第9話 お出かけしよう、姫巫女さん その1
明けて翌日、家の用事を済ませた秋人はドアを開けてマンションの廊下に踏み出した。
見上げた空は、雲一つない快晴だった。昨夜のうちに天気予報は確認していたが、ちゃんと晴れてくれてホッと胸をなでおろす。
振り向けば、白髪の少女レムリアは秋人の後について家を出ようとして――立ち止まっている。
「ほら、なんともないぞ、レムリア」
「は、はい!」
おっかなびっくり、そろりそろりと外に出たレムリア。キョロキョロと廊下を見回しているさまはちょっとアレな感じ。
しかし秋人は何も言わず、その一部始終を見届けてから鍵をかける。
昨晩話していたとおり、今日は一日かけて家の周りを案内するつもりであった。
――ついでに服も買わないとな……
レムリアが身につけているのは寝間着代わりのワイシャツにジーンズ。
どちらも秋人からの借り物であり、当然の如くサイズが合っていない。
最初は、秋人が今のレムリアと同じくらいの身長だったころの服を着せようとしたのだが、少女の発育の良い肢体を収めるには色々と不足していた。具体的に言うと胸と尻。
よってレムリアは身長に比して大きいサイズの服を身につけざるを得なかった。今度はウエストがガバガバになった。
なまじ中身が良すぎるせいで、残念なことに違和感が半端ない。
「……どうかしましたか?」
まじまじと自分を見つめる秋人にちょっと引き気味のレムリアが問う。
その声にハッとした秋人は、正気に返る。
不躾に女子を見つめるなんて、あまり褒められた話ではない。
「いや、外を見て回る前に服を買った方がいいかと思ってな」
「それは……そうですね」
素直に頷くレムリア自身もまた、今の自分の姿に疑問を抱いているのだろう。
たとえ世界は違えども、その辺りは日本人の女子とあまり変わりはなさそうである。
「じゃあ、とりあえず服を見に行くか」
「よ、よろしくお願いします」
秋人の服の裾を掴みながら、おずおずとレムリアが頭を下げた。
★
自称異世界の姫巫女であるレムリアは、のっけから挙動不審であった。そして今なお挙動不審である。
つい先ほどまで自分が居座っていた部屋と同じものが大量に並ぶ『マンション』という建物自体に驚き、マンションの外に出れば舗装された道路に驚き、その上を走る車に驚いた。
四六時中あたりを見回しては、矢継ぎ早に秋人に質問を投げかける。
『道征く人がずいぶんたくさんいらっしゃいすね。今日はお祭りか何かですか?』
『あのお城のような建物は? え……普通の家? 冗談ですよね?』
『馬が引いていないのに動いているなんて、あれは魔法ですよね、アキト様!?』
『あ、あの方々……往来で堂々と……破廉恥です!』
――多分、俺がレムリアの世界に行ったら同じ反応になるんだろうな。
秋人にとってはありふれた日常の風景のひとつひとつに、レムリアは実に新鮮な反応を示してくれる。
そう思えばこそ、秋人はレムリアの様子を微笑ましげに眺めつつ丁寧に質問に答えた。
おかげで、駅前のショッピングモールに着くころには、結構な時間が経過してしまっていた。
当初の予定では先に服を買おうかと考えていたが、これは昼食を優先した方がよさそうである。
「ちょっと早いけど、先に飯にするか」
「……そうですね」
秋人の問いに、軽くお腹を押さえながらかジト目で応えるレムリア。
心なしか、彼女の声には棘が感じられる。
「アキト様の中で私は一体どのように見られているのでしょう?」
レムリアの口から漏れたその深刻な疑問は、幸か不幸か秋人の耳に届くことはなかった。
★
『何か食べたいものはあるか?』という秋人の問いに対して『ハンバーグ』と答えるレムリア。
彼女はハンバーグ以外のこの世界の食べ物を知らないだろうから仕方がないと思う反面、『二日連続か』と呆れる気持ちもある。
『姫巫女』という呼称から菜食ベースかと思いきや、レムリアは雑食……というよりも肉食であった。
秋人が悩んだ末に選んだのは、どこにでもあるハンバーガーチェーンだった。
――いいのか、ここで……
学校帰りに友人同士で小腹を満たす用途ならともかく、異世界女子を始めて連れてくる場所として、カジュアルに過ぎるこの店はあまり適切でないように思えた。
当のレムリア自身はあまり気にした風でもないが、秋人としては己の甲斐性のなさを悔やむばかりである。
ちなみにほかの候補はラーメン屋と牛丼チェーン、ファミレスだった。
――ファミレスにすればよかったかもしれない。
立地が少し離れているという理由で除外したファミレスが、実は正解だったのではないかと悩まされる。
秋人が一緒にどこかに何かを食べに行く場合、帯同するのは和也か真尋。少し遡ると兄か妹が追加されるぐらい。
いずれも関係が近しすぎるおかげで、肩肘張るような店には入らない。
