第15話 有里家緊急家族会議 その3
秋人とレムリアの二人暮らしが有里家の両親に認められた。
最大の難関と思われていた問題をクリアして喜ぶ二人。
そんな息子と異世界の少女に穏やかな視線を送っていた冬樹は――
「しばらくの間、レムリアを預かる」
などと口にしたではないか。
唐突に繰り出された父の言葉に秋人は呆然とし、反駁する。
「なんで?」
「何でもかんでもあるか、このバカ息子が」
対する冬樹の表情は真剣そのもの。
とても冗談を言っているようには見えない。
いきなり前言を翻すとは一体どういう了見なのか。
不機嫌を隠そうともしない息子に諭すよう冬樹は口を開く。
「そうだな……例えばレムリアさんが病気になったとしたら、お前はどうするつもりだ?」
「どうって、そりゃ病院に……」
軽微な症状であれば自宅療養。
重篤なようであれば病院にかかる。
一般的な日本人なら大体そんな感じだろう。
秋人はあまり深く考えることなくそう答えた。
だが――
「保険証はどうする?」
「あ……」
指摘されて秋人も合点がいった。
普段ほとんど意識していなかったが、保険証のおかげで病院の受診料が大幅に軽減されているのだ。
もし保険証がなければ、まともに医者にかかるだけでも一苦労。それが現代の日本。
あまりに常識的――あるいは基本的過ぎて、そこまで考えが及んでいなかった。
隣では事情を飲み込めていないレムリアが首をかしげている。
「保険証だけじゃない。他にも必要な手続きは多い」
戸籍、住民票、保険証その他もろもろ。
冬樹は指折り数えて列挙し、春奈もこれに同調するように頷く。
こういう話は、やはり大人の方が詳しい。人生経験の差が露骨に出た形である。
現代日本は世界でも類を見ないほどに暮らしやすい国かも知れない。
だが、異世界からやってきたレムリアという少女は、現在のところ、この国にその存在を認められていない。
存在を認められていない人間に対して、日本の制度は決してやさしくはない。
秋人は当たり前に日本国の恩恵を受けすぎていて、その事実にまるで思い至らなかった。
「でも、それってどうすればいいんだ?」
もしレムリアがただの外国人であれば、どうということもないだろう。
外国で生まれて日本で暮らす人間は、それほど珍しいものではない。
詳しく知悉しているわけではないにしても、何らかの手続きを執れば解決する問題だと思われる。
しかし――秋人の隣りにいる白髪の少女は異世界人である。
レムリアを日本に住まわせる手続きなんて、秋人には想像もつかない。
おそらく前代未聞――相当な困難が予想される。
「私の知り合いに、その手の仕事ができる奴がいる」
動揺する秋人を安心させるよう、冬樹は穏やかに語りかける。
その姿はひとりの父親として尊敬に値すると思える反面、台詞の内容はまったくもって穏やかではない。
むしろ、かなりあからさまにおかしなことを口走っている父が不安になってくる。
これまで秋人の中では常識人にカテゴライズされていた冬樹が、いきなり不審人物に見えてくる。
……ある意味親子関係の危機と言ってもいい。
「それって、その……大丈夫なのか?」
何と言えばいいのか、凄く非合法な匂いがする。
秋人にとって父は真面目な人間だった。堅物と称してもいい。
親子でよく似ているといわれるのは置いておくとして。
そんな父がこんな突拍子もないことを口にしているという事実が信じがたい。
「大丈夫だ。私を信じろ」
「はあ……」
そう言われれば信じるしかない秋人である。父親だけあって無駄に説得力がある。
せっかくレムリアとの同居を許可されたというのに、あまり突っ込んで両親の不興を買うわけにもいかない。
我ながらみみっちいと自覚してはいるが、そういう打算もある。
まぁ、子供にはわからないアレコレが存在するのだろう。秋人は強引に自分を納得させた。
「それに……レムリアさん」
手続きの話はこれで終わりと言わんばかりに口を挟んできたのは秋人の母、春奈。
「は、はい」
ビクッと身体を震わせ春奈に向き直るレムリア。声が上擦ってしまっている。
春奈は、そんな彼女の方に身を乗り出して尋ねる。
「えっと……神殿だったかしら? 確か、ずっとそこで暮らしてたとか」
「はい……」
その件については、昨夜の電話で自己紹介済みであった。
昨日の段階ではともかく、今となっては春奈もレムリアを疑ってはいまい。
この上いったい何を尋ねられるのか、異世界の姫巫女は戦々恐々としている。
「秋人に恩を返すといっていたけど、具体的にどうするつもりかしら?」
「それは……」
レムリアは口ごもる。
物心ついたころから鍛錬を重ねてきた魔法は、残念ながらこの世界ではほとんど役に立たない。
神殿で教わってきた知識も経験も、勝手の異なる地球ではどれほど活用できるか疑問であった。
つまり――今のレムリアは殆ど無能に近い。レムリア自身そう認めざるを得ない。
