その日の空が、まぶしくて
「――じゃ、俺はそろそろ上がるぞ。お疲れ」
「あ、はい。おつかれさまでした」
職場の一番奥のデスクを立って、所長は足取りも軽く退勤していった。今日は水曜日のジム通いの日だから、いつもよりもっと早い。他の所員もそのへんはわかっていて、特に何か言ったりしない。
オレはまた自分のデスクに視線を戻す。まだまだ任された仕事の半分も終わっていない。たぶん、帰るころにはまた日付が変わっているだろう。
仕方がないことだ。オレは早く両親をなくして、中学を出るのがやっとで、学歴もなければコネもない。だから、そんなオレを拾ってくれた所長には感謝してるし、ほかのみんなよりがんばらなきゃならないとも思ってる。
……夕めし、どうしようかな。
「じゃあ私達も帰るけど……君もちゃんと、キリのいいとこで上がりなよ?」
「お疲れさま」
「はい。おつかれさまです」
所員が次々帰って行って、少し寒くなった事務所にひとりで残る。
とにかく今日中に片づけられる分は片づけて。眠い頭でやってたから、明日誰かにチェック入れてもらわないと……
そんなことを思いながら職場近くのアパートに帰ったら、そのまま記憶が飛んでいた。
目を覚ましたらもう日が出ていて、出勤時間が近かった。あわてて冷蔵庫の中をあさってパックの牛乳を一気飲みして――――
「おはようございます」
今日も一番に職場に入れた。
このくり返しが、オレの日常だ。
それがずっと続くものだと思っていた。だけど今日は、いつもと少し違った。オレの後から出勤してきた所長が珍しく一番に話しかけてきたのだ。
「今朝、ちょっと面白いニュースを見かけてな。まあお前はニュースなんて興味なそうだが」
「なんですか?」
「あー、と。給与明細は確認してるよな? 毎月の給料から一定額、保険料ってのが差し引かれてるだろ。その保険料に関連して、『健康免許制』を導入する話が出てるらしくてな」
「? 健康免許制……が、できるとどうなるんです?」
「健康な人間ほど、保険料が安くなるらしい」
「……」
「まだ本決まりじゃないようだがな。もし決まれば、健康管理をしっかりやっている俺は得をすることになりそうだ。しかしお前は心配だなぁ。ここのところ特に青白い顔色して。朝飯食ってきたか? そういうやつは、逆にもっと保険料を取られることになるかもしれないぞ?」
所長は声をあげて笑う。オレはつやつやの所長の顔を見て、なんとなく、目をそらした。
「ちょっと、失礼します」
「おお便所か? がんばれよ!」
「ありがとうございます」
生返事をして部屋を出て、その足で、事務所の入ってるビルの屋上へ向かう。
ドアを開けて目に入ったのは、痛いくらいまぶしい太陽とまっ青な空。そういやもう結構前から、こうやって空を見上げたことなんてなかった気がする。
さっきの話。難しいことはよくわからないが、要は天引きが増えるかもってことらしい。どのくらい増えるのか。今以上に引かれたら家賃払うのがつらくなるな。
今朝、なんか血ぃ吐いたし。健康からは遠いからな、オレ……
仕方ない。オレは健康管理ひとつできないダメなやつなんだ。
もっと、ダメじゃない人間になりたかったのに。
なんでこんなことになんのかな。
なんで――
いろいろ考えると頭が痛くて、もう考えたくなくなってしまって。
衝動的にフェンスに手をかけた。
ガシャガシャときしむ音が頭の中にダイレクトに響く。
あーちくしょう。
風が、気持ちい
END
この物語はフィクションです。実在の人物、団体、事件とは一切関係ありません。