下が滅茶苦茶怒っていて、もう二度と私にガデス殿下がお目にかかる事はないでしょうと仰っていたけど、ガデス殿下はそんなにマズイお薬を所持していたのかしら?エリオット殿下、叔父様、アルト様が揃って冷たい笑いを浮かべていたのが何だか怖かったわ。
それからしばらく、エリオット殿下がエルナン国での外交の時はお側に付き添い、休みの日はお忍びでエルナン国の街を歩き楽しんだ。お仕事をしているエリオット殿下はやっぱり凄い人だと実感したし、庶民の様な格好も素敵で、ポーッとしちゃったわ。
そしてとうとうデジェネレス王国に帰る日が来た。
帰りは馬車2台で帰ることになったのだけど、始めは叔父様と私、エリオット殿下とアルト様で別れて乗る筈だったけど、いつの間にかエリオット殿下と私、叔父様とアルト様の組み合わせに変わっていた。
馬車で数日かかる距離だし、その間は護衛も侍女も同席しないので、馬車の中に2人きりは、いくら何でも婚約前の男女がハシタナイと辞退しようと思ったのだけど、エリオット殿下が頑として譲らなかった。
説得を諦めた叔父様とアルト様から、結婚前なんですから、程々にしてくださいと注意を受けていらしたけど、何を程々にするのかしら?
馬車の中は中々の広さと座り心地のいい座席、沢山のクッションがあって快適な空間だった。
窓から見える極彩色の街並みが段々と遠ざかっていくと、あんなにデジェネレスに帰りたかったのに、寂しさを感じるものね。
「寂しいかい、アメリア?」
背後から抱き締められたまま、殿下に聞かれる。
「ええ。とても有意義な滞在でしたもの」
色々と勉強になったし、沢山の人と触れ合えた。
「でも、早くデジェネレスに帰って、家族に会いたいです」
そう言った私に、殿下がクスクスと笑う。
「あんなにエルナン国に行きたがっていたのにね」
殿下の胸にもたれ、その安心感に身を委ねながら、私は答える。
「やっぱり、私の国はデジェネレスですから」
「そうだな。外遊に出た時、私も国に帰りたい気持ちが募るよ」
殿下が真剣な目で私を見つめる。
「アメリア。国に帰れば、すぐに君との婚約を進めるつもりだ」
「えっ?でも、慣習では一年は…」
婚約解消後、次の縁まで一年空けるのが慣習だ。
「オースティン家が大っぴらに君との復縁を願ったせいで、バーンスタイン家には今、君への縁談が殺到しているそうだ。オースティン家の申し込みで、婚約解消が無かったものとして扱われているらしい」
「まぁ…」
「帰ったら王家主催の夜会がある。そこでバーンスタイン家の陞爵と君との婚約を発表するつもりだ」
きゅ、急展開ね。婚約まであと一年ぐらいは時間があると思っていたけど。
「正式な婚姻は一年以内にと考えている」
「急すぎませんこと?!」
普通はもっと時間を掛けるわよね?結婚式の準備があるし、王妃教育だって必要でしょ?
「1日でも早く私の妻だと公言したいんだよ。君に必要な妃教育はバーンスタイン家の家庭教師達から確認をとっている。皆が口を揃えて伯爵令嬢とは思えない程優秀だと太鼓判を押したよ。歴史、語学、外交、統治に関しては特に素晴らしいそうだ。必要なのは王族に関する事ぐらいだろう。結婚式の準備も進んでいてね、既に私の母と君の母がドレス選びを始めているよ」
ニコニコととんでもない事を仰ったわ、この人。そしてお母様、何故王妃様と一緒にドレス選びを始めていらっしゃるの?
