退魔騙り(三)。
……おはようございます。
思ったよりぐっすり寝てました。ええ。
ここまで深く寝たのは嫌なことを忘れるためかな。しっかり覚えてるけど。
いやーしかし私がこんな早い時間に起きるなんて、明日は雪でも降るのかなー。いや今日降ってくださいお願いします。そしたら街に出なくていいし。
などと祈れど時節は五月。雪も雨も降りゃしない。ゴールデンウィークにぴったりの晴れやかなお出かけ日和だ。ちくしょうめ。
仕方ない、とりあえず出かける準備しようか。どうせ私、料理出来ないから外食するしかないし。街の裏側に行かなければ多分大丈夫だろう。
あ、昼は外食にするとして、黒葉ちゃんは朝ご飯食べるかな? まあトーストでいいよね。何ならおにぎりも作ってあげよう。炭水化物のダブルパンチだ。
「お姉さん、おはようございます!」
きらきら輝く青い瞳。朝からしゃっきりしている黒葉ちゃん。でも寝癖ついてるのがちょっと可愛い。
私はさも「普段からこの時間に起きてますけど?」みたいな顔をしながら返事を返す。
「おはよう、朝ご飯できてるよ」
「パンとおにぎりですね! お姉さんはどっち食べるんですか?」
「両方とも食べて」
「わかりました!」
右手にトーストを、左手におにぎりを持って同時に頬張る黒葉ちゃん。困ったな、この子もボケキャラか。しかも私と違って天然っぽい。これじゃちょっと会話の回転率が早すぎる。話の合間を埋めるためにテレビの電源を入れた。
『先日、■■市中野町の路地裏で右腕の無い男性の死体が発見されました。男性は指定暴力団・加間瀬組の構成員と見られ、詳細な身元の確認が進められています。死亡推定時刻は夜の八時とされていますが、事件当時、男性の姿を目にした人はおらず、警察は、見つかっていない右腕の捜索を急ぐとともに――』
チャンネルを変える。あーあー聞こえな―い。お姉さん何も見てませーん。
「黒葉ちゃん、ちょっとお姉さん色々準備してくるね」
そう言って、私はリビングを出て洗面台の前に立つ。右腕の無い死体の遺棄事件なんて知りません。
三十分後。効率的な支度というものに慣れてないので無駄に時間がかかった。やっぱりいい加減髪切らないとまずいよね、足首の辺りまであるもん。美容院なんて行けないけど。あと髪留めの使い方ってこれで合ってるんだっけ。
いやしかし、ここまでしっかり外出の支度をするのもいつぶりだろう。女子中学生相手に何を気合入れてるんだ、私は。
んーそれにしても私ってこんな顔だったかな。自分で言うのもアレだけど、昔はもうちょっと可愛い顔してたのに。顔色が悪過ぎて、もう白いっていうか青白いね。化粧をしても誤魔化しきれない。
まあ私の顔が青ざめているのはいい。昨日は鬱々しい気分になったのですぐに寝てしまったわけだけど、しかし、何だ。
やっぱりあの話は無視出来ない。
「……"一本腕"、かぁ」
あの後もフォロワーのみなさんは色々と議論を続けていたけれど、私にとって役に立つような情報は出てなかった。弱点とかは無いタイプの怪異らしい。
強いて言えば火に弱いと言えるのかな? でも、右腕が燃え残ってるわけだし、逆説的に炎耐性を獲得していると言えなくもない。
そもそも男の死因だって焼死説が一番メジャーというだけで、ミンチにされただの、酸で溶けただの、粉砕機にかけられただのと、右腕以外を失った理由に関してはブレブレだった。人によって話す内容に差異があり過ぎる。
悩みつつリビングに戻る。ほっぺにパン粉とご飯粒をつけた黒葉ちゃんがおおっ、と声を上げた。
「お姉さん、ちゃんとしてると思ったより美人です!」
あどけない顔して滅茶苦茶失礼だなこの子。何も言い返せないけど。でもそっか、美人か。えへ。
「死人みたいにきれいな顔です!」
褒めてるの? ねえそれ褒めてるの? わざとじゃないよね、ただ黒葉ちゃんが天然なだけだよね? 怖いなあ本物の天然って。
朝食を食べ終わった黒葉ちゃんを洗面所に案内し、私は薄暗い自室に戻る。遮光性が微妙なカーテンはいつも閉め切ったままだ。
「服、どうしようか」
私は外出着というものを持っていない。
だって他人と会わないから。
いないから、友達とか。
本当、人付き合いがないと見た目に気を遣わなくなってダメだ。女らしさが無くなる――っていうか人間らしさが無くなる。そりゃそうか、人の間に居ないんだもの。
タンスとクローゼットを漁るが、どれもこれも一目でわかるぐらいボロボロ。千円札一枚持って古着屋に行った方がまだ良い服が着れるかもしれない。
ため息をついてクローゼットを閉めようとした時、バサリと音を立てて黒い服が一着落ちた。
