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龍が鳴く砂漠  作者: 鮒井春樹
沙 陀
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二、河西の情勢

 沙陀は西域の北庭付近に遊牧していた。

 その後移動し、諸事情のち使えていた大国吐番から攻められ離反した。

 すぐに沙陀は東遷し、漢土の唐朝に帰順を求め、天幕とともにやって来た。そのまま辺境で遊牧と軍を生業として根付く。

 やがて戦の功績により唐朝より李姓を賜る。

 その次世代が五代十国の雄、独眼龍李克用であった。

 名高いのが鴉軍と呼ばれた沙陀騎兵である。甲も馬も漆黒の軍は代北時代からその名を馳せた。

 所謂、軍閥である。

 沙陀は着々と勢力を伸ばした。

 末期を経て唐王朝は朱全忠に断される。

 五代十国の時代に入った。

 王朝は「梁」となった。後梁である。

 沙陀は後梁と覇を競い、文字通り血で血を洗う抗争の末、次世代が梁王朝を滅ぼし国号を「唐」と定めて華北を手にした。

 沙陀の後唐である。

 しかし、沙陀はその後、次々と内訌が起こり、分裂した。

 中には華北を離れ、河西へ移住する沙陀の民もあった。珠安の氏族もそうである。

 涼州。ここから河西の地である。

 さらに進むこと南山。うつくしい草原の一角に、珠安達の邑落は冬営地を定めていた。

 河西は西域へ続く要所である。 

 この地を河西回廊とも呼んだ。

 廣順年間のこの頃、涼州は雑多な寄り集まりになった。

 吐番の陰は薄い。

 つい一昔前に吐番が支配した涼州であるが、元王族中心の小さな勢力のみが残っていた。吐蕃も内訌でその勢力は弱まっていた。

 そのような歴史の勢力地図にかかわらず珠安達はただ一つの事柄が頭を悩ませていた。

 廣順元年に話は戻る。


「なんせ、食わねばならぬ」 



   ◆  ◆


 

 子羊が次々と産まれる。忙しかった。


 これが終われば山羊、そして馬の出産が来る。

 夏、冬と拠点を二つ持つ。

 馬も囲いを作って飼っていた。

 放すと他部族に収奪されるのである。

 自然、小さな砦となり、それらがある程度の距離を保って点在し、邑全体を構成していた。

 冬営地に麦を蒔いた。

 寒暖の差が激しい。

  元来の牧畜だけで生計を立ててゆきたいところだが、人は覚えた食性はそうそう捨てられない。粉食もその一つであった。

 沙陀は遊牧の民でもあるから、北庭時代から肉、乳製品はもちろん、麺食もあったが、麺麭も欠かせなくなっていた。

 さて、そうなると小麦が要る。

 遊牧民が農耕民を支配した場合、彼らに農地をまかせるやり方があった。

 古くは匈奴の時代にも行われている。しかし、その反面、農耕に転ずる遊牧民も出てきた。喰える生活形態なら何でも良いのが庶民というものであった。


「この世の無常である」

 これ見よがしに祖父珠参がつぶやく。

「仕方があるまい、阿父殿、我らが耕す他ないでしょうが」

「翼聖(李克用)の御代から代々黒光りする甲を脱いで農に転ずるなど恥辱も恥辱、我らは騎馬でこその…」

「食わねばならぬのです」

 丁寧に、珠安は返した。

 涼州に邑落共々移り住んで珠安の年齢と同じになる。

 西域北庭時代から沙陀が馬を降りることは無かった。

 騎馬と弓。

 尚武を尊んできた。珠家では尚更である。


「沙陀宗家に従って東へ移住した時から珠家は始まる…」

 珠参は続けた。


 彼らはサリチガ旗に属する。

 旗とは軍を構成する単位のことで生活の基盤と軍の兵馬が一つになっていた。

 珠参は沙陀が最も光り輝いた時代、鴉軍率いる独眼龍李克用の歴伝づけで育ち、後唐の李存勗の時代で軍に加わり、李嗣源にも仕えている。軍とともに生きた珠参には、地を耕すなどとは「落ちぶれる」そのものである。


「しかし、お前は動ぜぬな」

「当たり前です。私は鴉軍すら知らないのですから」

「祖先を粗末にするでない、その身には旗の名、名将サリチガの血も入っておるのだ」

「漢人の血も入っております」

「そのような、小役人調で返さずともよい」

「解っております、サリチガの血統に駙馬(目上の女につく婿養子)として迎えられたのが、当家の二代目、尽、その曾孫が大父殿です。ですが、それとは関係なく耕し、小麦を蒔かねばなりません」


 生真面目に孫から諭されて、祖父は小児のような顔をした。

 甘州、涼州の人口が増えるに従い、穀物の値が上がったのである。

 最初は糊口をしのいでいたが、邑落で合議したところ、農地を増やすこととなったのである。

 南山には良い牧草地があるが、後から移住してきた珠安達にはあまり良い場所はない。

 切り取ろうにも兵力はなく、邑落の半数以上は馬と密着するような生活が過去のものとなっている。

 すでに良馬は党項(後の西夏国)経由で仕入れるようになっていた。

 珠参も馬だけは年に十数頭ほど増やしているが、数が違う。

「家畜と同じように麦を育てるだけです」

 

 牧を尊び農を厭うからやらないだけである。

 今は半農半牧畜が浸透している。

 涼州の漢人たちはすでに耕作をして長い。

 教えを請うて、農に比重をおいてやれば良いだけの事と彼は考えている。

 幸い、ここから涼州は近い。売るにも好都合である、と珠安は説く。


「馬を粗末に扱うとは言うておりません。むしろ、武は必要と成ります故、益々の鍛錬は怠たることなく努めます。しかし、それと、耕作とは別だと申し上げているのです」

 その上で、馬を売ればさらに安定した収入になると珠安は考えていた。兵馬で身を立てていた時代ではないのである。

「もお、ええわい、やるしかないのか」

「はい、その通りです、阿父殿」

 二人の傍らには張郁という漢人が笑っていた。城郭近郊に住んでいたが、珠安達についてこの地に作農しようと一族ごとやってきた。

 既に珠安は彼から麦と葡萄の作付けを学んでいた。教えられた通りに馬に鋤を引かせる。


「塩土は土の表面に溜まります」

「……」

 無言で珠安は土の塊を舐めた。

「左様、頭で色々考えるより、良き方法ですな」

 つまるところ、何事もよく観るということから始まるようである。

「幻術ではないのです」

「はい」

「ただ、気をつけねばならぬことは、牧するより農耕の方が土地を駄目にしてしまう早さがあります。念頭において下さい」

 張郁は丁寧につけ加えた。

「我ら一族が居を変えたのもそれが理由です。以前の土地ではもう…」

「………」

「ご覧なさい、これら雑草、みな同じ種ではありません。季節が変わる事に少しずつ入れ替わります。それぞれが繁栄する時期があるのです。つまり、終わる時期があり…」

「人の世のようだ」

 珠安は嘆息する。彼には雑草は皆、同じものに見えた。

「そうですな、作付けした麦が育つよう我々が手助けしてやることが良いのです」


 そう彼は笑った。


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