第1話 姫巫女さんがやってきた!
いろいろ迷いましたが現代ラブコメになりました……なる予定です。よろしくお願いします。
高校一年生の三学期、期末考査を終えて帰宅した秋人を出迎えたのは足だった。
……と言っても『足だけが切断されて転がっていた』とかそういうスプラッタな意味ではない。
ほっそりとした白い足がリビングの天井から生えていた。ぶら~んと。
視線を上方に向ければ、そこには大穴が開いていた――ということはなかった。
足は天井を突き破っていたわけではなく、見慣れた木製の板張りに複雑な文様の光り輝く円――魔法陣らしきもの――が描かれている。
二本の足はその中心からぶら下がっていたのである。ごく一般的なはずのリビングは、もはや前衛的なアートの世界と化していた。
とりあえず秋人が頬をつねると痛みが走った。夢ではないらしいと認めざるを得ない。
――夢でないなら現実か。
衝撃的な映像の現場はここ有里家。
両親と妹が住む実家は遠く離れており、ここには秋人が兄とともに住んでいた。
その兄はすでに家を出ており、今は秋人がひとりで暮らしている。
家の鍵は秋人本人と両親が持っている。兄の鍵は秋人が預かったまま。
そして両親はこんな特殊過ぎるジョークをかます人間ではない。真面目な夫婦である……はず。
ドアには鍵がかかっていた。窓に目をやるとちゃんと戸締りはされている。外部からの侵入はない。
「いや、あるのか」
顎に手を当てた秋人は唸る。
『天井の上』というのも一応『外部』にあたる。
普通の手段では出入りできないだけで。ミステリだったら完全に反則だ。
――現実逃避は止めるとして、さて一体どうしたものか……
足がないなら幽霊だろうが、足しかないなら何と呼べばいいのだろう?
秋人はぶらぶらと揺れる足を眺めながら、そんなどうでもいいことを考えてしまう。
現実逃避を止められていなかった。
「実体はあるのか?」
一見したところ、足が透けている感じはない。
しかし、もしこの足が幽霊あるいは超常現象的な何かなら――きっと触れることはできないはず。
秋人はずり落ちていた眼鏡の位置を直しながら、独り言ちた。
「……試してみるか」
鞄をソファ置いて恐る恐る近づき、そっと足に手を添えてみると――すべすべで柔らかい。そして暖かい。
手のひらが吸い付くような瑞々しさ、ずっと撫でていたくなる心地よさに生唾を飲み込む。
それと同時に、これはマズいのではないかというある種の罪悪感が生まれる。
「女の足……か?」
程よい肉付きが絶妙な曲線を描いているその白い足は、女性のものと思われた。
秋人の記憶にある妹のそれよりも、ほっそりしていて長い。見ごたえがある。
「ふむふむ、これは中々……」
調子に乗ってきめ細かな肌に手を這わせていると、足が不規則に揺れ出した。
秋人の手から逃れようとする足を追いかけつつ天井を見上げてみると――両脚の付け根に白い布地が見えた。
……どうやら段々ずり落ちてきてるらしく、少しずつ布地の面積が大きくなっている。
「おお……あがっ!?」
自然と艶めかしい足の付け根を護る白い布地に意識が吸い寄せられ、足から目を離してしまった次の瞬間、顔面に強い衝撃を受ける。
突然の一撃に秋人は大きく後ろに仰け反った。眼鏡が吹き飛んで、視界がぼやける。
辛うじて踏みとどまることはできたが、どうやら蹴られたらしい。眼鏡に直撃しなかったのは不幸中の幸いと言ったところ。
床に落っこちた眼鏡を拾い上げて――
「きゃん」
可愛らしい声に大きな振動。
眼鏡をかけ直した秋人の目の前で尻もちをついていたのは――見たこともないような美しい少女だった。
★
「痛……」
お尻を擦っていた少女と目が合って、秋人は息を呑んだ。
