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「んーっ! んんんんーーー!」

 色のない異空間に、少女の声。赤髪のカイリは、仲間二人の前で、真っ赤になって力んでいた。

「ほら、あと少し。頑張って」イソラが手を叩く。

 彼女の右腕の傷口からは、血がぼたぼたと溢れて落ちる。

「んんーー! あああっ!」

 バシュッと鮮血が舞って、カイリの身体は仰け反った。傷口から、新しい腕が生えていた。

「やった」苦しい顔から一転、ぱあっと明るくなる。

「その調子で足もいこうか」

「んんーー!」

 撃ち抜かれた足も完全蘇生する。

 はぁー……とカイリは息をついた。手足には透明の液体が滴る。

 顔を上げると、イソラの視線。なぜか頬が紅潮するのを感じる。

「ね、ねぇ。これって、人前でやることだった……?」

 なぜだか、すごく恥ずかしい。

「普通はしないかもね」

 イソラは飄々と言う。

「僕らは生まれたばかりだから何もかも初めてだけど、身体の再生って生物で言うなら排泄行為に相当するらしいよ」

 彼らの頭には、母体であるユーフォリアを通じて、地球の生物や文化のことが初めから記憶されている。

「コアを露出させるのに次ぐ羞恥だとか」

「いっ……いやああ……」

「ネガ、ちゃんと撮った?」

 イソラは振り向く。ビデオカメラを構えるネガがいた。先程、家電店から拝借したものだ。

「……モチ」

 再生して見せる。『んーっ! んんーー! ああああっ!……バシュッ!…………ハァ、ハァ、ハァ』

「きゃーーーー!」

 涙目で寄ってくるカイリを、ネガは足で制す。

「やめてよー。今すぐ消してー」

「嫌だ。可愛い子はいじめたくなる」

「お、ネガの本音が出たね」

「もう一度、電気屋に行ってくる。コピーして、配布する」

「やーめーてー!」

 イソラが嘆息した。

「これは、手間をかけさせた罰だよ。お陰で僕とネガは

ゲーム中断して助けにいくことになったんだから」

 互いに携帯ゲーム機を取り出すイソラとネガ。

「って、なに遊んでるの! もーっ!」

 イソラが指を鳴らすと、空間が切れてピンクの携帯ゲーム機が現れる。怒ったカイリの手元に落ちた。

「えっ……。あたしも一緒に?」

 二人はこくりと頷いた。カイリは嬉しくなって、電源を入れた。

『んーっ! んんーー! ああああっ!……バシュッ!…………ハァ、ハァ、ハァ』

「うああああん!」ゲーム機は全力で投棄される。

「撮った動画を送れるんだね。電化製品って凄いよ。いきなり使いこなすネガも凄いけど」

「嫌い! ネガもイソラも大嫌い! ユーフォリア様に言いつけてやる!」

「そっか……、じゃあ、ユーフォリアさんにもこの動画見せなきゃなぁ」

「えっ、や、やめてぇ……」

 カイリにとってクイーンは尊敬の対象である。鼻水を垂らしてすがった。

「そろそろ時間」ネガが言った。

 哀れなカイリの頭を撫でながら、イソラは振り向く。

「そのようだね。我らが女王に会いにいくよ」

 空間を指で切る。ぱっくりと開いた異次元ゲートに、三人は飲まれた。


 そこには、煌びやかな世界が広がっていた。

 女王の間である。カイリがうっとりするような煌めきたち。宝石があるわけではない。空間が輝いているのだ。

「ユーフォリア様の――」

「ユーフォリア様の――」

「ユーフォリア様の――」

 反響する声。

『おなーりーであーるー』

 どこにいたのか、黒い執事がぬっと現れ、手を伸ばした。その先の空間が割れた。

 豪華な装飾を纏った、巨大な女がせり出した。

「ユーフォリアさまっ」

 カイリが前に出る。しかし執事によって制される。

 女王は巨大な口を、ゆっくりと開閉した。

 音はない。

「――ネガ、イソラ、カイリ、初めてのお外はどうでしたか」

 執事が言った。彼は女王の言葉を繰り返し、他者に伝える役割である。

 カイリは邪魔と言わんばかりに一瞥し、ユーフォリアに向き直って、

「お外の空気は最高でした!」

「カイリがやられそうになりました」

「それを俺たちが助けた」

 女王は頷く。カイリは、いーっと二人を睨んだ。

 また、巨大な口が開かれる。

