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第16話 姫巫女さんのいない日常


 両親がやってきた翌日である月曜の朝は、特にこれと言ったイベントもないごく普通の朝だった。

 早めに目を覚まして朝食の準備。

 トースト、ハムエッグ、野菜ジュース。

 有里家の朝の定番、変わり映えしないメニュー。

 同じものを食べ続けても飽きないのは、秋人の長所でも短所でもある。


「お~いレムリア、朝だぞ!」


 寝ぼけ眼で二人分用意。

 出来上がったところで、同居人を呼びに行く。

 ここ数日の喧騒を思えば、不自然なまでに静かだった。

 怪訝に思いつつドアを開けると――そこはもぬけの殻。


「そっか、いないんだっけ」


 昨日のうちに秋人の両親とともに家を出たのだ。

 秋人自身もレムリアを見送っていたのに、そのことをすっかり忘れてしまっていた。

 異世界からやってきた白髪の少女は、今頃は彼らとともに朝食とテーブルを囲んでいるだろう。


「そうだよな……」


 ちゃんと起きられたか?

 本人が聞いたら顔を真っ赤にして怒り出しそうな、そんな失礼なことを考える秋人だった。



 ★



 いつもの朝食、いつもの通学路。

 とっくの昔に見飽きた感のある風景を気に留めることもなく登校。

 ただ――なんとなく気が重い。窓の外をぼんやり見つめつつ溜め息。


「有里、テンション低すぎない?」


「あ~」


 視線だけを横に向けると、隣の席に真尋がいた。

 自分から声をかけてきたくせに、秋人の方を向こうともしない。

 友人の漆黒の瞳は、ずっと文庫本に落とされたまま。


「……そうか?」


「自覚ないの?」


「佐倉がそう言うのなら、そうなんだろうな……」


「有里、ほんとに大丈夫?」


 ようやく秋人の方に向けられた真尋の顔は、何だか変なものを見るような表情を浮かべていた。

 一年近い付き合いではあるものの、真尋のそんな顔を見るのは初めてのような気がする。


「朝から溜め息とかやめなさいよ。こっちまで下がるじゃない」


「……お前がそんなタマか」


 秋人の知る限り、佐倉真尋という人物はとことんまでにマイペースを突き詰めた粋人であった。

 よくよく目を凝らせばレムリアに勝るとも劣らないほどに整った顔は、しかし滅多に感情を表すことがない。

 常に冷静沈着で、周囲の影響を受けることもない。不自然なほどに自然という矛盾の体現者。

 ありふれた女子高生として同年代の人間の群れに紛れ込んでいながら、常に孤高を保っている。

 小さな星々がまばらに輝く夜空、そこ浮かぶ白い月。秋人にとっての真尋は概ねそういうイメージだった。


「なんかずいぶん失礼なこと考えてない?」


「気のせいだろ」


「あっそ」


 それきり話を打ち切って、また文庫本に向かう。

 秋人の方もそれ以上追及することなく、焦点の定まらない瞳を窓の外に向ける。

 桜の開花する前の校庭は、どこか寂しい印象を与えてくる。

 あとひと月ほどたてば、色鮮やかな花が満開になるだろう。

 そのときは――


「辛いんなら休めばいいじゃない」


「え?」


 耳に届いた真尋の声。

 ぶっきらぼうな言い草に反し、声色からは気遣いを感じる。

 驚いて彼女の方を見やるも、そこにいるのはいつもの真尋。

 余計な口を差し挟む余地もないほどの鉄壁の城塞。

 しばらくその姿を見つめてみたものの、どこにも変化は見当たらない。


「おっす秋人」


「……和也か」


 叩かれた肩を押さえて声の方に目を向けると、そこには大柄な男子の姿。

 名村和也。秋人の数少ない友人の一人。

 秋人とも真尋とも異なり、和也は基本的に陽性の人間である。

 頭を悩ませていた試験が終わったせいか、朝からテンションが高い。

 顔つきも、いつもより三割増しで輝いている。これがナチュラルイケメン。


「佐倉もおっす」


「おはよう、名村」


 相変わらず振り向きもせず、それでも挨拶だけは返す。

 秋人と和也は、真尋が挨拶する数少ない人間である。

 その他はほとんど彼女の視界には入っていないらしい。男女問わず。

『それでいいのか?』と尋ねたことがあったけれど、麻痺とは意味深な笑みを浮かべるだけだった……気がする。


「どうした秋人、変なものでも食ったか?」


「お前まで……別に何もない」


「そうか?」


「そうだ」


「ふ~ん」


 微かに鼻につく和也の体臭。

 部活の朝練に顔を出してきたのだろう。

 先週末にそんなことを言っていたと秋人は思い出した。


――ずいぶん昔の話みたいだな……


 単純計算でまだ三日しかたっていない。

 にもかかわらず、週末の会話がはるか以前に交わしたように記憶の彼方に追いやられていた。

 時間の流れが一定ではないと言ったのは誰だったか、どうでもいいような疑問が秋人の脳裏をかすめる。


「お前ほんとに大丈夫か?」


 ぼんやりしていたところに、これまた心配そうな和也の声。

 大雑把なようでいて、細かいところに気が回る和也らしい。

 友人のこういう長所は、上手く参考にしたいと思わされる。

 しかし口を付いて出たのは――


「大丈夫だって」


 それは……差し障りのない拒絶の言葉。


 

