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龍が鳴く砂漠  作者: 鮒井春樹
実の娘
9/20

四、お父しゃん

数ヶ月も経った頃だった。

 嬌嬌は小さく、

「おしゃん…」

といったきり、また、黙った。

 しかし珠参も万夫人も手を叩いて喜んだ。

「やっと、しゃべったか、よしよし、上々」

「まあ、やはり、安を呼ぶのですね」

 珠安も一安心した。

「ふむ、もう少し構ってやれ、安」 

 それには、珠安もどうしたものかと考え込んだ。

 鷹でも馬でもなし、どのように接すればよいのか、嬌嬌を前に腕組みして、黙って考えた。

「普通に可愛がれば良いのだ、普通に」

 珠参は言うが、珠安にはさっぱり見当がつかない。

 馬に合図を仕込む、鷹を慣らす、犬を飼う、声で小鳥を呼び寄せる、といったことは解るのだが、幼い女児を笑わせるとか、喋らせるという事がどうも長靴の上から足を掻くように解らない。

 身の回りの世話をすればよいのかと着替えさせ、帯を結んでやるが、珠安の後に祖母がいちいち丁寧にやり直しているので落ち込んだ。


 ──戦さの結び方ではないのですから、こんなきつく締めあげずに!…もっと、こう、可愛らしく、やさしげな形に……下衣も上衣の刺繍に色を合わせて考えてあげなさい、袖はきちんとこのように柄が見えるよう折るのです、この柄です!これが大切なのですよ!……足の巾もこう丁寧に柔らかく包んでやって……爪がひっかからないよう、ふわっと、……勿論、長ければ切ってやりなさい───

 聞いた珠安は、


──何を基準に、そう形成されるのか、私めには全く、理解不能。どのような秩序で……──

だった……。


 日がな一日、祖母は嬌嬌の服を縫う。

 少しでも成長するよう願いを込めて、早すぎる髻髪をほどこした。それは複雑に編み上げ、嬌嬌を愛らしく見せる。

 朱と藍、桃色。

 色をふんだんに使い、魔除けに埋め尽くされ、祖母のものよりはるかに緻密で可憐な仕上がりだった。

 それではと、食事をさせようと茹で肉を切り分けて持たせてみたが、じいっと見るだけで、いつまでも両手に持ち続けている。

「もう少し小さく切って口に運んでやりなさい」

「ああ、そうか」

 やっと得心して、手から肉をとって一口ほどに切ると、珠安は自分の口に入れて四度、五度噛む。

 それを口にしてやると、やがて、もぐもぐと食べ始めた。

「おや」

 珠参がつぶやくと、万夫人もわらった。

「狼の子と変わりませんな、阿母殿、いや……」

 珠安は自分の覚えている限りの幼い頃を思い出していた。

 祖母は麺麭をくちゃくちゃと噛んで柔らかくし、口移しに自分に食べさせてくれた。ついでに顔中に接吻してくれたことも肌で思い出し、懐かしく、また、なんとも照れくさかった。

(天幕の中ではいつもそうだったな)

 おそらく幼い自分に惜しみない接吻の雨と肌の愛撫、そして注ぐような大量の言葉があったのである。 

 それはつかの間、幼児の時だけであった。

「獣も人も幼いときは、同じような……」

と、浮図(仏教)も信仰する万夫人は笑う。

 珠安は次々と嬌嬌に茹で肉を与えた。

「おしゃん」

 嬌嬌がつぶやく。

「うむ、おしゃんである」

 小児を愛しいと感じるのは人の善き本性である、と珠安は一人頷く。

 漢人であろうが、遊牧の民であろうがそれは元々変わらないはずである。様々な劣情や慣習がそうでない者を作ってしまうのではないか、と黙々と心に記す。

「肉麺を食べさせましょうか」

 祖母は器を珠安に渡した。

「熱いから気をつけなさい」

 青銅の匙で細かくつぶし、口元に持っていってやった。

 嬌嬌はぱくりと飛びついた。

 熱い銅匙が口にあたり、途端に嬌嬌は、きーっという喉の奥から悲鳴のような声を上げて吐きだした。

「あら」

「何だ」

 珠参も驚いてまじまじと見た。

「妙な声じゃの」

「どうした、熱かったか、嬌嬌」

 はふはふと舌を指でなで、なんとも形容しがたい顔で、悲鳴のような声をきゅうきゅう漏らす。

「これは、…どうやら、ぐずぐずと泣いているらしいですね」

「ふぐふぐ…むむ…きゅぅぅぅ」

 小さいが変な声であった。まじまじと三人は嬌嬌を視た。

「ちゃんと冷ましてやりなさい」

「うーむ」

 かなり無口に考え込む珠安に、祖母は笑う。

 珠参は馬を見回りに矢箙を持って立ち上がった。


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