第12話 後ろ暗いことは何もしてい(親にバレた)
「もしもし、秋人?」
二人での初めての外出から戻った土曜日の夕刻、レムリアの葛藤を経て和やかな食事時に電話の着信音が鳴り響く。
スマホから聞こえてきたのは――秋人にとって耳に慣れた母、『有里 春奈』の声。
有里母子は、慣例として月に数回は電話でやり取りをしている。最後に秋人が春奈と顔を合わせたのは――正月だったか。
たった二か月前のことが、ずいぶん昔に感じられる。
「……何か用か?」
言葉を放つ前に、一瞬の沈黙。
いつものとおりであれば、特にどうということのない会話の切り出しのはずだった。
しかし、秋人の目の前には咄嗟の指示で口を閉じたレムリアがいる。
きょとんとした紫色の瞳と秋人の黒い瞳、その視線が絡み合う。
異世界からやってきた少女は何が起きているのか理解していない。その暢気な姿を恨めしいとさえ思う。
「あら、用がないと電話しちゃダメなんて誰が決めたのかしら?」
リビングに降りた緊張感は――さすがに電波越しに母に伝わるわけがない。
電話から放たれる母の声は、いつもと同じ語り口であった。
ただし、秋人にとってはその変わらない声色が逆に怖い。
「こっちはいろいろ忙しいんだ。何もないなら切るぞ」
別に悪いことをしているわけではない。疚しいことなんてない。秋人は胸を張ってそう言える。
そう思ってはいても、ひとつ屋根の下に同年代の少女が暮らしているという事実は、今この瞬間に秋人に多大なプレッシャーを与えてくる。
余計なことを口走るのはマズい。ゆえに早々に話を打ち切ろうとして――
「ちょっと待ちなさいって」
そんな秋人の事情を知らない春奈は、性急に過ぎる息子の様子に声に呆れを滲ませる。
「……何?」
「何って、あんたね……」
そこから始まるとりとめのない親子の会話。
『調子はどう?』から秋人の健康の話となり、家を出た兄の話となり、高校一年生最後の定期考査の話へと移り変わる。
そのいずれにも用心しつつも(信じる限りには)秋人は適切に答えを返した。
――大丈夫、何も問題はない。
ゴクリと唾をのみつつ、声に出さず心の中で呟くものの、ミートボールを頬張ってリスのような顔をしているレムリアを見て吹き出しそうになる。
秋人、この突然のアクシデントを――耐えた。
「それで、家の話なんだけど」
「家?」
唐突に切り替わった話の流れに、秋人は怪訝な表情を浮かべる。
「そう、家」
「……引っ越すのか?」
秋人の両親は共働きで、秋人が住むマンションからかなり離れた場所に一戸建ての家を建てて住んでいる。
両親ともに地元の会社に勤めているはずだが、どこか遠くに転勤することにでもなったのだろうか?
妹は今年の四月で中学三年生になる。今このタイミングでの引っ越しはあまり望ましくないように思える。
そう訝しむ秋人だったが――
「あんたがね」
「……ああ」
眉をひそめていた秋人は、続く母の言葉でようやく得心が行った。
秋人が住んでいるマンションは、元々兄と共に二人で暮らしていた部屋である。
その兄はこの春、就職を機に家を出てしまった。大学の卒業式すら待たずに。
よってこの家には、今は秋人ひとりで住んでいる……ことになっている。
部屋は広い方がいいとは言うものの、当然その分だけ家賃がかさむ。家賃を払っているのは秋人ではなく両親である。
そのため、三月中にひとり暮らし用の別の部屋へ移ることになっていたのだ。
レムリアの件で頭がいっぱいになっていた秋人は、すっかりそのことを忘れていた。
そして、現状ひとり部屋への引っ越しは非常に都合が悪い。
よって――
「母さん、その話なんだけど……このままここに居たらダメか?」
「え? なんで?」
兄が家を出ることが決まった時点で、秋人も部屋を移ることには同意していた。
それがここへ来て突然の方向転換である。春奈が疑問に思うのも無理はない。
「いや……その、何というか……」
当然のものである母の問いに、とっさに答えを返すことができない。
レムリアが神妙な面持ちで秋人の様子を見守る中、どうすればこの難題を突破できるのか必至で頭を巡らす秋人。
ほんの数秒だったはずの時間が、どんどん引き延ばされているような錯覚を覚える。
「秋人?」
春奈の声にハッと我に返る。
まだ考えはまとまっていなかったが、沈黙は状況を好転させない。
秋人は思いつくままに声を絞り出す。
「そう……ようやくここの暮らしに慣れてきたから動きたくないんだ」
「あんた、何言ってるの?」
再び母に問われて、『それはそうだなあ』と納得させられそうになる秋人。
別に学校を移るわけではないのだ。近くに引っ越すだけなら生活スタイルはほとんど変わらない。
