退魔騙り(六)。
翌日。
さーて今日さえ乗り切れば黒葉ちゃんに失望されないままで済むぞ―、と意気込みつつ起床した矢先だった。
「……どうしたの?」
「お姉さん……」
なぜか黒葉ちゃんが落ち込んでいた。少し目元が腫れている気がする。瞳の青色もわずかに陰っているように見えた。
「あっ、あの、できる限りでいいので、もっとちゃんとした術のやり方を教えて下さい! お姉さんが昨日わたしのせいで体調を崩してしまったのに、こんなことを言うのは心苦しいのですけど、せめて、取っ掛かりだけでも……」
「…………」
なんで急にそういうこと言うの……?
昨日寝るまで何ともなかったのに……。今日になって急に焦ってるし、もしかして悪い夢でも見た? 何かフラグっぽくてお姉さん怖いんだけど。
「あの、お姉さんがお疲れなのはわかってるんです。でも、私、このまま帰るわけには――」
「黒葉ちゃん」
私は極めて神妙な表情を作って、「今からあなたを諭しますよ、いいですね」というトーンで語りかけた。
「大事なのはね、心意気だよ」
自分で言っておいてなんだけど、現代っ子にこんな精神論通用する……?
「大仰な術や技なんて要らない。勝利に至る道筋はいつだって無数に存在する。諦めない心があれば、勝つという意思があれば、どんな方程式も常に勝利という解答へ導くことが出来るんだよ」
頭良さげに言おうとしたせいで逆にバカな感じになってる……。
「お姉さん……そんな観念的なことを言われましても困ります……」
せやな……。
「でも黒葉ちゃん。昨日教えた三つのおまじないは、使いようによってはとっても便利だったりすることもあったりすることがあるから」
「つまり、あんまり便利じゃないんですか?」
「そんなこともないこともないこともない。つまり、何事も使い方次第。限られた手札だけで戦うことで、見えてくるものだってあったりする――気がするから」
マシュマロよりふわっふわな持論を提唱する。確かなことが何も言えないの、本当に辛い。
訝しげな表情をしてむむむと顔をしかめる黒葉ちゃんに、私は冷や汗をかきながら提案した。
「そ、それよりお姉さんは黒葉ちゃんと遊びたいナー。今日が最後になっちゃったしさ、えー、何、色々とこう、ね」
誰かと遊んだ経験も乏しいのでやはりふわっふわな言い方になる。普通の人って他人と遊ぶ時何するの? ……缶蹴り? いや缶蹴りて。幼女か私は。
大体今日は駅前のデパートに行くんだった。えーとえーと、あそこって何あったっけ。子供の頃はお父さんに連れられて何回か行ってたけど、ここ数年は一回か二回しか行ってないから全然わからない。確か書店と、服屋と、ケータイショップと、あと、最上階に……。
「……映画でも見る?」
「映画ですか……」
困った感じに私から視線を反らす黒葉ちゃん。
まあそうだよね、確か今ろくな映画やってなかったはずだし。えーと、某魔法少女シリーズと、ホラーと、恋愛映画か。でもリリキュアなんて中学生になって見てる子いないし、ホラー映画なんて霊感持ちにとっては一番つまらないし、恋愛ものの邦画なんて彼女の余命の短さで競い合ってる量産型のしょうもない内容の上に劇場内にはカップルしかいなくて独り身にとっては身につまされる思いでいっぱいで前にちょっとした気の迷いで見た時なんか両隣をリア充に挟まれたし――チクショウ、死ね(直球)。
「やっぱり映画はやめとこっか」
「い、いえ。見たいのはあるんですけど、ちょっと言うの恥ずかしくて……」
いややめようよ実際そんな大したものじゃないよ恋愛って、大体映画館なんてアレじゃん、普通に買ってご家庭の電子レンジで作ったらめちゃめちゃたくさん作れるポップコーンとか、自販機の方がよほど安く済むドリンクを高い値段で売りつけてボロ儲けしてるボロい商売じゃん。レンタルで旧作の名作映画借りてこよ? わざわざ人多いところで見る必要ないよ、家でゆっくり見た方が良いって。