呆然とする私に、エリオット殿下はニヤリと笑った。
「ごめんよアメリア。私は二度と遅すぎたなんて後悔はしたくないのでね」
◇◇◇
「あぁ、アメリア。今日の君は格別に美しいね」
叔父様が私を繁々と見つめている。
「本当に、綺麗になって…」
お母様は胸が一杯な様子で、ため息を吐く。
「う、うぅっ、あめりあぁ」
お父様は既に号泣している。可愛いウィリアムが、お父様の足元で「お姉さまかあいい!」と目をキラキラさせているわ。可愛いのはあなたよ。
今日の夜会はバーンスタイン家の陞爵とエリオット殿下と私の婚約についての発表がある予定だ。
帰国してすぐ陛下と王妃様との面会があったのだけど、その時、本当にエリオット殿下でいいのか、何か脅されていないか、少しでも嫌ならすぐに言って欲しい等々、しつこく確認されたけれど、私は笑顔でエリオット殿下との婚約をお受けした。
王妃様から「寛大な心を持ったお嬢さんね」と泣きながら褒められたわ…。エリオット殿下は終始、気不味そうな顔をなさっていたわね。
そして夜会の前日、エリオット殿下からドレスが届いた。今回のドレスは白を基調に紫のラインの入ったシンプルなデザインだけど、所々にレースの花が飾られていて、揃いの髪飾りも付いていた。ホルターネックで両肩と背中の半ばまでが露わになっているので、着るのに結構勇気がいるわ。髪もアップスタイルにしているので、露出が多くないかしら。
「お綺麗ですぅ、この立ち昇る上品な色気をどうしたらいいんでしょうか?イチコロですわよ、イチコロっ!」
「ここまでお似合いになるとちょっと怖いです。殿下ってアメリア様の全てを知り尽くしている様な気がして…」
ニコラ、サリナ。発言が怖いわ。
叔父様のエスコートで、夜会の会場である王宮へ向かう。今日の夜会は家族全員で参加する。ウィリアムはまだ5歳なので参加できないけど、仕方ないわね。
王宮の一番大きなホールに入ると、主だった貴族たちがズラリと揃っていた。そんな中、バーンスタイン家の入場を告げられ、皆の視線がざっと向けられ、騒めきが広がった。
私は笑みを貼り付け、お父様たちの後ろから叔父様のエスコートで着いていく。皆さんの視線が離れないのだけど…、何かおかしいのかしら?お父様はなんとか泣き止んで下さったんだけど、目が赤いから注目されているのかしら?
「皆、お前の美しさに見惚れているんだよ」
叔父様のリップサービスに笑みが引き攣るわ。大胆なドレスが悪目立ちしていなきゃいいけど。
次から次から、何故か男性が話しかけてくるのだけど、叔父様はサクリサクリと男性たちを躱して、私に近づけない。エルナン国でも思ったけど、叔父様ってお誘いへのお断りの返事バージョンが豊富なのよね。角が立たない様に断るのがとってもお上手。勉強になるわぁ。
あら、あちらで小さく手を振っていらっしゃるのは、ルイーザ様とジェシカ様だわ。クレスウェル侯爵家とフェレーラ侯爵家ですもの、もちろん参加なさるわよね。お二人とはエルナン国に居る時から、手紙のやり取りをして仲良くなったのだけど、エリオット殿下との事を報告したら、凄く喜んで下さったのよね。早くお茶会したいわぁ。後で少しでもお話し出来るかしら?
そうやって色々な方々と挨拶を交わしていると…。
あら、嫌な方と目が合ってしまったわ。こちらにギラギラした視線を向けてきているのは…。元の婚約者のご一家じゃないかしら…。オースティン伯爵と夫人、そしてルイス様。
「やあ!バーンスタイン家の皆様。この様な場所でお会いできるなんて!やはり当家とバーンスタイン家とは切っても切れぬ縁がある様ですな?」
ニコニコと嬉しそうに近づいてきて話しかけて来たのはオースティン伯爵。その傍には夫人が、不機嫌そうな顔をしていらっしゃる。ルイス様は何故かニヤニヤ顔。残念、そのお顔、色々台無しだわ。
婚約解消を知る夜会の参加者達は、楽しい出し物を見る様に、こちらを窺っている。嫌だわ、悪目立ちしているわね。
「久しいですね、アメリア。お元気だったかしら?」
オースティン伯爵夫人が、刺々しい口調で挨拶をしてくる。この方、私がルイス様と婚約していた時から私が気に食わないのか、いつもこういう態度なのよね。
「お久しぶりです、オースティン伯爵夫人」
私は貼り付け笑顔で応対する。叔父様も見事な貼り付け笑顔だわ。
「アメリア。帰国したのに我が家に挨拶がないとは感心しませんね。本来ならば一番に我が家に出向かなくてはなりませんよ」
何でですか。意味がわかりませんわ。
私達家族は揃って怪訝な顔。
そんな私達一家の様子に、オースティン伯爵夫人は大仰にため息を吐いた。
「我がオースティン家に嫁ごうと言う方が、その様な無作法をしてもいいと思っているのですか?貴女は我が家に嫁ぐという自覚が足りませんよっ!」
私は貼り付け笑顔も忘れて、ポカンとした。
え?何を仰っているの、この方。
