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再会 夏

作者: 宮森

暑い日の暇つぶしになれば。

 夏の空は、いつだって真っ白な雲とそれに負けないくらい濃い青空が広がっているものだと思っていた。

 強い日差しとか、学校のグラウンドから聞こえる部活の声だとか、あるいは時折降る激しい雨だとか。とにかく夏の象徴みたいに思えるものに触れるとなにかわくわくする感情がこみ上げてくると、無意識に信じていた。

 今の僕には、この季節が来るたびに周囲が色褪せて灰色がかって見えた。

「そこにあるひまわりの束ください」

 僕は店先の黄色を指差す。銀色のバケツから無造作に顔を出すひまわりを見て、一本残らず折ってしまいたいという衝動をなんとか抑える。

「五本のと十本のがありますけどどちらにしますか?」

 赤いエプロンの店員が言うとおり、僕が指差したバケツには大きさの違う二種類の花束があった。

「五本の方でいいです」

 じんわり熱をもった硬貨数枚としわのついたお札を渡して、僕は再び日差しの中を歩き始める。

 ひまわりって、かなりおかしな形をしている。

 花束を抱えるようにして持ったとき、去年とまったく同じ感想を抱いた。頭みたいな花の部分の大きさに対してそれを支える茎の細さ。五本分の茎は片手でも持てそうなのに、五本分の花は僕の顔よりも大きい。

 二年前まで僕はひまわりの形になんて興味なかった。むしろ、そんなことを知る機会なんてこなければ良かったのに。

 おととしの今日、リエが死ななければ、こんな思いを知らなくてすんだのに。

 リエが好きだと言っていた花を見かけるたびに目を背けたくなる。リエが好きだと言っていた道を歩くたびに、どこか遠くへ逃げ出したくなる。リエが好きだと言ってくれたことを思い出すたびに、思わず泣き出しそうになる。

 ***

「再来週は夏祭りだよリョウくん」

 七月がちょうど一週間過ぎた日。僕とリエ以外は誰もいない講義室。暑さで食欲がないのと少しでも暑さから逃れたいという理由で、僕はお昼休みの間はクーラーの効いた空き教室で過ごすことにしていた。

「どうしたの急に。てかその前に来週からテストがあるけど」

 大学に入ってから初めての前期試験。高校までのテストじゃあまり気にしてこなかった赤点という存在。同様に留年という言葉。

「まあそれもそうだけど……。でもでも、気にならないの? 夏祭り。こっちの方じゃかなり有名なお祭りみたいだよ」

 お祭り、と聞いて急に緊張してきた僕は、平然としている彼女を見て高校の卒業式を思い出した。


 高校のときに同じ部活だった僕とリエは、同じ地方の大学へ進学した。別に示し合わせていたとかじゃない。他にこの大学を受ける生徒なんかいないと思ってたから、試験会場で彼女を見かけて驚いたくらいだ。僕は得意科目が国語しかなくて、さらに英語の試験を受けずにすむ大学を探したらここしかなかった。悲しいことだけど、文系を選択したくせに僕は壊滅的に外国語の成績が悪かったのだ。嬉しいことに、リエも僕と同じような成績だったらしい。

 高校の卒業式の日、僕はリエに告白した。同じクラスになったことはなかったけど、三年間一緒に文芸部をやってきて、その間に積もった想いを伝えた。いつも彼女が書いている恋愛小説の登場人物みたいにかっこよくは言えなくて、むしろ僕が普段書いている探偵小説に出てくる追い詰められた犯人みたいにしどろもどろになりながらだった。

