《第一章【カンタロスの女神】》 -23-
※この部分は、PC仕様の横書きスタイルを前提にして部分的にセンタリング表現を用いております。お手数ですが、スマホなどでご覧の場合には『横向き』で読むことをお勧め致します。
その奥には、単純なほどに分かり易いボタンが一つだけ用意されていた。その右側にはレバーがあり、今は下がっている。おそらくはそのレバーを先ずは上げ、このボタンを押すことで何かが作動する仕掛けなのだろう……。
そこで何が起きるのか、もうから既に嫌というほど想像出来てしまう。
おそらくは先ほどの小さな口……その奥の水門中央辺りに仕掛けられた爆薬の束が一斉に爆発する、といった所かね? それでこのカンタロス下流域がどうなるのか想像するにも恐ろしいわい。
このカンタロスの水源にたまる水量ならば、下流域に住む人々の村々や穀倉地帯の壊滅的打撃など実に容易いことだろう。そして更に首都キルバレスへの水の供給断絶による人々の苦しみうめく声がもうからカルロスの耳元には聞こえて来るようで、先ほどから手指の震えがどうにも止まらなくなっていた。
「全く……なんという愚かなモノを……」
思わずカルロスは眉を顰め、真剣な眼差しのままそう零してしまう。
確かに、今これを使えば共和制キルバレスとしては首都周辺の復興を何よりも優先せねばならなくなる。国が滅んでしまっては意味がないからだ。
最高評議会としても選択の余地など先ずあるまい。となれば、パーラースワートロームへ侵攻中の軍も早々に引き上げさせ、これに当たらせることは間違いないだろう。それでパーラースワートロームの民は、きっと救われる。
ああ、なるほどのぅ。それはヨシとしよう。
しかしその一つの目的を果たすが為に、犠牲にしても良い命が君はあると思うのかね? この様な愚行が許される訳なかろうが!
そうであろう? グレインよ……それは違うと君には言い切れるのか?
グレイン――さあ、今すぐに答えよ!!
それから改めて眺め見ると、そのボタンの上にもこの部屋の入り口にあったのとまるで同じ様に文字が刻まれた石版が填め込まれてあることに気がつく。
そこにはこう刻まれてあった。
〝愛するが故に……我は思い、今、その決意を形にする〟
──ああ! 全ては過信が生み出した
結末だった、のさ……──
「……」
それはまるで、あの時のカルロスの言葉に対するグレイン技師の答えであるかの様だった。
あの時グレインは何も答えず、ただただ『まあまあ~♪』と言い。カルロスのことを宥め微笑んでいただけだったのだ。
それだと言うのに今頃になってあの時のグレインの答えがこんなところに、しかもこんな形であろうとは……お前は実に、なんともズルイ男だよ。
カルロスはここに来て……その答えの意味を感じ取り、膝をその場にて崩す様にして落としてしまう。
そして静かに座り込みそのボタンのある壁に背を委ね、ふとあの手紙の内容を思い出す。
〝カンタロスの貯水池だ。その地でそれを見て、どうするかの判断は全て君に託たくすよ。
君ならばこの私などよりもきっと冷静にそこで良い決断が出来る筈だと私は信じている……〟
「……グレイン。お前はなんてものを、このワシに託したのじゃ……なんてものを……」
そう零しながらカルロスは力なく目を瞑り、あのグレイン技師と共に過ごしてきた遠い昔の事を静かに思い出してゆく──。
『──見ろよ! グレイン、コレだ。これこそがコークスの力なんだよ!!』
まだ二十代の若き頃のカルロスの姿がそこにはあった。
カルロスは貧しい農家の生まれで、それも三番目の子だった。当時から子供ながらにも色々なものに興味を示し、やがて便利な道具を作っては父親をよく驚かせる、そんな子供だった。今思うと子供の頃の自分はそんな父親の驚く顔を見るのが何よりも楽しくてたまらない活発でいたずら心のある実に困った子供だったと思われる。
所がカルロスの父親は何を思ったのか、家の大事な馬を売り払い、自分の畑だけでも大変なのに他人の家の畑も手伝う様になり。何故か急に彼を近くの学校へと通わせ、しかも進学までさせてくれた。
やがてセントラル科学アカデミーを卒業したカルロスは直ぐに、折れ曲がる農機具の改良をその父親の為に始めた。
そぅ全ては、父親に対する恩返しから始まった。そこで見つけたのがコークスだったのだ。
『グレイン、これこそ! これこそがコークスの力なんだよ!!
コイツの火力でこれまでよりも強度のある、そして軽い農機具が作れるようになるんだぞ! 凄いだろう!!』
カルロスが言う通りそれは農機具に限らず、とても優秀な道具を次々と生み出していった。そして同時に……それはやがてそれまでよりも強度のある《剣》や《軽い盾》などの武器・防具製造へと発展してゆく――。
しかし当時はまだ、そんな国内の変化に何一つ気づくことなどなかったのだ。
『──見ろよ! グレイン、光だ。これだよ! これこそがコークスの光なんだよ!!
この国を明るく照らし出す、新しき光だ!!』
それはカルロスが三十代になって直ぐの頃だった。
『これで街中が夜でも明るく照らされ、歩き回れるんだぜ! 凄いだろうー!』
コークスから発生するガスを燃やすことで、光を作り出す。それによりこれまで昼間しか出来なかったことが夜でも可能になっていった。
国内での飛躍的な《生産力の向上》である。
そして同時に、武具の増産も飛躍的になる──。
それでも当時はまだ、それで豊かになってゆくこの国の姿を誇りにすら感じる日々だったのだ。
だが……それから十年後。
「最高評議会が北部への遠征を決定したそうだよ、カルロス」
「……」
実はその数ヶ月前、大勢の負傷者や奴隷が居る新たな占領地へと、カルロスとグレインは共に向かい視察していた。それがどういう意味なのかそれまでカルロスもグレインもよく理解していなかったのだ。
そしてそこで始めて目にした……現実。そしてそこで感じ知り得た……気持ち。
〝こんな筈ではなかったんだ……!!〟
その時に、カルロスはついあの言葉を吐いてしまったのだ。
──全ては、過信が生み出した
結末なのか……?──
あれから……数十年と経った今、その当時のカルロスに対するグレインの答えがここにあるコレなのだろう……。
──ああ! 全ては過信が生み出した
結末だった、のさ……──
かつてキルバレスという国は今ほど豊かな国ではなかった。
しかし……それでも人々の心は今よりもまだ豊かな国だったように思える……。
「ああ、そうじゃなぁ……グレイン。君はきっとこのワシにそう言い続けておったのではないか? だから全てを――早く終わらせよう――と……君はこのワシにずっとそう語り掛けていたのじゃろう……?」
今だからこそ分かる気がする。最後の手紙の中で何故かグレイン、君はしきりに謝っておったな? すまない……と。それはつまりこういうことだったのではないか?
それだというのにワシはあの時、自分の事ばかりで頭が一杯じゃった。下手に口を出すことで唯一許されていた研究さえも奪われ禁止されてしまうのを何よりも恐れたからじゃよ。
グレイン、ワシは愚か者だ。君がパーラースワートロームの民を命懸けで守ろうとしていたその時に、このワシはのぅ……自分のことしか頭になかったのだ。しかもワシはなぁ、お前のことを『愚か者』などと決めつけ罵ってしもうた。すまぬ!
誰よりも愚か者だったのはむしろ、このワシの方だったのかもしれぬのになぁ……。
カルロスは静かに吐息をついてゆっくりと立ち上がると、そのボタンを恨めしく思いながらも正視する。




