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第8話 ちょっといいかな、姫巫女さん


「……お風呂、いただきました」


 濡れた髪をタオルで拭いながらレムリアが告げてきた。

 しっかり暖まった身体はほのかに色づき、サイズの合わないワイシャツの裾から伸びる素足は健全な青少年である秋人(あきと)にとって実に目に毒だった。


「あ、ああ」


 極力(きょくりょく)風呂上がりの少女を見ないように視線を()らせた秋人に、レムリアは不思議そうな眼差しを向ける。

 秋人は、そんな彼女の様子に気付かない振りをしながら夕食の後片付けを終え、ペタンと床に腰を下ろしたレムリアに向かい合う形でリビングのソファに腰掛けた。


「アキト様?」


 首をかしげるレムリア。

 何というか、非常に無防備な姿で実に(以下略)。

 (つつし)み深い性格とは裏腹に、レムリアは隙が多すぎる。

 しかし、それをわざわざ指摘するつもりはない秋人であった。

 だって年頃の男子なんだもの。

 ……それは置いといて、


「その……ちょっと話があるんだが……」


 秋人の言葉に、少女はビクンと身体を震わせる。

 声のトーンがかなり真剣味を帯びていたせいだろう。


「……なんでしょう?」


 (のぞ)き込むような姿勢で神妙な様子で先を促すレムリア。

 その姿勢は実に(以下略)。ワイシャツの胸元あたりが特に(自主規制)。

 目の前で少女が固唾(かたず)をのんで見守る中、秋人は口を開く。


「いや、明日のことなんだが」


「明日?」


「ああ、学校が休みだからこの辺りを案内しようかと思ってな」


「案内……ですか?」


 怪訝(けげん)そうなレムリアの声。無理もないな、と秋人も思う。

 突拍子(とっぴょうし)のない提案に対して警戒している模様。

 ただ、秋人も何も考えていなかったわけではない。


「今日一日、ずっと家の中にいてどうだった?」


「そうですね……特にこれと言っては何も……」


 中空に視線を彷徨わせながら、一日を振り返る少女。

 神に祈りをささげるか、瞑想(めいそう)にふけるか。

 (おおむ)ねそれぐらいだったと異世界の姫巫女は答えた。


――居眠りしてたのはスルーか。


 秋人は突っ込もうとして止めた。

 話がややこしくなりそうだから。

 あと、デリカシーがないと言われたのが密かにショックだった。

 理由は上手く言葉にできないが、レムリアの前であまり変なところは見せたくない。


「暇じゃなかったか?」


「……少し」


 躊躇(ためら)いがちに零すレムリア。

 (かす)かに揺れる白い髪が、彼女の心情を(あら)わしているよう。

 

