第19話 高校2年生の始まり
電車を降りて徒歩15分。
約2週間ぶりに歩く、いつもと変わり映えのないはずの通学路は、しかし、いつもと全く異なる様相を呈していて。
どこかしら煩わしげな感情が見え隠れする集団のそこかしこに、輝くようなエネルギーを放っている人影がチラホラと。
新年度、新学期の1日目。義務教育であった中学校を飛び出して県立青陵学園にやってきた新入生たちである。
新生活への憧れを、いまだ体に慣れていない制服に包み込んだ彼らの姿は、何と言うか……とても目に眩しい。
「若いな……」
口を付いて出た言葉に秋人は苦笑を浮かべた。
秋人は今日から高校2年生。年齢は彼らとたったひとつしか違わない。
日本全体で見れば、秋人も十分すぎるくらいに若い。まだ尻に殻をつけたひよこのようなもの。
それでも、たった1年でも高校に通い続けた身としては、新入生たちが発するエネルギッシュな波動にあてられてしまう。
「何言ってんだ、お前?」
制服の背中を大きな手のひらで叩かれる。
振り向いてみれば、そこには見慣れた顔。
「……和也か。おはよう」
「うっす……うっす?」
しっかりと鍛え上げられた大柄な身体を持つサッカー部期待のホープは、その端正な顔立ちに奇妙な表情を浮かべている。
「……どうした、変なものでも食ったか?」
「それは俺の台詞なんだが?」
「何?」
秋人は、和也の言葉の意味が理解できなかった。
その意図を問うべく友人に声を掛けようと――
「真尋さん、オッスオッス」
「……何だ、名村か」
すぐ傍に居た小さな人影。真尋だ。
短く切りそろえられた髪から白いうなじが覗いている。
いつもは神秘的な輝きを湛えている黒い瞳が、あからさまに『ウザい』と語っている。
目が口以上に物を言いすぎている。少しが隠せばいいのにと秋人としては思わざるを得ない。
和也は器が大きいな、と感じ入る流れである。それはさておき――
「おはよう。佐倉」
「おはよう、有里……ん?」
真尋もまた、秋人の顔を見て首をかしげている。
和也に『ウザい』と言い放っていた瞳に浮かんでいるのは……困惑だろうか?
「どうかしたか、佐倉?」
「な、真尋さんもおかしいと思うだろ?」
秋人の疑問を食い気味に言葉を放った和也の方はスルーして、
「有里……何かいいことあった?」
「そう、それ! 秋人の顔、なんか蒸したての肉まんみたいにホカホカしてるよな?」
「……名村の表現力はともかくとして、春休みが終わったって言うのに随分と機嫌がいいのね」
「……そうか?」
「そうよ」
「そうか……」
頬に手を当ててみる。『いいこと』には心当たりがある。
可愛らしいレムリアに起こされて、おいしい朝食を作ってもらって、『行ってらっしゃい』と見送ってもらった。
煩わしい時計のアラームに起こされて、適当な食事を自分で作って、無言で家を出ていた以前とはわけが違う。
今の秋人にとって、何気ないひとつひとつの日常、その全てが『いいこと』だった。
「春休みの間に彼女でもできたの?」
「ゴホッ」
突然の真尋の指摘に、秋人は思わず咳き込んでしまった。
これはあからさまに怪しい。怪しまれる。
「え、マジ? 秋人、お前いつの間に……」
「な、バカなことを言うな。そんなはずないだろ」
咄嗟に否定してしまった。
ウソではない。レムリアはあくまで同居人であって彼女ではない。
「大体何を根拠にそんなことを……」
吸い込まれそうな黒い瞳に興味の光を湛えている真尋に問えば、
「高校生男子の興味なんて、女か進路ぐらいしかなくない?」
「……極端すぎる。それ、佐倉の偏見だろ」
「ちなみに女子の興味は男と進路ぐらいしかない」
「……主語が大きすぎる。それ、佐倉の偏見だろ」
「え、真尋さんが男子に興味があるなんて初耳」
「名村に興味があるとは言っていない」
「知ってた!」
「で、ほんとのところはどうなわけ、有里?」
距離を詰めて覗き込んでくる真尋。
その強い圧から視線を逸らしつつ、秋人が頭の中で思い浮かべたのは――白髪の姫巫女の笑顔。
「……そんなんじゃない。新学期の初日ぐらい浮かれててもいいだろう?」
「むしろテンション下がりますわ~」
「残念なことに、名村に同意せざるを得ない」
「真尋さん……今の一言、本当に必要だった?」
「ええ、必須よ」
「そっすか……」
わざとらしく肩をすくめる和也を横目に、とりあえず真尋が追及の手を収めてくれてホッとする秋人だった。
★
新年度初日の1大イベント、それはクラス分け。
昨年1年間苦楽を共にした級友との別れ。
そして、これから1年間苦楽を共にする級友との出会い。
人それぞれ、一喜一憂の瞬間であった。
ドキドキする心を抑えながら、見事に咲き誇る桜並木の間を進んでいく。
「今年も3人一緒だといいな」
「名村、それフラグ」
真尋の言葉に頷かざるを得ない。
「え、いや、まさかそんな……」
新クラスの編成が張り出されている掲示板の前には盛大な人だかりができていて。
あの中を突破するのはメンドクサイなと思いつつ、ゆっくり待って遅刻しては笑えないと気を引き締める。
秋人と和也で真尋の左右をガードしつつ人混みをかき分けて最前列に到着。
