2.
アルベルト王子の顔色が、明らかに悪くなった。
そりゃそうよね。嫉妬にまみれて涙を流すはずだった私が、まさか華麗にすべての疑惑を晴らし、果てにはマーガレットを窮地に立たせているのだ。
三年間、マーガレットがどの男性と懇意にしていたか、私はちゃんとチェックしていた。
さらには、最近マーガレットは二人きりで、婚約者のいる生徒政会のメンバーと会っていたらしい。ちゃんといつどこで会ったかどうかまで、私の手元には記録がある。
まあ、ようは欲を出しすぎたのね。もはやここからの逆転は不可能といっていい。
「さあ、ご遠慮なさらずに」
ちょっと味気ないけど、仕方がない。もう終わらせてあげよう。
自分でも笑えるくらいに安い挑発を、口にする。
追い詰められた王子は、まだ闘志を燃やす目で私を見据えると、口を開こうとした。
「お待ちください!」
しかし、その前に、髪と同じミルクティー色の瞳に涙をいっぱい貯めたマーガレットが前に出ると、私の前に跪いた。
「ああ、オデリア・グレッグワード公爵令嬢、あなた様のおっしゃったことは、すべて磨かれきった鏡のように正しいことです。しかし、ひとつだけ申し上げなければならないことがあります。どうかこの場で私が口を開くことを、お許しください」
「マーガレット……! そんなことしなくていいんだ」
アルベルトがマーガレットを起こそうとするけれど、彼女は頑として首を振る。いまにも地面に額を擦り付けそうな勢いだ。
これには少し困った。
折れそうに華奢で愛らしいマーガレットがこんな舞台みたいにへり下った態度をとったら、まるで私が悪役のようではないか。
「どうかお立ちになって、マーガレット嬢。なんなりとおっしゃって、と言ったのはわたくしなのですから」
大仰な感謝の言葉とともに顔をあげたマーガレットは、まず国王陛下と王妃殿下に深々と礼をした。
お二方とも戸惑ってはいるものの、衝撃は受けていないように見える。もしかしたら、今日、こうなることをあらかじめ知っていたのかもしれない。にも拘らず、止めないだなんてね。
つくづく彼らの親族にならずに済んでよかったと苦笑する。
次にマーガレットは、私だけではなく、この場にいる招待客ひとりひとりと目を合わせながら言った。
「このように寛大なる御心をお持ちのオデリア様とそのご友人がた、そしてここにいらっしゃるみなさまに取り返しのつかないご迷惑をおかけしたこと、お詫び申し上げます。もちろん、国王陛下の叡慮であり、すべての民が祝福している王太子殿下とオデリア様の晴れの日をこのような形にしてしまったのですーーそれがどのような謝罪の言葉も搔き消える大罪だと言うことも、重々承知しております。けれど、恐れながらもひとつだけ申し上げること、お許しください」
マーガレットは、もう一度周囲をぐるりと見回し、最後に私をまっすぐ見つめた。
「この事態を招いたのはすべて私の浅慮によるところであり、生徒政会のみなさまにはなにも後ろ暗いことはないのです」
おお、変わり身の早い。
もう敗北を認めて、減刑を望むつもりなのだろうか。
といっても、私はべつにアルベルト王子と結婚したくもないし、マーガレットが罰せられなくったって全然いいのだけれど。
と、生徒政会のリーダーとも言える、現陛下の宰相の息子、ルイ・フェイドリングが前へ出た。フレデリカ公爵令嬢の婚約者で、クール系の攻略キャラ。
氷のような冷たい美貌の持ち主の青髪の青年は、マーガレットの隣に並び立つ。
どういうことかと、聴衆はざわめいた。
「やめてくれ、マーガレット嬢。自分ひとりですべてを背負おうとするのは」
え……? なんか棒読みじゃない? 声震えているし。
そんな私を余所に、彼は手に持っていた本を掲げる。
古びた赤い皮表紙の書は、なるほど、生徒政会の記録書だ。
私たちが通っている魔法学園の生徒政会は、国の未来を担う貴族のご子息たちが、擬似的な政治体験をするという、いわば小さな王国だ。だから予算は莫大で、その分すべての支出や寄付金からなる収支などの記録、会議の内容は、どんなに些細なことでもつけておかなければならない。
申請をしていない場所・時間で生徒政会の情報を漏らすのは厳禁であり、それは将来どれだけ守秘義務を果たせるかテストするためでもある。
生徒政会のメンバーにしかあの記録書の内容を見ることができない。
空間そのものを切り取って記録するあの書は、開くと同時にその空間のすべてを復元して再生する。そのためには赤い皮表紙に血を垂らした人間の魔力が必要で、しかも他人に軽々と見せては絶対にならないものなのだ。
さらにいえば、内容を偽造することは困難で、信頼性もナンバー1。国の最重要機密は大体ああいうのに入っている。
「君がそれだけの覚悟を持っていると言うのなら、私も幼き頃からお仕えしてきた王太子殿下とその未来の伴侶のためだ、禁を破ろう」
ルイ・フェイドリングは相変わらずまるでセリフを読み上げるみたいにそう言うと、魔力を本に込める。いつの間にか生徒政会のメンバーが、ぞくぞくと彼らの周りに集まっている。
ーーあ。なんとなく、先の展開、読めたわ。
私がさきほど告発した「ルイとマーガレットの密会の場所」である生徒政会の歓談室が映し出される。
そして日付と時間を正確に記録したルイは、本を片手に談笑室のソファに腰掛ける。その向かいのソファに、恐縮しながら座るのがマーガレットだ。かなり離れた位置に腰を下ろした彼女は、いかにも他人っぽいお辞儀を何度もする。
そうして、ふたりの会話が始まった。
内容は、まとめるとこんなものだ。
孤児院に対する寄金を生徒政会が中心となって募りたい。そこで、なにがもっとも効果的かどうか、孤児院出身であるマーガレットの意見を聞きたい。
だいたいそんなことを言ったルイが、無理やりマーガレットを呼び出した。
と、おずおずと話し出したマーガレットはまず、孤児だったころ自分がどれだけ貴族の施しに感謝したか、涙ぐみながら強調した。まあ、こういうのに私たち貴族は弱いからね。効果覿面だろう。
そしてその後、今その場で考えたことじゃないだろうというほどに、質問に対する完璧な模範解答を次々と答えていく。
そのたびに何度も「すごい」「君に聞かなければ発想できなかったものだ」「君の意見に感銘を受けた」などと、ルイがなんだか平淡な調子で返していく。あなたクールキャラじゃなかったの?