 ★



 期末試験が返却され始めたことを除けば、これと言って特筆することのない一日だった。

 後ろの席に座っている和也が悲鳴を上げ、真尋が煩わしげに睨み付ける。

 秋人の成績は――まあそこそこ上位。隣に座っている真尋は全教科満点。平常運転だった。

 和也が赤点をギリギリで回避するところまで、何度となく繰り返された、いつもどおりの光景。


 春休みを目前に控えた授業は何となく身の入らないもので、教室の空気もどこか浮ついていた。

 昼休みに和也と共にパンをかじっていると、廊下を歩いていた都の姿を目に留めた和也が果敢にアタックに向かう。

 ひとり取り残された秋人の視線は、やはり朝と同じように校庭に向けられている。

 窓ガラスに映っていた真尋――頬杖をついていた彼女の眼だけが、そっと秋人の背中を追っていた。

 当然、秋人は全く気付いていなかった。


 

 ★



 授業を終えて家路につく秋人。やはり覇気を感じさせない姿。

 帰宅途中に夕食の献立を決め、最寄り駅近くのスーパーで足りないものを購入。

 いつもどおりの生活パターンである。

 ひとり暮らしを始めて以来、秋人は自分の食べたいものを基準に夕食の献立を決めている。

 兄と二人でマンションに住んでいた頃は、基本的に兄と交代で家事を行っていた。

 兄は料理が全くできない人間だったので、食事の用意は秋人の仕事だった。

 そのころに比べれば手間は増えた半面、余計なことを考えなくてよくなったおかげで気楽だった。

 でも――


――美味しそうに食べてたなあ……


 ほんの数日だけ共に過ごした、新しい同居人。

 異世界からやってきた(自称)姫巫女レムリア。

 秋人が用意した食事を口に運ぶたびに、花が綻んだ様な微笑みを浮かべていた少女。

 あれだけ喜んでくれるのであれば、秋人にしても作る甲斐があるというもの。

 レムリアは、秋人に料理を作る楽しさを思い出させてくれた。

 そんな彼女は――今はいない。その事実が堪える。


 家に帰っても出迎えてくれる者は誰もいない。

 一緒に夕食のテーブルを囲む者もいない。

 秋人の作ったご飯を嬉しそうに頬張る者もいない。


 つい先日まで当たり前だったはずの日常が急に色褪せてしまったような感覚。

 家に着いてドアを開けても室内は暗く、人の気配はない。

 食事の準備をする気にもなれず、秋人は荷物を置いてソファに腰を下ろす。

 まだ一日、たった一日。にもかかわらず、心も身体もやけに疲労を訴えてくる。

 胸の奥から吐き出した溜め息が、やけに重い。


「はあ……俺ってこんなに弱かったっけ……」


 秋人の呟きに答える者はいなかった。



 ★



 思い悩む秋人の都合などお構いなく時は流れていく。

 期末考査は全て返却され、三年生は卒業し、ほどなくして終業式を迎えた。

 何も変わらないごくごく平凡な日常。深い沼に沈んでいくような倦怠。鈍麻する感情。

 戸惑いを覚えていた秋人は、しかし過ぎゆく日々に追われていくうちに、


――あれは夢だったんじゃないか?


 異世界の少女との邂逅。そして共同生活。

 エキセントリックで心踊る暮らしは、またたく間に現実味を失っていく。

 高校一年生最後の日を恙なく終え、部活に向かう真尋や和也と別れて家に向かう。

 ふわふわした足取り、心ここになしと言った風体。

 ここ数日の秋人はずっとこんな感じであった。

 真尋をして『事故に遭ったりしないように』と釘を刺されるほどの塩梅で。

 余計な気を回した和也が『いい女紹介しようか?』などと持ち掛けてきて真尋に睨まれていた。


 どうにかこうにかマンションにたどり着き、ポケットから出した鍵を鍵穴に差し込んで回す。


――ん?


 違和感。

 手ごたえがおかしい。重みがない。

 鍵をかけ忘れたのだろうか?

 秋人は朝の記憶を思い出そうとしたが、どうにも靄がかかっている。


「マズいぞ……」


 ひょっとしたら泥棒にでも入られているのではないか。

 ぼんやりしていた秋人は、背筋に氷柱を突っ込まれたかのようにビクンと跳ねた。

 いくら最近気が抜けていたからと言って、こんな有様でひとり暮らしなんて危なっかしい。

 両手で頬を張って気合を入れなおした秋人は、口中に溜まった唾液を飲み込んで慎重にドアノブを回す。

 管理人に通報することも考えなくはなかったが、実行に移す気にはなれなかった。


 ドアノブを握る手が何の抵抗もなく回る。やはり、と言うべきか鍵はかかっていない。

 ゆっくりと開かれたドアのうちに身体を滑り込ませ、室内の様子を窺う。

 おかしい。ドアノブの時とは比べ物にならない違和感。冷汗が頬を伝う。


――リビングに明かりがついている。


 出かける前に消したかどうかは――思い出せない。

 でも、これは『誰かいる』と考えた方がよさそうだ。

 足音を立てないようにそろりそろりと接近する秋人。

 向こう側からは見えにくい角度を取りつつ、薄暗い廊下からリビングの中を覗き込み――そして――

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