おにぎり少女
ここは〇番ホーム。
桃花は今の今まで、ホームの番号など一度も気にしたことはなかった。高校に入学してから、すでに一年あまり。彼女は通学のために、この古ぼけたコンクリート製のホームを何度も踏んでいる。「まもなく〇番ホームに」と言うアナウンスも、やはり同じくらい耳にした。
つまり、気にする必要がないくらい、この場所のことを知っていたし、なによりこの駅のホームは二つしかない。「あっち」と「こっち」がわかれば、それでじゅうぶんだった。
「二番ホーム」
対面のホームを見て、桃花は呟く。
もちろん、二番ホームの存在も、〇番ホームと同じくらいに馴染みのものだ。登校時は〇番ホームから乗車し、下校時は二番ホームに降車するからだ。しかし、〇と二の間には、一がある。なぜ、この駅には一番ホームが無いのだろう。
「気になるか?」
不意に背後から声を掛けられ、桃花は振り返った。少女がいた。ずいぶん小柄で、一瞬、小学生かと思ったが、桃花と同じ学校の制服を着ており、襟章の色も桃花と同じ二年を示す青だった。しかし、見たことのない顔だ。おそらく別のクラスなのだろうが、果たして何組なのか。そして、なぜ彼女は、食べかけのおにぎりを右手に持っているのか。朝ごはんだろうか。
「えっと、なにが……」
「それほどややこしい話では無い」
戸惑う桃花をよそに、少女は勝手に語り出す。
「一番ホームは、単に消えてしまったのだ」
「消えた?」桃花は思わず聞き返す。
「そう、消えたのだ」少女はうなずく。「ところで、線路の番号が、駅長室から近い順に割り当てられていることは、知っているか?」
桃花は首を振る。
「まあ、そう言うルールがあるのだと、わかってくれればよい。付け加えると、それは一から始まるのが常だ」
「それじゃあ、どうしてこの駅は、〇番から始まってるの?」
「一番線より手前に、新しい線路が付けられたからだ。駅長室から近い順に番号を割り当てると言うルールに従うと、その線路の番号は、一よりも小さい〇と言うことになる」
それで桃花は察しがついた。「一番ホームはその時に?」
少女は頷いた。「本来、一番ホームがあった場所に、〇番線を通したから、一番ホームは消えてしまったと言うわけだ。その際に駅舎は建て替えられ、新たに〇番ホームが作られた」
わかってしまえば、なんてことない理由だった。
「しかし数字には、ある種の力があって、本来あるはずの数を削ると、なにがしかの怪異を呼ぶことがある」
「急にオカルト?」
桃花が眉をひそめると、少女はにやり笑う。並びの良い白い歯には、少しばかり海苔がくっ付いている。
「まあ、聞け。例えばホテルや病室の番号は、死や苦を連想させる四と九を避けることがある。いわゆる、忌み数と言うものだ。裏を返せば、本来は連続すべき数字が欠けていると、そこに忌むべき理由があると考えることもできる」
「永久欠番的な?」
「それは、忌むのではなく敬った結果ではないか」少女は笑って言った。
なるほど、それもそうだ。
「ともかく」少女は続けた。「一番ホームのように、本来あるべき数字を削った結果として消え去った場所には、我々とは異なる世界の住民が居着くこともある。あまり気を向ければ、そちらへ引き込まれることになりかねないぞ」
「そんなこと……」
あるはずがないと言い掛けるが、それは列車の到着を報せるアナウンスに遮られる。
『まもなく、〇番ホームに列車が参ります。危険ですので、黄色い線の内側まで――』
続いて、入線ベルがけたたましく鳴り響く。
ほどなく列車が停まり、ドアが開く。
桃花は列車に乗り込む。そして振り返り、笑顔で手を振るおにぎり少女の姿をみとめる。
「乗らないの?」
「私は、こいつを片付けてから行く」少女はおにぎりを示して言った。
「遅刻するよ?」
「構わんさ」
少女はおにぎりにかぶりつく。とても美味しそうに。
鼻先でドアが閉まった。
窓の向こうに見える少女を、少しだけ羨ましく思う桃花を乗せて、列車は動き出した。




