第3話 姫巫女さんとお風呂
蛇口をひねると、泡を洗い流していた水が止まる。
食事の後片付けと言っても、たいして手間のかかるものではなかった。
よって早々にやることがなくなり、秋人はリビングに帰還。
俯いて何かを考える風なレムリアの隣に座って……とりあえずテレビをつけた。
時計を見れば午後6時を回ったあたり。ちょうど夕方のニュースの時間である。
特に見たいものはなかったので、何とはなく眺めていたら、隣のレムリアが驚愕に目を見開いていた。
「あ、あの……あれは?」
「あれはテレビ。何と言ったらいいのか……そう、遠くのものを見ることができる機械ってところか」
咄嗟に上手い表現が思いつかなかった。
普段何気なく使っているものでも、何も知らない人間に説明するとなると意外と難しい。
「はぁ……遠見の水晶球のようなものでしょうか?」
「すまん、その遠見の何とかがわからない」
「そうですか……」
興味深げにテレビの液晶を眺めている姫巫女さん。
その姿をちらりと横目で流し見して、
――うん、お約束だな。
現代日本の科学文明は異世界人にとって相当なショックを与えるらしい。
きっと、秋人が異世界に行けば同じようになるだろうから、その点を深く追求はしないが。
テレビから流れてくる音声をBGM代わりに聞き流し、キッチンで思い至った直近の問題を切り出す。
『レムリアが今日ここで寝泊まりする』件について、である。
「ところでさ、話があるんだが……」
「なんでしょう?」
「レムリアさんは……その……だな」
「あ、私のことは呼び捨てていただいて構いません」
「そうか?」
「はい」
柔らかい微笑みに浮かされて、思考が一瞬どこかに飛んでいった秋人。
気を取り直して――
「ゴホン……それで、レムリアは今日これからどうするつもりなのかと……」
「これから、ですか?」
「ああ」
「そうですね……いつまでもご迷惑をおかけするわけにもいきませんし……」
『早々に帰還手段を探しませんと……』などと続けるレムリアは、足元がお留守だった。
回りくどい言い回しでは意図が伝わらなさそうである。
「……そうじゃなくて、とりあえず今日はどうするのかな、と」
「今日……あっ」
どうやら秋人の言いたいことが理解できたらしい。
真面目くさった表情が崩れ、紫紺の視線があちらこちらに彷徨い始める。
「あの……その、ですね……」
モジモジと指をごちゃごちゃさせながら、顔を赤らめたレムリアが言いにくそうに口ごもる。
「お気づきかと思いますが、私、行くあてがなくてですね……」
「ああ」
平静を装いつつ、内心穏やかでない秋人。
眼鏡の位置を直そうとするが、もともとずり下がってはいない。
「その……もしよろしければ、ここに泊めていただければと思うのですが……」
「……だよな」
「すみません……」
「いや、構わない。困ったときはお互い様だ」
「そう言っていただけると、助かります」
あからさまにホッとしたレムリア。
しかし――秋人にとっては問題は全然解決していない。
年頃の美少女とのお泊り会。
唐突に訪れたこのビッグイベント。
――いや、やましいことなんて考えてないから……
「?」
純真な瞳を向けてくるレムリアに心の中で言い訳する。
秋人を襲う後ろめたさが半端ない。
「それじゃ、さっさと準備するか」
「はい!」
レムリアを連れて今は使っていない部屋に案内する。
「ここ、この春まで兄貴が使ってた部屋」
「お兄様がいらっしゃるんですね」
「ああ、今は開いているからレムリアが好きに使ってくれ」
秋人の兄は就職が決まっており、卒業式を待つことなく上京した。
新居の家具は改めてそろえるということで、部屋にはベッドやら何やらが置きっぱなし。
金遣いの荒いところのある兄に、秋人は生まれて初めて感謝した。
レムリアはベッドに腰かけて、スプリングの具合を確かめている。
「どうだ、寝られそうか?」
「はい。よい寝床だと思います」
「そうか、それはよかった」
ふと見やれば、先ほどからレムリアは白い髪をしきりに撫でている。
気のせいか表情にも冴えがない。
「……どうかしたか?」
「あ、いえ……」
その仕草には何か意味があるのだろうか。
わからないまま秋人はレムリアに尋ねる。
「何かあるのなら言ってくれ。できることなら協力するから」
「そう……ですね」
軽くため息をついてレムリアは言葉を紡ぐ。
「その……今日は儀式で色々バタバタしてまして……」
「ああ」
その話はすでに聞き及んでいる。
今さら改めて言及することだろうか?