「同じ大学だしよろしくねリョウくん」

 笑顔で、僕とは違って淀みなく彼女は答えた。

 一人暮らしをすることになっていた僕と違い、リエは家族と大学の近くに引っ越すとその日に聞いた。

 付き合って、もう三ヶ月も経つのか。


「じゃあお祭り一緒に行く?」

 僕が机に頭を乗せたまま訊くと、二つ離れた席にいたリエが隣まで寄ってきた。

「行く。その前に浴衣も買いに行く」

 その日の講義が終わると、リエはそのまま僕を引っ張って駅前のデパートに向かった。

「こんなのどう」

 空中に金魚や花が浮いてるみたいだった。紺色や白、薄い水色や赤色。目がちかちかしそうになる空間で、リエは次々に浴衣を指差した。

「値段も見た方がいいよ」

 僕が注意しても気にせずリエは浴衣の海を進んでいく。

「リョウくんはどれがいいと思う?」

 沖の方から声がする。

「リエが気に入ったのでいいと思うけど」

「決まんないから聞いてるのにぃ」

 以前、どっかの週刊誌で女性のしてくる質問にはあまり意味がないと読んだことがある。なんでも、もう答えは決まっているので後押ししてほしくて質問していると。

「候補はあるの?」

「ぜんぶ!」

 あきれて立ち止まった時、ある浴衣に目が吸い寄せられた。

「ねえリエ、これなんてどう?」

 僕がリエを呼ぶと、彼女は嬉しそうに僕を見上げた。

「これいい。これにする」

 紺色をベースに白と黄色の花びらの模様の浴衣。ひまわりをモチーフにした柄。

「試着とかしなくていいの?」

「したら見ちゃうでしょ。お祭りまでの楽しみにしててほしいの」

 家で着てみて合わなかったらその時考えるから。レジに向かうリエを、僕は少し残念な気持ちで見つめた。

「わたしがひまわり好きってよく覚えてたね」

 帰り道、リエが袋を抱きながら言ってきた。

「その浴衣見たら思い出したんだ。でもひまわりモチーフなら他にもあったかもしれないのにそれで良かったの?」

 黄色をベースにした明るいのもあった気がする。

「うん。これがいいの」

 リエがいっそう愛おしそうに袋を抱きしめる。

「それからね」

 言いかけて、リエが買ったばかりの袋を漁る。

「リョウくんにこれあげる」

 出てきたのは小さな銀色の装飾品。

「タイピン?」

 どっかの国の車をあしらったタイピン。

「そう。きれいでしょ。これはリョウくんのぶん。わたしのはこれ」

 自慢げに見せてくるのは楽器の模様があるタイピン。

「なんでサックス?」

「高校生の時からやってみたかったの」

 知らなかった。素直にそう言ったら、笑いながら「話したことないもん」と返された。

「ファッションです。お互いにつけることにします。けってい」

 言って、リエは自分の左耳の方の髪にタイピンを滑り込ませる。

「どう?」

「悪くないよ」

「よかった」

 よく見ればおかしいんだろうけど、僕とリエの間ではまったく違和感はなかった。

「リョウくんもつけてよ」

 僕は着ている服を見てみる。青いTシャツにカーキのチノパン。胸ポケットもない。

「つけるとこないよ」

「えー? じゃあおそろいで髪留めにしようよ」

「絶対やだ」

 困った僕はパンツのポケットに差してみる。

「これは?」

「見えないじゃん。ダメダメ」

 二人で少し悩んで、右の袖口に留めることにした。

「変じゃない?」

 なんだか誰かとすれ違うたびに変な汗が出そう。

「変じゃないよ。わたしたちだけが分かるファッションだね」

 にやにやしながらだったけど、リエも僕と同じことを考えていたのが嬉しくて、僕もつられて笑った。

「ならこれからはつけることにするよ」

「えへへー。お揃い」

 家まで送る間、リエは四回も五回も自分の髪を触って、指が装飾品に当たるたびに嬉しそうに目を細めた。

「今日はありがとっ。浴衣着れるの楽しみ。リョウくんも期待しててね」

 玄関で振り返ったリエに僕は手を振る。

「りょうかい。色々想像して待ってることにするよ」

「想像を超えてやんよっ。じゃあね、また明日」

 けっきょく、僕が二週間後に彼女の浴衣を見ることは叶わなかった。それどころか、また明日すらも叶わなかった。

 その日の夜、リエの家が全焼して、翌朝に親子三人の遺体が確認された。

 ***

 坂をゆっくり登るだけでシャツが汗で張り付くのを感じる。途中で買ったペットボトルの中身はほんのり温かくなっていて、炭酸が抜けたせいでひどく不味い砂糖水みたいだった。

 月に一回、リエの命日に彼女の家があった場所に行くことにしていた。県内に彼女の墓があるのは知っていたけど、まだ一度も行けてない。なんとなく、彼女がいなくなったことを完全に認めるみたいで嫌だった。