こういう時に人付き合いの少なさからくる経験不足が露呈する秋人であった。
どこを選んでいても結果はあまり変わらなかったのではないか、という点にまでは気が回らない。
レムリアとともに歩く秋人は、無自覚ながら十分にテンパっていた。
さすが休日の昼間だけあって店内は客がごった返している。見た感じでは親子連れが多い。
当然と言えば当然の話だが、レムリアはメニューを見てもよくわからない。
ということで、秋人と同じものを頼むことにして彼女には先に席を取っておいてもらうこととなった。
まるでドナドナされていく牛のような瞳を向けるレムリアに悪いと思いつつ秋人はカウンターに並ぶ。
今日はレムリアがいるのでテイクアウトはしない。屋外での食事が受け入れられるかどうか自信がなかったから。
バイトと思しき店員の涙ぐましい努力によって並んでいた客は瞬く間に捌かれていき、程なくして秋人の番になった。
あらかじめ決めていたセットを注文、待たされることなく用意されたハンバーガーとフライドポテト、そしてミルクシェイクがふたつ。
トレーを持って席に向かうと、レムリアが居心地悪げに腰を下ろしていた。
「お待たせ。どうかしたか?」
「いえ、その、周りのみなさまに見られている気がして……」
「……まあ、レムリアは目立つからな……」
「うう……」
頬を赤らめて俯くレムリア。右の手は透きとおるように輝く白髪に添えられている。
基本的に黒目黒髪が多い日本にあって、白髪紫眼の少女はかなり人目を引く。
さらに言えば飛び切りの美少女であることも重要なポイントだ。
「でも、アキト様が私の世界にくれば、同じように注目を浴びるのでしょうね」
「……だろうな」
ポツリと呟くレムリアの言葉から察するに、彼女の世界では逆に黒目黒髪が珍しいようだ。
まだほんの数日とは言え、元の世界を懐かしむ様子を見せるレムリアに掛ける言葉が見つからない。
沈んでしまった空気を振り払うように、秋人は努めて明るげに話しかける。
「とりあえず飯にしよう」
「はい」
包装紙を破いてハンバーガーを口にする秋人。食べ慣れたジャンクな味になぜかホッとする。
そして――秋人とハンバーガーに目を行ったり来たりさせるレムリア。
腹は空いているようだが、出されたものに手を付けようとしない。
――まただ……
秋人の頭に違和感がよぎる。
ハンバーガーを見てゴクリと喉を鳴らしているところから、食べるつもりはあるらしい。
それでも、レムリアは自分から食べ物に手を伸ばそうとはしない。
「アキト様」
「……どうした?」
「ええっと、ですね……」
躊躇いがちな声。
どこかこわばった表情を浮かべる白髪の少女。
喧騒に包まれた店内に、奇妙な沈黙スポットが生まれる。
「その……アキト様のものを頂いてもよろしいでしょうか?」
「は?」
思わず疑問丸出しの声が漏れてしまった。
実家で暮らしていた頃は、妹に『怖い』と窘められた口調。
それを突然浴びせられ、ビクッと身体を振るわせるレムリア。
しかし、秋人が疑問を抱くのは仕方がない。
何せ二人のメニューは全く同じ。
普通に考えて、秋人がすでに口にしたものを食べようとする理由が――
――そういえばレムリアは……
秋人の頭の中で、目の前の少女に対する違和感の正体に行き当たる。
代わりに軽く息を吐いてから口を開く。
「……ひと口齧ってしまったが、それでいいか?」
「はい……ごめんなさい」
消え入りそうな声で呟くレムリアにハンバーガーを手渡し、彼女の目の前に置かれているものと交換。
小さな口でハンバーガーを食べ始めたレムリアは『美味しいです』と表情を和らげた。
一度食べ始めてしまえば後は早い。
ドンドンと口に放り込み、ドンドンと胸を叩く。喉を詰まらせたらしい。
どろりとしたシェイクよりも、ウーロン茶あたりの方が良かったかもしれない。今さら気付いても遅いが。
――まあ、いいか……
思うところはあるものの、追及はしない。
レムリアは悪人ではない。時が来ればきっと話してくれるだろう。
そう納得させて再び包装紙を破ってハンバーガーを食べる秋人。
しばらくして――
「うっ……」
秋人の眼前には渋面のレムリア。
今までに見たことがないような、しかしどこかで見たような表情。
確か、妹が似たような顔をしていたことがあった気がする。
あれはいったい何だったか……と思考を巡らせ、
「レムリア?」
「酸っぱい……何ですか、これ?」
レムリア、涙目である。
「ピクルスもダメなのか……」
レムリアのハンバーガーに手を伸ばし、ピクルスを抜き取って自分の口に放り込む秋人。
ミルクシェイクをストローで吸い込みながら、そんな秋人をチラチラ見て頬を赤らめるレムリア。
そんな二人を生暖かい目で見つめる周りの人々。日曜日の街は平和そのものであった。