薄暗い部屋の中の更に暗いクローゼットの中を手探りする。おや、結構良い感じの生地。私こんな服持ってたっけ。
「…………」
リクルートスーツだった。
パンツスタイルのダークスーツ。一昨年ぐらいに、法事のための喪服を仕立てた時に一緒に購入したもの。
そうだ、思い出した。二着以上だと割引になるとか何とか言って、お母さんが半ば無理矢理買ってきたんだ。
当然だけど、本音では私に就職活動をさせるための物だったのだろう。
結局、買った時に一度試着しただけで、それからは全く袖を通していない。二年近く収納の肥やしになったままだ。
「……は、」
拾い上げて、一瞬着てみるか迷って、すぐにやめた。
自嘲する。見た目だけ社会人のフリしてどうなるって言うんだろう。自分が惨めになるだけだ。
※
結局、グレーのパーカーにジーンズという色気もへったくれも無い格好になった。
いや、そもそもこんな妹――どころか姪みたいにちっちゃい女の子の前でお洒落してどうするって話だ。いやどうもするわ。せっかくさ、ちょっと憧れられてるのにさ、自分から評価落としてさ。あー勿体ない。
せめて靴ぐらいはいつもと違うのにしよう。靴箱の奥からちょっとお洒落な靴を取り出す。これお姉ちゃんのやつだけど。
結構古いけど、見た目的にはそうでもないし多分いけるはずだ。そう思いながら靴紐をぎゅっと結んだ瞬間、劣化していた紐がブチりと千切れた。
私は普段から使っているやたらめったらゴツい安全靴を履いて家を出る。あなた今から火災現場にでもいらっしゃるのですかというぐらい重厚なデザイン。やっぱり信頼出来るのはこいつだけだ。
「じゃ、行こっか」
「はい、よろしくお願いします!」
家の鍵をかけて、持ち物確認。スマホ良し、財布良し、ナイフ良し。
「忘れ物ない?」
「刀や錫杖などは持たないんですか?」
持たないよ。っていうか持てないよ。むしろ持ってないよ。一般人だよ、こっちは。ナイフでさえちょっとビクビクしながら持ち歩いてるのに。
「お父さんは仕事の時薙刀を持ち歩いているのですけど」
お父さんすごいね? なんだろう、プロの退魔師は国家権力もねじ伏せられるのだろうか。そういえば、いつだったか警察官が裏刀宗の人に頭下げてたの見た気がする……羨ましいな、プロ。私も日本刀とか欲しい。持ち歩きたい。
そんなことをつらつらと考えながら、黒葉ちゃんと連れ立って街を散策する。
「……う」
それにしても、やはりゴールデンウィークのせいか、少し広い通りに出るだけでいつもより随分と人が多い。私も昔よりは人混みに耐性が出来たのだけど、それでも少し体調が悪くなってくる。駅前なんかには絶対に行けない。
加えて言うならカップルや家族連れの割合がいつもより高め。なんていうか幸せそうだ。しんどい。
「悪霊、いないですね」
「そうだね……」
「昨日はいつの間にか取り憑かれていたのですけれど、案外この街は霊が少ないのかもしれません」
「うん……」
「せっかく小太刀も持ってきたのに」
「待ちなさい」
ちゃきん、と懐からたどたどしい手付きで小太刀を取り出した黒葉ちゃんを押し止める。
「あっ、ダメですよお姉さん! これは妖刀なんだから触ったらめっ、です!」
「めっ、はこっちのセリフだよ! 人混みで何出してるの、仕舞って! お外で刃物を持ち歩くのは銃刀法違反だよ!」
自分もナイフ持っておいてどの口が言うのか。驚くほど説得力無いな、私。自分でも言っていて矛盾を感じるけど、半ば無理矢理にポケットに小太刀を仕舞わせる。
「でも、私はまだ『破ァ!』っていうのが出来ないので、これが無いと霊が狩れなくて」
「あーわかった、裏行こう、裏! そこなら人目も無いから!」
黒葉ちゃんの手を引いて、街の裏側へと続く道を探す。
ううん、昼だと見つけづらいな。私は両手で指を組んで、霊界を覗くための窓を作る。
「なんですか、それ?」
「狐の窓。童話や児童小説で見なかった? 魔生化生を見出すためのおまじないだよ」
風景の彩度が徐々に上がっていく。その中で唯一鮮やかならぬ、無彩色の領域。そこに向かって黒葉ちゃんと歩いていく。
――角を曲がった瞬間、雑踏が途切れた。
不気味なぐらい【街】が静かになる。
無音と化す。
人影一つ無い、荒れた路面。半ば廃墟と化している建物たち。この一帯だけ文明が終わってしまったような光景。
ここなら、仮に銃声が響いたって誰かに見つかることは無いだろう。
「え……なんで、急に、人がいなくなって」
「ここが街の【裏側】。霊的な被災跡地って言えばいいのかな……簡単に言うと、土地が祟られてる。誰もがこの場所に畏れを感じているから、無意識のうちに入ろうとしない。入れないことを疑問にも思わない」