「――気をつけてください。自分を、大事にするように」執事の声。

「はいっ」カイリは敬礼した。

「――魔法少女は、侮れません。伝説の魔女の、意思を宿した子たちですから。……しかし、安心なさい。すでに手は打ちました」

「おおっ」とカイリは感服した。

「いちいち大袈裟だなぁ」とイソラ。

「――わたしは、また眠りにつきます。ドロシーに受けた呪いはなかなか解けません……ふぁ」

 執事はあくびをした。

「――それでは、あなたたちに、多大な幸福あらんことを」

 その言葉を最後に、女王は空間の奥へと消えた。

 執事が頭を下げ、三人もそれに倣った。

「ユーフォリアさま……。きゃーー」カイリは自分を抱きしめて地団駄を踏んだ。

「執事さん、面白い動画があるんですけど」

「やっ、やめて! やめて!」

 ネガが無言で再生を始める。執事は寄ってくる。

「ぎゃーーー!!」

 カイリは暴れた。

「冗談だよ、カイリ。こんな卑猥なもの、女の子の前で流すわけないじゃん。……というわけで執事さん、後で男三人で見ましょうね」

「いやだぁー! もう! もう! 怒ったからね! 二人がやられた時も、あたしビデオに撮ってやるから!」

 イソラはきょとんとした。「……僕たちはやられないもんなぁ?」

「うん」

 二人で頷き合う。

 カイリはずいと前に出て、イソラを下から睨んだ。

「ねずみ色の方、ハンパないんだから。イソラだって勝てないよ」

「そうかな」

「そうだよ」にやにやと笑う。「勝てるんなら、倒してきてよ」

 前髪に隠れたイソラの目が、鋭くなった。

「……じゃあ行ってみようかな」

 指で空間を切った。開いた異次元に、夕飯を食べる少女――榊幸奈が映される。

「彼女のことは気になってたし。人質とられてるのに撃つって、なかなかないよね」

「カレーライス」

 ネガが呟く。イソラも、「おおっ」と反応した。幸奈が口に運ぶ、白米と、黄色の液状体。

 ぐぎゅるるるぅ。カイリから音がなる。

「あたし、お腹すいちゃった」

「ネガ、カレーが食べれるお店を探すんだ」

「がってん」

 異次元穴から出した麻浜市マップにより、カレーチェーン店が見つけ出される。イソラが空間を切り裂き、三人はその場から消えた。

「……」

 執事が無言で残された。


 幸奈の口は、数分前から止まりがちだった。クラークが作ったカレーを、無意味に米と混ぜ、それからスプーンで縦に切っていく。

 次は横に切っていく。

「遊ぶな、幸奈」

 鍋の前のクラークに言われても、幸奈はやめない。カレーいじりをしながら、軽く溜息をついた。

「魔獣って、死ぬんだね」

 ぐちゃぐちゃに掻き回す。

 クラークが呆れたような口調で言う。

「死ななければどうなる」

「いや、なんていうかさ……」

 ご飯の山にスプーンを刺した。

「覚悟はしてたけど、やっぱりマジな戦いなんだなって。……わたしも、ヘマしたら死ぬでしょ」

「……君は、強かった。楽に勝ててきたのだから、実感がないのも仕方ない」

「いや、危ないと思ったから、上手く戦おうとしただけだよ」

 幸奈はカレーを一口食べる。

「やめれないんだよね、今更」

「管理者にデータを取られている。ただでさえ適合する者は貴重な上、君の場合、向こうが手放さないだろう」

 苦々しい口調だった。

「わたしがさぁ……例えばトイレから出てこなかったら」

 クラークは目を丸くする。「何だそれは」

「だから例えばだってぇ……」思わず笑ってしまった。

「そしたら、どうなるのかな。結果的に」

 つられて微笑むクラーク。

「私がクビになるだけだ。魔法少女の待遇は変わらない」

「そう……」

 優しいんだ、と幸奈は思った。自分が戦わなくても、クラークや更に上位の魔獣が困るだけ。

 自由が許されている。昼間のような敵がどんどん現れて、人が死んだり、魔獣や魔法少女が死んだりしても、全てを突っぱねることができる。

 それが、自分を守ることだ。一人の人として当然の権利だ。

「……」

 許されることは、大きすぎる服のようだ。

 戦うには適さない。

 裸になって放棄することも、また違う。

「ねぇクラーク」

 彼は振り向いた。カレーを混ぜる手は止めない。

「あんた、魔獣だし、変なこと言ってもいいよね」