「だから、引っ越したくないって」
結局理由を抜きにして願望だけ口にする羽目になってしまった。
子供の駄々と変わらない。こんなもので母を説得することなどできない。
秋人の生活資金を用意立てている母を口説き落とすには、もっと理詰めで行くべきなのだ。
わかっていても、できるかどうかはまた別問題だが。
「秋人」
母の声のトーンが変わった。
平坦で、冷気すら感じられるほどに。
これはマズい。秋人の本能が警鐘を鳴らす。
想定外の方向に飛び火させてしまったらしい。
「……何?」
「何か隠してるわね?」
スマホから聞こえる母の声に、秋人は背筋を震わせた。
母の言葉には何の根拠もない。
これは、ただのカマかけに過ぎない。
そう頭では理解していても、家族として長く人生を共にした秋人は母を恐れた。
「いや、何も隠してないって」
「嘘ね。絶対隠し事してる」
断言する母の言葉が強い。
もはや確信しているとしか思えないほどに。
なぜそこまで自信を持てるのか、息子としてはさっぱりわからない。
女の勘とかそう言うレベルですらない。母親としての本能だろうか。理不尽極まりない。
「素直に吐けば恩赦があるかもしれないわよ」
「だから何もない……って!」
なおも言い募る秋人だったが、目の前の光景に思わずおかしな声が出た。
今この時まで言いつけどおり沈黙を守っていたレムリアが、大きな胸を大きく反らしている。
それだけならまだいい。
白い髪の少女は――あの顔は――鼻をムズムズさせていて――つまり……これは……
「あ――」
『くちゅ』
レムリアの小さな口から漏れた、可愛らしいくしゃみ。
決して大きくはなかったその声は、やけに大きくリビングに響いた。
部屋はひと際深い静寂に包まれる。それは携帯の向こうにいる母も同様で――
「……」
「秋人」
「……えっと……」
「そこに、誰か、いるの?」
一言一句、やけに丁寧に区切られる母の声。
先ほどまでとは比べ物にならない圧力が秋人を襲う。
今すぐスマホの電源をオフにしたい衝動にかられながらも、秋人は言葉を紡ぐ。
「いや、違う。さっきのはテレビで……」
『くちゅ』
くしゃみ二発目。レムリア涙目であった。秋人も涙目である。
「秋人」
「……すみません、嘘つきました」
「そこにいらっしゃる方に代わってもらえるかしら」
「いや、それはちょっと……」
学校の友人なら、たとえそれが女子であれ電話を代わることは吝かではない。
こんな時間に女子を連れ込んでいるというのはよくないかもしれないけれど。
しかし、今、秋人の前にいるのは、異世界からやってきた姫巫女である。
正直、物凄く嫌な予感がする。否、嫌な予感しかしない。
「秋人」
「……はい」
再三の追及に秋人は抗弁を諦め、オロオロしているレムリアにスマホを渡す。
「アキト様、これは?」
手渡された地球産の機械を注視しつつ小声で尋ねるレムリア。
状況はわからずとも、空気は読めているらしい。
「……なんて言えばいいのか……さっきの俺みたいにすると、母親と話ができる」
「はあ……」
半信半疑の様子でスマホを耳にあてたレムリアは――目をしばたかせ、そしてビクッと震えた。
続いてキョロキョロとあたりを見回す。話しかけてきた相手が近くにいないことを確認しているのだろうか。
あるいは、以前レムリアが口にしていた『精霊』とやらを探しているのかもしれない。
こんなことになるなら、あらかじめ携帯電話について説明しておけばよかった。後の祭りである。
「初めまして。私――」
電話越しに母に向かって自己紹介する異世界少女。
何ともコメントに困る光景を目の当たりにして、秋人は思わず腕を組んで唸った。
レムリアは顔を青ざめさせ、ペコペコと何回も頭を下げつつ秋人の母親と会話を続けている。
実に日本人っぽいムーヴである。その姿があまりにも様になっているのは、秋人にとってなかなか新鮮な驚きだった。
「はい……はい……それではアキト様に代わります」
「むっ」
差し出されたスマホを耳にあてる秋人。
「秋人」
「はい」
「家族会議」
明日来るから家に居るように。レムリアさんも。
それだけ告げて秋人の母親は通話を打ち切った。
無言の液晶を暫し眺めてから顔をあげると、アメジストの瞳に不安をにじませるレムリアと目が合った。
「どうしましょう?」
「……と言われてもな……」
二人で顔を見合わせ、揃って大きくため息をついた。
目の前にはすでに冷めてしまった夕飯の残り。
「とりあえず、飯を食うか」
「……そうですね」
腹が減っては戦はできぬ。世界を越えた真理である。
二人は黙々と食事を口に運ぶ。明日の戦いに備えて。




