第13話 有里家緊急家族会議 その1
「アキト様、私……大丈夫でしょうか?」
「ああ、問題ない。それより落ち着け」
「でも……」
秋人の母親である春奈から電話がかかってきた翌日は日曜日だった。
秋人とレムリアは、電話で指定されたとおりに自宅で待機。
判決を待つ受刑者のような沈痛な面持ちで椅子に座っている二人。
時計は――午後一時を回ろうとしている。
昨晩は夜遅くまで、いかにして春奈を説得するか話し合った。
そのせいで今朝は二人とも目が覚めるのが遅くなってしまったわけだが。
レムリアは朝起きるなり風呂場に飛び込み、念入りに沐浴した。
全身を泡立てた石鹸で丁寧に磨き上げ、何度も頭から水を被った。
春とはいえまだ三月。日によっては肌寒い気候である。
普通に風呂の入ればいいだろうと言う秋人に対し、レムリアは水浴びに拘った。
異世界の巫女的に『身を清める』という観点からは冷水は譲れない一線だったらしい。
脱衣所から出てきたレムリアは、昨日購入したばかりの服を身につけていた。
『こんなことなら、もっと見栄えのするものを……』とぼやいていたが、家主の母親の強襲など想像していなかったのだから仕方がない。
異世界からやってくるときに着ていた正装(レムリア談)は洗っていないため、これを着ることは泣く泣く断念した。
すっかり冷えてしまった身体を震わせるレムリアに暖かいお茶を勧めた秋人は、念のため部屋の中を丹念に見まわした。
母親は別に部屋のチェックにやってくるわけではないが、彼女の機嫌を損なう可能性がある要因は排除しておくに限る。
電話口の春奈は『昼頃につく』としか言っていなかった。
正確な時間は指定されおらず、逆に考えれば、いつ姿を現してもおかしくない。
緊張のあまり蒼白になってしまったレムリアを元気づけようと秋人が声を掛けようとしたところで――来客を知らせるチャイムが室内に鳴り響いた。
「来た!」
リビングに待機しているようレムリアに言い聞かせ、秋人は玄関に向かう。
身体は強張り、おかしな汗が背中を伝う。
たかが母親に会うだけなのに、生まれてこの方体験したこともないようなプレッシャーに襲われている。
狭まる視界、揺らぐ足。怯む心に発破をかける秋人。
大きく息を吸って、吐く。そして鍵を開けてゆっくりとノブを回す。
のぞき窓から外を窺うのを忘れていた、と気付いたときには遅かった。やはり焦っているのだ。
「なっ!?」
開かれたドアの向こうに立っていたのは、一組の男女。
その二人は秋人にとって見慣れた……
「お袋だけじゃなく、親父まで……」
「久しぶりだな、秋人」
「話はたっぷり聞かせてもらうから」
母親だけでなく日頃忙しいはずの父親までやってきてしまった。
予想外の人物の登場に、秋人は身体をこわばらせた。
★
「は、初めまして。私は『レムリア=フィル=エルガーナ』と申しましゅ」
秋人の両親の姿を認めたレムリアは、丁寧かつ完璧な角度で頭を下げつつ名乗り――そして、噛んだ。
たちまち耳まで真っ赤にし、眦に涙を浮かべるレムリアをなだめる秋人。放っておくと泣きそうだ。否、もう泣いている。
そんな二人の様子を見て、久方ぶりに息子の部屋を訪れた秋人の両親は、たいそう驚かされていた。
昨日の電話の段階で、いつの間にか秋人が女性と同居していることまでは聞き取ってはいたものの、白髪紫眼の美少女――地球人ではありえない容姿――は完全に予想外だった模様。
一応レムリアは自分が地球とは異なる世界からやってきたことは説明していたのだが、秋人の両親はこれを信じていなかった。
「これはご丁寧に。私は秋人の父、有里 冬樹と言います」
「有里 春奈です」
父に続いて母も名乗って頭を下げる。
レムリアが噛んだことは二人ともスルーしてくれた。
冬樹は秋人とよく似た風貌の壮年だ。よく言われるし父子ともども自覚している。
隣のレムリアが秋人と冬樹を何度も見比べているのも、きっとそういうことだろう。
髪は短くしており、息子と同じデザインの眼鏡がシャープな印象を与える。
春奈の方は若干柔らかい印象を与える顔つきで、兄と妹は母親にと言われることが多い。
そんな母親だが……今はどんな顔をしていいのかわからないようだ。
「ま、まあ座ってくれ。お茶の用意をするから」
三人に座るよう勧めてから、キッチンに向かう秋人。
程なくして湯気が立ったお茶を四人分用意してテーブルに向かう。
全員に湯飲みを回し、秋人もまた腰を下ろす。
しばらくの間、誰も口を開かない。
重苦しい静寂の中、時計が時を刻む音だけがリビングに響く。
「秋人、説明しなさい」
このままでは埒が明かぬと判断したか、冬樹は低い声で息子を促した。
その声にはネガティブな感情は含まれておらず、秋人は胸をなでおろす。
「あ、ああ」
秋人も、ここは自分が説明するべきだとわかっている。
