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第7話 ただいま、姫巫女さん


「ただいま」


 学校を出て電車に乗り、近所のスーパーに寄ってから帰宅。

 空は赤く色づいているものの夜闇が迫るほどではなく、室内も日光が差し込んでいて明るい。

 ドアを開け、靴を脱いで部屋に上がった秋人(あきと)は頭の中で疑問符を浮かべた。

 雰囲気に違和感。返事がない。出迎えがない。否、人の気配がない。


「レムリア?」


 唐突に現れた少女は、唐突に行方をくらましてしまったのだろうか。

 その想像に行き当たり、秋人は顔を強張(こわば)らせる。

 ゴクリと唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえる。

 緊張で心臓をドキドキさせながら秋人がリビングに足を踏み入れると、


「すう……すう……」


 テーブルに頬をついて(かす)かな寝息を立てている少女の姿が目に飛び込んできた。

 広がった真っ白な髪に西日がきらめいて、神々しいまでの美しさ。

 服は朝――というか昨夜と変わらぬ裸ワイシャツ。

 その姿に衝撃を受ける秋人。足が縫い止められてしまったかのように動かない。

 彼女が自分の服を素肌の上に身につけているという事実に背筋がゾクゾクする。

 しばらくの間、呼吸すら忘れて眠れる少女に見惚(みと)れてしまっていたが、


「ん……んう……?」


 白いまつ毛が縁取る目蓋(まぶた)がゆっくりと開き、緩やかに上体が起こされる。

 焦点の合わない瞳が徐々に知性の輝きを灯し、レムリアの意識が覚醒する。

 

「おはよう、レムリア」


 内心の動揺を悟られないよう、平静を装って声をかける。


「……ふぁ……アキト……様?」


 パチパチと目をしばたたかせたレムリア。ぼんやりした様子であったが、ようやく状況を理解したらしく、


「ふぁ~~~~~!」


 奇声を発しつつ両手で顔を覆ってしまう。

 自分以上に慌てふためくレムリアの姿を見て、ようやく秋人の心は平穏を取り戻す。


「み、み、み……」


「?」


「見ましたね、私の寝顔!?」


 秋人の方はともかく、レムリアは寝起きそうそうえらい剣幕である。

 手で隠されたままの顔には怒りの表情が浮かんでいる……らしい。

 あまり怖くはない。


「そ、そりゃまあ……」


不躾(ぶしつけ)です! 失礼です!」


「え、そうか?」


「そうです! アキト様にはデリカシーが欠けています!」


「……そこまで言われるほどか?」


――よだれが垂れていたのは黙っておこう。


 秋人は愚か者ではなかったので、火に油を注ぐような真似はしない。

 ふるふると体を震わせるレムリアから目を離すと、あんぱんの袋が目に入った。

 中身は減っていない。昼食は摂らなかったようだ。

 昨晩の食事風景を思い出して、秋人は首を横に振った。

 レムリアはそれなりに健啖(けんたん)家であるように思えたから、一食抜いたのは意外な気がする。

 ダイエットだろうかと思わなくもなかったが、これを口にすると多分ろくな目に合わない。

 デリカシーがないと(ののし)られたばかりの秋人でも、それくらいはわかる。


「ところでレムリア」


「……なんですか?」


 指の隙間から秋人を睨み付けるレムリア。

 微妙ないじけ具合のせいか、威厳や迫力とは縁のない姿である。

 そんな彼女の様子はさておいて、秋人は気を取り直して話を続ける。


「これから晩飯を作ろうと思うんだが……食べられるか?」


 レムリアはその問いの意図を計りかねているようだったが、秋人の視線の先――ひとつも減っていないあんぱん――を見てハッとした様子。

 慌てて何かを言おうとしたところ、しかし――


 くぅ~~~


 口より先に腹が返事をした。


「あの……そのですね……」


「悪い。急いで作るから」


「違うんです。違うんです~~~~~」


 テーブルに突っ伏して頭を抱えるレムリアに、秋人は生暖かい視線を送った。



 ★



 悶絶しているレムリアを置いて、スーパーで仕入れたアレコレを冷蔵庫にしまう秋人。

『さて、頑張るか』と意気込んでいるところに、リビングから声がかかる。


「あの……アキト様」


「うん? どうかしたか?」


「その……遅くなりましたが、おかえりなさいませ」


 言葉とともに頭を下げるレムリア。白い髪が流れるように垂れ落ちる。

 秋人は一瞬、何を言われたか理解できなかった。

 しかし少し考えてみれば、それは自明の理であって。


「ああ、ただいま」


 そう答えると、ちょうど顔をあげたレムリアと視線が(まじ)わった。少女は優しい微笑みを浮かべている。

 僅かな間だけ見つめ合い、何となく気恥しくなって互いに目を逸らす二人。

 ほんの少しだけ、部屋の空気が暖かくなった気がした。


「そう言えば、レムリア」


「?」


 首をかしげる少女。


「一応聞いておくが、玉ねぎは大丈夫か?」


 レムリアの笑みが硬直。


「……小さく切っていただければ、その……」


 わずかに間を空けて、小さな声で答えるレムリア。

 どうやら玉ねぎもあまりお好みでないらしい。この分だと、他にも地雷食材がありそうだ。

 異世界ではどういうものを食べていたのか、尋ねてみたい衝動にかられた。

 あるいは神殿とやらの料理担当が日々苦心していたのだろうか。

 出会うことのない異世界の人を想い、もしよければレシピが手に入らないだろうかと天に祈る秋人だった。

 まあ、それはさておき――

 