『ここに留まって秋人の役に立ちたい』などと大見得きってはみたものの、いったい自分に何ができるのか。
春奈の言葉はレムリアの胸中を的確に抉った。
「この子も一人暮らしを始めて弛んでるみたいだし、親としてはやっぱり不安なの」
だから、家事のできる人間が傍にいてくれると助かる。
春奈はそう続けた。
世事に疎いレムリアでも、彼女の言わんとするところは察することはできたが――
「そうでしょうか?」
あえてレムリアは疑問を呈する。
彼女の目から見る限りでは、秋人の生活に不出来な部分は存在しない。
少なくとも自活能力ゼロのレムリア自身よりは遥かにマシだ。
しかし春奈の視点では、息子の生活ぶりはあまり褒めれれたものではないらしい。
異世界の姫巫女は現代日本に生きる主婦の要求するレベルの高さに慄く。
春奈が少女に期待しているのは息子の生活水準の維持……というよりも向上のようだ。それはレムリアにもわかる。
とは言うものに、レムリアは産まれてこの方ずっと神殿暮らしで世情に疎く、祭事を除いたほとんどのことを下々の者に任せていた身である。
秋人が母親のお眼鏡にかなわないのであれば、なおさら自分なんて話にならないのではないか。
恩返しがしたいと言いつつも、自分に自信が持てないレムリアは言葉を濁さざるを得ない。
「あの……お母さま?」
様子を窺うように見上げるレムリア。
その姿はさながら小動物じみた愛らしさがある。生半な人間であれば、彼女に詰め寄ることを躊躇してしまうこと請け合いである。
これを素でやってのけるあたり、レムリアの人たらしの資質は相当なものがあるといっても言いだろう。それが良いか悪いかは別として。
そんな異世界産天然小悪魔姫巫女にに対し、
「と言うわけで、手続きが終わるまでの間にひととおりの家事ができるよう特訓ね」
海千山千の主婦である春奈には全く通用しなかった。
その様は少女に師を想起させた。厳しい人だった。
目の前の女性は、かつての師に勝るとも劣らない威厳を漂わせている。
「……お手柔らかにお願いします」
有無を言わせない春奈の口調に、おずおずと答えるレムリア。
賽は投げられてしまった。できるできないではない。やるしかない。
恩人である秋人に『できる女』であるところを見せておきたい。
ずっと秋人におんぶ抱っこではいられない。異世界の姫巫女にも見栄があるのだ。
そんな自分の感情に驚きながらも、レムリアはこれを前向きに受け入れた。
「まかせなさいって」
ドンと胸を叩く春奈。
普段のちゃらんぽらんな部分を見ていない少女には、その姿は実に頼もしく映った。
ついでに春奈の口から『本当は娘が欲しかったのよね』などと本音が零れた。
いったい何と答えればよいのやら、これにはレムリアも苦笑を顔に張り付けるしかない。
こんなのは家族のジョークだとわかっているから咎めるつもりはないが、息子である秋人としては面白くない。
「お袋……」
「いいじゃない、別に!」
こんな可愛い子なら大歓迎よ。
先ほどまでの渋い態度を一変させ、春奈は白髪の少女を抱き寄せた。
春奈は可愛いものが大好きで、幼いころは妹がしばしば抱き枕代わりにされていた。
――そう言えば、妹は大丈夫だろうか?
両親のもとで暮らす妹を想う。
中学二年生の妹は、突然同居することになったレムリアを受け入れてくれるだろうか。
小学校を卒業したあたりから、自分や両親に対して殊更冷たい態度をとることが増えた妹。
秋人にとって近くて遠い人間となってしまった妹とレムリアの関係については、両親に期待するしかないと腹をくくる。
一方、突然の抱擁に目を白黒させるレムリアである。
これほどに自分に馴れ馴れしく接近してくる人間はレムリアにとって未知の存在であった。
驚きはしたが――悪い気はしない。
春奈からは悪意の類を感じないし、抱かれるその胸は暖かかった。
そんな妻と息子を見てまあまあと仲裁する冬樹。
――結果としては、丸く収まったかな。
レムリアの存在がバレたときにはどうなるかとヒヤヒヤしていた秋人だったが、
両親は息子の想像を超えて柔軟な思考と大きな器を持っていた。そのことが素直に嬉しい。
新たな家族を迎え歓談は穏やかに進み、そして――
「アキト様、私、頑張りますから!」
両の手を胸の前でぐっと握りしめて力説するレムリアを見送る。
冬樹と春奈はすでに外に出ている。あまり待たせるわけにもいかない。
よって、秋人はただ一言、
「ああ、待ってる」
両親と共に行くレムリアとの一時の別れ。
さほど時間はかからないという父の言葉を疑うわけではないが、秋人の胸の中にはモヤモヤした感情がわだかまっていた。
その感情の正体に気が付くまでには、いましばらくの時間を必要とするのであった。
見上げた空は朱に暮れて、どこか気の抜けるカラスの鳴き声が遠くから聞こえてきた。