 でも慣れというのは恐ろしいもので、リエがいなくなってひと月もすると僕の体はリエがいないことを受け入れはじめていた。具体的には、いまだに残るアドレス帳の彼女の名前を見たときだとか、一人で行く大学への道だとか、そういったときに吐かなくなった。半年も経った頃には、義務的に付け続けているタイピンだけが彼女のいた証みたいになっていた。

 いい加減気持ちを切り替えなくちゃいけない。時間が経った今でも、タイピンを手に持つたびに自分に言い聞かせる。

 いなくなったと理解はしていても、彼女の残滓があるような場所やものに近づくのは辛い。梅雨が明け、夏が近づくほどそれは顕著になる。

 目をつむっていても迷わずに歩けるくらい道を覚えてしまった。坂を登ると住宅街に入る。二つ目の点滅信号を右に曲がって、五十メートルくらい歩いたら分かれ道を左に進む。すると家が途絶えて不自然な空き地が見えてくる。何も無いここが、リエの家だった場所だ。汗をかきながらここに立つと、消してしまいたい記憶が何度も目の前に広がる。

 火事の翌日に来たときは、人混みと燃えかすの臭い、それから家だった黒い残骸が印象に残った。叫び出したいのか泣き出したいのか分からず、ただ人混みの中で立ち尽くした。どれだけの間そうしていたのかは分からないけど、突然めまいと吐き気に襲われてその場に倒れ込んだ。僕があの火事で死人が出たと知ったのは、熱中症で運び込まれた病院で読んだ新聞だった。

 次の日にもう一度行くと、現場には人混みの代わりに花とかお菓子が置いてあった。そこにあったひまわりを見たとき、我慢できずに涙がこぼれた。それからひと月、彼女の家跡に花を持っていこうと決めるまで引きこもり続けた。ひと月ぶりの昼間の外出は、例年の八月に負けず劣らず暑かった。

 いつ頃から更地になったのかは覚えてないけど、だんだんとお供え物は少なくなっていった。最後には僕の持っていく花だけが残るようになった。ひまわりを毎回持ってくのは辛くて、命日月だけにしようと決めた。そもそも、秋以降にもひまわりを手に入れるのが難しかった。

「こいつなら来月まで残るかな」

 ひまわりの束を供えて汗を拭う。先月持ってきた紫陽花は風にでも飛ばされたか微塵も残ってない。

 大きいと思った花束も地面に置いてしまうと小さく見える。アスファルトからの熱ですぐに枯れてしまうんじゃないかと不安になる。

 両膝をついて手を合わせる。作法は知らないからなんとなくのイメージだけで。目を閉じると、スッと自分の周囲から熱気が消えたみたいに感じた。

 現実を受け入れられずに捨ててしまったものもある。なんで不幸な目に遭ったのがリエなんだと嘆いた日もある。あの日以来、見たら苦しくなるものや歩くと辛くなる場所もたくさん増えた。でも、ここでリエのことを想うと、不思議と穏やかな気持ちになる。

 ここで祈っていると、最後の日のリエの笑顔だけを考えていられる。

 熱も風も、虫の声も喉の渇きも遠くなる。

 先へ進まなくてもいい。このままずっとここにいたい。そう思ったときだった。

「また来てくれたんだリョウくん」

 自分の心臓が背中を突き破るくらい大きく跳ねるのを感じた。吸い込んだた空気の熱に驚いた。目を開くと、紺色をベースに白と黄色の花びらが舞う浴衣が見えた。誰かが、僕と僕の持ってきたひまわりを見下ろしている。

「っリ、エ?」

 自然に口をついた声は自分じゃどうしようもないくらいに震えていた。

「ふふっ。ひどい顔」

 彼女が屈んだ拍子に、顔の横の方でなにかが太陽の光を反射した。

「うれしい。今日もそれ付けてくれてるんだ」

 同じ目線の高さになった彼女が僕の袖口を撫でる。その声を聞いて、さっき彼女の顔で光ったのがサックスの形をしているタイピンだと気がついた。

 今日は七月がちょうど一週間過ぎた日。笹の節句、あるいは星祭り。世間的には七夕と呼ばれる日。そして、僕にとっては彼女の命日。そんな日に僕はリエと再会した。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公の悲恋の物語かと思いましたら、最後に救いがあってよかったです。 ひまわりとタイピンの取り合わせが鮮やかに感じました。 [一言] 夏の暑い盛りの中の切なさ、悲しみがとてもよく伝わってき…
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