嘘つき少年と純粋少女
始まりは、最悪だった。
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俺は、学校が終わった帰りに中庭に立ち寄った。この高校は中庭のまわりに校舎がぐるっとある感じでそれがセンスいいと評判らしいけど、正直よくわからない。
珍しくそこには誰もいなかったから、俺は一番きれいそうなベンチに座った。
何かするわけでもなくぼーっとしていたら、視界の隅に紺色の物体が入ってきた。よく見てみたら、それは学校指定の鞄だった。地面に置かれている、というよりは落ちている感じ。
「誰のだろ……」
近づいて鞄を拾い上げ、気が付くと、俺はその鞄から財布を取り出していた。薄ピンクのかわいいデザインだから持ち主はきっと女子だろうな、これなくなってたら困るよな。そう思いながらも、俺は財布を戻すことができなかった。
「ちょっと、何してるんですか?!それ、私の……」
声をかけられて振り向くと、俺と同い年ぐらいの女子が立っていた。視線は、俺の持っている財布と俺との間をさまよっている。
「あの、これはえっと……」
やばい、何とか誤魔化さなきゃ。何か言わないと。
「君が好きなんだ!」
「え?」
その女子は、わけがわからないという表情になった。そりゃそうだ。言った本人の俺もわからないんだから。
「君がそこに鞄を落としたのを見て、つい君の持ち物が欲しくなって……。ごめん!」
俺は俯いて、地面をよたよた歩く蟻を見つめていた。
そしてしばらくの沈黙の後、彼女は口を開いた。
「…そうだったんですね。でも、人の物を勝手に取るのはよくないですよ」
「はい…って、え?」
俺は思わず顔を上げて彼女の顔を見た。
彼女は俺に向かって微笑み、遠慮がちに口を開いた。
「じゃあ、まずは友達になってみませんか?お互いのことを知るっていうことで」
本当にこの子は、俺の作り話を信じちゃったのか。今更『嘘でした』とは言えないよなあ。
「はい、よろしくです」
言ってから、俺は彼女の名前を知らないことに気がついた。
「俺は一年の大神晶。君の名前は?」
「私は、淵野真白です。大神くんと同い年です」
「大神くんじゃなくて、晶でいいよ。俺も真白ちゃんって呼ぶから」
「いえ、私の友達にアキラって子がいて紛らわしいので」
それに、と真白ちゃんは続けた。
「大神くん、の方が晶くんより合ってる気がして。あ、別に晶って名前を批判してるわけじゃないよ?」
「うん、わかってるよ」
あいつが付けた名前を、俺はどうしても好きになれなかった。だから正直その方がありがたい。
不意に、チャイムが鳴り響いた。もう下校時間らしい。
「あ、もう帰らなきゃ。じゃあまた今度ね、大神くん」
「うん」
真白ちゃんは最後ににこりとしてから、背を向けて帰っていった。
なんか、変な感じになっちゃったな。きりのいいところで終わらせないと。
そして、俺は気づいた。
「あ、連絡先聞いてない」
しかもクラスも聞いてない。また会えるのか?そもそも。
次の日、俺はあの真白ちゃんの鞄を持って一年のクラスを一つずつ回っていっていた。あの後真白ちゃんは鞄置いて帰ってしまってて、放っておくと俺みたいなクズに盗まれてしまいそうだった。だから一旦俺が持って帰って、翌日にこうしてるわけだ。
「ここのクラスに淵野真白さんっている?」
自分の一組を抜いて二つ目に来た三組で、ドアの近くにいた大人しそうなメガネ男に声をかけた。
「え、えーと……」と、メガネは天井を見つめた。
「ああ、あの子か。いますよ」
「どこ?」
「あそこ、窓際の」
メガネの指差す方を見てみると、確かに真白ちゃんはいた。読書してるのか勉強してるのか、本を開いている。
「ありがと」と俺は礼を言ってから、三組の教室に入った。「真白ちゃん」と、 机の前に行って声をかける。
真白ちゃんは顔を上げて俺を見て、目を大きく見開いた。
