第17話 これからよろしく、姫巫女さん
誰もいないはずの家に明かりがついている。
閑散としているはずのリビングに人影がある。
薄暗い廊下から仲の様子を窺っていた秋人は、目の前に広がる光景を見て言葉を失った。
斜めに差し込んでくる夕日が透ける白い髪。
神秘的な輝きを宿す紫紺の瞳。整った顔立ちと柔らかい微笑み。
落ち着いた感じのストライプのシャツと、機能性を重視したジーンズ。
この世のものとは思えない美貌と、ごくありふれた衣服の組み合わせはどこか非現実的で。
でもその姿は秋人が長らく待ち望んでいた――
「おかえりなさい、アキトさん」
「ただいま、レムリア」
『ただいま』『おかえりなさい』
その何気ない言葉のやり取りが、秋人の心にわだかまっていた靄を吹き飛ばす。
胸の内から熱い想いが沸き上がり、目頭が熱くなる。
言葉の出ない秋人を不思議そうに見つめるレムリアは、軽く首をかしげている。
「今日は早かったんですね」
「ああ、今日は終業式だったからな」
学校は午前中で終わっていたが、まっすぐ帰る気にはならなかった。
ひとりぼっちの家は、寂しいから。
そんな内心をおくびにも出さず、秋人は言葉を紡ぐ。
しかし、その声はほんの微かに震えていて。
レムリアは気づいているのかいないのか判然としないものの、無粋なことは口にしない。
「その……親父とお袋は?」
「お父様は、私がここに住む手続きがひととおり完了したとおっしゃっていました」
「へぇ」
異世界人の受け入れなんて言われると、相当厄介な案件に聞こえるが、たった一週間で片がつくのか。
大人というのは凄いらしい。いまだ子どもに過ぎない秋人の想像を軽く超えている。
十年以上共に暮らしてきて、それなりに理解していると思っていたはずの冬樹が、まだまだ自分の及ぶところでないと感嘆させられる。
「……お袋は?」
「お母様は……その……とりあえず合格は頂きました」
「そ、そうか……」
答えるレムリアの顔は微妙に引きつっている。
あまりこの話題に触れるのはよくない。秋人は直感した。
一体春奈は彼女に何をしたのだろう?
レムリアのトラウマを刺激しないよう、母にこっそり聞いておいた方が良いかもしれない。
「あ、あと妹さんにもお世話になりました!」
『可愛らしい方ですね』とほほ笑むレムリア。
納得しがたい部分ではあったが、とりあえず頷いておく。
レムリアが有里家の面々に受け入れられたという事実の方が重要だから。
「まあいい。それでレムリアは一体何を?」
尋ねる秋人に胸を張るレムリア。
豊かに実った二つの膨らみがででんと揺れる。
無防備にもほどがある。秋人は頭を抱えた。
二人で暮らすことを認められたということは、裏返せば両親は自分に自制を促しているともとれる。
――こういうの、どうやって注意すればいいんだろう?
「アキトさん、今日は私が晩ご飯を作ります!」
いやな予感しかしない。
秋人はその本音を飲み下した。
せっかくの厚意を無下にするのはよくいない。
代わりに口にしたのは――
「アキト『さん?』」
「あ……」
秋人の指摘にレムリアは頬を赤く染める。
「あの……その……いけませんでしたか?」
そんな可愛らしい仕草で許可を求められて、ダメと言える秋人ではない。
「いや、問題ない。様付けの方が落ち着かなかったからな」
「そうですか……そうですよね」
よかった。
小声でそう呟いたレムリアの声は、秋人の耳にも届いていた。
★
「それで何を作るんだ?」
「今日の晩ご飯は――ハンバーグです!」
自信満々に宣言するレムリア。
――そうか、ハンバーグか……相変わらず肉好きだな。
思えば、秋人が初めて少女にふるまったまともな献立がハンバーグだった。
ハンバーグ、ハンバーガー、ミートボールの挽き肉コンボ。
あれからまだそれほど日にちは過ぎていないのだが、レムリア的にはその辺りは問題にならないらしい。
――まあ、レパートリーはこれから増やしていけばいいか。
いくら春奈ができる母親だとしても、たったの一週間で料理経験ゼロ(推定)の異世界少女に主婦のアレコレを全部叩き込むのは無理だろう。
このまま放っておくと、毎日肉料理ばかり出てくるような気がしなくもない。
その辺りも含めて、今後の課題ということで秋人は適当に結論付けた。
やる気マックスのレムリアに、わざわざ水を差すことはない。
ただ、彼女の腕前については気になる。そういうわけで折衷案として――
「折角だから手伝うよ」
「いえ、いいえ! アキトさんは休んでいてください」
これは有里家の台所を預かる私の仕事です。
レムリアは秋人の想像を上回る頑固さを見せる。
これには秋人も困惑せざるを得ない。
「いや、しかしだな……」
「アキトさん!」
頬を膨らませて紫の瞳で秋人を睨み付けるレムリア。
「ああ、それじゃ頼む」
「お任せください!」
一抹の不安を残しながらも、とりあえず秋人は自室に戻り荷物を置く。
ベッドに腰を下ろし天井を見つめている間も口元が緩むのを止められない。