最後にもう一度、「また君の意見をうかがわせてほしい」と残し、日時を指定すると(そしてそれは私が告発した日のうちのひとつである)、ルイは部屋から立ち去る。最後までマーガレットは不用意にルイに近づくことなく、恐れ多いという風になんども礼をした。
なにいまの、マーガレットのプロモーションビデオかなにかかしら?
「今年の生徒政会の成功は、マーガレット嬢の力によるところが大きい。しかし、彼女は謙遜して、自分の名前を出さないでほしいと頼んできた。話し合いはすべて生徒政会の談話室で行われていたため、そのような神聖な場で不貞を働くなどという発想に我々は至りもしなかったのだ。令嬢がたが、マーガレット嬢の仔細な行動をすべて把握していたとは露知らず、わざわざ弁明する必要はないと独りよがりに片付けてしまった。結果、無用な誤解を招いてしまったことを、謝罪させてほしい」
「そんな……! すべては私の責任なのです!」
「もういいんだ、マーガレット嬢」
つまるところ、こうだ。
マーガレット嬢は、なかなかに賢く用意周到な女性だ。ここ一年、わざと生徒政会のメンバーとふたりきりになる機会をもうけ、しかし実際はさきほどのようなやりとりを記録していた。
当然、これを有力な証拠と判断した私は、彼らの婚約者たちを味方につけて告発する。
しかし、実際にはすべて国家レベルの記録書に残されていたこと。まるで、嫉妬に狂った私たちの方が邪推したかのように思われてしまう。時間も正確に言い当てたことが、さきほど王子の言った嫌がらせに信憑性を与えてしまった。
ちゃんと学園の記録を確認したはずなんだけどね。
ルイはかなり几帳面な正確だから、毎月ミーティング時間の記録を出していたんだけど、実際には年度末まで報告の義務はない。わざとマーガレットがいた記録は学園側に申請していなかったのだ。
つまり、ルイはマーガレットの逆ハー要員ではなく、戦略レベルでの盟友ってところ?
いや、ひょっとしたら、アルベルト王子以外、みんなそうなのかもしれない。
だとすれば、なかなかいい計画だ。
実際、直情型のアルベルト王子だけでなく、冷静沈着なことで名高いルイが出てきて、みんなかなり動揺している。
それにどう見ても、いまのマーガレット嬢は人畜無害な少女だ。
面白くなってきたじゃない、と私は口をそっと歪めた。そんな私を見て、マーガレット嬢もこっそりと、だが不敵に微笑み返す。
だけど、ね。勝つのは私よ、マーガレットさん。
なぜなら、あなたにとってこの結婚式でのすべては、人生最大の賭け。対して、私にとっては駆け引きのゲームだ。だからこそ冷静に、すべての可能性を考慮し、そして柔軟な行動を取れる。あなたのように、究極の一手ですべてを覆そうだなんてしない。
所詮あなたは博打打ち、私は熟練のプレイヤー。その差を、わからせてあげようじゃないの。
「ええ、わたくしはどうやら誤解していたようです。確証のないことでマーガレット嬢と生徒政会の方々の名誉を傷つけたこと、浅はかだったと深く悔やんでおります……ですが」
私はさきほどから事の成り行きを見ているアルベルト王子に、向きなおる。
ふふ、ちょっとみんな、彼の存在を忘れちゃっているんじゃないの?
