ここは一番ホーム
「先に帰った?」
二番ホームに降りたところで、サクラからメッセージが送られてくる。
反射的に開いてしまい、なんと返したものかと悩む。あちらには、とっくに既読が付いているはずだ。スルーはできない。
「ごめんね」と、桃花は返信する。
何か、特段の理由があって、その言葉を選んだわけではない。今は、他のことを考えている余裕がなかった。頭のなかでぐるぐると渦巻いているのは、明日への恐怖。
家へ帰り、夕食を食べ、風呂に入ってからベッドに入り、朝が来る。駅へ向かい、ホームに立ち、やって来た電車に乗って登校する。教室に入れば、くすくす笑う声。終わりのない悪意。誰も、助けてはくれない。
明日になんか、ならなきゃいいのに。
何度も、そう思った。それでも、明日からは逃れられない。もう、いっそ死んでしまおうか。いや、そうではない。死にたいわけではない。ただ、この苦しみから逃れたいだけだ。どうすればいいだろう。ああ、そうか。死んでしまえば……いや、だから、そうではなく。
桃花は二番ホームと一番ホームの間に掛かる跨線橋を昇り、降る。しかし改札へは向かわず、跨線橋の下をくぐって一番ホームの奥にあるベンチに腰を下ろす。やるべきことをぜんぶ保留にして、この場にとどまっていれば、時間そのものが止まるのではないか。そんな、子供じみたことを考える。
「モモちゃんどこ?」
再びメッセージが飛んでくる。
結局、時間は止まらない。
桃花はベンチを立ち、ホームの端に立つ。そして、少し迷ってから「駅」と返す。
「私も駅。どっち?」
「どっちって?」
「どっちのホームか聞いてるの」
サクラは、何も悪くない。だが、今は放っておいて欲しかった。仲の良い友人と一緒にいれば、笑顔にならざるを得ない。作り笑いではないが、勝手に笑顔になってしまう。楽しくないわけではないが、それはいつも、心を上滑りする。
「あ」
「見つけた」
「1番ホームね」
ぽろぽろと、立て続けに流れるメッセージ。
『まもなく、一番ホームに列車が参ります。危険ですので、黄色い線の内側まで――』
入線ベルが鳴る。
桃花はスマホをポケットに押し込んだ。大きく息を吸い込み、空を見上げる。一番ホームと二番ホームの屋根に挟まれた空は、灰色の雲で満ちていた。しかし、まったく不意に、ぽかりと小さな青空が覗き、桃花はようやく答えにたどり着いた。
どこへ行っても袋小路しかない迷路をさまよい、追い詰められていた桃花にとって、それはまったく思いも寄らない手段で、どうして気付かなかったのかと、笑い出しそうになるほど簡単なことだった。
そう。
たった一歩、足を踏み出せばよいのだ。
一番ホームの向こうへ。
「間違えるなよ」
耳元で声が聞こえた。しかし、ぎょっとする間もなく襟首をつかまれ、後ろにぐいと身体を引っ張られた。尻もちを突く。目の前を列車が通り過ぎる。それでようやく桃花は、自分が何をしようとしていたのかに思い当たり、怖気に身を震わせた。
首を捻り、自分を救ってくれた何者かに目を向ける。が、そこにはベンチが一つあるばかりで、誰もいなかった。
「モモちゃん!」
桜子が横手から現れ、体当たり気味に抱き着いて来た。桃花はホームの上に押し倒され、何事かと友人を見つめる。
「モモちゃん、よかった!」
桃花の胸に顔をうずめ、桜子は言う。
「サクラ?」
桃花が呼び掛けると、桜子は顔をあげた。きれいな顔が、涙と鼻水でぐずぐずになっていた。
「怖かった。モモちゃん、死んじゃうと思った」
「ごめんね」
桃花は謝るが、桜子は首を振ってから立ち上がり、桃花に手を差し出す。桃花は、その手にすがって立ち上がる。
その時、桜子が背を向ける向こう側、改札口の前に、小柄な少女の姿が見えた。彼女はちらりとこちらへ目をくれてから、改札を抜ける。
「おキクちゃん」桃花はつぶやく。
「え、なに?」きょとんとする桜子。
桃花は頭上を見上げ、ホームの番号を確認する。
ここは一番ホーム。
線路を二本はさんだ対面は、二番ホーム。
〇番ホームは、どこにもない。
桃花は、やにわにホームを駆け、少女のあとを追った。駅員に定期券を見せ、待合室を抜けて駅の外へ飛び出す。が、少女はこつ然と姿を消していた。
「ねえ、どうしたの?」戸惑う桜子が聞いてくる。
「友だちがいたの」
「友だち?」
「うん」桃花は答えながら、周囲を見渡す。「〇番ホームで会ったの」
「〇番? ホームは一番と二番しかないよ」
桃花はうなずく。もちろん、そんなことは知っている。しかし、彼女は確かにいた。あの、〇番ホームに。
駅と道を挟んだ向かい側に、小さなお地蔵さまがいた。愛嬌のある顔立ちで、胸元に浮き彫りにされた左手には、菊の花が一輪握られている。その傍らには例のおばさんがいて、お地蔵さまの周りをほうきで丁寧に掃いていた。
桃花は近くのコンビニに駆け込み、おにぎりを一つ買ってから、お地蔵さまの前に立った。
「あんた、また――」おばさんは、たちまち目を三角にする。
「ごめんなさい」小言を遮り、桃花は頭を下げる。「でも、どうしても、これをお供えしたいんです。色々お世話になったから、その、お礼に」
「なんだかよくわかんないけど、私からもお願いします!」桜子まで一緒になって頭を下げる。
おばさんは、二人の少女を戸惑った様子で眺めてから、一つため息を落とした。
「まあ、いいわ。けどね、お供えしたものは、ちゃんとお下がりとしていただきなさい。置きっぱなしにされるより、一緒に分け合って食べた方が、きっと仏さまだって嬉しいだろうからね」
桃花と桜子は、おばさんにお礼を言ってからおにぎりを供え、手を合わせてお地蔵さまを拝んだ。それから桃花は、「お下がりいただきます」と言っておにぎりに手を伸ばす。なんとなく、「やらんぞ」と言った菊を思い出すが、お地蔵さまは微笑むばかりで何も言わなかった。
桃花はフィルムを破り、海苔を巻いてから、少し考えておにぎりを半分に割り、片方を桜子に差し出す。
「ありがとう」桜子は遠慮する素振りもなしに、おにぎりを受け取る。そして、割り口から覗く具を見て笑みを浮かべた。「いくらだ!」
「好物なの」と、桃花。
「お地蔵さまの?」
屈託のない顔でたずねる親友を、桃花はまじまじと見つめた。そうして、くすりと笑ってからうなずく。
「そっか。それじゃあ、きっと喜んでくれてるね」
桜子は言って、おにぎりにかぶりついた。
「うん」
桃花も一緒に、半分だけのおにぎりを頬張った。
ほどなく駅からアナウンスが聞こえてくる。しかし、菊はまた、列車に乗りそびれるに違いない。きっと、おにぎりを食べるのに忙しいから。