「えっと、その、リリキュアの劇場版……」
えっ、可愛……。やっぱり良いよね映画って。レンタルでDVD借りてくればいいじゃんって言ってる人は何もわかってないよ。劇場で見るからこその迫力ってものがあるのに、ポップコーンやドリンクの値段やらでいちゃもんつけちゃってさ。サービスとしての料金も含んでるのに、それをボロ儲けしてるとか言ってるクレーマーとかもう本当にダメ。
「映画館は霊が多くて嫌なんですけど、お姉さんがいるなら安心ですから」
そう言って黒葉ちゃんはえへへと笑った。可愛い。
※
そういうわけで久しぶりに駅前のデパートにやってきた。人が多過ぎて吐きそう。
上映までかなり時間があったので黒葉ちゃんに連れられる形で服屋なんかを見て回っているわけだけど、私にはもう何も見る余裕が無い。
「ねえ黒葉ちゃん……ちょっとお手洗い行っていい? いやごめんね何回も何回も……いやお腹の調子悪いわけじゃないんだよ? でもちょっとね、色々とつらいものがあってね……ねえ黒葉ちゃん、ごめんってば、黒葉ちゃんと一緒にいるのが嫌なわけじゃないから、返事してよ、黙らないでよぉ……」
「お姉さん、わたしこっちですよ」
黒葉ちゃんと似たような服を着たマネキンへ話しかけるほどに精神が参ってしまっている。うぅぅぅ、ダメだ。体面を保つ余裕も無い。ダメダメだ。ダメお姉さんだ。
「お姉さん、大丈夫ですか……? やっぱり体調、悪いんじゃ」
「体調は大丈夫、だけど。視線が、多くて、つらい。泣きそう」
「安心してください、お姉さんは幽霊みたいな雰囲気してるのであまり目立たないですよ」
泣く。
「このデパートは監視カメラや警備員さんが随分と多いので、そのせいかも知れません」
黒葉ちゃんの言うとおり、このデパートは防犯意識が高い。昔あった強盗事件のせいだ。当時は美術展か何かのイベントが開催されていたために結構な被害が出たらしく、それなりに大きなニュースになっていた。
建物自体のセキュリティなどもかなり強化したそうだけど、そのせいで火災対策に問題が発生したとかでちょっと前にまたニュースになっていた記憶がある。一応、暫定措置として設置された消火器の数を増やすことでどうにかなったとか何とか。
最上階にある映画館に立ち寄ると、座席券を買うためにかなりの人がチケットカウンターの列に並んでいた。うぇ、こんなのに並んだら私死んでたよ。ネット予約しておいてよかった。
でもそれはそれとしてポップコーン&ドリンク売り場にも人並んでるんだよね。あーしんどい。しかし映画館に来てポップコーンを買わないなど片手落ち。この片霧セツナの流儀に悖る。
「黒葉ちゃん先に劇場内入ってていいよ。私ドリンク買ってくるから」
「わかりました! わたしカルピスがいいです!」
あ、待った。でも黒葉ちゃんを先に行かせちゃうと、私は係の人に一人でリリキュアを見に来た寂しいオタクお姉さんだと思われてしまうのでは……? しかし時既に遅し。黒葉ちゃんは既に劇場内に入ってしまっていた。南無。
行列の圧力に半ば敗北しかけ、半死半生になりながらポップコーンとドリンクを購入。少し係の人に座席券を見せるのを躊躇っていると、黒葉ちゃんが小走りで私のところに戻ってきた。
「どうしたの?」
「その、私の席に霊が座ってて……」
ありゃ、それは大変。しかし僥倖。
係の人に「リリキュア好きな年下の女の子の付き添いをしてあげている優しいお姉さんですけど?」と無言でアピールしながら、劇場内に入場。ふてぶてしく黒葉ちゃんの席に座っていた低級霊を周りにバレないようにひっそりと斬。前の方の席を取ったおかげで、座席が陰になって周囲の視線が遮られている。
