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龍が鳴く砂漠  作者: 鮒井春樹
実の娘
6/20

一、幼児

 

 再び廣順元年に戻る。

「あの頃は、はやり病があって…」

(そうなのだ)

 珠安は思う。

(子どもが多く亡くなった)


「お前もですよ、もう駄目かと思うほど……まことに心配しました」

「申し訳ありませんでした」

 

「…私はこれほど祈ったことはありませんでした」

 珠参が残念そうに呟いた。

「康と呈も死んだ…貰った大事な養い子だったのに」

「ああ、康と呈…懐かしい。あの頃は天幕には義弟が二人いましたな」

 珠安は覚えていた。

「一緒に遊んだのを覚えています。よその子だと思っていたら、阿父殿が今日から、皆、我が天幕の息子達であると…」

「二人ともあの病であっけなく天に帰りました」

 万夫人も切なそうにため息をつく。

「哭いて…返せ、と天に祈りましたよ、安…」

「生きていれば天幕もさぞ、にぎやかであったろう」


 珠参はしんみりと下を向く。

 祖父の嘆きをよそに珠安は考える。

(子どもが少ない)

 珠安の周りには同年代の男子がまったくいなかった。

(これも悩みの一つである)

 今、天幕で男手は二人である。ぎりぎりであった。

 邑落全体も似たようなものである。

 戦さや交渉など大人働きできる者が少なかった。

(数が減れば自らを守る旗軍もままならない、しかし、数が増えれば食い物が足りぬ…うまくゆかぬものだ)

「子どもか…」


   ◆  ◆


 三日経った。

 まるで、子ども、子どもと聞きつけたかのように、謎の女は突然、邑落に現れた。

 心の臓を雑巾のように絞られた心地になった。

 契り合った夜が蘇った。

 訝しむ祖父は珠安の顔色を見て誰かを察した。


「お久しぶりでございます。珠安、……いえ、珠圭殿とお呼びいたしましょうか」

「……」

「お忘れではございませんね」

 すっと細めた目が美しい所作であった。

 胡人のような風貌であった。

「名前は何という?」

「アラ・クシュ」

「斑の鳥?」

「いえ、鵲娘でよろしい、珠三光殿」

「鵲娘…」

 祖父珠参に拝礼のち、女は珠安に向く。

「お前は、我が息子に嫁する気か」

 顔を朱にして、珠参は怒鳴った。

「いえ、そのような大それた願いではありません」


 鵲娘はそばの葛籠を開けた。

とたんに珠参は背筋が冷たく強張った。

 珠安はうずくまる女児を見た。鵲娘に気をとられていた。

 顔が火照る。


「この児、珠圭殿のお子です、故にお引き渡しに参りました」

「あの……、あの折の」

 膝を抱えて見上げる女児と目があった。微笑いもせず、怯えるでもなく、ただ、じっと珠安を見ている。

「名は嬌。嬌嬌と呼んでください」

「嬌嬌……」

 つい、引き込まれるような心地になり、二人はつぶやく。

「ようやく、乳離れがすみました。かわいい歯も揃ってございます」

「そのような筈がない、そうだとするなら、この児はもう五つであるぞ。小さすぎる!」

「少し生育が遅いのでしょうなあ、やはり……」

と、鵲娘の瞳が、ちか、と笑った。

「躰は丈夫です。滅多なことでは死なないでしょう、しかし……」

(妙な物言いだ)

 珠安は思う。

「お前の娘でもあるのだぞ、子を手放すのが怖くはないのか」

「必要なのでございます、おお、附け子はご存じか?」

「附け子、……なんで、貴様が知っている」

 珠参は怪訝な顔で鵲娘を見た。

「それが何を意味するかは、もう誰もご存じないでしょうが……」

「それより、その児だ。珠家の血であると確信できぬ」

「龍の血とすぐにお判りになることと。……この児、珠圭殿以外には懐きませぬでしょう」

 そう言って、ちらりと珠安を見た。

(龍の血……嫌味か……?)

