退魔騙り(七)。
確かなことが一つある。
「――――」
私の方が、先に動いた。
一本腕に向けて振り返った次の瞬間――まさしく次の瞬間。
雷光のように戦闘推理が脳を迸る。
私はゼロコンマゼロ一秒で、自分が次に何をすべきか理解した。
「っ!」
懐からナイフを抜き放ち、投擲。
唯一の武器を自ら手放す。愚かと謗られても受け入れざるを得ないが、その行動がこの後の命運を繋いだことだけは間違いない。
硬質な物が壊れる音。
狙ったのは拳銃を持った腕じゃない。
投げ放った私のナイフが、劇場内の監視カメラ――その内、私たちにもっとも近い一つを破砕した。
同時に、浮遊する腕の動きが鈍る。
やはり、そうだ――私は自分の推理が正しかったことを確信する。黒葉ちゃんの手を引き、劇場内を逃げ出した。背を屈め、座敷の陰に隠れながら、他の監視カメラに映らないように。
「お、お姉さ、」
「走って! 速く!」
有無を言わせず出口へと走る。
振り返りはしない。どうせ、相手はこちらを追ってきている。流石に狙いをつけることはできないだろうが、追うだけならば難しくないだろう。
角を曲がって、劇場脇の通路へ。
幸い、他の敵が待ち伏せしているようなことはない。でもこのままじゃ間違いなく追いつかれる。追いつかれたらそこで終わり――いや、射線が通ったら、そこで終わりだ。防ぐことなんて出来ない。私は銃に詳しくないけれど、素人のナイフ術じゃ銃弾は防げないことぐらい分かる。
後ろから気配を感じた。相手の方が速い。徐々に徐々に脅威が濃くなる。焼け付くような熱さが走る。
走りながら、引きちぎるようにして自分の髪を指で梳いた。手に絡みつく数本の毛。
「『紡げ』!」
念を込めてそれを操る。東欧州にルーツを持つ屍霊術の一種――『紡ぎ』。
足首近くまである、一・五メートル以上の長さのある私の髪。しゅるりと指を離れたそれが、背後の通路を蜘蛛の巣のように封鎖した。
正直、気休めだ。人間相手ならこれでしばらく足止め出来るけど、腕しかないアレが相手じゃ一秒稼げるかも怪しい。サイズが小さすぎる。
扉を蹴破るように劇場を出る。転びそうになる黒葉ちゃんをなんとか支えながら必死に逃げた。
「な、なんですか、悪霊が銃を持つなんて――あれが、あの"一本腕"?!」
「違う、本体じゃない! 霊核がなかった! 恐らくは私の『紡ぎ』と同じ、人の肉を遠隔操作する屍霊術の一種!」
そして、この系統のまじないは動かす対象を視覚的に認識する必要がある。
術者はその場にいなければならないのに、あの劇場内には見た限り誰もいなかった。つまり――
「――監視カメラでこちらを認識してる! だからカメラが無い、デパートの外へ逃げれば――!」
勝算はある。何しろ今はゴールデンウィークだ。デパートはいつもより遥かに賑わっている。
人混みの中に紛れれば、私たちを追うことは難し、く、
「人が」
いない。
館内を出た私たちの目に飛び込んだのは、閉業中みたいに無人のフロア。
どこか覚えのある雰囲気。黒葉ちゃんがハッと青色の目を見開いた。
「も、無彩色です――視界内が、狐の窓から見える全てが! 多分このフロア、いやデパート全部が、【裏側】に!」
「な……あ、有り得ない! そんなことされたらいくらなんでも気づくよ!」
その規模の霊的災害なら、絶対に発動前に感知できる。私が寝ていたとか、黒葉ちゃんが霊感殺しの眼鏡をかけてたとか、そんな理由で済まされるものじゃない――だけど、実際にそうなっている。
つまり、それだけのことが出来る相手。
多分、その気になれば相手はいつでも【裏側】化を引き起こせた。私たちがトイレに行った時とか、エレベーターに乗った時とか……そんな僅かな時間で、同じことが。
「一体、どれだけ霊力を隠すのに長けた――いやそもそも、これだけの広さを祟りで覆うとなったら並の悪霊が百や二百じゃ効かない!」
祟りとしては薄いし、【街】の【裏側】みたいに大規模歴史改変が発生している様子も無い。けど、それにしたってこの広さを覆うとなると――いや、今はそれどころじゃない。
もっと現実的な脅威が目の前にある。
なにしろ銃が相手だ。
常識的に――常識的に考えて、勝てない。
逃げるのは確定。でも、エレベーターはきっと動かない。相手はセキュリティの中枢であるモニター室を抑えている。電気を利用した設備なんか、相手の都合の良いように止められているに決まってる。
かと言って階段じゃ追いつかれる。建物のど真ん中をぶち抜くようにして吹き抜けがあるこのデパートで、女の子一人連れたまま、空を飛ぶ相手と競走して逃げ切れるとは思えない。
「一か八か、ここの吹き抜けを飛び降り――」
デパートの最上階から? 私一人なら試したかもしれない。でも、黒葉ちゃんは? この子をそんな危険な賭けに?