もしかしてルイス様と私が婚約破棄をした事をご存知ないのかしら?いや、その後、ルイス様はクララ嬢と婚約していたもの、知らないはずないわね。
「オースティン伯爵夫人。アメリアとそちらのご嫡男との婚約は解消となりました。当家とそちらはもはや無関係ですよ」
お父様の穏やかな声に、オースティン伯爵夫人はフッと馬鹿にするような笑いを漏らす。
「まあ、バーンスタイン伯爵。アメリアにルイス以上の縁談などありまして?我が家以外の縁など、後妻か格下の家からしか申し出はないでしょう。その様な駆け引きをいつまでも続けていると、我が家にもそれ相応の考えがありますよ」
オースティン伯爵夫人の強気な態度に、私はまたポカンとしてしまった。オースティン伯爵に目を向けると、こちらは困った様な顔をしているが、夫人を諌める様子はない。
「バーンスタイン伯爵。一度切れてしまった縁ですが、こうなると再度結び直した方が、両家にとっても最良の道と言えるのではないでしょうか。我が息子ルイスも、アメリア嬢の愛情と献身を、今度こそ受け取り慈しむことでしょう」
唯一まともだと思っていたオースティン伯爵のまさかの言葉に、それが誤解だったと気づいたわ。大バカ息子が浮気の挙句、勝手に婚約破棄しようとしたのを、綺麗に纏めるんじゃないわよ。
私は怒りと共に頭の中で算盤を弾いた。オースティン家から早急に出資していた事業を回収する必要があるわね。オースティン領の領民には負担がない様にしなくちゃ。
叔父様を見ると、きっと同じ事を考えていたのね。悪いお顔をなさっているわ。
「アメリア」
前髪をかき上げて、気障ったらしく近づいてきたルイス様が、甘ったるい声を掛けてくる。
「違う華に惹かれてしまった僕を許しておくれ。美しい蝶は美しい華に惹かれるもの。君がどれだけ僕を愛していて独占したくても、それは無理なんだ。でも忘れないで。僕は最後には君と言う華に戻ってくるのだから」
…この方、暫く会わない間に、何かよく分からない気持ち悪いモノに進化しているわ。自分を美しい蝶に例えるって、ナルシストなのかしら。
以前、学園でルイス様のファンだったご令嬢方も何人か夜会に参加していらっしゃるけど、ルイス様の発言にドン引いていらっしゃるわ。良かった、皆様、ようやく目を覚まされたのね。
それにしても、このねちっこい甘い声。聞いていると鳥肌が立つわ。
同じ甘い声でもエリオット殿下とは全然違う。殿下の声は男らしくて、でも蕩かすような甘さがあって…。耳元で囁かれたら…。
殿下からのアレコレを思い出し、私は顔が真っ赤になるのを感じた。慌てて扇子で顔を隠す。エルナン国からの帰りの馬車での移動中、大変だったわ。アレは程々って言わないわよ!
私が赤くなっているのを自分のせいだと思ったのか、ルイス様が得意気に笑っている。腹立つわぁ。
「アメリア。今日は僕にエスコートさせてくれるよね?バーンスタイン伯爵?よろしいでしょうか?」
ルイス様の言葉に、私は冷静さを取り戻した。
手を差し出されるが、私は首を振り、叔父様の影に隠れる。
「アメリア?」
ルイス様の口調が窘める様なものになる。その「今なら許してやるから駄々をこねるのはお止め、子猫ちゃん」的な顔をやめて欲しいわ。
今や夜会の参加者達全員の視線を集めている状態だ。
オースティン家の申し出に、バーンスタイン家がどう出るのか。皆様、興味津々なご様子だわ。
「随分と道理の通らぬ事を仰いますこと。バーンスタイン家が娘の縁欲しさのために、婚約解消した相手に縋るなんて、本気で思っていらっしゃいますの?」
私は出来るだけ美しく見えるよう、艶やかに微笑んでみせる。
「私が例え修道院に行くことになったとしても、父であるバーンスタイン伯爵にそのような恥ずかしい真似をさせませんわ。それに…」
チラッとルイス様に視線を送り、私はため息を吐く。
「何か勘違いをなさっているようですが…。私とオースティン様の婚約は家同士で決めたこと。私、オースティン様にお心を傾けたことなど御座いませんわ」
ルイス様が、私の言葉を鼻で笑った。
「そんなはずないだろう?君の瞳には僕への愛が溢れていたよ?」
私の瞳の中に、勝手に有りもしないものを見出さないで欲しいわ…。
どうしましょう。オースティン家の方々とは、全く話が通じる気がしないわ。関われば関わるほど、何かがゴリゴリ削られて疲弊していく。
今や周囲の視線はバーンスタイン家に同情的なものになっている。妙なモノに関わってしまって気の毒ねという目だ。
「アメリア。僕の美しい銀の薔薇。可愛いワガママは終わりにして、僕の温かい胸に戻っておいで。僕の腕の中で君が最大限に美しく花開くのを見せておくれ」
うわあぁぁぁん、と、鳥肌が立ったわぁ!
ルイス様の、私を見ている様で自分に酔っていらっしゃる目が気持ち悪いぃ。
涙目で腕をさする私の耳に、待ち望んでいた音がようやく聞こえた。
楽団から、高らかにラッパが鳴り響く。
夜会の主催者たる王族の皆様の、入場の合図だ。