「良いお貌になられましたね、背も伸びた」

「……」


 女は少しも変わっていなかった。

 まじまじと陽の下で珠安は鵲娘の顔を視た。

 丁寧に白粉を塗り、かすかに紅が頬を彩る。

 不思議なことに虹彩はあの夜見た縦目ではなかった。

 笑って珠安に顔を寄せた。

 ぎくっと、珠安が後ずさると、顔を寄せていう。

「薬草がございます、人を殺せるほどの毒草でもあり……けれど、その毒はわずかに使うと、例えば目に点すと、このように瞳の黒が開くのです」

 そう、迫った。

「さっさとその児と、去れ」

 珠参が怒る。 

「では、私の下袴を返して下さいませ、それなら、お許しいたしましょう」

 

 これには珠参も黙るほかなかった。


「育てられないから、此処へ置き去りにするのか」

「鷹のように大事に扱い、馬のように丁寧に扱えば良いだけのことです」

 我が娘を指し示して鵲娘は続ける。

「どうしても珠圭殿に預かっていただきたいのでございます」

 そして、やわらかに布をかぶり直した。 

「妖しい、お前は何者だ」

「阿父殿」

 珠安があわてて制止した。

 古来より人でないものに喧嘩を売って良き結末は、あった試しがない。

 鵲娘は言った。


「……人の世はまことに生きにくい……おわかりですか」


 ふと、何かが囀った。

 珠参と、珠安がふり向くと、鵲娘の姿は何処にもなかった。 

 女児がじいっと二人を見上げているだけであった。

 珠参が抱き上げると、さっと硬くなった。

 逃げようと仰け反ったので、珠安が下から抱いた。すると、力を抜くのがわかった。

(うむ、柔らかである)

 嬌嬌はそのまま腕の中で丸くなった。

「附け子とはなんなのです」

 珠安は祖父に尋ねた。

「…うむ、何のことだか、もう誰にもわからぬのだ」

 ぽつりと珠参は言った。

「解らない…とは?」

「あまり口に出してはならぬとされた言葉なのだ」


    ◆  ◆  


 女児は結局引き取った。

 天幕に座り、祖母を前に事情を説明するにはかなり気が重くなったが、祖母、万夫人はさほどの当惑もなかった。

「子が、天幕に一人増えて良かったではないですか」

 さっさと、嬌嬌を天幕に手を引いて連れて行った。土で汚れた手足を見とがめる。直ぐに湯を沸かすよう珠安に命じた。

「たっぷりと湧かしなさい」

 祖母は大ぶりの盥盆を出してきた。

「可愛らしい、笑っておくれ」

 緊張で嬌嬌は引きつっていた。

 握りしめた手が震えている。

「こわくない…」

 そうっと万夫人は抱いてやる。

「珠安の血統かどうかも判らぬというに」

 湯に入れ、身体をしぼった布で拭き、全身を丹念にこすってやると、泥と垢が落ちた。

「ん? 何か色の白い子ですねえ」

 色白というより、「顔色が悪い」の白さであった。

「病持ちではあるまいの」

「そうですねえ、あまり、食べていないのかも知れません、日に当たったことがないような白さですねえ」

 嬌嬌の髪を洗おうと手を伸ばした。

 暗い枯れ草色の髪であった。

「これは、…我らの血を引いておりますよ」

 柔い髪を触った。

 とたんに、嬌嬌の身体は硬くなった。

「怯えなくてもよいのですよ、大丈夫、大丈夫…」

 万夫人は根気よくあやした。頬を包むように撫で、顔を寄せて次々と接吻した。

「ああ、この匂い、可愛い」

 抱かれながら嬌嬌はぎゅっと拳を握りしめていた。

「五つだとしたら、少し変ですねえ、これでは眼も開かぬ嬰児を思わせます」

 万夫人は嬰児が母には柔らかに身を預けるが他人には躰を固くするのだと説明した。

「うむ」

「歯が生え揃ったと申しておりました」

 万夫人は考え込んだ。

「遅いですねえ……」

 祖父に天幕のはしっこへ引っ張られた。

「あれは、ええのう。確かに血が沸く女であるな」

と、珠参は珠安に耳打ちする。

「ふむ、あれは確かに剥ぎ取りたくなる女であったな、お前が迷うのも仕方あるまい」

 珠安は黙って帯をいじる。

 何処かへ消え失せたいような心地になった。

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