「……何だ」

 俯いて、皿を指で鳴らしながら言う。

「わたしはどうすればいいのかって、ずっと考えてるんだよ」

「戦いか……?」

 違う。

「どうしたら、わたしの人生、もっと輝くかな。……神様は、何が正解って言ってるのかな……」

「宗教のようなこと……?」

「世界を、作った人が、定めたゴールを知りたいの。この年だとみんな恋愛に夢中になるけど、違うでしょ、そういうの」

 幸奈は一つの恋の終わりを間近で見ている。

「……まぁ、勉強して、とりあえずいい大学出ておこうかな、って」

 クラークは目を逸らした。

 また鍋に向かう背中に、幸奈は言った。

「……わかってるよ。目の前にあること片付けなきゃ、何も鮮明にならないんだって」

 窓の外で雨の音がする。梅雨入りである。にわかに暗くなった空を見て、幸奈はカーテンを閉める。

「わたしをぶってよ」

 クラークは信じられない表情で彼女を見た。

「お父さん、いないから、怒る人がいないんだよ。わたしを躾けてほしい」

「何故そんなこと……」

「美由の魔獣、たぶんあの子に厳しかったよ。クラークは甘すぎるんだよ。だから舐められるの」

 幸奈は彼に近寄る。

「思い切り殴って。わたしとあなたの関係性を変えて」

「君は女の子……」

「できないなら、あんたを殺して次の魔獣に頼む」

「……」

 クラークの、動物的な手が、幸奈の頬を殴る。

 少し髪が揺れた程度だった。

「支配しろって言ってんのよ」

 歯を食いしばって、クラークは再度殴った。

 幸奈は軽く腹部を叩いて、「ここもいいよ」

 尻尾がムチのようにしなり、腹を打った。吐息が漏れた。

 幸奈は笑っていた。

「もっと」

 クラークは必死で殴った。


「こわっ」

 カイリが引いた。

 情報端末ディスプレイよろしく店のテーブル端に開かれた異次元モニター。台所で魔獣に自身を殴打させる少女の姿が映し出されている。

「どういう過程でこうなったんだろ」

 異次元を介した監視では、音は聴こえない。夕食から殴打に発展した経緯が謎だ。

「お待たせ致しました」

 テーブルに、注文したカレーライスが三皿届いた。三人は凝視する。

「……カレー、食べたことある人」イソラが訊く。

「いるわけないじゃん。今日生まれたのに」とカイリ。

「……」ネガはただならぬ表情。

 満席近い店内で、注目を浴びる三人。カレーを持ってきた店員も、何度も振り返る。

「……カレーは殴り合いを引き起こすのか?」

「魔獣は殴ってばっかだったけど……」

「じゃあ、一方的な暴力……」

「あっ、でも食べてたのはあの子だけだったような」

「カレーを食べた人は、殴られてしまうのか……?」

「……」スプーンにカレーをとって、カイリの口の前に持ってくるネガ。

「やだよ、食べないよ!」

「じゃあ何しにここにきたの、僕らは。ついでに言うと、会計もどうするの」

「凄く、見られてる」

 カイリは見回した。店内の全員と目が合った。

「この格好、まずい?」

 胸、腰が赤毛で覆われた身体。あとは皮膚に模様が入る以外、裸である。

 イソラは青、ネガは金。カラフルな三人。

「次から気をつけよう。それよりカレーだ」

「ネガが色近いから、食べてよ」

 カイリが言うと、それまで向かいに座っていたネガが立ち上がり、彼女の隣に移動する。

「えっ、なに、……やっ! やだやだやだー!」

 頭を押さえつけ、無理やりに食べさせようとする。イソラも加勢した。

「やあああ!……」

 ぱくっ。遂に口に含んでしまう。目をまん丸に開くカイリ。舌で味わいながら、飲み込んでしまう。

「……お、おいしい……」

 幸せな顔をした。

「で、殴ればいいんだよな」構えるイソラ。

「ええっ! やめてやめて!」

「殴らないと、カレー食えなくなる」

「そんなルール初耳だし!……おいしいから食べてみてよ、ほら!」

 カイリは両手で二人に食べさせた。

 二人は無言で首肯した。

「ね。おいしいでしょ?」

「……胃に悪そう」

「うんこに似てる」

「ちょっとネガ! あたしたち、そんなのしないよ! 変なこと言わないで!」

 騒がしい三人を、微笑ましく見守る客の視線。

