第4話 おやすみなさい、姫巫女さん
結論から言えば、近場のコンビニに下着は売っていた。
秋人はコンビニ下着の前でガッツポーズ。レジに立っていた店員の白い目が痛い。
色気もへったくれもないデザインだったが、秋人にとっては逆にありがたかった。
さすがにセクシーなショーツをレジに持って行くのは心理的抵抗が半端ない。秋人はそこまで上級者ではない。
とりあえず上下2セットずつ購入。慌てて家を出たせいで、持ち合わせが少なかった。
女性店員のよそよそしい仕草が気にならなくはなかったものの、何も言ってこなかったので無視。
帰宅すると風呂場には明かりがともっていた。レムリアはまだ風呂に入っている模様。
軽くノックしてから脱衣所に足を踏み入れ、風呂場の中にいるレムリアに着替えを用意した旨を伝える。
摺りガラスの向こうの肌色を極力視界から外しつつ、返事を待つことなく早々に退散した。
そして今、目の前に座っているレムリアである。
先ほどコンビニで購入した下着の上に、秋人のものである男性用のワイシャツ。
裾から伸びる白い脚や胸元は湯船で十分に暖まってたおかげか、ほのかに色づいていて非常に目の毒だった。
レムリアもどこか居心地悪げにしていたが、その仕草が余計に艶めかしさを増幅していることに本人は気づいていない。
「それじゃ、次は俺が入ってくるから」
「ど、どうぞ……ごゆっくり」
若干挙動不審のレムリアを置いて風呂に入る秋人。
いつもと同じ浴室は、しかしいつもとは異なる雰囲気を醸し出している。
透明な湯を湛える湯船も、むわっと立ち込める湯気さえも、何かしら色づいて見える。
――さっきまでここでレムリアが……
脳裏に白い裸身が浮かび、思わず生唾を飲み込む。
身体を洗って湯船に浸かっても、全然落ち着かない。
彼女のことを考えるのは失礼だとわかっていても、妄想が止まらない。
お湯を掬って顔を洗っているだけで、罪悪感に近い感情が沸き上がる。
――これはダメだ……
リラックスどころか逆に緊張するばっかりだった。クラクラしてくる。
さっさと風呂を上がって寝間着に着替え、リビングに戻る。
そこにはさっきと寸分違わぬ姿のレムリアがいた。
白魚のような細い指で、首から下げられたネックレスを弄んでいる。
「お早いですね」
「そうか? こんなもんだと思うが」
秋人の入浴が一般的な男性のそれと比べて長いか否か、レムリアにはわからなかった。
ただ、何かを想像してしまったらしいレムリアは、頬を赤らめたまま顔を横向け視線を逸らす。
「……」
「……」
二人とも、それっきり会話が続かない。
相変わらず、テレビから笑い声がリビングに響いている。
何がそんなに面白いのか、秋人にはさっぱりわからない。
秋人は普段ニュース以外の番組はほとんど見ないのである。
あまりに間が持たないので、秋人の方から無理やり話題を振ることにする。
「さっき『勇者召喚』とか言ってたけどさ、レムリアの国で何かあったのか?」
「え?」
急に話を振られてきょとんとしたレムリア。
秋人と違い、彼女は興味深げにテレビを眺めていたのだ。
内容を理解しているかまでは定かではなかったけれど。
「いや、異世界から人間を呼ぶなんて、よっぽどのことなんじゃないかと……」
魔王が世界を滅ぼそうとしているとか、そんな感じの危機が迫っているのではないか。
もしそうだとすると、姫巫女とやらであるレムリアは、ここでのんびりしている場合ではないのではないか。
そう秋人が続けると――レムリアは視線を逸らして、しばし無言。
――マズいことを聞いてしまったか?
