第2話 姫巫女さんと晩ご飯
くぅ~~~
何やら可愛らしい音が聞こえてきた。
静まり返るリビング。窓の外からカラスの鳴き声が聞こえてくる。
秋人は、次に言うべき言葉を見つけることができなかった。
いたたまれなくなって音の発信源に目を向けると――
「違います」
――まだ何も言っていない。
「違うんです」
レムリアの声は震えていた。
――だから何も言ってないって。
さらに沈黙。
重苦しい空気に包まれる二人。
秋人の頬を汗が流れる。ずり落ちた眼鏡の位置を直す。
落ち着かない。実に落ち着かない雰囲気であった。
くぅ~~~~~
先ほどより大きな音だった。
発信源を辿ると――目の前にいる白髪紫眼の少女。
頬を真っ赤に染めて、アメジストの瞳に大粒の涙を湛えていて――
「……せて」
無理やり絞り出したような、か細い声だった。
「え?」
「もう……死なせてください」
羞恥心が限界突破したらしいレムリアはガバッと床に倒れ込んだ。
なんか土下座してるように見えてくるんだが、異世界にも土下座はあるのだろうか?
秋人は異世界の姫巫女の惨状を見て、思わず現実逃避してしまった。
「儀式を失敗した挙句に、殿方の前でこんなはしたない真似を……代々の姫巫女様に合わせる顔がありません」
――お腹が鳴ったくらいで大げさだな……
姫巫女がどうとか異世界の常識はわからないが、単純に女子的にマズいことなのだろうか?
秋人の知る『女性』は母親と妹以外にはほとんどいない。
秋人の母親はあまりそういうことを気にする質ではないが、妹は烈火のごとく怒りそうだ。理不尽に。
兎にも角にも統一された基準が見当たらない。女性心理という奴は秋人にとって永遠の謎の一つである。
――まあ、お袋は女に含まないか。
ヒックヒックと肩を揺らしている――多分泣いてる――レムリアの姿は真に迫っている。
人並み以上の羞恥心――日本人のそれと大差ない――を持つ女性のようだということは理解できた。
とりあえず、パンツ丸出しで宙づりになっていたことは黙っておこうと秋人は誓った。
泣きやまないレムリアを一瞥して、秋人はゴホンとひとつ咳払い。そして――
「あ~、腹減ったな~」
みっともないほどの棒読みであった。秋人は演技が下手なのだ。仕方がない。自覚はある。
しかし窮地に陥っていた(っぽい)レムリアは、『チラ、チラ』とこちらに視線を送ってくる。
涙に濡れたアメジストの瞳に見つめられると、大根役者の秋人としては落ち着かない。
――我慢我慢……
「とりあえず、何か腹に入れないとな~倒れそうだ~~」
「……そうですね」
ぐすっぐすっと鼻を鳴らしながら上半身を持ち上げるレムリア。
サラサラとした白髪が流れるように揺れている。
それは何とも庇護欲を掻き立てられる姿だった。原因となった部分に目をつむりさえすれば。
「すぐ用意するから、ちょっと待っててくれるか?」
「……ご迷惑をおかけします」
消え入りそうな声を背に、秋人は台所に向かう。
異世界からの来訪者などというトンデモ案件に巻き込まれはしたが、何はともあれ腹が減っては戦はできぬ。
秋人は、めんどくさそうな話は後回しにすることに決定した。
★
「さて、どうするかな……」
何はともあれ、ちょっと早めの晩飯である。キッチンに立って沈思黙考。
お腹を空かした姫巫女さんがいるおかげで、あまり時間はかけられない。
こういう時は、手っ取り早いレトルト食品がありがたいわけだが……
「レムリアさん」
「……何ですか?」
「何か食べられないものってある?」
『姫巫女』という役職の詳細はイマイチつかめてはいない秋人だったが、どうやら宗教関係者であるらしいということは推察できる。
と言うことは、教義の関係で食べられないものがあるかもしれない。
イスラム教徒に豚、ヒンズー教徒に牛。異世界ならば尚更である。
そして、聞いてから『あれ、これ意味ないのでは?』と内心でセルフ突っ込み。
彼女のいる世界とこの世界、同じ食べ物があるわけない。
――でも、レムリアって日本語話してるよな?
ひょっとして日本語は異世界の共通語だったりするのだろうか?
レムリアが日本語を話していないのであれば、自分が異世界語を理解する能力を突然手に入れたのだろうか?
