二、迷走
昔々、突厥は狼の事をボリと呼んだ。
狼にはもう一つ語があった。クルトと言い、蛆虫という意味と兼用した。
現在のテュルク語圏では、大抵この二つのどちらかを使用し、現在のトルコ共和国は「クルト」である。
この、ふたつの「狼」の走る先に次の謎があった。
──蒼き狼──
と、いえば大モンゴル帝国。
『元朝秘史』の冒頭はこの有名な言葉である。
しかし、「元朝秘史」はモンゴル語で残っていない。漢語に訳された時、
──蒼色的狼。
と記された。
モンゴル語では狼は「チノ」で、まだらや灰白色の…、を「ボルテ」という。色々な書籍では「蒼色」には「青色」だけでなく、尋常でない神威をあらわす意味と説明されている。
しかし、その後が拍子抜けする。
蒼い狼が生んだのはモンゴルの始祖ではなかった。
その何代も後の子孫が死んだ後、その妻が金の光に感じて生んだ子の一人が始祖である。「蒼い狼」は語りの冒頭に文頭に出てくるだけであった。
狼は古トルコとされる諸部族に多く関わった。
始祖に関する話に狼参上、ご覧あれ、なのである。
烏孫 (古トルコ系と推定される集団。紀元前二世紀頃)
高車丁零(鉄勒諸族の前身とされる集団。四~六世紀前半)
突厥 (六世紀、あれよあれよと広大な領土を持った強国)
しかし、この三つは「蒼い狼」ではなかった。
烏孫に到っては「狼」は乳を飲ませてくれただけなのである。
父が「狼」なのは高車(丁零)だけだった。その母は匈奴だと記述されている。
……突厥、阿史那氏可汗家の狼。
可汗の大旗竿冠頭は金の狼頭であったと正史に記されている。