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第6話 何気ない日常


 秋人(あきと)が暮らすマンションからローカル線の最寄り駅まで徒歩10分。

 電車に乗ること2駅。そこからさらに徒歩15分。

 秋人が通う県立青陵(せいりょう)高校まで、家を出てから一時間はかからない。

 通学路に(あふ)れているのは、秋人同様に学校に向かう生徒たちの群れ。

 まだ肌寒い張り詰めた朝の空気のもとではあるが、三学期の期末考査を終え春休みを目前とした、イマイチ気合の入らない朝の風景。

 

「よっす、秋人」


「おお、和也」


 背中を叩かれて振り向くと、そこには秋人より少し背の高い細身の男。

 バスケ部に所属するその男の身体は決して華奢(きゃしゃ)ではなく、しっかりと筋肉がついている。

 キリっとした顔立ちは男の秋人から見ても格好いいが、笑うと愛嬌(あいきょう)があってギャップがいいと女子の間で受けている……との噂。


 名村なむら 和也かずや


 高校に入ってから知り合った、秋人のあまり多くもない友人の一人。同じクラスである。

 決して人づきあいが得意ではない秋人にとっては、身構えることなく付き合える貴重な人物。

 奇特……と言ってもいいかもしれない。


「今日は朝練なかったのか?」


「いや、寝過ごした」


 秋人の問いに、和也は大きなあくびをひとつ。

 サッカー部期待のホープは残念ながらサボり癖がある。

 これで一年生にしてレギュラー入り目前と言われているのだから、よほど和也の能力が高いのか、あるいは青稜のサッカー部が弱いのか判断に迷う。

 秋人の脳内では前者ということにしてある。


「明日から本気出す」


「土曜なんだが」


「じゃあ、来週から本気出す」


「部活出ろよ……」


「そういう秋人はどうなんだ?」


「それを言われると辛い」


 秋人は諸手(もろて)を挙げて降参の意思を示した。

 一応文芸部に所属しているものの、あまり顔を出していない。

 いわゆる幽霊部員というやつだ。ギリギリ実体がある程度なので幽霊ではないかもしれない。

 まあ、どっちにせよ和也のことをどうこう言える立場ではなかった。


「それにしても、あっという間の一年だったなぁ」


「同感」


 雑談に興じながら校門をくぐり昇降口に向かう。

 つらつらと話題は移り行くが、秋人は昨日訪れた異世界の少女については語らなかった。

 どう説明すればよいのか、そもそも他人に喋っていいことなのか判断に迷ったからだ。


 視線を横に逸らせば、植えられている桜の木はいまだ咲く気配を見せていない。

 あとひと月――新年度になれば満開の姿を見せてくれるだろう。

 その頃になれば、校舎には新一年生が溢れかえる。

 秋人達は高校二年生になるのだ。


 教室に入り席に着く。

 学生にとって最後の難敵であった期末試験を乗り切った今、あとは春休みを待つだけ。

 見回せば、他の生徒たちもどこか浮ついた雰囲気を(かも)し出している。


「ふあ~」


「おや、秋人さん夜更しかい?」


「珍しいわね、有里」


 横合いから掛けられる声は、女子のもの。

 あまり温度を感じさせない、それでいて冷淡と言うわけでもない独特の声色。


「ああ、おはよう、佐倉」


「おはよう」


 文庫本から顔をあげる隣の席の少女。


 佐倉さくら 真尋まひろ


 首筋が見えるくらいの短めの黒髪。

 神秘的な輝きを宿す黒い瞳が印象的な顔立ち。

 秋人が会話を交わす数少ない女子であり、同じ文芸部のメンバーでもある。


「名村はともかく有里があくびなんて、ちょっと意外」


「そりゃどういうことだい、佐倉さんや」


「そのまんまの意味だけど?」


「お、おう」


 直接的な返事に鼻白(はなじろ)む和也。

 真尋も別に悪意があるわけではない。

 同じクラスの仲間として、友人としてただ気安い。

 そういう関係である。


「名村はここにいていいの?」


「うん?」


「あれ」


 文庫本から離れた真尋の指がさす先は――廊下。

 レムリア同様腰のあたりまで届くストレートの髪は、夜の闇を思わせる漆黒。

 整った顔立ちの女子が秋人達の教室を通り過ぎようとしている。

 