「大神くん! なんでここだってわかったの?」
「一個ずつ回った。それよりほら、これ忘れてるよ」
鞄を渡すと、真白ちゃんは「あ、わざわざありがとう!」とそれを受け取った。
「今日大丈夫だったの? 鞄なくて」
俺は純粋な疑問をぶつけた。
「うん。うちのお姉ちゃんもこの学校卒でその鞄あったから」
「そうなんだ」
……あれ、会話続かないな。どうしよう。
俺がなんとなくそわそわしていると、真白ちゃんが「あ、そうだ」と口を開いた。
「今度の土曜日空いてる? もし空いてたらどこか行かない、仲良くなるために」
「空いてる! けどそれは、デートのお誘いと捉えてもいいの?」
「デートではないよ。私たち付き合ってないしね。これはそうだな、レクリエーションみたいなもの」と、真白ちゃんは微笑みながら斬って捨てた。
なんか、言い方変えるだけでこんなにもロマンチックじゃなくなるんだなあ。
レクリエーションはわりとうまくいった。特に何もなかったから省略するけど、水族館行ってペンギンとか見てわりと楽しかった。
「でも、言い出せてないんだよな」
俺は自分の部屋のベッドに寝転びながら呟いた。
俺が真白ちゃんに初めて会った日についた、大きすぎる嘘。そのことをまだ真白ちゃんには伝えてない。多分あの子は言わないと永遠に気づかない。レクリエーションのお陰でそれに気づかされてしまった俺はさすがにちょっともやもやしてきた。
「あーー、どうすればいいんだよ!!」
今まで数えきれないくらい嘘をついてきたくせに、こんな一つの嘘で後悔するなんて馬鹿げてる。
すると、コンコン、とドアがノックされた。
「晶、ちょっと静かにしてくれない? 今お客さんが来てるのよ」
母さんの声だ。遠慮がちで、どこか怯えているようないつもの声。
「ああ、わかった。ごめん」
「いいのよ。ごめんね邪魔して」
すぐに足音が遠ざかっていった。ごめんなさいね、と謝る声が微かに聞こえた。
あの声を聞くと、頭の中にいろいろなものがよぎる。廊下の寒さとか、タバコの火とか、皿が割れる音とか。それが嫌で、俺はほとんど母さんとは話していない。
もやもやが余計に濃くなってしまったのを誤魔化したくて、俺は枕を床に投げつけた。
次に真白ちゃんと会ったのは、駅の近くの本屋だった。俺は鞄に本を入れようとしていて、そこを真白ちゃんが通りかかったのだ。
「あ、大神くん。……何してるの?それは?」
真白ちゃんは不思議そうに俺の持ってる『ロックと日本』というバカみたいなタイトルの本を指さした。
「鞄に入りそうか試してただけだよ」
俺が盗むつもりだったその本を元の棚に戻すと、真白ちゃんはあっさりその嘘を信じ込んだみたいだった。
「大神くん、ロック好きなの? 私よくわからなくて」
うん、俺も全然わかんない。
「まあまあかな。真白ちゃんはどっか行くの? 今から」
「ううん、もう帰るだけ。友達と遊んでたんだけど、その友達が急用できて帰っちゃったから」
涼しげな白ワンピースにサンダルという格好から、なんとなくプールか海に行こうとしてたんじゃないかってことはわかった。あと手に水着袋みたいなの持ってるし。
目を凝らして道の中央にある時計を見ると、午後三時を指していた。
「じゃあ、ちょっと歩かない? 話したいことがあるんだ」
気づいたら、俺はそう言っていた。口が勝手に動いてしまうのにはもう慣れた。
俺たちは、いやに人の少ない商店街を歩いていった。夏休みだからみんな特別なことがしたくて、だからいつもの場所には行かないのかもしれない。
俺がこれからすることも、特別といえば特別かもしれない。
「……あのさ、真白ちゃん」
「なに? 」
少し先を歩いていた真白ちゃんは振り返り、相変わらず一点の曇りもない目で俺を見る。
「俺、クズなんだ」
「え? どういうこと」
俺はなるべく真白ちゃんの顔を見ないようにした。こういうときにまっすぐ見返せるようだったら、こんなふうにはなってなかったと思う。