沈黙が続くと、秋人の方がいたたまれなくなってしまう。
レムリアは目を閉じて何かを考えている様子。
ややあって――
「別に……そういうことは……その、ありません」
その声には力がなかった。
何か迷っているような、不安を掻き立てられるような、そんな弱々しい声。
秋人ではなくテレビに向けられていた瞳も、何も映していないような虚ろな印象を与える。
「そうなのか? だったら何で?」
秋人の言葉に、レムリアは眉をよせて言いにくそうに口ごもった。
見ようによっては泣きそうにも見える表情であった。
「……それは、高度に政治的な判断がありまして……」
姫巫女の言葉は、どこか言い訳じみている。
時々テレビでやっている政治家の答弁に似ていると秋人は思った。
しかし、世界の危機ではなく政治的判断となると……
「権威付けとかそういう奴か?」
あまり深く考えることなく思いついたことを秋人が口にすると、レムリアが硬直した。
ついで、ギギギと秋人の方に顔を向ける。その顔は蒼白であった。
どうやら図星だったらしい。
「……私は反対したのですが、周りに押し切られてしまいました」
「それは大変だったな」
意に染まぬ『勇者召喚』の儀式の挙句、足を滑らして自分が異世界転移とは。
踏んだり蹴ったりとはまさにこのこと。
レムリアを取り巻く状況は、ほんの数時間で激変してしまった。
さらに言うならば、彼女の環境変化は現状不可逆である。
今の彼女は『いったいどうしてこうなった?』とでも誰かに尋ねたいに違いない。
「……でも、少し安心しています」
首からぶら下げられているネックレスをギュッと握りしめながら、レムリアは呟いた。
「と言うと?」
「私たちの身勝手な理由で他の世界の方を巻き込むのは……やはり気が引けますから」
「なるほど」
自身が大変な目に合うよりも、会ったこともない他人のことを考えられるあたり、レムリアは根本的に善性の人なのだろう。
秋人は、自分が同じ立場に立たされたら、彼女のように誰かを気遣うことができる自信はなかった。
ただ……善人が損をするというのは受け入れがたい。どこの世界もなかなか上手くいかないものだ。
「儀式は私にしか執り行えないものですから、きっと他の者も諦めたと思います」
「……差し迫った問題がないなら、無理して強行したりはしないか」
「ええ、きっと」
だから、少しホッとしています。
そう続けた異世界の姫巫女の顔には、力無く微笑みが浮かんでいた。
笑みは安堵に満ちていたが、痛々しくて、秋人の胸を締め付けた。
★
「ふぁ」
テレビを眺めていたレムリアが欠伸を噛み殺す。
時計を見るとまだ午後9時すぎ。秋人の感覚ではまだ宵の口といったところ。
異世界の事情はよくわからないが、早寝早起きの習慣が身についているのだろうか。
「そろそろ寝る?」
「ふぁ……すみません」
目じりに涙を浮かべ、恥ずかしそうに頬を赤らめるレムリア。
うつらうつらと舟をこぎ、しょぼしょぼと目蓋が落ちかけている。
見ているだけでわかる。これはかなり眠そうだ。
「それじゃ、あの部屋にあるものは自由に使っても構わないから」
「返す返すも、ご迷惑おかけします」
申し訳なさそうに頭を下げるレムリア。
すっかり乾いた白い髪が流れるように肩から落ちる。
そのまま頭まで墜落しそうで見ている秋人の方が不安になる。
「いいよ、別に」
ゆっくりと立ち上がり、目蓋を擦りながらフラフラと頼りない足取りで元兄貴の部屋に引っ込むレムリアの背に声をかける。
「ところで、明日の朝飯は?」
「いただきます」
即答であった。眠気より食い気が勝るらしい。
その答えは秋人に新たな悩みを生んだ。朝の献立はどうしよう。
普段は適当にごまかしているが、客人がいるとなるとそうもいかない。
咄嗟に頭の中で、冷蔵庫に残っている食材を思い出す。
――まぁ、何とかなるか。
秋人はそう結論付ける。
朝から手の込んだものを作る必要はないだろう。
ただ……レムリアは偏食のきらいがある。
もう少し食べられないものについて情報が欲しかったが、今にも寝落ちしそうな彼女を引き留めるのはよろしくない。
「はいよ。それじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
パタンとドアの閉まる音。
続いてボフっとベッドに倒れ込む音。
よほど疲れがたまっていたようだ。
慣れない環境に放り込まれて、気を張りっぱなしだったのかもしれない。
――ちゃんと布団をかぶっているか?
三月とはいえまだ寒い日が続いている。
寝冷えすれば風邪を引くこともある。
しかし――うら若き女性が眠る部屋に足を踏み入れるのは……厳しい。
かといって、先ほどの眠そうな姿を思い出せば、ドアをノックすることも躊躇われる。
ひとしきり煩悶した秋人は、レムリアを信じることにした。チキンとも言う。
「俺もそろそろ……というにはまだ早いか」
見るもののないテレビを消して戸締りをし、部屋に引っ込む。
明日の予習でもするかと教科書を開いてみるも、内容が全く頭に入ってこない。
壁を隔てた隣りの部屋で、異世界の美少女が眠っているかと思うと気が気でないのだ。
――ああ、もう!
頭を振って左右の手で頬を叩く。
中間考査が終わったばかりなので焦って勉強する必要はないが、ずっとこのままの状態が続くのはマズい。
いつまでレムリアがここにいるのかはわからないけれど、さっさとこの状況に慣れないと色々と手につかなくなってしまう。
とは言うものの――
――同じ年頃の女子と二人暮らしなんて、考えたこともなかった……
別に秋人は女性に興味がない、と言うわけではない。
むしろ年頃の男子相当に興味津々と言ってもいい。でなければ、ここまで悩みはしない。
レムリアは今までお目にかかったことがない――文字通りの意味でこの世のものとは思えないほどの美少女。
これでテンションが上がらない方が男としてどうかしているとも思う。
とは言うものの、秋人の欲求はあくまで一般人相当であり、段階を飛び越えて異性といきなり同居というのは完全に想定外。
しかも、彼女は家族どころか住んでいた世界から引き離されて、半ば事故のような形で慣れない日本にやってきた。
帰るあてはなく、これからどうすればいいのかもわからない。さぞかし不安なことだろう。
秋人としてもできる限りの協力を惜しまないつもりであるし、弱みに付け込むような真似はしたくない。
「どうしたもんかな……」
窓の外、闇夜に輝く月を眺めながら、つい口から漏れた呟きに答える者はいなかった。
本日の更新はここまでとなります。