三、先祖
「シュアンとは……おそらく朱安のことでは」
(なぜ彼の女は…)
こころの奥底であの声が蘇る。
「朱安とは……」
「おう、存じておるように我が珠家の祖となる者である」
珠参は言った。
「どのような人物と聞いておりますか」
詳しく聞いたことはなかった。
珠参の語りではいつでも冒頭でさらりと出るだけであった。
「シュアンとは称号なのですか?」
珠安は聞いた。あの夜、女が幾度も口にした。
さえずるような囁き心を捕らえてかつ揺する。
「朱安が珠家の祖であるのは分かっておるな」
「はい、しかし、朱姓とは…」
嫌な字である、と珠安は思った。
「そうだ、忌むべき後梁の朱全忠及び朱姓を忌んで、珠姓に変えたのだ」
さすがに怨敵と同じ姓では、居心地が悪かったのだろう、と珠安は考える。
半世紀前、沙陀は朱姓の後梁と争った。
「祖、朱安は皆がそう呼んだからだと聞いておる」
「そうですか、で、何故?」
「何か特別な、尋常ざる能力があったのやも知れんなあ…」
祖父が言葉尻を伸ばす。
「昔の語りは、今は殆どが知らぬからな」
巫覡殿ならもっと詳しく語るであろうと、珠参は悔しそうにつけ加えた。
巫覡とは天意を皆に伝える者である。
彼らは部族の歴々を口上できた。
しかし、珠安達の邑落に巫覡はいなかった。亡くなったのである。
祝詞や語りは簡素なものになった。
「朱安、字が圭。朱姓なり。北庭で処月氏に仕え、………、その後朱邪氏に従うこと……朱安は……仕え……」
漢語では簡潔にしか現せなかった。
と、後ろから、祖母の声がした。
「私、知っていますよ、それ」
祖母は続ける。
「朱安、字が圭という者が居た。朱姓なり。名は安。奴として河西に流れる。女児と北庭へ奔る。性情穏和、寡黙、漢人に似る。処月氏に仕える。女子ども、家畜、皆懐く、馬、殊に懐く。また龍も懐く。……朱安は……で仕え…」
祖母は朗々と述べた。
(阿父殿は大雑把である…かなり省いていたのか)
「……漢語も突厥語もあまり自在に喋られなかったので常に無口だったそうです。すぐに自分からあやまる癖がありましたが、何せ好かれました。人でなくとも家畜にも。また、くせ馬を扱うのが上手でした。だから皆は馬扱いの上手い者を……」
「朱安のようだと言った?」
「ええ、多分そうだと思います。安よ」
祖母は嬌嬌の手を引いていた。
祖母にようやく慣れた。
「字の……圭とは生国の言葉で、本当の名であったそうです。しかし、皆が朱安と呼ぶので、そのままにしておいたようです」
祖母の語りに、どこか妙だと珠安は思ったが、問わずに別の事を聞いた。出自の部族である。
氏族を聞く事は大切な事だった。
「どこの者だったのですか」
「倭の国です、倭人とは海を越えて向こうの…」
「青海ですか、熱海ですか」
青海なら、吐蕃、もしくは吐谷渾の末裔、と珠安は考える。熱海なら……。しかし、万夫人の答えは意外だった。
「いえ、東方の、高麗の海を越えてむこうです」
「これはまた遠いところから」
珠安の知っている範囲では涼州で手に入れた地図ぐらいしかなかった。
海の概念はなく、「海=広い湖」しか理解できない。彼の脳裏には、その先はまだない。
(広い。この世とは)
「間違うように華南へ辿りつき、そのまま数奇な運命になったとか」
その辺りは知らないと祖母は言った。
「そのような口伝は女の方に多く残っております。私も姑や族姉たちからです。おおよその内容ならば皆、夫より知っておりました」
成る程、と珠安は納得した。
「朱安は武将サリチガの信頼が厚かったといわれます」
万夫人は言った。
祖母は嬌嬌にふやかした干葡萄を与えた。
「そうですか」
珠安は感嘆のため息をついた。
女のうわさ話はたいした物だと思った。
今まで祖父から聞いたことを整理して記してきたが、比べ物にならない五彩金塗りの絵図を見たような気がした。
祖母という書物にこれほどの話がつまっているなら、と、人という集まりが怖ろしくなってきた。
「女どもはこのような話が好きですからねえ」
と、祖母は笑った。
「聞いたのは、……まだ、私が若かった頃です」
しかし、今では話せる相手も少なくなったと万夫人は言った。
「朱安から、シュアンとなったとの説明は伺いました。が、あくまで推測、と断じます」
珠安に祖母はやや首を傾げた。