「最初に会ったとき、好きっていったじゃん?あれ嘘。ほんとは君の財布盗もうとしてたんだ」
ちりりん、とベルを鳴らしながら自転車が横を通り過ぎていった。それ以外には、音がしなかった。
「……知ってたよ」
「え?」
自分の耳を疑った。聞き間違いじゃないかって。
知ってた、と真白ちゃんは静かに繰り返した。こんな声、聞いたことない。なんの感情も読み取れない。
「ほんとは、すぐ先生に言うつもりだったの。でも、なんだかあなた私と似てるから。だから、気づいてないふりした」
「似て、る?」
「私ね、あんまり感情がないの。楽しくなることもないし、怒ることもない。だから人間としてどこか欠けてるあなたを見て、親近感わいちゃったのかも」
真白ちゃんは、今までの豊かな表情が嘘のようだった。それはまさに、無、真っ白だった。
「……じゃあ、今までのは全部演技?」
「そうだよ。だから、大神くんは気にしなくていいよ。あ、あとなるべくこのことは他の人に言わないでね。じゃ、さよなら」
あっさり帰っていこうとする真白ちゃんを見て、迷った。多分ここで呼び止めなかったら、二度と会うことはないと思った。
俺は小柄な背中に向かって、叫んだ。
「真白ちゃん! 俺と、友達になってくれませんか?」
届くかどうかわからない。けど、俺は言わずにはいられなかった。
真白ちゃんは、振り返って俺をまっすぐに見た。
「なんで? 私のこと別に好きじゃないんでしょ。しかも私、大神くんの思ってたような子じゃないよ。一緒にいたってしょうがない」
それが卑下ではなくて単なる疑問なんだってことはわかった。
「ただこれで終わりは嫌だってだけじゃだめ? 俺は君ともっと話してみたい。本当の真白ちゃんと!」
俺たちは、しばらくの間見つめ合っていた。
男女で長い間見つめ合うと恋が芽生えるとか聞いたことあるけど、どうなのかな。緊張感すごいだけだよ。
「……いいよ」
「え?」
「友達、なろう。その代わり、もう愛想笑いはしないからね?」
真白ちゃんは視線を外さずにそう言った。
「うん、むしろしないで」
抱きしめるのは気持ち悪いから、駆け寄って手を握るにとどめた。
そしたらなぜか拍手がわき起こった。いつの間にか通りすがりの人たちが集まってきてたらしい。
「大神くん。なんか、恥ずかしい」
「いいじゃん。こんな機会めったにないよ」
ふふ、と真白ちゃんが笑った。今までで一番いい笑顔だ。少なくとも俺はそう思った。
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「晶くん、準備できた?」
真白が控え室に入ってきて、俺はうまくできずに苦戦していたネクタイを後ろに隠した。
「あ、あとちょっと。って、あれ……」
よく見ると、真白はもう純白のドレスに着替えていた。いつもおろしている髪をまとめていて、少し大人っぽい。いや、大人なんだけど。
「似合ってるね、それ」
「ほんと? よかった。それより早くね。もうすぐ入場だよ」
と、真白が俺の背中の方に回り込んだ。
「やっぱり、ネクタイできてない。前からそうだもんね」
「仕方ないじゃん。制服ずっと学ランだったし」
言い訳にもならない言い訳をする俺の手からネクタイを奪い、真白は俺の前に立った。手際がよすぎるのは、これまでも度々頼んでいたからだ。たまにできるときもあるんだけど。
「はい、できた。じゃあ行こう」
俺の手をひいて歩いていく真白に、俺は声をかけた。
「ありがとう」
そしたら、真白はちらっとこっちを見て怪訝そうな顔をした。
「え、こういうときは『愛してる』じゃないの?」
「どっちもだよ」
「……そっか。私も」
俺たちは微笑み合って、歩いていった。同じ願いを持って。
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