腰まで届くストレートの白髪と、やはりシミひとつない真っ白な肌。
キラキラと輝くアメジストの瞳。
すーっと通った鼻梁に、薄く色づいた唇。顎に向かってシュッと細まる整った輪郭。
少女身につけているのは……ゲームや漫画に出てきそうな服。
魔法使いというよりは僧侶系? プリーストとか、そんな感じ。
首に掛けられたネックレスには大粒の宝石(見たこともない色合い)が下げられ、瞳に合わせた薄紫のワンピースを身に纏っている。
胸元は内側から大きく押し上げられ、精緻な装飾が施されたベルトが巻かれた腰は細い。
裾は短く動きやすそうではあるが、スリットが入っていて足の付け根まで見えてしまう。
これは……何と言えばいいのだろう? 日本では特定の場所(代表例:東京ビッ〇サイト)以外であまりお目にかからないタイプの衣装だった。
丁寧な縫製といい上品かつ見栄えのする飾りといい、かなり本格的な装いである。コスプレには見えない。
「えっと……大丈夫か?」
立ち直った秋人の口から最初に零れ出たのは、安否を気遣う言葉だった。
我ながら平凡だな、と内心で秋人は自嘲気味に笑う。
「え……あ、はい」
「それはよかった」
お尻を擦っていた少女――見たところ秋人と同い年ぐらいか――は、目をパチパチさせている。
秋人の問いに反射的に言葉を返しているものの、何が起きたのかは理解していない模様。
……もちろん秋人も理解していない。
「ところで、君は一体?」
そう尋ねると、白髪の少女はあわてて正座し、豊かに膨らんだ胸にその白い手を当てて、
「私は、レムリア=フィル=エルガーナ』と申します」
『エルガーナ神殿に仕える姫巫女です』と続けた。
その態度はあまりに堂々としていて、己の在り方に疑いを持っている様子はなかった。
法螺やジョークの類を口にしているようには見えない。
……心なしか、若干ドヤっているように見える。
「姫巫女?」
「はい」
自信満々に答えられて、かえって秋人は困ってしまう。
秋人の知る限り、この日本に『姫巫女』なんて職業は存在しない。多分地球上のどこを探してもない。
あるとすれば創作物の中ぐらいだろう。確信は持てないが。
ということは――
「……失礼ですが、お名前をお伺いしても?」
彼女の素性について思いを馳せていると、逆に少女の方から名前を尋ねられた。
内容の是非はともかくとして、彼女に名乗らせておいて自分は名乗らないというのは失礼にあたるだろう。
そう判断した秋人は、あまり深く考えずに名前を告げた。
「俺は『有里 秋人』という」
「アリサト様ですか」
「秋人の方が名前な」
「では、アキト様」
「ああ」
居住まいを正したレムリアは、真顔で――
「それで、これはいったいどういうことでしょう?」
「……それはこっちが聞きたいんだが?」
怪訝な声で尋ねた彼女に即答すると、レムリアと名乗った少女は秀麗な眉を微かにひそめる。
窓の外から降り注ぐ夕日が、その顔を朱く染めた。
★
レムリアにソファに座るよう勧め、秋人自身は椅子に腰を下ろした。
躊躇いがちにクッションの利いたソファに腰を下ろすレムリア。
その姿を眺めつつ秋人は思考に耽る。
正体不明の少女が突然家にやってきた。正確には落っこちてきた。どこから? わからない。
この状況、言われるまでもないことだが、秋人の意思によるものではない。
何しろ、秋人はたった今帰ってきたばっかりなのだから。
……と言うことは、何かやったのは多分レムリアの方。
その思考の流れはごく自然なもの。
「レムリアさんには心当たりはないのか?」
「……」
秋人が問いかけると、黙り込んでしまった。
まずいことを聞いてしまったのだろうか?