秋人の脳裏に深遠な疑問がよぎった。
「……ピーマンが、その……」
恥ずかしそうに答えるレムリア。
――あるのか、ピーマン。
秋人は密かに衝撃を受けていた。
ピーマンは世界を超越する。おかしな真理にたどり着いてしまった。
「了解。ピーマンね」
「あ、あとレバーも……」
「はいはい」
「それと、トマトも……」
「好き嫌い多いな」
思わず口を付いて出てしまった。
「面目ありません。お婆様にも好き嫌いをなくすよう言われていたのですが……」
「……」
お婆様、ちゃんと叱ってやって。
会ったこともないお婆様とやらに心の中で文句を言う秋人。
「で、でもトマトソースは大丈夫です!」
「あ、はい」
食文化は日本と大体同じでいいのかな。秋人は細かいことを考えるのを止めた。
冷凍庫からピラフを出して皿に空け、レンジへ放り込む。
冷蔵庫からコーンスープを出してマグカップに注ぎ、ピラフと入れ替えでレンジへ投入。
あとは麦茶を用意して――
「できたよ」
「え、もうですか?」
お腹を抱えて俯いていたレムリアは、驚いたように顔をあげる。
何と言うか……すごく必死だった。鬼気迫るものがある。
「はいコレ、熱いから気を付けて」
「……ありがとうございます」
地球人の秋人と異世界人のレムリア。
生まれた世界の異なる二人が、テーブルに向かい合う。
目の前にはホカホカと湯気を立てる地球の食事。余計な言葉はいらない。
「いただきます」
「天にまします我らの神よ。今日この時の糧を……」
両手を組んで神に祈りをささげる少女の姿は、姫巫女という自称に恥じない敬虔さ。
その神々しさすら感じられる美貌に目を奪われそうになる秋人。
しかし――
ぐう~~~
――いろいろと台無しだな。
秋人は正気に返った。
耳まで真っ赤に染めたレムリアが、秋人の方にチラチラと視線を向けてくる。
「?」
腹の音が恥ずかしいというのは今更だろうに。
秋人はわずかに首を傾げつつ、スプーンでピラフを掬って口に放り込む。
ややもっちりとした舌ざわり。味付けは――普通。
まあ、冷凍ピラフなんてマズく作る方が難しい。
秋人がピラフを食べる姿を見て、レムリアも恐る恐る自分のピラフを口につける。
と――
「熱っ」
びっくりしてスプーンを取り落としそうになっている。ドジっ子か。
「すまん、猫舌だったのか?」
「い、いえ……思ったより熱かったのでびっくりしてしまって……」
時間をかけることなく用意されたおかげで、冷たい食べ物と思い込んでいた模様。
――いや、湯気立ってるだろう……
呆れかけて考え直す。
目の前に座る白髪の少女は異世界人。
それも、おそらく突発的なトラブルでやってきたわけで、気を張っているのだ。
色々と疎かになっていても不思議ではない……ということにしておく。
「はふはふ……美味しいです」
嬉しそうに冷凍ピラフを頬張る姿は、地球人のそれとあまり変わりないように見えるけれど、上品なふるまいとは裏腹に食べるペースは意外と早い。
よほど腹が減っていたようだ。
微笑ましい心持ちで眺めていたら、レムリアは突然胸を叩き始めた。
どうやら喉を詰まらせたらしい。やはりドジっ子だ。
「ほら、これ飲んで」
麦茶を勧めると、レムリアがコップを手に取って、
こくこくと喉を鳴らして麦茶を飲んでいく。
口からあふれた水滴が、かすかに揺れる喉を伝って胸元に落ちていく。
大きな胸が、慌てるレムリアの挙動に応じて上下に揺れる。
――下着をつけていないのだろうか?
ガン見するのはよくないと思いつつ、秋人は視線を外せない。
思春期の男子だから仕方がない。DNAに刻まれた男のサガという奴だった。
「ふぅ」
落ち着いたらしく、レムリアの小さな唇から吐息が漏れた。
そんな艶めかしい姿を目の当たりにしてしまい――
――いかんいかん、これは目の毒だ。
レムリアに気付かれる前に視線を落とし、ピラフを平らげることに専念する。
ふと、秋人は妙な視線を感じた。
顔をあげると、じっと秋人を見つめるレムリアと視線が絡み合う。
じろじろとレムリアを見つめていたのがバレてしまったかとビビる秋人。
「……どうかしたか?」
「こんなに早く、熱いものと冷たいものを用意できるなんて……もしやアキト様は魔法使いなのでは?」
「違うから。普通だから」
「……そうですか」
残念そうに呟いて、マグカップのコーンスープに口を付けるレムリア。
「美味しい……本当に美味しいです」
柔らかく微笑む白髪の姫巫女。
整った容姿にそんな表情を乗せられて、対面に座る秋人の心臓がドキンと跳ねる。
今まで異性に抱いたことのない感情が、その胸の奥で鼓動を始めた。
★
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
二人分の食器を台所に運び、洗剤と水で洗って流し台に立てかけておく。
ソファと腰を下ろしているレムリアの様子は、先ほどまでと比べてずいぶん落ち着いて見える。
――やはり飯にして正解だったな。
何をするにしても、空腹と言うのはとにかくよくない。
物事をネガティブに考えてしまう。
厄介な悩み事を抱えているのなら、なおさらである。
秋人は自身の慧眼に満足した。
――明日はちゃんとした料理にしよう。
美味しそうにピラフを頬張っていたレムリアの姿を思い出して、秋人はそう誓った。
そしてそこで気が付かされる。
――あれ……レムリアって今日はここで泊まる……のか?
ほとんど見ず知らずの女子(しかも飛び切りの美少女)との突然のお泊り会。
その現実を目の当たりにして、秋人は再び天を仰いだ。