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眉唾

 翌日の朝。

 〇番ホームには、やはり菊の姿があった。少女はちょうど、おにぎりを包むフィルムを開けているところだった。ラベルには「いくら醤油漬け」と書いてある。桃花の好物と同じものだった。

「おいしそう」

 桃花が言うと、菊はぎょっとして「やらんぞ」と言った。

「とったりしないよ」桃花はくすりと笑う。「いつもそれ?」

「いや、大抵は明太子だ。一番はこっちだが、滅多に手に入らない。まあどちらもうまいから、構わんが」

「わかる」

 魚卵はうまいのだ。

「桜子の件だが」菊は言って、おにぎりを一口食べてから続ける。「ひとつ、お前に(まじな)いを掛けてみようと思う」

「おまじない?」

「本来であれば見えないものを、見えるようにする呪いだ」

 どうにも怪しげな話だが、あるはずのない一番ホームをどうにかしようとしているのだ。もはや今さらである。

「そこのベンチに座れ」菊は言う。「いささか、顔が遠い」

 桃花は背が高い。その反対に菊は小柄だった。言われた通り、桃花はベンチに腰を降ろした。しかし、彼女は何をするつもりで、顔が遠いとなどと言ったのだろう?

 その答えは、すぐにわかった。菊は顔を寄せ、桃花の左眉に口付けする。彼女はぎょっとする桃花をよそに、「よし、いいぞ」と短く言った。

「これだけ?」

 何やら呪文の一つも唱えると思っていたから、ずいぶんと拍子抜けである。

「本来なら朱で隈どるところだが、目の回りを赤く塗った女子高生など、いささか奇天烈な見た目になってしまうからな。まあ、これでも用は足りる。ともかく、二番ホームの方を見てみろ」

 桃花は二番ホームを見た。何やら物が二重に見えて、少々気持ち悪い。

「右目を隠せ」

 菊の指示通り、桃花は手の平で右目を覆う。遠近感が消える代わりに、景色は一つになった。

 目の前には、少女の背中があった。桃花と同じ制服で、どうやらスマホを覗き込んでいる様子だ。

『まもなく、()()()()()に列車が参ります。危険ですので、黄色い線の内側まで――』

 入線ベルが鳴る。少女はスマホをポケットに押し込む。しゃんと背筋を伸ばし、ホームの屋根と屋根の間に見える空を見上げる。覆い尽くす灰色の雲の中、わずかな青空がのぞいていた。

 左手から声が上がった。目を向けると、人形のように可愛らしい顔立ちの少女が、こちらへ向かって駆けて来る。少女は、手に提げていたカバンを荒々しく放り出し、太ももがあらわになるのも構わず、スカートの裾を翻して全速力で走る。

 右手から列車が迫る。

 目の前にいたスマホ少女が、足元の黄色い点字ブロックをまたぐ。

 駆ける少女が「ああ」と叫び、右手を伸ばす。しかし、それは届くはずもなく、スマホの少女は線路の方へと身を踊らせ――

 桃花は思わず固く目を閉じた。しかし、あの状況の末に、あってしかるべき音は、いつまでも経っても聞こえて来なかった。

 目を開けると、そこは〇番ホームだった。見えるのは、いつもの景色。

「今の、何?」桃花は呟き、不意にこみ上げた吐き気に、思わず口を手の平で覆う。

「眉唾物、と言う言葉は知っているか。これは狐に化かされないよう、眉に唾を塗る行為から来ているが、実は狐以外の怪異にも効果があるのだ。そもそも目の周りに何かを塗ると言うのは――」

「待って。さっきのキスって、私の眉毛に唾を塗ったってこと?」

「有り体に言えば、そうだな」

「有り体に言わなくてもそうでしょ」

「何か、まずかったか?」菊は首を傾げた。

「唾なんか塗ったら、臭くなる!」

「しかし、今食べているのはいくらのおにぎりだ。きっと、いくらのかぐわしい香りがするにちがいない」

「え、そうかな?」

「無論だ」

 こう自信満々に言われると、そうなんだろうかと思えてしまう。実際、変な臭いはしていないのだし。

「それで、お前は何を見た?」菊はたずねる。

 あの情景を思い出し、再び吐き気がこみ上げる。しかし桃花は、懸命にそれを抑え、菊に自分が見たものを説明した。

「なるほど」菊はおにぎりを持ったまま腕を組み、束の間考え込んだ。ほどなく彼女は言った。「どうやら桜子は、自殺をくわだてる少女を止めようとして、一番ホームに囚われているようだ。そして、あそこにいる何かが、あの場で起きた悲劇をやり直させようと、彼女にそれを()()()()()()()()

「繰り返させてる?」

 菊はうなずく。「それが親切なのか、お節介なのか、はたまた悪戯なのかはわからないが、その何かも桜子と同じく、少女の自殺を止めたいのだろう。とは言え、一度起こってしまったことを、変えられるほどの力はないようだ。結果として、お前が見た光景を、えんえんと繰り返すだけになっている」

「止められないの?」桃花は勢い込んで聞いた。放っておけるはずもない。

『まもなく、〇番ホームに列車が参ります。危険ですので、黄色い線の内側まで――』

 空気を読まないアナウンスに腹を立て、桃花は頭の上のスピーカーを睨み付ける。もちろん列車は時間通りに来るものだ。こちらの都合など知ったことではない。

 入線ベルが鳴り終わったところで、菊は口を開く。「何ができるか、考えてみよう」

「ありがとう」

 桃花は、やって来た列車に乗り込む。菊は手を振るだけで、やはり乗ろうとはしない。もう三度目なので、桃花も「乗らないの?」とは聞かなかった。

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