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「アメリア・バーンスタイン!!君との婚約を破棄するっ!」
学園内にあるサロンのど真ん中で、我が婚約者であるルイス・オースティンが、子ウサギみたいに震えて涙目のご令嬢を腕に抱えて、叫んでいる。
バカなのかしら、この方は。
私はため息を呑み込んだ。サロン内に、頭が空っ、いや、よく事情が分かっていないご令嬢達から、ルイスを讃えるような黄色い悲鳴が上がってる。
学友達の様子は様々だ。歓喜の声をあげる者、面白そうに見守る者、苦々しくルイスを見る者、我関せずといった者。
素早く目の端で誰がどう言った様子なのかを確認し、頭の中の貴族年鑑と照らし合わせて、誰がどの家の者だったかを記憶していく。
私の婚約者のルイス・オースティンは人気のある学生だ。裕福な伯爵家の嫡男であり、学園内でも一、二を争う美貌、均整のとれた体つき。身に纏う装飾品には品があり、彼の王子様の様な風貌に良く合っている。
そして彼が腕に抱くご令嬢は、クララ・コリンズ。儚げな雰囲気と可愛らしい笑顔が大層男性にウケが良い。複数の男性と交流があると評判の令嬢だ。女性からの評判は推して知るべし。
よりによってこの娘ですか、そうですか。
「お前がこちらのクララに一」
「ルイス・オースティン様。婚約の解消、我がバーンスタイン伯爵家は確かにお受けいたしました」
ルイスの台詞に被せる様に、私は承諾の意を伝える。
何やら決め台詞を邪魔されて、ルイス様は一瞬、言葉に詰まった。
「なっ!そんな簡単に事が済む筈ないだろうっ!何時も忙しいと僕との時間を蔑ろにして学園にも通わず、アチコチと旅行したり我が伯爵家の財産を散財していたお前の代わりに、僕を慰め、寄り添ってくれたクララに陰湿なイジメをしていた事を知らないとでも思っているのかっ!」
スウッと目を細め、私はルイスを見つめた。
少し釣り目の私がこの表情をすると、氷の女王に睨まれた心地になりますと言ったのは侍女兼腹心の部下のニコラだったかしら。
私は銀髪に青の瞳で見た目冷たそうって言われるからなぁ。こんなに優しいのに心外だわ。
まぁ、目の前のバカ2人なら凍えても構わないから、睨みつけてもいいわよね。
「確かに、3年前に婚約して以来、お顔を合わすのも片手で数えるぐらいでしたものね。そこは申し訳なく思っておりますが、学園を卒業し婚儀をあげれば、2人の時間も取れる予定でございました。それも家同士の決めた婚姻ならば、珍しくもない事でしょう?」
「そ、それはっ!互いに遠方であった場合の家同士のことだろうっ!同じ学園に通っていて、何故時間が取れないんだっ!」
私は冷ややかな笑みを浮かべた。
「まぁ、遠方な場合も、そういうことはございますわね」
パチリと、持っていた扇を開き、私は口元を隠して首を傾げた。それを合図に、私のもう1人の侍女兼部下のサリナが、一礼してその場を去る。ニコラは私の側に控えたままだ。
「本日からは私も大分予定が空きますので、今日は婚約解消について、存分に話し合いましょう」
◇◇◇
まずは私とバカ、いえ、ルイス様の婚約について説明しよう。
そもそもこの婚約を持ちかけたのはバーンスタイン家からだった。
私、アメリア・バーンスタインはバーンスタイン家の第一子として生まれた。母は体が弱く、私以外の子を望むのは難しいだろうとお医者様に言われていたため、私は将来は婿を取りバーンスタイン家を継ぐものと思われていた。
しかし今から5年前、我が家に弟ウィリアムが誕生し、事情が一変した。
この国の貴族家は、後継は男子と法で定められている。男子が生まれなければ、娘が婿を取ることを認められているのだ。時代錯誤な考え方だが、法で定められているなら仕方がない。
弟の誕生は心の底から嬉しかったが、私は同時に困惑した。当時の私は12歳。将来、バーンスタイン家を継ぐための領地経営を学んでいたし、婿の選定は行っていたが嫁入り先は全く探していなかったのだ。
頼みの綱の当主である父は、生まれたばかりの弟を抱き上げ、ビックリするぐらい号泣していた。弟が生まれて感動しているのかと思ったが、それだけではなかった。
「ウィリアムが無事生まれて嬉しいけど、アメリアをお嫁に出さないといけなくなるぅ〜。嫌だあ〜」
まずは嫁入り先を見つけないといけないんですよと言いたかったが、私の嫁入りを想像しただけで泣く父には無理な話だ。私は父を頼る事を諦めた。