そして――
「さて、結果はどうなりましたかと言うと……」
一番左――2年A組から順番に見ていこうとした秋人は、早速自分の名前を発見。A組だった。『あ行』の苗字のおかげで面白くとも何ともなかった。
そのまま視線を滑らせていくと、
「あ」
「ふむ」
「フラグ立ったと思ったのに」
秋人だけでなく、和也も真尋もA組。
「また1年よろしくな」
「ああ……いや~自分でフラグ立てといてアレだけど、冷や汗かいたわ」
「チッ」
「真尋さん、そんな照れ隠ししなくてもよくない?」
「チッ」
「……いや、マジで凹むからやめて」
「冗談よ。それよりあんたに朗報」
「ん?」
「姫島さんもA組」
姫島都。学園のアイドルにして和也の想い人である彼女もまたA組だった。
「え、マジ? 女子の方見てなかった! サンキュー真尋さん、マジ女神!」
「別に私が決めたわけじゃないんだけど」
真尋のうんざりしたような呟きを耳にしつつ、今年もいい年だといいなと思わずにはいられない秋人だった。
★
新1年生と異なり、2年生にとって新学期の初日は日常の延長に過ぎない。
ごく普通に教室に集まり、教師の訪れに合わせて指定された席に座る。
ホームルーム。担任教師の口から放たれる言葉は夏休みや冬休み明けのそれと大差ない。
ただ、『進路』や『将来』と言った不穏な単語が、やけに耳についた。
そして――
「それじゃ、自己紹介をお願いね」
新年度のお約束。それが自己紹介。
日々のホームルームと大きく異なる特徴。
順番は担任が勝手に五十音順と決めた。
つまり秋人の番はすぐに回ってくる……などと考えているうちに回ってきた。
席を立って教室の中央あたりを見やる。一番多くの生徒を視界に収めるためだ。
四方八方から集中する低い角度の視線を感じる。大きく息を吸って、吐く。
「『有里 秋人』です。文芸部所属。1年間よろしくお願いします」
しばしの硬直の末に……頭を下げて着席。
秋人は別に口下手と言うわけではないのだが、『自己紹介』で特に語りたいことがなかった。
どういうことを説明すればよいのか、このイベントが発生するたびに首をひねらざるを得ない。
「『名村 和也』。サッカー部だ。よろしく」
和也も大したことは喋っていない。
「『佐倉 真尋』。文芸部。部員募集中」
真尋は自己紹介を華麗に省略し、サラリと部員の勧誘を差し込んできた。
そっけない口ぶりだが、彼女は学園トップクラスの有名人。
真尋の顔と名前を知らない人間は恐らく青陵にはいない。
否、真尋の名前はあまねく日本全国に轟いている。
あらゆる試験や模試で満点を取り続け、首位から一度も陥落したことのない絶対女王。
それが『佐倉 真尋』と言う少女だった。余計な語りは必要ないのである。
学業成績を売りにする進学校とは言うもののローカル校に過ぎなかった青陵の名を、全国クラスに押し上げた原動力。
ゆえに真尋の無茶を止められる人間はいない。たった二人で部室棟の一角を占拠したり、授業をサボって行方をくらましたり。
協調性はなく、友人も少なく、そして奇行に事欠かない変人ではあっても、見て見ぬ振りをするのが通例となっている。
『教師も大変だな』とは、真尋の数少ない友人であり1年間教室と部活を共にした秋人の偽らざる感想である。
真尋本人も『わかるわ』とか言っているあたり、本当に手に負えない。
「『姫島 都』です。生徒会に所属しています。今年もみなさんが学校生活を心地よく過ごしていけるよう頑張ります」
都が頭を下げるとロングストレートの黒髪がサラリと流れ、教室のそこかしこから歓声や口笛が鳴り響いた。
眉目秀麗、才色兼備、容姿端麗、文武両道。更に親がどこぞの大企業の社長と言う血統書付きのお嬢様。
讃える言葉は数多く、男女を問わず熱心なファンも数知れず。
2年A組の人間の大半は、都と同じクラスに編成された奇跡に感謝している。
――頑張れよ、和也。ライバル多いぞ。
ぐるりと教室を見回した秋人は、心の中で親友に語り掛けた。
なお、自己紹介の直後に学級委員に選ばれたのは『大倉 泉』という女子だった。
軽く色の抜けた明るい茶色の髪を肩で切りそろえた、可愛らしい笑顔が印象的な少女。
担任の直接指名による決定に、特に文句を言う様子もない。慣れているのかもしれない。
名声や知名度で選ぶのなら真尋か都が順当なところだが、前者は制御不能の変人――もとい粋人、後者は生徒会所属ゆえに候補にすら挙がらなかった模様。
「これから1学期の間、よろしくお願いします」
ぴょこんと下げられた頭に向けて、
――大変だろうけど、頑張ってくれ。
などと秋人は無責任な声援を送っていたのだが、
「じゃあ副委員長は有里君にお願いします」
泉からの指名に秋人の全身が硬直した。
否を唱えることはできる。できるが……相手は教師の指名を粛々と受けた泉である。
断ってしまえば、初日からクラスの大半を敵に回しかねない。想像するだけで控えめに言って地獄だった。
――ま、まあ1学期の間くらいなら……
「……わかりました」
心の中のネガ感情がにじみ出ないよう、慎重に言葉を紡いだ。