不安になった秋人は固唾をのんで少女の反応を待つ。
ややあって『これは他言無用にお願いいたします』と前置きしたレムリアは言葉を続ける。
「実は、その、つい先ほどまで我が神殿で儀式を行っておりまして……」
「儀式?」
「はい」
真剣な表情でレムリアは首を縦に振った。
「……どんな儀式か聞いてもいいか?」
「『勇者召喚』です」
「『勇者召喚』」
「はい」
異なる世界から勇者の資質を持つ者を呼び出そうとした。
そう語るレムリアは、やはりこの世界の人間ではなかった。
彼女はいわゆる異世界人であった(地球人視点)。
「『勇者』か……」
レムリアの口から出た言葉に驚きはなかった。
その姿を一目見たときから、きっと『レムリアは地球人ではないな』と当たりをつけていた秋人である。
あるいは、文芸部員として幾つかの物語に触れていたおかげかもしれない。
『勇者召喚』あるいは『異世界召喚』という奴は、昨今のネット小説でよく目にする単語である。
大抵は世界を救うために日本人が異世界に召喚されて、チートな能力を手に入れて俺ツエーしたりハーレムを築いたりする奴だ。
結構な確率で勇者を召喚した連中が実は悪者だったりする。
幸いと言うべきか、目の前の自称姫巫女さんからは邪なイメージは感じない。むしろ普通にハーレムインしそうな雰囲気である。
フィクションの中でしか聞いたことないような話に疑問を抱かなかったのは、初見のインパクトが強すぎたせいもある。
天井から生えた生足をいきなり見せられていたからこそ、『まあ、そういうこともあるかな』と納得できてしまったのだ。
どう考えても奇妙奇天烈、摩訶不思議な話なのだが、秋人の常識はこの時点でかなり麻痺してしまっていた。ちなみに本人は無自覚である。
「その……アキト様は勇者ではないのですか?」
恐る恐ると言った風にレムリアが尋ねてくる。
しかし――
「違うな。俺はただの学生だ」
「学者……では、もしかして『賢者』さま!?」
「いや、ただの一般人だから」
「そうですか……」
レムリアは肩を落としてしゅんとしてしまった。
別に悪いことをしたわけではないのに、秋人は何だか申し訳ない気持ちになってきた。
しかしウソついて変な期待を持たせるのも気が引ける。
「そもそも俺、召喚されてないぞ」
「ですよね……」
どちらかというとレムリアの方が召喚されたような?
チラリと様子を窺うと、当の本人は大きくため息をついている。
「……何かあったのか?」
こちらの問いに、レムリアは何やら言いにくそうに口ごもった。
膝のあたりで絡み合わせた手の指をモジモジさせながら、
「実はその……儀式を失敗したようで……」
「ほう、失敗」
のっけから不穏な空気が漂ってくる話だった。
レムリアは秋人と視線を合わせようとしない。
「さらに私、足を滑らせてしまいまして……」
どんくさいな。
喉元まで出かかった言葉を秋人は飲み込んだ。
たとえ真実であろうとも言っていいことと悪いことがある。
「魔法陣に落っこちてしまった、みたいな?」
そんな可愛い仕草で疑問形されても困る。
異世界からやってきた、なんて結構な大事だと秋人は考えていたのだが、レムリアの様子を見る限りでは大した問題ではないのかもしれない。
「それで……帰るあてはあるのか?」
そう推察した秋人の問いに、白髪の少女は無言で首を横に振る。
オイオイ……秋人は思わず天を仰いだ。大事じゃないか。
「どうしましょう?」
紫紺の瞳を潤ませるレムリア。
そんなこと言われてもなぁとぼやきが秋人の口から漏れる。
魔法とかそういう話は専門外過ぎてコメントしづらい。
秋人が腕組みして『さて、厄介事に巻き込まれたぞ』と嘆息したところで、
くぅ~~~
何やら可愛らしい音が聞こえてきた。
本日中に第2話も掲載します。