先代のバーンスタイン家当主であるお爺様は、それまでパッとしなかったバーンスタイン家を一代で大きくした傑物だった。領地改革を行い領地を豊かにし、交易を盛んに行い国益も増やしたため、陛下から侯爵への陞爵のお話もあったとか。お爺様は面倒な柵が増えるから嫌だと断っていたようだ。
そんなお爺様の跡を継いだお父様は、何というか、お仕事もコツコツと真面目にこなす優しい方なのだが、どこかポヤンとした方なのだ。
自分にも他人にも厳しいお爺様だったが、お父様のポヤンとしたところを溺愛されていて、当主として少々頼りないが可愛くて仕方がないと、ボヤいていらしたのを覚えている。お父様は早くに亡くなったお婆様に顔も性格もソックリだったとか。
せめてしっかり者の奥さんを探してやろうと思っていたら、お父様は同じ学園の同級生だったお母様と出会い、お母様はお父様に輪をかけてポヤンとした方なので、お爺様の好みのどストライクを突いており、可愛い娘が出来たと喜んで反対なんて考えもしなかったらしい。
お爺様が亡くなるまで、お前には苦労をかけるかもしれんがすまないと、私を膝に乗せ、よく謝っていらしたのを覚えている。お爺様によく似た性格の私は、お爺様と同じくポヤンマニアだったので、特に苦に思ったことはない。
こちらもお爺様によく似たしっかり者の叔父様の伝をたどり、オースティン伯爵家のルイス様と婚約を結べたのは3年前。あまりルイス様自身とは交流する機会を持てなかったが、両家の仲は良好だったと言えるだろう。
オースティン伯爵家にも益がなかった訳ではない。私と婚約が決まるまで、嫡男であるルイス様に婚約者がいなかったのは、オースティン伯爵家が破産寸前だったからだ。当主であるルイス様のお父様は実直で真面目な方だが、お母様が派手好きで浪費家なのだ。そこそこ裕福な伯爵家とはいえ、毎週茶会や夜会を開く度にドレスや装飾品を新調していれば、傾くに決まっている。オースティン伯爵も夫人を諌めてはいるが、漸く射止めた美しい妻のおねだりに弱く、抑止力にはならないのだ。
婚約に伴い、バーンスタイン家からの資金援助と領地改革のノウハウ、更には毎年大雨による浸水に悩まされていたオースティン伯爵領の治水工事の為に、隣国であるエルナン国の技師を招いての技術提供。バーンスタイン家のテコ入れで、オースティン家は夫人の散財ぐらいでは揺るがなくなり、領地は益々豊かになった。
そういった背景があるにも関わらず、このバカ、いや、ルイス様は婚約破棄などと叫んでいるのだ。
100歩譲って円満に婚約解消なら分かるが、一方的な婚約破棄とはどういうつもりなのか。腕に抱えたクララなる子爵令嬢が原因ならば、婚約破棄を言い渡されるのはルイスの方だ。
「お前はこのクララに、度重なる嫌がらせを行っていた様だな?!僕の愛がクララにあると知って、彼女に嫌がらせをしていたんだろうっ!」
婚約者がいながら他の女に愛があると、公衆の面前で公開したバカ、もとい大バカが、私をギロリと睨みつけた。見物するギャラリーのお嬢様達からキャーッ!ルイス様素敵っ!と悲鳴が上がる。大バカのファンの令嬢達だが、浮気を公言する男のどこが素敵なのか、一度じっくりと議論してみたいものだ。
「私、そちらのご令嬢とは初対面ですが…?」
クララ・コリンズの顔と名前は知ってはいたが、ある意味評判の令嬢なので、関われば何か良からぬことに巻き込まれそうで全力で交流は避けていた。バカのお陰でその努力も虚しく、関わることになってしまったが。
クララ嬢は儚げなその雰囲気に反して派手好きで散財好きな方なので、贅沢させてくれる殿方との婚姻を目指し、身分が高く裕福な子息へ片っ端から声を掛けていると有名だった。最終的にルイス様に標的を定めたのか。こうして考えると、ルイス様はお母様似の令嬢を選んだ訳だ。マザコンかしら。
「そんなっ!嘘をつかないでくださいっ!私に向かって身分が低いくせにルイス様と親しくするなと仰ったり、ドレスにインクを掛けたり、教科書を破いたり!大ホールに続く階段の上から突き飛ばしたではありませんかっ!」
プルプル震えながら涙目で訴える可憐なクララ嬢。表情一つ変えずにそれを見ている私。あらこれ、私が悪者に見えるのかしら、それなら新鮮な体験だわ。
「クララはお前に階段から突き飛ばされたせいで、怪我を負ったのだ!」
ルイス様が指し示すそこには、包帯を巻かれた腕。
あら、そんなチョッピリの怪我ですの?大ホールに続く階段って、あの50段ぐらいある大きな階段のこと?あそこから落ちたら、下手したら死んじゃうけど、ずいぶん軽症なのね?