「ですから、…そのように生き物を扱うのが上手いことを…朱安のような…と、いう誉め方が、シュアン、となった…で、よいとは思うのですが…」
「私は、附け子とやらの語がシュアンだと考えておりました。朱安とシュアンの音は違います」
「だから、附け子とは何か、もう判らぬといっておるではないか」
と、祖父が割って入った。
「我が名に関わる話でもあります。明瞭に判ればなお、良し、と思っただけです」
すると、珠参がとんでもないことを言った。
「シュアンと朱安は同じものではないぞ」
積み木を崩されたような発言に珠安は呆然となった。
「いや、阿父どの、阿父殿が最初にシュアンだから祖、朱安の名をとったと言ったから…俺は、あ、…わたくしはてっきり…」
「音が違うではないか、安よ」
「わかっておりますっ、だから変だと……」
傍らの嬌嬌はにこりともせず、もぐもぐしながら、じいっと珠安を視ている。
「そう言ったのは老巫覡どのだ」
「え? 阿父殿が決めたのではなかったのですか」
「祖、朱安圭の名を継がせるが良いと、わざわざ呼びつけて儂に言ったのだ」
なくなった巫女だった。巫覡は尊重された。時には邑落の長以上に発言権があったのである。
「では朱安とシュアンがどのような関係であるか、いや、もしかしたら附け子とやらの意味も知っていたかもしれないのですね?」
「そうじゃのう、ご長寿だったからな、……ちと恍惚とされておられたが、語りは抜群だった」
亡くなられて本当に惜しい、と珠参は言う。
傍らの嬌嬌はじっと聞いている。
同じ年齢の娘は笑い、花を髪に挿し、忙しくつぶやいている。
嬌嬌はそれらよりずっと体も小さかった。
珠参も珠安も暗い気持ちになった。
「嬌嬌、何か言って見ろ」
珠安が呼んでもただ、じいっと見るだけであった。
「嬌嬌などと、芸人のような名が間違いなのだ」
と、珠参は言うが、
「もう、この娘にややこしいことはしたくないのです」
珠安は承知しなかった。
「甘々でも愛愛でも呆々でも何でも私はかまいません、変えないで下さい」
珠参は話を戻した。
「我ら沙陀のその後である。梁を滅し、後唐を建てた。しかし、……荘宗が弑され、故に宗家も屠られた。皆に推されて李嗣源が帝位につく。朱邪氏の遺民は西に奔り、そのまま移り住んだ…」
続けた。
「…また、遺民の中には契丹に属しておる邑落も在る」
後唐は太祖李克用、その息子李存勗と続いたが、李存勗が死んだ後、沙陀の李嗣源が帝位につき、後唐は継続した。
李嗣源は宗家の出自ではなかった。
しかし、李克用の仮子であったため、継承の権利があったのである。
仮子とは他人を我が子とする慣習であった。
仮子、義児、猶子と言った。唐から五代十国時代ごろ流行り、特に沙陀に多かった慣習であった。
親子関係を結んで軍の結束を強めたのである。
宗家の血統は途切れた。
同じ沙陀でも朱邪氏の流れではなくなったのである。
皆に推されて就く。
これも遊牧民の伝統である。
五代十国時代後の北宋でも、建国時に趙匡胤が麾下に推されて帝位についた。
また、後周を建てた郭威も漢人であるが、麾下に沙陀兵が多かった。郭威は後唐、後晋、後漢と続けて沙陀に仕えている。
北宋はその後周の基盤を受け継いだのである。
「その後ですが、…我らは李嗣源側に仕えていたので我らは残りました。が、…その……少し微妙な立場になりました」
万夫人は珠参を指さしながら、さりげなく話した。
「おう蔑まれたものよ」
「宗家に近しく仕えたことが…仇となしました」
「……左様である。かの尊き翼聖率いる鴉軍の一角をわれらの旗軍は担い…、その栄光と武功、そして………」
珠参は語り出した。
李嗣源の後を継いだ息子李従厚は李従珂に殺された。
李従珂は李嗣源の仮子である。形として二人は兄弟になる。皇位を奪っても大義名分があった。
そのすぐ後、李従珂は李嗣源の娘婿である同じ沙陀人の石敬瑭と争い、石姓の敬瑭が契丹に臣下の礼をとって助勢を得、後晋を建てた。石氏晋朝である。
後に後晋と呼ばれた。
その際、珠参とその父珠令は異議を唱え離反したのである。
彼らは邑落あげて河西に奔った。
この時、珠安の父珠仁と曾祖父珠令が殿軍を努め、命を落としたのである。
珠安はその直前に生まれた。
それからはえんえんと珠参の語りになった。
沸々と煮えたぎる契丹に対する怨嗟、石敬瑭への罵倒。
父と息子を失った祖父に物申すこともできず珠安は無口に首を垂れた。