 姫島ひめじま みやこ


 隣のクラスに籍を置く少女で、いわゆる学園のアイドルという奴だ。

 文武両道、容姿端麗、品行方正。

 親はどこぞの企業の社長であり、彼女はその令嬢という血統書付きのヒロイン。

 彼女を褒め称える言葉は枚挙にいとまがなく、彼女に思いを寄せる男子も数知れず。

 さらに言えば、告白して玉砕した者は両手の指だけでは数えられない。

 そっちの方面では一年生にして全校レベルで名の知れた女子であった。

 秋人の後ろに座っている男も、都に恋い焦がれる男子のひとりである。

 なお、和也自身隠す気は全くない。オープン野郎であった。


「ちっと挨拶してくる」


「その行動力は称賛に値するわ」


 和也が都の方に行ってしまうと、途端に会話がなくなる。

 騒がしいほどの教室にあって不自然なまでの沈黙ではあるが、もともと秋人も真尋もあまり口数が多い方ではない。

 互いに余計な口を開かなくとも、特に居心地が悪いということもない。

 真尋は再び文庫本に目を落とし、秋人は鞄を机の脇に掛けてから、あくびをもうひとつ。


――なかなか寝付けなかったからな……


 急激な環境変化に(主に心が)着いていけなかった秋人は、口を半開きにしたまま嘆息する。


「ほんと珍しいね」


「そうか?」


 目じりに溜まった涙を拭いながら問うと、


「そうよ」


 顔を向けることなく真尋は続けた。

 彼女の視線は文庫本から動かない。

 よく見ると、目だけが文章を追って微かに動いている。


――まさか『異世界の女の子がやってきたおかげで、あまり眠れなかった』なんて言うわけにもいかんしな……


「そういう日もある」


「確かに、気の抜ける季節だしね」


 あと残されているのは期末考査の返却と終業式くらい。

 しかも週末の金曜日と来れば、なおさらである。もう学校に来なくてもいいんじゃないかという気さえする。

 自由登校の三年生が少し羨ましい。

 ……受験とか進路選択とか、三年生は三年生で苦労が絶えない季節ではあるが、秋人はそれを意図的に無視した。


「あ、佐倉……その、すまないんだが」


「はいはい」


「まだ何も言ってないぞ?」


「はいはい」


 相変わらず顔をあげようともしないマイペースの真尋に呆れながらも、


「悪いが今日、部活に出られない」


「いつものことでしょ」


「いや……まぁ、そうなんだが」


「ひとりのほうが気楽だから、別に気にしなくていい」


「そうか?」


 現在文芸部の部員は秋人を合わせて二人。

 残るひとりが隣に座っている真尋であった。真尋が部長で秋人がヒラ部員。

 あまり部室に顔を出さない秋人とは異なり、真尋はそれなりに部活に参加している。

 とは言うものの、彼女はひとりで部室を占拠して読書(マンガ含む)と執筆に精を出している、というのが実情である。

 それを熱心な文芸部員と褒めるべきなのか、単に校内にパーソナルスペースを確保している厚かましい生徒と見るかは人それぞれ。

 実質的に真尋ひとりきりの文芸部については、教師からも生徒からも批判的な意見が少なくない。

 真尋のスペシャルな性質ゆえに表立って彼女を責めたてる者はいないが、裏では一体どうなっていることやら。半幽霊とはいえ同じクラスで同じ部活動に所属する秋人にとってはヒヤヒヤものである。

 ただ――となりで文庫本に集中している真尋は、世間の評価もなんのそのといった風体。


――年度が替わって新入部員が増えれば、風当たりもマシになるかもな……


 さすがは幽霊部員というべきか、やや無責任な思考に囚われる秋人であった。



 ★



 率直に言って授業は退屈だった。教室の空気は弛緩(しかん)しきっている。

 教師もどことなく気だるげなように見える。

 秋人もまた、ひとり家に残してきたレムリアに思いを馳せていた。


――レムリアは大丈夫だろうか?


 誰もいない家の中でポツンと所在なさげにしている白髪の少女。

 想像の中のレムリアは、なんとなくウサギを思い起こさせる。

 ……不意に目頭が熱くなった。


――寂しいと死んでしまうんだったか?


 いくらなんでも昨日の今日で何か起きるとも思えないが、奇妙な焦燥(しょうそう)に駆られているのも確かだ。

 やはり一日くらい学校を休んだほうがよかったと悔やむも後の祭り。

 そもそも、レムリア自身も秋人は学校に行くべきだと口にしていたわけで……

 早く帰りたいという思いとは裏腹に、時が過ぎるのがやけに遅く感じられる。


 午前の授業が終わると、多くの生徒が一斉に動き始める。

 教室で弁当を広げるもの。

 学食に向かうもの。

 購買のパン争奪戦に参加するもの。

 秋人はいずれにも含まれていない。

 あらかじめ道中のコンビニで仕入れておいたパンと温くなったお茶で昼を過ごす派である。

 昼食に限って言うならば、栄養価のことはあまり考えていない。

 弁当を作る時間を確保するより、睡眠時間を多くとりたい男である。


「今頃飯食ってる頃か……」


 お徳用あんぱんと麦茶。

 小さな口でもそもそとパンを頬張っている姿が容易に想像できる。

 考えただけで物悲しくなってくるレムリアの昼食風景イメージであった。

 いくら時間がなかったとはいえ、何かちゃんとした食べ物を用意しておくべきだったかもしれない。

 電子レンジの使い方ぐらいは教えておけばよかった。

 秋人の家には固定電話がないので、今ここで彼女に伝えることもできない。


――お詫びと言うわけではないが、晩飯は少し頑張ってみるか。


 昨日のお手軽レトルト飯でも美味しいと笑っていた少女の姿を思い出す。

 つい最近家を出た兄は、あまり食事に感想を述べるタイプではなかった。

 自分の作ったものを褒められるというのは、やはりうれしいものだ。


「誰の話?」


 隣の真尋が(いぶか)しげな視線を向けてくる。

 彼女はお手製らしい小さな弁当箱を箸でつついている。

 いつも不思議に思うのだが、たったあれだけで昼飯は足りているのだろうか?

 女子の生態は男子にとって実に不可解である。


「なんでもない。こっちの話だ」


 咄嗟(とっさ)に適当な答えを返し、ずり落ちた眼鏡を直す秋人。

 そんな秋人を暫し見つめていた真尋は、しかし――


「そう」


 どうやら興味を失ったらしく、それ以上突っ込んでくることはなかった。

 隣人のそういうサッパリした性格に感謝する秋人である。

 迂闊(うかつ)なことは口にできない。心のメモにそう書き込んだ。

 


 ★



 午後の授業も恙なく終了し、挨拶もそこそこに教室を後にする秋人。

 パラパラと散り征くクラスメートに紛れて早々に家路についた。

 だから……その背後で意味ありげな視線を送る真尋の姿まで意識は回らなかった。


――家に帰る前にスーパーに寄らないと……


 授業中に考えておいた夕食の献立を(かんが)みるに、記憶の中にある冷蔵庫の中身では、どうにも心もとない。

 回り道にはなるものの、家で待つレムリアの姿を想像するだけで秋人の足取りは軽くなった。

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