第1話
*+.第1話
「チリンチリン」
ドアの先に広がる
小さくて、静かな空間。
コーヒーの匂いと
店主の穏やかな笑顔。
亜子が初めて
『Acoustic』に足を踏み入れたのは
上京して、初めての誕生日だった。
「いらっしゃいませ。」
店内は、この都会の喧騒と
切り離されたような空間だった。
「お席へどうぞ」
若い店主に促され、カウンター席に座った。
いつもなら
「落ち着かないから」と
座らないカウンター席も
ここでは妙に魅力的に見えた。
何故だか、そこに座りたくてたまらなかった。
「メニューをどうぞ」
店主にそっとメニューを差し出される。
どこか紳士的な感じがする
「ホットココアお願いします」
カフェにくると、きまってこれを
注文してしまう。
一番好きなメニューだから
これがおいしくないと始まらない。
「かしこまりました。」
一礼すると、店主は奥に入っていった。
割と広いカウンターのテーブルに
メモ帳と、レポート用紙と筆記用具を広げる。
大きく深呼吸してから
紙にペンを走らせる。
この深呼吸は
いつも書き始めにする
儀式みたいなものだ
「お待たせしました」
店主が戻ってきて、ココアを差し出す。
淡いチョコレート色のココアの上に
ホイップクリームが、居場所がないような感じで
ちょこんと乗っている。
ほんのり甘い。
これは牛乳の甘さとか
そうゆう天然の味がして
なんだかとても気に入ってしまった。
「すごいおいしいです」
思わず口にしていた。
「ありがとうございます」
店主が穏やかに微笑む。
「お客様が、お客様第一号様なんですよ」
「えっ?」
緊張していて
下を向いていた顔をあげて
店主を見る。
「本日開店なんです。」
嬉しそうに微笑みながら
店主が話す。
そういえば、店主はこんなに若かったのか。
同い年くらいだろうか。
少しウェーブがかった、カフェオレのような色の髪。
長い前髪から見え隠れする優しげな眼。
白いYシャツと、黒いズボンの上に
腰から黒いエプロンを巻いている。
この穏やかな笑顔を見た瞬間から
私はこの"人"に興味を持つようになったのかもしれない。
「今日、私の誕生日なんです」
ココアを飲みつつ、亜子と店主は少しずつ話しはじめた。
「そうでしたか。それはおめでとうございます」
「そちらも開店おめでとうございます」
二人はなんだか小恥ずかしくなって
下を向いて、お互い小さく笑った。
店内は小さく、カウンター席は5席しかない。
お客も私以外いない。
でも、このコーヒーの匂いに満ちた店内と
優しい味のするココア。
なんだか気になる店主。
こんな
私と同じ日に
同じような名前で生まれたこのカフェが
私はお気に入りになってしまった。