「わかった。それなら問題ない」


「返す返すもご迷惑をおかけします……」


「気にするなって」


 申し訳なさそうなレムリアの言葉を軽く流して腕まくり。


――きょうの晩飯はハンバーグだ。


 玉ねぎはみじん切りにしてフライパンで飴色になるまで炒める。

 おろしにんにくに塩コショウ、パン粉と牛乳も投入。

 更に合いびき肉と炒めた玉ねぎを放り込んで、両手で握るように練り混ぜる。

 楕円形にまとめてから、両手の間でキャッチボールするように叩きつけて空気を抜く。

 成形した肉は、フライパンで表面を焦がしてから、じっくりと蒸し焼き。

 出来上がったハンバーグを皿に移して、フライパンに残った肉汁にケチャップとウスターソースを混ぜる。


――あとはサラダとスープを……トマトはダメだったか。


 ハンバーグを乗せた二つの皿のうち片方にだけトマトを置いて、レタスをちぎり、千切りキャベツを乗せる。

 スープは残念ながら昨日と同じ買い置きのコーンスープ。

 最後に(ひや)ご飯を電子レンジで温め直して――完成。


「ほら、晩飯で来たぞ」


「わあ……」


 というわけで、有里家の今日の夕飯は自家製ハンバーグ。

 秋人はもともと料理が得意だったわけではなかった。

 そんな秋人でも、一年に及ぶ兄との二人暮らしの間、スマホ片手に色々調べたり試したり、試行錯誤を重ねた結果として、それなりのものは作れるようになっている。

 兄の分まで食事を用意させられていた頃は理不尽な怒りを覚えていたけれど、その経験がこうして役に立っていると思えば、それはそれで悪くないとも思える。


 湯気が立つ出来たてのハンバーグを前に、しかし空腹のはずのレムリアは動かない。


「どうした、食べないのか?」


「いえ……その……」


 レムリアは口ごもりつつ『チラ、チラ』と秋人の様子を窺っている。その姿に既視感を覚える。

 昨日も同じような姿を見せていたなと思いながら、秋人は箸でハンバーグを割って口に放り込む。

 外は香ばしく、中はふんわり柔らかでジューシー。

 ソースと肉汁が入り混じり、実に美味い。やはりハンバーグは正義だ。

 秋人が食べる様子を確認してから、レムリアもナイフとフォークでハンバーグを小さく切って口に運ぶ。

 しかして彼女の動作は緩慢で、ギュッと目を閉じたまま肉を刺したフォークを持ち上げている。

 緊張感マックスなその姿は、見ている秋人の方が息がつまりそうになる。


 ぱくり


 意を決したレムリアは、ついにハンバーグを口にする。

 そして、次の瞬間――


「んん~~!! 美味しいです!」


 閉じられていたアメジストの瞳は大きく見開かれてキラキラと輝き、興奮で白い頬を紅潮させている。

 喜色満面。その言葉が相応しい笑顔は見ている方が幸せになる。

 インターネットで拾った簡単レシピとはいえ、これだけ喜んでくれると嬉しくなる。

 もっと美味しいものを作ろうという意欲が湧いてくるというものだ。


「アキト様は料理もお上手なんですね」


「いや、これくらいは慣れればすぐにできるようになるぞ」


「それは……私にも、ですか?」


 上目遣い気味のレムリアの仕草に、ドキリとさせられる。

 ……口元にソースがついてなければ完璧だった。


「ああ、今度一緒に作るか?」


「はい!」


 女子の手料理。

 その言葉は男を惑わす魔性を秘めている。

 目の前の美少女が、自分のために料理を作ってくれるさまを幻視し、秋人は胸が熱くなった。

 しかし――その一方で疑問がある。


「そんなに腹が空いていたのなら、あんぱん食べればよかったのに……」


「それは……」


 鼻歌を歌いながらハンバーグを食べていたレムリアの顔が曇る。

 彼女は、用意しておいたあんぱんに口を付けなかった。

 その理由が、秋人にはわからない。

 パンは朝ちゃんと食べていたようだから、あんこがダメだったのだろうか?

 その点について危惧していたものの、こんな結果になるとまでは思っていなかった。


――いや、そもそも袋が開いてない。


 疑問は膨れ上がるものの問いただすのは(はばか)られる。

 ひょっとしたら、昔の人みたいに一日二食の生活習慣なのかもしれない。

 そう考えれば、必要以上に詰問するのは、それこそ不躾であろう。

 文字通りの意味で住んでいた世界が違うのだ。

 秋人の都合や事情を押し付けるのはよくない。


「悪い。言いたくないなら別にいい」


「すみません……」


――申し訳ない、とは思ってくれてるんだよな。


 だったらこれ以上は止めておこう。

 いつか話してくれる時が来るだろう。

 秋人はそうやって自分を納得させて、再びハンバーグに箸を伸ばした。

 しばらく和気藹々とした空気が流れていたリビングに、再び沈黙が降りる。

 レムリアの前に置かれていた皿からハンバーグが消え、彼女の視線が秋人の皿に向けられている。

 これは――


「あ、ハンバーグ、小さい奴でよければ残ってるぞ」


「……いただいてもよろしいでしょうか?」


 俯いて蚊の泣くような声で訴えてくるレムリア。

 やはり、腹が減っていたらしい。


「もちろん」


 少し多めに用意しておいてよかった。

 ホッと胸をなでおろす秋人だった。

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