「駄目――とにかく、監視カメラの無い場所に!」
「どこに隠れるんですか!? トイレなんかじゃ追い詰められます!」
「婦人服売り場! 試着室に隠れる! つかまって!」
片腕で黒葉ちゃんを抱えた。ちんまくて助かる。
もう片方の手には幾本かの髪を絡める。片手で成長期の少女を抱き上げるのは流石に厳しいものがあるけど、伊達に普段から悪霊を狩ってるわけじゃない。
停止しているエスカレーターを、私は三段飛ばしで駆け下りていった。
※
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
息が切れる。走ること自体は普段からしているけれど、全力疾走は久々だった。
ぐるりと大きくフロア内を一周するように逃げ回った。邪魔になりそうな監視カメラはいくつか破壊したけど、如何せん数が多すぎる。こちらを狙うには十分なだけの監視カメラがまだ稼働し続けている。
両腕に少女を抱えたまま、婦人服売り場の試着室へ飛び込む。
……でも、ここに籠もってるだけじゃ駄目だ。飛び込むところは見られてないだろうけど、大まかな位置は掴まれてる。五秒後に試着室へ爆弾が投げ込まれてもおかしくはない。
「お姉さん……」
「大丈夫。大丈夫だから」
繰り返し口にする。自分に言い聞かせてるようなものだった。
「一発。一発、しのげれば……」
私は銃に詳しくない。詳しくないけど、あの銃はそんなに間断なく連射できるようには思えなかった。腕一本じゃ再装填も出来ないのだし、一発一発しっかり狙って撃つはずだ。
黒葉ちゃんがぎゅっと私の手を握る。
……多分、というか間違いなく、狙いはこの子だ。私を狙う理由が無い。"一本腕"を焼いたのだって、セーラー服の少女だって話だった。女子中学生である黒葉ちゃんの何かが、"一本腕"の琴線に触れてしまったのだとしたら……。
「っ」
一瞬、思ってしまった。
"――この子を置いていけば私は助かるんじゃないか"、なんて。
馬鹿馬鹿しい。有り得ない。自分の醜さが嫌になる。曲がりなりにも他人のために――たとえ結果がただの自己満足でしかないとしても、私は顔も知らない誰かが少しでも幸せになれるんじゃないかと、そう思って、悪霊を狩ってきたのに。どうして顔を知って、会話を交わしたこの少女を見殺しにできる。
「……!」
来ている。見えないけれどわかる。じりじりとした焼け付く脅威。どんな悪霊も都市伝説も怖がったことのない私は、銃という極めて単純な、しかしそれゆえに一般人にとって絶対の脅威に怯えていた。
けど。
「――行く、ね」
「お姉さん……っ!」
片腕に巫女みたいなファッションの少女を抱えて飛び出した。
地面を蹴る安全靴が、床材を軋ませる音がする。
もう片方の手で少女の頭を抱え込むようにして、デパート内を疾駆する。
目指すは一点。
「はっ、はぁっ……!」
泣きそうなほどに濃い脅威が私の感覚を焼け付かせる。
来る。
来てる。
来ている。
わかってる。
わかっている。
見なくてもわかる。
見えなくてもわかる。
もう、私の後ろにいる。
私は勘がいいからわかる。
銃口がこちらを狙っている。
手に取るようにわかってしまう。
間に合う気がしない。撃たれる。撃たれる。予想はコンマ二秒後。来る。
怖い、怖い怖い怖い――!
自分でも理解出来ない何かを叫んだ気がした。
私は。
――手に抱えた少女を放り捨てた。
私は振り返ることさえしなかった。けどわかる。理解できた。
私の背後で乾いた炸裂音が響いて――
銃弾は確かに着弾した。
黒葉ちゃんと似た服を着た、マネキンの少女に、着弾した。
「バーーーァカっ!!!!」
半分泣きそうな声で叫んだ。
監視カメラで安全地帯から操縦なんて、小賢しいことをしているからそうなる!
確かに黒葉ちゃんのファッションは巫女さんみたいで、ボディラインがわかりにくい。でも、婦人服売り場にあったマネキンを囮にしたことぐらい、ちゃんと人の目で見ていれば一発でわかっただろうに!
「『紡げ』!」
指に絡めた髪は、既に通路の隅に設置された消火器を引き寄せている。このデパートは火災対策が問題になっていたから、少し走ればそこかしこに消火器が置かれている。
腕に向けて噴射する。
煙が立ち込め、腕が目視できなくなった。
私からも見えないけれど――相手からも見えない。
これが火災現場に投入されるようなドローンだったなら煙の中でも操縦できるように赤外線カメラが搭載されているけど、監視カメラにそんな機能はないし、このオカルティックなラジコンにそんなハイテクな物がついてるはずもない!
「もう狙いはつけられない! 銃は、封じた――!」
指を組む。
発動させるのは日本全国に広く知られたおまじない。
狐の窓。
「――見えた」
煙の中に突っ込む。私は跳び上がりながら消火器を金属バッドのように抱えて――腕を思いっきり殴り飛ばした。
腕は血を散らしながらへし折れて、煙の中を盛大に転がった。
※
でも少し、盛大過ぎた。
「あ」
腕が勢いよく飛びすぎて、煙の中を突き抜ける。
跳び上がった私もまた、自分では勢いを止められず、煙の外へと出てしまっていた。
腕はへし折れて浮遊能力を失っていたけれど、動作を停止したわけじゃなかった。ガシャンと拳銃を構える音。
跳躍した私が着地する寸前。
乾いた炸裂音が響いた。