「どうして結婚式の日まで、わたくしに少しでもご相談いただけなかったのですか? そうすれば、わたくしも円満に破談に応じることができましたのに……!」
なーんて、私がそうなるように挑発したんだけど。
さあ、アルベルト王子のミスまで、かばい切れるかしらね? マーガレットさん。
「それは!」
「ーーああ、いいのです!」アルベルト王子が返答する前に、すかさず嘆きの声を挟む。「自分が殿方に好かれない性質なのは、誰よりもわかっていますから。……ふふ、不思議ですよね。本当にお慕いするお方の前では、言葉が出なくなってしまうなんて」
おえー、と心の中で嘔吐。
アルベルト王子とマーガレットの少し後ろに戻ったルイも、声なくおえっと言ったように見える。おい。
しかし、これで私も観衆を味方につけた。マーガレット相手じゃいまのところ劣勢だけれど、アルベルト王子の前ならばまだ私は完全なる被害者。さあ、どうでる?
表情を険しくしたアルベルト王子が、かなり荒っぽい声で「嘘をつくな」と、私を指差す。
あららー、印象悪いわよー、それ。
「いいか、みなのもの、騙されるな、この女は……」
「アルベルト王子、ご自身をそれ以上傷つけるのは、おやめになって!」
と、すかさずマーガレットが、私を指差すアルベルト王子の手に縋り付く。
アルベルト王子さえ、what?という表情である。
うおお、ここで口をはさむとはすごい。かなり肝の座った女だ。しかも、指を指したことがうまくごまかされた。
「私、知っているんです。今日この日まで、アルベルト王子が、ずっとオデリア様のことをお待ちしていたこと。そして今も、オデリア様に対する愛が、あなた様の御心にはあるのです!」
ふぁっ!? と思わず声に出さなかった自分を褒めたい。
「でも、アルベルト王太子殿下はそういったことはすべて胸に秘めてしまう方ですから……殿下のように強い心をもてない私を、どうか責めないでください」
かなり思い切った舵取りだ。やけっぱちか、とも思ったが、マーガレットの態度には余裕の色が見え隠れしている。まだ戦う切り札が残されているというのか。
しかし、私だってまだカードをすべて切ったわけじゃない。突然現れた好敵手の力量を測っているにすぎないのだ。
さあ、どう出るつもり?
*
目の前の罠にひっかからないとは、やはり侮れない女だ、オデリア・グレッグワード公爵令嬢。
普通の人間の感性ならば、生徒政会の証言の方に気を取られ、そちらの粗探しを始めるだろう。だって、明らかに嵌められたんだから。
しかし、相手は想定外のシチュエーションにも柔軟に対応し、不利なフィールドを選ばず、確実にこちら側の弱点をついてくる。
改めて感じる。
やはり、オデリア・グレッグワードこそが私の最後で最大の障害なのだ。侮ったことはないつもりだったが、それでもあえてもう一度心の中で言おう。さすがだ。
ーーそれにしても、あんなに仕込みに時間がかかった罠があっさり見つかるとは。
はあ、ちょっと本気で凹んでしまう。やっぱり、ルイの演技指導を怠ったことがまずかったのかもしれない。
練習を始めたときからかなりの大根だったけど、基本的に弱点なしの男だったから、それはあんまりやる気がないせいかと思ってた。
けど、どんな超人にもひとつくらい弱点があるもんだな。
というか、声も震えてたし。あの男の前ではかなり私の本性をさらけ出してしまったから、さっきの悲劇のヒロインきどりには笑えたのかも。
というか、ルイが本当に私の味方なのかさえ怪しい。
この男、どうやら私がここで勝つことに対してこだわっていないようである。むしろ、私がここで敗北することを望んでいるのでは、と心なしか感じる。ひしひし感じる。そういえば一回、王子と結婚できなかった場合はどうするつもり? なんて問いかけてきたことがあった。不穏極まりない。でも、ルイにいまさら私を叩くメリットはないはずなんだけど、あの男にはなかなか底知れないところがある。油断は禁物だ。まあ、かなり近い協力者だっただけに、裏切りは痛いんだけども。ちなみに痛いのは心じゃない。勢力の一端という意味で、大きな痛手なのである。
とはいえ、仲間内に裏切り者がいるという点ではあちらも同じ。まだまだ切り札はたくさん残っている。
でも、オデリア嬢以外にも気になることがある。王宮の観衆の様子だ。
なんとなく、いろいろと気になる点が多い。下町時代の野生の勘が、びんびんヤバイって反応している。
とくに、国王陛下と王妃殿下。いくらなんでも、無反応過ぎないか? 国家の恥だぞ、こんな馬鹿げたやりとり。実はオデリア嬢がすでに味方につけているとか……。いや、しかし、それならなぜ最初から加勢しない。鶴の一声で、私を粛清できるというのに。
そんなことを考えているうちに、私のウィークポイントであるアルベルト王子がガンガン攻撃されていた。あー、やめてあげてよ。
焦って前へ出ると、私はあらかじめ何度もシュミレーションしていたセリフを口にだす。
「アルベルト王子、ご自身をそれ以上傷つけるのは、おやめになって!」
そう、ここまでもすべて予想の範囲内。
それに、相手にもまだなにか大きな切り札があるようだ。私を侮っていたにも拘らず、ここまで準備を揃えてきているとは。
さあ、いまから私が口にすることに、あなたが対応できるかどうか、見せてもらおうじゃない。