まあ、警戒心が無くて、霊感の強い子供が時々迷い込んじゃうことはあるけど。
「だ、大丈夫なんですか?」
「滅多なことは無いよ。何も体に悪影響を与えるわけじゃないし、そこ曲がればすぐに元通りだし」
数年前はこの【裏側】に霊が溢れていた。いや、霊が溢れていたからこそ、ここが【裏側】になったと言うべきか。蠱毒の壺のように霊が集ったために、侵されてしまった地。
今はこの【裏側】にさえほとんど霊がいないけれど、悪霊達が残した祟りだけは土地に残留し続けている。年々祟りは薄くなり、【裏側】の範囲が狭まってきてはいるものの、完全に祟りが消えるのは当分先の話になるだろう。
しかし、黒葉ちゃんが【裏側】のことを知らなかったというのは少し意外だった。結構霊感強そうなのに――いや、悪霊も【裏側】も、あると知っているから見えるんだ。無いと識れば見えなくなる。
"有ると知るが故に識り、無いと識るが故に知れぬ"。霊能力の基本原則だ。普通は街のど真ん中にこんな場所があるとは考えない。考えないが故に見つけられない。次からは一人でも見つけられるようになるだろう。
「この街は【裏側】にも全然霊がいないけど、それはこの街が特別なだけだからね。他の町で【裏側】を見つけても一人で入っちゃダメだよ」
「は、はい!」
ちょっとビビってる。可愛い。
"一本腕"が出るとしたら間違いなくこの【裏側】だろうけど、この辺りは私が普段散歩ルートにしている場所だ。表の通りも近いし、そうそう危険は無い、だろう。多分。恐らく。
「それじゃあ、さっきの小太刀見せてくれる?」
「わかりました」
懐から小太刀を取り出す黒葉ちゃん。
彼女がむん、と何か力を込めると同時に、刀身が仄かに青く輝いた。
「お父さんの知り合いの方から頂いた刀、"霊獄"です。とっても格の高いS級超呪物なのです。極めて強大な力を持っていて、選ばれし者にしか扱えません」
「はあ」
「適当に聞いてますね、お姉さん!」
「そんなことないヨ」
中学生っぽいことを言っている黒葉ちゃんはともかくとして、その小太刀は随分と古びた刃物だった。正直な話実用に耐えるとは思えない、骨董品のような佇まい。
妖刀……というほどの力は感じない。いや、別に私にそんな大層な鑑定眼があるわけではないけれど。
「戦国時代にある修行僧が使っていたとされる刀です。槍も弓も鎧もなく、たった一人、この小太刀のみで百鬼夜行を鏖殺したと伝えられています」
「ん……それってもしかして逢魔沢のお坊さんの話?」
「わ、お姉さん詳しいですね! はい、雷定法師と呼ばれる方の伝説です」
「高校の時、郷土研究でちょっとやったよ。昔のお坊さんは、超人じみた逸話が多いね」
「実はですね実はですね、わたし、その雷定法師の末裔なんですよ! 家系図だって残ってるんです!」
「へえ、すごい」
戦国時代まで遡ったら結構な人が末裔に該当すると思うけど、黒葉ちゃんが楽しそうなのでケチはつけない。
しかし、これが妖刀か。ぶっちゃけボロくてがっかりだ。青く光るのもなんか蛍光塗料みたいで安っぽいし。最低でも青色の炎を纏うぐらいやってくれればいいのに。
見る人が見れば業物なのかもしれないけど、如何せん侘び寂びしすぎている。いや、村正だの童子切だのと違って、一地方のマイナーな伝説に登場する武器ならこんなもんなのかもしれない。
正直、こんな鉛筆も削れないような小太刀を使うぐらいなら、私が持ってるみたいな一二五〇円の折りたたみナイフを使った方がずっといいと思う。数年前に近所のホームセンターで買ったやつで、もちろん鉛筆も削れる。
妖刀なんて危ないものをこの子が持つのはどうかと思ったけど、実物がこれなら持ち主が呪われたりとかもしないんじゃないだろうか。"霊獄"なんて立派な銘がついているけど、もしかしたら、お父さんがうまいことやって黒葉ちゃんに偽物渡したりしたのかもしれない。
「ふむ、けどこれなら……」
話している内に、一匹の小さな悪霊が私たちの方にやってきた。見た感じ鼠の亡霊かな、あれは。人間に害は与えないけど、放っておくと空気を腐らせていくから地味に迷惑だ。食中毒事件の原因なんかにもなる。
「あ、お姉さん、浮遊霊来ましたよ、ふわふわって! 『破ァ!』ってやつ教えて下さい!」
「いや、先にその小太刀を使いこなすところから始めようか。本格的な術はちょっと難易度が高いからね」
「えー……」
黒葉ちゃんは不満そうだが、しぶしぶと小太刀を手に持って構えた。よしよし。この要領で毒にも薬にもならない技術を教えて、上手くゴールデンウィークを乗り切ってやろう。