――レムリアが帰ってきた。
その実感は、ここ数日の色褪せた生活を一変させた。
しばしその喜びに浸ってから学生服を脱ぎ、楽な部屋着に着替えてリビングに戻ると――
「ひ、ひぐ……うあ……」
キッチンでレムリアが喘いでいる。
アメジストの瞳から大粒の涙がこぼれて、白い頬を伝って流れ落ちていく。
時間にしてほんの数分。彼女の身にいったい何が起こったのか。秋人は動揺を抑えることができない。
レムリアが泣いているところを見たくなかったからだ。
「レムリア、どうした!?」
「あ、アキトさん……その……」
驚いてキッチンに踏み込んだアキトが目にしたものは――
「この……玉ねぎが、玉ねぎが……」
想像以上にどうでもいい理由だった。
ある意味お約束ともいえる。思いっきり脱力した。
「……玉ねぎは俺が切るから」
「うう、面目次第もございません……」
レムリアから包丁を受け取り、玉ねぎをみじん切りにする秋人。
その隣ではようやく復活したレムリアが、冷蔵庫からひき肉を取り出して準備している。
不意に秋人は妙な感慨に襲われた。
自分の隣りで、同年代の美少女が料理をしている。
その実感が何とも秋人の心を落ち着かせない。
「んしょ……んしょ……」
レムリアの動きに合わせて、白い髪がサラサラと揺れる。
決して接触しているわけではないものの、秋人は彼女の体温を腕に感じているような錯覚を覚える。
まだ肌寒い季節だというのに、やたらと暑い。身体から汗が噴き出てくる。
レムリアの存在を意識しすぎて集中を欠いた秋人は――
「痛っ」
左手に痛みが走る。見ると指先に血がにじんでいる。
ほんの少しだけとはいえ、包丁で切ってしまったようだ。
「アキトさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、問題ない」
傷口を水で洗いつつ、さて絆創膏は残っていただろうかと思案する秋人。
その秋人の左手を取るレムリア。
「レムリア?」
「お任せください」
そう軽く微笑んだ少女は、その小さな口から祈りの言葉を紡ぎ出す。
「『大いなる力よ、生命を司る力よ、この者の傷を癒し奉らん』」
レムリアの詠唱と共にその手がぼんやりと輝き、秋人の傷が暖かさに包まれる。
時間にしてほんの数秒、その光が治まると――できたばかりの小さな傷は、どこにも残っていなかった。
「おお」
秋人は思わず感嘆の声をあげる。
レムリアの魔法を見るのは二度目。
一回目は家族会議の際に彼女が異世界人であることを証立てるために水を出した魔法。
そして今回は傷を治す治癒魔法。姫巫女の面目躍如といったところか。
「ありがとう。こりゃ薬いらずだな」
「どういたしまして。でも、あまり大きな怪我は治せませんよ」
ふんわりとほほ笑んで注意を促してくるレムリア。
なるほど、そういえば前に『この世界ではあまり強力な魔法は使えない』というようなことを口にしていた。
治癒魔法は確かにすごい力ではあるが、これに頼るような事態はできるだけ避けよう。
――つまり、今までと同じってことだろ。
浮き上がった気持ちを抑え冷静に務める秋人。
別に魔法目当てでレムリアと共同生活を送るわけではない。まったく問題はなかった。
そんな秋人を見て、
「それに……この力はあまり公にしない方がいいとお父様もおっしゃっておられました」
「……それもそうだな」
現代の人間が持ちうる技術ではありえない力。
もしそんなものが公表されてしまったら、一体どんなことになるか。
レムリアが異世界の人間であるという事実より、さらに大きな問題を呼び寄せそうだ。
その未来を仮定し、秋人はゴクリと唾を飲み込んだ。
「と言うわけで、何も誇るもののないこの身ではありますが、これからよろしくお願いいたします」
「ああ、こちらこそよろしく」
互いに頭を下げて改めて挨拶。
頭を上げると二人の視線が絡み合う。
「ふふっ、なんだかおかしいですね」
「さ、まずは晩ご飯を作っちまおう」
「はい!」
異世界の姫巫女は、両の拳をぎゅっと握り……
「あ」
その手に掴んでいたひき肉が潰れ、押し出されるように落下。
幸いすぐに気づいた秋人が、床に落っこちる寸前にこれをキャッチ。二人の夕食は守られた。
秋人が視線を上げると、そこにはアメジストの瞳をウルウルさせるレムリアの顔があって――
「あの、あのあの……っ!」
「どんまい、レムリア」
「……はい」
耳まで顔を真っ赤に染めたレムリアは、所在なさげに頷いた。
何はともあれ、二人の新しい生活が幕をあげる。
――ちなみにハンバーグは美味しくできました。
これにて第1章終了となります。
『気が向いたときにサクッと更新する異世界少女との同居ラブコメ』として書き始めたものですが、
日常モードに入るまでずいぶん時間がかかってしまいました(まだ入ってません)。
ここからはネタを思いついたら不定期更新という形になります。ご了承願います。