「これで良し、と」
「でも、結構その辺に浮いてますね……」
浮遊霊がふわふわと銀幕を横切る。映画館には霊が多いものだから仕方ないのだけど、これはなかなか邪魔臭い。ただ映画を見たいだけの霊だからほぼ害は無いものの、これじゃ落ち着いて映画を見られない。人目があるから狩り尽くすのも難しいし。
私はパーカーのポケットに手を突っ込み、度の入っていない伊達眼鏡を取り出した。結構前に百均で買ってきたやつで、霊が鬱陶しくなった時に使っている。
「これは?」
「霊感殺しの眼鏡。霊を見出す呪術である狐の窓を、真逆の方向に作用させた感じかな。呪術的な意味をリムとテンプルに刻んで、レンズにもほとんど透明なパターンフィルムを貼り付けてある。これをかけてある間は霊が見えない」
「おー……!」
地味に感動した面持ちを見せる黒葉ちゃん。そう、これが使いようだよ。子供騙しのおまじないでも色々役に立つんだ。わかるね。
そういうわけで席に座る。んー、でも、私あんまりリリキュア興味ないからなあ。黒葉ちゃんには悪いけど、途中で寝ないか心配だ。
頑張って起きてないとね。
※
寝た。
最初から最後まで、百十五分たっぷり寝た。
ま、昨日今日と連日早起きだったからね(自分比)。こうなるのも仕方ない仕方ない。これを予期して事前にネットで映画のネタバレを調べておいたから、感想はそれなりに言える。さあ来い、黒葉ちゃん。
「ん……?」
前の方の席に座っていたから気づかなかったけど、私たち以外にお客さんがいない。みなさんエンドロール中に席を立つタイプ? まだ照明も元に戻ってないのに。やれやれ、余韻も楽しめないなんて。君たち何しに映画を見に来たんだって話だよ。今日の私は自分を棚に上げるのがうまい。
「面白かったですね! 中盤のアンチトルネードチェンソークィーンがビッグバン台風ザメに単身で突貫するところとか! ちょっとした小ネタでしたけど、わたしああいうの大好きです!」
えっ、何それ聞いてない。ネタバレでも書かれてなかったよ? うそ、すごい見たかった……。く、くそぅ、女児向けアニメと侮ったか……。
そんなことを言いながら、席を立つ。
空になったポップコーンの紙箱にドリンクの容器を入れて、劇場の出口へ。
しかし変だ。とっくに幕は降りたのに、まだ照明が付かない。スタッフの人が明かり付けるの忘れちゃったのかな? こういうのって自動だと思ってたけど。おっと、そう思ってたらついた。
「あ、お姉さん、眼鏡返しますね」
「別に持っててもいいよ、お土産にあげる」
「こんな貴重なものいただけません」
百均で買ったんだけどなあ。そう思いつつ、黒葉ちゃんが外した眼鏡を受け取って――
「――――え」
黒葉ちゃんが、くるりと後ろを振り返る。
何かが終わる予感。
思わず留めようとした。
止められなかった。
この子は何かを見た。
それまで封じられていた霊感で。
アマチュア退魔師である私など比べ物にもならない天性の霊的感覚で。
「腕が、」
焼け付くような怖気がうなじを走っ――
「伏せて!」
思考より先に叫んでいた。叫ぶより先に体が動いていた。
それは直感というよりは直観だ。私が持つ悪霊狩りの経験が、非論理的に脅威の到来を予見する。黒葉ちゃんが何を見たのか問いただす暇も、彼女が見た方向を振り返る暇も無い。
押し倒すように黒葉ちゃんを伏せさせた。
炸裂音が、響く。
それが何か、正しく理解出来たことが驚きだった。映画やテレビで何度も聞いたことがある、自分の耳で聞いたのは初めてである――銃声を。
振り返った。
一本の腕が宙に浮いていた。
拳銃を握る、男の右腕だった。