忌み数
ここは駅前。
スマホを手に、桃花は立つ。
画面に開いているのは、チャットアプリ。相手からの最後のメッセージは、「1番ホームね」だ。差出人はサクラとある。
会話の履歴は、こうだ。
「モモちゃんどこ?」
「駅」と返す桃花。
「私も駅」と、サクラ。続けて「どっち?」
「どっちって?」
「どっちのホームか聞いてるの」と返り、すぐに「あ」と続く。そして「見つけた」と続き、終いは「1番ホームね」だった。
「1番?」と、最後に聞き返す桃花だが、そのメッセージに既読は付いていない。
このやりとりがあったのは、一昨日のこと。それ以来、サクラは消えてしまった。行方不明ではない。桃花以外の誰も、彼女のことは覚えておらず、まるでサクラと言う存在そのものが、この世から消え失せてしまったかのようだ。しかし、この通り履歴はあるし、桃花も彼女のことは忘れていない。
一体、サクラはどうしてしまったのだろう。「一番ホーム」とあったのは、サクラのタイプミスかと思っていたが、ひょっとすると、そんな単純なものではないのかもしれない。あるいは、昨日のおにぎり少女が言ったように、サクラは一番ホームに引き込まれてしまったのだろうか。
そんな馬鹿な、と自分の思い付きを否定し、スマホをポケットに押し込んでから、駅へ入ろうと足を踏み出す。ふと違和感を覚える。何かを忘れているような。
スマホと一緒にポケットへ突っ込んだ指先に、ころりとした感触がある。取り出してみると、飴玉だった。透き通った茶色で、両端を捻ったセロファンに包まれている。
思い出した。
桃花は振り返り、それを探す。駅と道を挟んだ向かい側には、小さなお地蔵さまが祀られている――はずだった。なぜか、それは跡形もなく消え失せている。愛嬌のある顔立ちのお地蔵様で、それをなんとなく気に入った桃花は、時折お参りとお供えをしていたのだが、どこへ行ってしまったのだろう。
以前、近所に住むおばさんが、お供え物を狙うカラスが来て困ると苦情を言ってきたことがある。桃花は、カラスや猫の類の興味を引かないよう、供物を飴玉や花や賽銭などに変えたが、それでもなにがしかの迷惑があって、お地蔵様そのものを、どこかへ移してしまったのかも知れない。良かれと思ってやってきたことだが、そうだとすれば、お地蔵さまとおばさんには、悪いことをしてしまった。
桃花は駅舎に入る。改札でおざなりに定期券を示し、〇番ホームへ上がる。すると、あの少女がいた。今日も、おにぎりを持っている。
「おはよう」と、桃花は声を掛ける。
おにぎり少女はもごもごと応じるが、口の中にごはんが詰まっているせいで、なんと言っているのかわからない。まあ、たぶん、「おはよう」だろう。
二人、肩を並べて列車を待つ。
朝の空気に混じる、鉄と油のにおい。駅はいつも、独特のにおいがする。
しばらく経ってから、桃花は口を開いた。
「あのさ」
「ん?」少女は、最後の一口になったお握りを、口の中に放り込んだ。
「聞いてなかった。名前」
少女は頷き、口の中のものを飲み下してから、言う。「菊だ」
「ただの菊?」
菊子とかではなく。
「そうだ」
「おキクちゃん」
「悪くない」少女は言って、にやりと笑う。「お前は?」
「トウカ。桃の花って書くの」
「つまりモモちゃんか」
「うん、サクラはそう呼んでる」
「サクラ?」
「友だち」桃花は束の間考えてからスマホを取り出し、チャットアプリの画面を菊に見せた。
「一番ホーム、か」菊はつぶやき、眉根にしわを寄せた。
「本当は桜子って言うんだけど、中学の頃からの友だちで、お人形さんみたいに、すごく可愛い子なんだ。桃と桜で、なんだか姉妹みたいだねって言ってくれて、ほんとに大好きな子なんだけど、この日からいなくなってしまったの。行方不明になったってだけじゃなくて、誰も彼女がいなくなったことに気付いていない。もう、最初っからいなかったみたいに、みんなサクラのことを知らないって言うの。それって、ひょっとして……」
桃花は言葉を切った。やはり、信じられない。そんな奇妙なことが、この世にあるだろうか。いや、それを否定することは、桜子の存在も否定することになる。認めなければ。一番ホームには、きっと何かがある。
「ねえ。もしサクラが一番ホームに捕まってるなら、助けてあげたいの。どうしたらいい?」
菊は一つため息を落としてから、桃花に目を向ける。「昨日も言ったが、あってはならないものに気を向ければ、お前もあちら側へ引き込まれかねないぞ」
「いいよ。そうしたら、サクラに会える」
菊は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
『まもなく、〇番ホームに列車が参ります。危険ですので、黄色い線の内側まで――』
アナウンスが響く。
菊は、もう一度、ため息をついた。「まあ、何か考えてみよう」
「ありがとう、おキクちゃん」
それだけでは何か足りないような気がして、桃花はポケットから飴玉を取り出した。そうして菊の手を取り、その手の平に飴玉を押し付ける。
「依頼料か?」菊は笑った。
「そんな感じ?」桃花も笑い返す。「ほんとは駅前のお地蔵さまにあげようと思ったんだけど、なんでかどっかに行っちゃったの」
せかすように入線ベルが鳴る。
「桜子のようにか」
「そうなのかな?」
「さあ、どうだろうな。そっちも捜そうか?」
桃花は首を振る。「それは、私がする。たぶん、近所のおばさんに聞けばわかると思う」
「良案だ。彼女は、前々からよく地蔵の世話をしていたから、何か知っているだろう」
桃花はうなずき、やって来た列車に乗り込む。しかし菊は、手を振るだけで乗ろうとはしない。怪訝に思って見つめていると。
「忘れ物を思い出した。先に行ってくれ」
「遅刻するよ?」
「仕方あるまい」菊は言って、唇をへの字に結んだ。
桃花の鼻先で、ドアがぴしゃりと閉じた。