――やはり時間を持て(あま)していたか……


 お祈りとか瞑想とか、要するに何もしていないということである。

 宗教に詳しくない秋人の偏見が多分に混ざっていることは、秋人も自覚している。

 その辺りはおくびにも出さず、


「だろうな」


 首肯するレムリアに、我が意を得たりと頷いた。

 学校にいる間に思い描いていたレムリアの姿。

 異世界での彼女の日常がどのようなものかはわからないけれど、ここはレムリアにとって完全アウェーであるマンションの一室。

 日本人ならテレビでも見ていれば時間つぶしはできるだろうが、あいにく彼女にそのような知識はない。

 この家は、ひとりで過ごすにはいささか広い。そんなリビングでひとりぼっちで(うつむ)く少女。

 物悲しい、あるいは寂しい。見ていられない。何とかしてやりたいという気持ちが()き立てられる。


「家に閉じこもったままだと色々と良くない。それと……できれば一緒に買いに行きたいものもあるしな」


「買いに行きたいもの、とは?」


 レムリアは秋人にアメジストの瞳を向ける。

 透きとおった輝きが秋人の心に突き刺さり、次の言葉を待っている。

 その眼力に、日本生まれのごく普通の高校生にすぎない秋人は、知らずのうちにたじろいだ。


「えっと……例えば……そう、服とか」


「服、ですか……」


 秋人の言葉に、渋い顔をしつつ自分の姿を見下ろすレムリア。

 いま彼女が身に(まと)っているのは、秋人から借りているワイシャツとコンビニで買ってきた下着。

 そして――元の世界の服は、この地球に落っこちてきたときに身につけていた一着だけ。

 もちろん秋人の服はほかにもあるが、いつまでも男が着古(きふる)したものを身につけ続けるわけにもいくまい。

 レムリアの前に広がる現実は、年頃の少女にとっては過酷であった。

 その辺りの事情は、おそらく世界を超えて共通のものと推定される。


「それは……はい。ですが……私が外に出ても大丈夫なのでしょうか?」


 さすがに、秋人に服を買ってきてもらおうとまでは口にしなかった。年頃の少女としてもっともな感覚。

 そして、レムリアの疑問も頷けるもの。

 秋人にとってはごく普通の街並みも、レムリアにとっては未知の世界。というか異世界。

 更に付け加えるならば、到底日本人に見えないこの少女は、とかく衆目(しゅうもく)を引くはずだ。

 もしレムリアが異世界からやってきたことがバレたら、何が起こるか想像もつかない。

 脳裏には胡散臭い科学者たちに捕まったレムリアがモルモットにされる図が浮かび、背筋が凍る。


――いや、さすがにそれはないか。でも……


 ただ――その一方で身バレすることはないのでは、という気もしている。楽観的に過ぎるかもしれないが。

 どういう理屈かはともかく日本語は通じているわけで、容姿は人間の範疇(はんちゅう)に留まるのだから。

 日本人ないし地球人離れはしているが、人間離れはしていない。せいぜい外国人と間違われるくらいが関の山。

 日本の常識には疎いだろうが、非常識な外国人なんて別に珍しくもない。

 天井から足が生えてきた光景を目にしなければ、秋人自身、レムリアが異世界の人間であるとは信じないだろう。


「今後もし仮に一人で外出したとしても、ちゃんと帰ってきてくれさえすれば、あまり問題はないと思う」


「はあ……」


 あまり気乗りしない様子のレムリア。

 ひょっとしたら引きこもり体質なのか、という(いささ)か失礼な発想が秋人の脳裏をよぎった。

 その真偽を尋ねようとは思わない。眠れる獅子の尾を踏む趣味は秋人にはなかった。


「それに……これから春休みになれば、俺は基本的に家に居るから問題はないんだが」


「だが?」


「学校が始まると帰ってくることが遅くなることもある」


 今日はこれでも早く帰ってきた方だと言うと、レムリアの瞳に陰がよぎる。

 ひとりきりの時間が増えるとなると、不安に思うところがあるのかもしれない。


「……はい」


 答えるレムリアの声は固い。


「だから……そういう時にレムリアが買い物に行ってくれてたりすると素早く飯が作れるな、と」


「アキト様」


 零れた本音に対するレムリアの声が冷たい。

 秋人は氷のナイフを突きつけられたような錯覚を覚えた。

 同年代の女子を相手にするのとは全く異なる。

 これほどの威圧感を発するのは、秋人の知る範囲内では真尋ぐらいなものだった。


「……どうした?」


「『食べ物で釣ればどうにでもなる』とか思ってません?」


「いや、そんなことは……」


 思っていた。

 結構チョロいのではとも思っていた。

 そこまで内心を漏洩(ろうえい)しない程度の分別が秋人にあったため、辛うじて修羅場は回避された。

 ……(とが)めるようなレムリアの視線が痛い。部屋に沈黙が降りる。


「ごめん、風呂入ってくる」


 リビングの空気に耐えられなくなった秋人は、一時的に風呂場に避難することにした。


――これは戦略的撤退だから。


 自己弁護がちょっと情けない。

 身体を洗い、シャワーで泡を流す。

 ひととおりサッパリしてから、湯船に浸かって一息つく。

 春近しとはいえ、まだ肌寒い季節。風呂に入るとホッとする。


「早まったかなあ……」


 湯船から(すく)ったお湯で顔を洗うと、お湯と一緒に胸の内から言葉が零れ落ちる。

 寂しそうなレムリアの姿を想像したゆえの提案だったが、考えてみれば彼女がこの世界にやってきてまだ一日しかたっていない。

 いきなり外に連れ出すというのは時期尚早(じきしょうそう)だったのではないか。

 今さらになって、そんな後悔の念が襲いかかってくる。

 秋人が仮に外国に旅行に行ったとしても、恐らく用もないのに外に出歩こうとはしないだろう。

 知らない町、あるいは知らない国というだけで、一歩踏み出すのには勇気がいることは想像に難くない。

 異なる世界からの来訪者であるレムリアにとっては、なおさらである。それくらいは言われなくとも理解している。


「でも、ずっとこのままってわけにはいかないだろ……」


 あとに引き延ばせば引き延ばすほど、彼女が外に出る機会を(いっ)するのではないかという不安もある。

 避けられない問題なら、早めに対処すべきというのは無責任だろうか。

 付け加えるならば、できれば初めての外出は自分の目が届く範囲であってほしい。

 自分の考えが間違っているとは思わない。ただ、完全な正解かと言われると疑問は残る。

 結局のところ、秋人は自分自身を納得させる答えさえ持っていなかったのである。



 ★

 


 風呂から上がって寝間着に着替えリビングに足を踏み入れると、レムリアはさっきと同じ姿勢で固まっていた。

 彼女ほどではないにせよ、秋人の体感では結構長く風呂に入っていたはずだが、白髪の少女は微動(びどう)だにしない。

 目を閉じて深く思考を巡らせているようであったから、秋人としては邪魔をしないように静かにソファに腰を下ろした。

 ややあって――リビングに圧し掛かる重い沈黙を振り払ったのは、レムリアのよく透る声。


「確かに、私もこのままアキト様にお世話になりっぱなしの状況はは良くないと考えていました」


 こほんと咳ばらいをひとつ。

 そして――


「ですから、アキト様が学業に励まれる間、家事のお手伝いをするという件については(やぶさ)かではありません」


 震える声は、しかし決意に満ちて。

 秋人を見据えるアメジストの瞳は力強い輝きを放つ。


「そ、そうか?」


『この話はまた後日』と考えていた秋人は驚いた。

 このチョロそうな……もとい優しげな気品を持つ少女は、秋人の想像を超えて状況に適応しようとしている。

 そのことに、小さくない感動を覚える。


 実際のところ、異世界の姫巫女はそんな秋人の内心には気づいていないであろう。

 ええ、とレムリアは大きく頷き、頭を下げた。

 しっとりと水気を帯びた白い髪が垂れ落ちる。


「アキト様、明日はよろしくお願いいたします」


「ああ、こちらこそよろしく」


 こうして、秋人とレムリアの新たな挑戦が始まる。

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