ただ、どう切り出したらいいのか迷っていたのだが、そういう場合でもないらしい。
『どこから話したものか……』と首をひねり、木曜日の夕方あたりの話から語り始めた。
家に帰ってきたら、天井から足がぶら下がっていたこと。
なにかの冗談かと思いつつ足を触っていたら、レムリアが落っこちてきたこと。
レムリアは異世界で『勇者召喚』の儀式を執り行なった結果、これを失敗し秋人の家にやってきたこと。
今のところ、彼女が元の世界に帰る方法は見つかっていないこと。
この世界ではほかに行くあてのないレムリアを住まわせることにしたこと。
『勇者召喚』のあたりについては、秋人自身よくわかっていなかったのでレムリアが補足する。
春奈は質の悪い冗談を聞かされているような胡散臭げな表情を浮かべていたが、冬樹の方は二人の話に理解を示した。
秋人にしてみれば、母親のような反応が普通であり、父親の反応は正直なところ意外だった。
「……とまあ、今のところはそんな感じだ」
ひととおりの説明を終えた秋人は、ずり落ちた眼鏡の位置を人差し指で直した。
冬樹は大きく息を吐き出し、
「概ね事情はわかった」
「あなた!?」
妄想じみた与太話を息子から聞かされた割に落ち着いている父。
信じられないようなものを見る目の母。彼女の視線は夫と息子、双方に注がれている。
「ねえ、あなた。その……秋人を悪く言うつもりはないのだけれど、こんな話を本当に信じるの?」
春奈の声は震えていた。
できれば否定してほしい。そう全身で訴えている。
しかし――
「昨日お前から話を聞かされたときは半信半疑だったが……レムリアさんの姿を見た以上、信じないわけにはいかんだろう」
「でも……」
母親は何度も頭を振って言い募った。
確かにレムリアの容姿は日本人離れしている。
でも、その白い髪はカツラかも知れない。あるいは染めているのかもしれない。
アメジストの瞳だって、カラーコンタクトの類かも知れない。
レムリアの身体的特徴をひとつひとつあげて反論する妻に対し、
「お前だって本気でそんなことを考えているわけではあるまい」
長年共に連れ添ってきた夫は、そう答えた。
春奈は、冬樹の言葉に沈黙。
何度も深呼吸を繰り返し、首を縦に振った。
「そりゃわかるわ。髪だって瞳だって本物だってことくらい」
日本人どころか地球人ではありえないその姿を見れば、息子たちの言葉に嘘がないことなんて一目瞭然。
写真を見せられただけなら、パソコンでレタッチしたものかもしれないという疑問は残る。
しかし――目の前、それも手が触れるほど間近にいる少女を見間違えることなんてない。
どれだけ非現実的な光景であっても受け入れざるを得ない。彼女だってわかっているのだ。
ただ、わかりたくないだけで……
「あの……」
おずおずとレムリアが口を開く。
秋人はギョッとした風に彼女に視線を送る。
昨日打ち合わせを行ったときには、ここでレムリアが口を挟むのは予定されていなかったことだったから。
いったい何を言い出すつもりか、秋人は拳を握って身構える。
「どうしたのかね?」
「アキト様から、この世界には魔法がないと覗っています。ですから……」
私がこの世界の人間ではない証拠をお見せします。
そう告げたレムリアは、空っぽになった湯飲みに手をかざし――
「『大いなる世界のひとかけら。大いなる恵みを与えるもの。我が声を聞きとどけ、ここに顕現せよ!』」
異世界少女の手のひらがぱあっと輝き、少し遅れてチョロチョロと水が湯飲みに注がれる。
「む……」
「レムリア、地球でも魔法が使えるのか?」
二人で暮らし始めてからあまり時間は経っていないが、秋人は今までレムリアが魔法を使っている姿を見たことがなかった。
――微妙だな。
緊迫した状況なので口には出さなかったものの、秋人は内心がっかりしていた。
現代日本に住む若者にとって、魔法とは憧れである。ロマンである。
その魔法が、蛇口をひねった方がマシという、コメントしづらい現実を見せつけられて悲しい。
「はい。でも、この世界には魔力がないのでこの程度ですが……」
恐縮した風体で身をすくませるレムリア。
注がれた水を注意深く眺める冬樹。湯呑を持ち上げて匂いを嗅ぎ、指をつけて味を確かめる。
注目する一同に、
「……普通の水だな」
これまた反応に困る言葉を吐き、有里家の面々はガクッと肩を落とした。
『失礼』と断りを入れてレムリアの手を取り、まじまじと見つめる。
レムリアはビクッと身体を震わせたが、特に拒絶することはなかった。
「……手品ではないようだな」
「はぁ……わかったわよ。信じる。信じます」
春奈も、事ここに至ってようやくレムリアが異なる世界からやってきたことを認めた。
――ようやく、第一関門突破か。
少しだけ安堵した秋人とレムリアだった。