「まぁ…。その怪我が私が階段から突き落としたせいで出来たと仰るの?」
「そ、そうですっ!アメリア様っ!私、今までのことは謝って頂けたら、それで宜しいんです。ルイス様のお心が私に移ってしまって、アメリア様のお辛い気持ちは分かりますものっ」
「クララの申し出をありがたく思うんだなっ!本来なら警吏に訴えられても仕方がないような重大な罪だぞっ!」
ルイス様、吐き捨てるように仰った。
「クララ…君は何て優しい人なんだ。そんな君の優しさが、僕を捉えて離さないんだ」
「ルイス様っ…」
見つめ合う2人。キャーッ!と歓声をあげるご令嬢達。
他人のラブラブなシーンって、傍から見るとこんなアホ丸出しな感じなのね。私も将来、思い合う殿方とこの様に見つめ合う事があったら、他人が側にいないか確認する様にしましょう。
「そのお怪我をなさったのはいつの事ですの?」
「白々しい事をっ!5日前のことだっ!忘れたとは言わせないぞっ!」
私が無粋に声を掛けると、クララ様の手を握ったまま、ルイス様が私に怒鳴り付ける。
「5日前…、そう。ニコラ?」
「はい。5日前でしたらその前日からアメリア様は治水工事の進捗確認のため、オースティン領にいらっしゃいました。ここからオースティン領には馬車で2日かかりますので、学園にいらっしゃるのは無理ですね」
ニコラが私の予定を手帳を見て確認しながら答える。そうそう。なかなか工事が進まないので、様子を見に行ったんだったわ。治水工事の資材不足が原因だったけど、隣の領から調達の目処が立って良かった。
「そもそも王都にすらいなかったのに、クララ嬢を階段から突き落とすのは無理ですわね。真偽はオースティン家の家令に確認して頂けば分かりますわ。滞在中はオースティン家にお世話になりましたから」
「なっ?!我が領にいただと?たかが婚約者の分際で次代の当主を差し置いて、何故お前がそんな事をしているんだ!?それにお前はまだこの学園に通う学生だろうっ!学生の本分である学業を疎かにして、領地のことに口出しするなど、出しゃばりにも程があるぞっ!」
「婚約をした3年前から火急の案件であったオースティン領の治水工事の采配をしていたのは私ですが?何故、次代の当主たるルイス様はご存知ないんですか?ご当主様から説明は有りませんでしたか?私が学園に月に一回程度しか通ってないのは、卒業に必要な単位は既に取得しているからですが、一番の理由はオースティン領の立て直しで忙しかったからですよ?」
「な、んだと?立て直し…?」
「他の嫌がらせに関しても、私が月に一度学園に来ていた日に起こっていたとしても、私が関わるのは難しいでしょうね。学園での滞在時間は僅かですし、学園での用事が済めば、すぐにオースティン領かバーンスタイン領に戻っていましたから」
ニコリと、私は微笑んだ。
「それで私が、クララ様に嫌がらせをしていたという証拠はございますの?勿論、クララ様の訴えだけでなく、目撃者や物証といった客観的な証拠です。私の予定は分単位で侍女が把握しておりますし、学園にいる間は教授達や学友達とお会いしておりますので潔白を証明することは可能ですわよ?まさか、クララ様の訴えだけでこの公共の場で伯爵家の者に嫌疑を掛けたわけではございませんわよね?」
クララ様に視線を向ければ、ガタガタと震えて真っ青になっている。あら、もうちょっと何かないの?小物過ぎてつまらないわ。
ルイス様はクララ様にどういう事だと詰め寄っている。なんてこと。こちらもクララ様の言葉を鵜呑みにしただけのボンクラだわ。
私は深いため息をついた。
お父様の様に誠実なポヤンとしたタイプの方を選んだと思っていたけど、なかなか難しいものだわ。大事に育てられ過ぎて世間知らずだと、傲慢で騙され易くなるのね。
「君は僕を騙したのかっ!」
「私の事、愛しているって仰ったじゃないですか?あれは嘘だったんですか?」
本格的に言い争いを始めた2人に、私はわざと響く様に扇を閉じてやった。
ビクッとして、2人の言い争いが止む。
「アメリア。僕はこの女に騙されていたんだ。すまない、謝るよ。さっきの婚約破棄の話は無かったことにしてくれ」