「おいしいおいしい」と言い食べちらかしたカイリに、隣の卓のおばあさんが来て、ナプキンでテーブルや口を拭いてあげる。

「……すみません」ネガが謝る。

「いいえ。孫が喜んでいるわ」

 見ると、小さな子供がカイリの尻尾を掴んでいる。

 ソファーに乗ってきて、毛に触り出す。

「ねこさん」

 胸を揉み始める。

「えぇ……ちょっと」

「この、カレーという食べ物なんですが」イソラが訊く。「胃に悪くはないでしょうか」

「牛乳と一緒に食べればいいのよ」

「い、イソラ、助けて……、あ……」

「切実な問題なのですが……」ネガが言う。「カレーは代金が要りますよね」

「そうだけど、持たないのかしら?」

「ええ」

「……あっ…………やだぁ……」カイリの喘ぎ。

 おばあさんは訝しむ顔をした。「お父さん、お母さんは?」

 イソラは脳内の情報から、自分達の状況を表すのに最も的確な事項を選び出す。

「いないんです、三人とも。孤児です」

 おばあさんの覆った口許から、「まぁ」と声が漏れた。

「……お会計、一緒にしましょうね」

「えっ、そんな」

「いいのよ。その仮装で暮らしているんでしょう? 楽しめたから、そのお代金よ」

 カレーを平らげた一行は店を出た。お金を払ってくれたおばあさんと、その孫に頭を下げて、別れた。

「お世話になっちゃったね」イソラが言う。

「次から、お金……」

「そうだね。……ところで、この後なにするんだっけ。お腹いっぱいになったし、とりあえず帰る?」

「うん……」

 後ろでは真っ赤になったカイリが、扉に寄りかかってはぁはぁと熱い息を吐いていた。


 目覚ましが鳴る。深夜アニメのポスターが貼られた壁。本棚には青年向けの漫画。寒色系の部屋。

 窓淵の縫いぐるみが一体、動き出す。黒い羽をパタパタとはばたかせ、ベッドへ。掛け布団をめくる。

 青いパジャマの少女は、朝の日差しから逃げるように身体をまるめた。

 一瞬の間のあと、悪魔の縫いぐるみは腕を振り上げ、彼女の頬を思い切り叩いた。

「……」

 目覚めた榊幸奈は、魔獣と睨み合う。

「そう……それでいいの。おはようクラーク」

 彼は溜息と共に脱力した。

 二人は部屋を出て階段を下りる。

「昨日も言ったけど、山都市の方もお願いね」

 幸奈は、美由の街の戦いも引き受ける気でいた。クラークに察知の範囲を広げることを頼んだのだ。

「急だな……。とても、いいことではあるが」

「外面がいいんです。すいません」

 幸奈は笑う。

「……わたし、こういうのを待ってたのかもね。……自分一人じゃ何もしないから、状況が変わってしまうのを」

 居間に入る。シリアルの箱を開けて、冷蔵庫から牛乳を出す。

「あんただと、甘えちゃうから」

 簡易な朝食。スプーンを取り出して、それを頂く。

「甘えるのって辛いんだよ。クラーク。変に当たっちゃうし……」

 ああ、この発言自体が甘えだ、と思い、幸奈は口をつぐむ。

 制服を着て、家を出た。真新しい一軒家の榊家。車庫に車はある。お母さんは無事帰宅している。よし。傘をさして学校へ向かう。

 教室では、チャイムぎりぎりになって、びしょ濡れの男子が次々入ってくる。幸奈は後ろの席で、つまらなそうに眺めている。

 早く仕事が発生しないかと思う。幸奈は既に、あの三人を倒す手だてを考えている。当然、未知数の相手だ。計算が狂うことはあるだろう。それぐらいで丁度いい。弱すぎる敵は、気持ちがだれてしまう。

 命のやりとりがいい。架空のゲームはもう飽きた。

「だあーっ!」

 大声を上げて、後ろの扉から教室に男子が入り込んできた。全身が雨でぐちゃぐちゃである。彼が歩いた後に水溜りができる。

「日野っ」「日野、拭けよ!」

 幸奈は視線をやる。日野陽介という短髪の男子は、けらけらと笑いながら雑巾を取った。「間に合えばいいんだよ、間に合えば」言うと同時にチャイムが鳴る。担任がやってきてホームルームを始める中、彼は濡らした廊下を拭きに行った。

 ギリギリの男と幸奈は呼んでいる。

 新年度の六月にして既に、遅刻回数で進級が危ぶまれている。実質、義務教育で留年とされるケースはほぼないのだが、日野はその通告を受けてからようやく授業に間に合うよう通学を始めた。その他にも提出物など、担当教員の本気の怒声が響くまでは出そうという素振りもない。