「汗をかいてしまったので、お湯を使わせていただければ、と」
「なるほど、風呂か」
「……大丈夫でしょうか?」
「風呂ぐらい別に構わないぞ」
ひとり暮らしになってから数日、シャワーだけで済ます日が増えた。
自分のためだけに浴槽に湯を張るのが煩わしく感じたからだが、レムリアと二人で使うならちゃんと風呂を沸かした方がいいだろう。
それにしても……
――異世界の人もお風呂が好きなのか……
魔法がある世界というと、なんとなく現代日本より文明的に遅れている印象があったのだが、世界が違っていても基本的な文化にあまり違いはないのかもしれない。
……まぁ、風呂は古代ローマの頃からあったらしいし、そういう話でもないのだろうか。
「それじゃ、風呂を沸かしてくるからちょっと待っててくれ」
「湯浴みの用意もすぐにできるのですか?」
「晩飯ほどじゃないけど、あまり時間はかからない」
「はぁ、凄いですね」
「別に俺が凄いわけじゃないからな」
一言付け加えておかないと、またぞろ賢者がどうとか言い出しかねない。
レムリアと共にリビングに戻り、そのまま風呂場に向かいスイッチオン。
再びレムリアの隣りに腰を下ろす。異世界少女はきょとんとした表情を浮かべている。
さして時を置くことなく風呂が沸いたことを示す電子音が鳴り響いた。
「い、今のは精霊ですか?」
驚いてキョロキョロとせわしなくあたりを見回すレムリアに苦笑い。
「この家には魔法とか精霊とかないから」
「そ、そうなんですか……」
何事にもおっかなびっくりなレムリアを見ていると、やはり彼女は異世界の人間だということを思い知らされる。
「風呂場の使い方を説明するから、ちょっと来てくれ」
「はい」
秋人の家の湯舟はあまり広くはない。座ると足が伸ばしきれないくらい。
こんなことになるなら湯舟はもう少し大きい方が良かったと思う秋人であった。
トコトコと後を付いてきたレムリアに風呂の使い方を説明する。
シャワー、シャンプー、石鹸などなど。
ひとつひとつにレムリアは驚き、何度も頷いている。
「大体こんなところ。先に入ってくれていいぞ」
「ありがとうございます!」
風呂の話をしたあたりから、心持ちレムリアがうきうきしている。
食事の時よりもうれしそうな当たり『やはり女の子だな』と奇妙に感心してしまった。
彼女を置いて脱衣所の扉を閉め、ひと息つく秋人。
――なんか、見落としてる気がするんだが……
ずっと頭の片隅に何かが引っ掛かっている、もどかしい感覚。
それがいったい何なのか、その正体を考えようとした秋人の耳に、衣擦れの音が飛び込んでくる。
――おお……
たった1枚のドアを隔てた向こうで、あの白髪の美少女が服を脱いでいる。
そのシチュエーションに胸が熱くなる。他のところも熱くなった。
「とりあえず、ここにいたらダメだな」
秋人は独り言ちてリビングに戻り、つけっぱなしのテレビを見やる。
液晶の中では最近流行っているらしい芸能人たちが何かやっていて笑いの声が上がっていたが、秋人はまるで集中できなかった。
何度もずり落ちる眼鏡をしきりに中指で元の位置に戻す。
かと思うと意味もなく立ち上がり、そのままリビングで円を描くように歩き回る。
耳をすませば――水の音。
湯船からお湯を掬い上げ、何かに掛ける音。
シャワーで何かを流す音。
微かに漏れ聞こえる上機嫌な鼻歌。
兄がいたころには日常的に聞こえていたそれらの音が、今はひどく落ち着かない。
知らず知らずのうちに唾を飲み込む。秋人の喉はもうカラカラだ。変な汗が出た。
ガラッとドアを開ける音にビクッと身体が震える。
――レムリア、風呂から上がったのか……
『早いな』というのが秋人の感想だった。
秋人の母にせよ妹にせよ、女性というものはもっと風呂に時間をかけるものだと思っていた。
続けて一糸まとわぬ少女の姿を想像してしまい、慌てて頭を振って妄想をかき消す。
と――さらにもう1枚の扉が開かれた。
――え?
慌てて風呂場の方に目をやると、そこにはさっきまで妄想していたレムリアがいた。
胸元から腰のあたりを隠してはいるものの、バスタオル一枚で隠せる範囲には限界がある。
特に大きく盛り上がった胸元と、そこに刻まれた深い谷間に目が釘付けになる。
暖められた白い肌はほのかに色づいていて、そしてリビングの明かりのもとに晒されていて。
水を含んだ髪から垂れる水滴が肌に落ちて、柔らかな曲線に沿って流れ落ちる様はイレクトな色気を感じさせる。
「え……その……」
視線を下ろすと、すらりと伸びた長い脚。
天井にぶら下がっていたときに触れた感触が思い出される。
「アキト様」
「ど、どうしたレムリア。何かあったか?」
「あの……その……ですね……」
「あ、ああ」
レムリアは頬を赤らめ――それは湯に浸かって暖まったのとは異なる熱。
――な、何か言ってくれ!?
バスタオル1枚の半裸の美少女。
それは、思春期真っただ中の秋人にとってすさまじい威力を発揮する精神兵器。
このままでは正気を失ってしまいかねないと危惧した秋人は、慌てて先を促した。
「……着替えが……」
レムリアの消え入りそうな声。
「あっ」
――それだ!
秋人は答えに至った。
レムリアが――というか女の人が……否、男でも――風呂に入ったならば、着替えが必要だ。
特に下着は、一度脱いだものを再び身につけるなんてのは勘弁したいところ。
よくよく考えてみれば当たり前のその答えに、今の今まで到達できなかったことが悔やまれる。
足の生えた天井を見たあの時から、やはり秋人は冷静ではいられなかったのだろう。
「ちょっと買ってくるから、もう少し風呂に入っててくれ」
「は、はい!」
慌てて風呂場に引っ込むレムリア。チラリと見えた背中が(略
その姿を目で追いつつ、秋人は財布を掴んで家を出た。
――着替えってコンビニにあるのか?
女ものの下着なんて買ったことがない。
コンビニエンスストアの万能性を信じて、秋人は夜闇の中を駆けていった。
……ちなみに、女性の下着を自分が購入するというシチュエーションには想像が追いつかなかった。