「酷いわ、ルイス様っ!私をオースティン伯爵夫人にしてくれるって言ったから!だから貴方に全てを捧げたのにっ」
ザワザワとサロン内が騒がしくなる。
当然のことだけど、淑女は嫁ぐまで純潔を守るもの。こんな公共の場でクララ様が婚前交渉を明言したと言う事は、大変不名誉な事。しかしこれでルイス様がクララ様を娶らなければ、彼まで女性を傷物にして責任を取らない酷い男というレッテルが貼られてしまう。やるわね、クララ様。
まあ、クララ様は初めて全てを捧げたとは仰ってないので嘘ではないわね。クララ様の先程の発言の際に、何人かの男子学生が気まずげな顔をしていたのを、私は見逃さなかった。
「なっ、何を言うんだっ!あれはお前がっ」
ルイス様がクララ様を引き離そうとするが、クララ様は両手でルイス様の手を、あらら、む、胸元に押しつけていらっしゃいますね。マア、ハシタナイ。
「私を抱きしめて、肌が滑らかで世界一美しいと仰ったじゃぁありませんかっ!二度と離さないとっ!だから私っ…、つい、あんな嘘をっ。どうしてもルイス様の奥様になりたかったのっ」
ボロボロと大粒の涙を流しながら訴えるクララ様に、顔を真っ赤に染めてキョロキョロと周りを気にするルイス様。
生々しい告白に、ご令嬢の中には倒れてしまう方も…。流石に私も顔が赤らむのを止められなかった。
「こほんっ。ご心配なさらないで、ルイス様、いえ、オースティン様。先程の婚約破棄の宣言は既に両家に伝わっておりますわ。私はバーンスタイン家の当主代理の権限も持っておりますので、私の婚約解消の承諾は当家の返事と思っていただいて結構です。オースティン家の方は…あら、ちょうど私の侍女が戻って参りましたわ」
「そんなっ!アメリアっ、僕は君のことがっ」
ルイス様の言葉を遮るように、侍女のサリナがサロンに戻ってきた。オースティン家にルイス様の婚約破棄の宣言を伝えに行ったのだが…。あら、一緒にいらっしゃるのはオースティン伯爵ですわね。
「このっ大馬鹿者っ!!」
サロンに入室するなり、オースティン伯爵はルイス様に駆け寄り、全力でぶん殴った。あら、ルイス様、ちょっと鍛え方が足りないわね。踏ん張れずに無様に壁まで吹っ飛ばされたわ。あーあ、ピクリとも動かず気絶してるわ。
「申し訳ないっ!アメリア嬢!貴女にはオースティン領を立て直して頂くという大恩を受けていながら、ウチの馬鹿倅がっ!何という裏切りをっ!」
オースティン伯爵は土下座せんばかりの勢いで頭を下げている。本当に、誠実ないい方なのよね。奥様と息子はアレだけど。
「まあまあ、私は気にしていませんわ。オースティン領のおかげで、我が領の絹製品の加工が上手く行くようになりましたもの!今回は両家の円満な婚約解消ということで宜しくてよ」
我が領の産物の一つである絹の染色について、オースティン領の染色職人さんに協力頂いたおかげで、今までにない新たな色合いの絹製品を作り出すことに成功していた。おかげでまた大儲け出来そうだわ。ウフフ。
ここで婚約破棄と騒ぎ立てて慰謝料などと端金を受け取るぐらいなら、円満に婚約解消して恩を売った方が今後の利益になるわね。
「なんと、なんと慈悲深いお言葉っ!残念でなりませんっ!私は、アメリア様のような素晴らしい方を当家にお迎えしたかった」
ギロリッと、新しい嫁候補のクララ嬢を睨みつけるオースティン伯爵。射殺さんばかりの厳しい視線に、クララ様が真っ青になっているわ。
でも伯爵。貴方の奥様と同じタイプの女性ですよ。嫁姑争いはないかも。似たもの同士なので仲良く散財してくれるかもしれませんよ?
「私も残念ですわ。でも、これからも両家は良い関係を築けると思いますわ」
「ええ、我がオースティン家はバーンスタイン家の寛大なお心を忘れたりは致しませんっ!」
良かった。無事に恩は売れたようだわ。これからガシガシ働いて返して頂くわよ。先行投資もさせて貰いましたからね。
こうして私は、円満にルイス様と婚約を解消することができた。
この婚約解消が、厄介なモノを呼び寄せることになるなんて、この時は思いもしなかったわよ。