 自分と似ていると幸奈は思う。ダメなところが似ている……。土壇場でしか力を出さないところだ。

 自然と綻ぶ顔を、俯いて隠す。

 ……わたしが、

 わたしが、異次元生命体を倒してると知ったら、彼はどう思うだろう。

 相入れないとはわかっている。この日常と、魔法少女の戦いは。

 突然現れた不気味な生物に、不思議な女の子達が立ち向かっている。おぼろげに、世間にはその程度の認識しかされていない。ジャミングがかかっているのだ。興味の強い人間は異次元生命体の生体考察や魔法少女の追っかけなどをしているが、一般人はまず気にもしない。せいぜい携帯で撮影するだけだ。例えば月九のドラマより、あの戦いは話題に上がることはない。

 それでも……、あんな風に戦えているわたしを、彼が知ったなら。わたしが彼を見ているように、向こうもこちらを見てくれるだろうか。

「日野。日野陽介」

「はいはいはーい、掃除終わりましたぁー」

 彼と目が合ったことは、一度もない。幸奈自身が絶対に気づかれないように盗み見ているのだから当然である。

 彼のことは、好きだ。

 だが、見ているだけの現状を混みで好きなのだ。自分如きが近づくことはできないし、できたとしても嫌だ。関係が発展していく妄想が制限されてしまう。

 それに、どうしても発展させたいほどに好きでもない。そもそも恋愛ではなく、これはただの窃視癖だ。

 幸奈は現状を好んでいる。必要がなければ動かない。不自然だから。

 ――でも、必要があれば、動ける……。

 榊幸奈は待ち望んでいる。異次元生命体の襲来を。現状が無理なく壊れて、修復された中心に自分がいることを。それが卑しいと知りつつも、望まないなんてできない。頭の中だけは、誰にも、自分にすらも、制御はできやしない。

 授業中、汚い自分がいる。

 ――来い。来い。あの空を割って、窓を突き破って、この教室におりて来い。昨日あれだけ痛めつけたんだ。復讐に来るはずだ。赤い猫娘か、青い少年か。あと……誰だっけ。忘れたけど、今来たっておかしくない。それを迎え討つ。魔力やジャミングで正体はわからなくても、日野や他の人の前で戦って、直に反応が見れる。わたしは、正直言って強い。実戦で追い詰められてもっと強くなる。負ける気は、絶対しない。みんなの前で、襲って来た敵を殺す。

 来い……!

 幸奈は右手を握る。甲に隆起がおこる。興奮で魔石が浮き出ているのだ。薄笑みを浮かべながら、ノートをとる。

 授業が終わる。

「上履きここで乾かしますねー」

 窓際にやってきて、ぐちょぐちょのそれを逆さに放置する日野。近くの女子が「やめてよー」と嫌がる。

 それを幸奈は見ている。

 自分が窓際なら、今、彼と話せた。

 中央席の幸奈は、残念に思った。

 日野は明るい。誰にでも分け隔てなく接する。女子に対しても、暗い子に対しても、例外ではない。

 ただ、自分とは話したことがない。

 それは、幸奈にとってむしろ特別だった。友人には含まれないが、その他大勢にも含まれていない。

 わたしはイレギュラーだ。きっと、わたしが見ていないところで、彼の視線がわたしに向いている。特別視されている。だって、わたしは、はっきり言ってかわいいと思う……。今彼が話した女子なんかよりずっとだ。彼は、わたしが気になっていて、だけどわたしが暗いから話しかけづらい。いや、暗いだけなら話しかけるけれど、意識しているからそれができない。

「……」

 気持ち悪い。

 けれど、頭の中は抑えられない。幸奈は妄想の箍をはめようとはしない。


 昼休み、幸奈はトイレに篭る。

 世界が早く動き出せばいいと思った。もう、ここでなくてもいい。山都市でもいいから、異次元生命体が出現してくれ。携帯にぶらさがったクラークのストラップを見た。小さくなった彼は、首を横に振った。

(まだ……)

 妄想が、甘えが辛くなってきた。日常では、もうわたしは息ができないんじゃないか。自覚した我儘、不気味な片思い、独りの時間。激しい戦いが全てを忘れさせてくれることを望んだ。

「はやく……、はやく来てよ」

 来ない。

 放課となった。幸奈がクラスの誰からも話しかけられないのは珍しいことではない。ジャミングの影響でもない。魔法少女になる以前からこうだった。

 鞄にノートを入れて、教室を出る。日野の上履きは乾いたらしい。窓際で大騒ぎして履いていた。さしてかわいくもない女子は苦笑していた。

 雨の中、傘をさして家に帰るまで、何も起こらず。

 車庫に車はない。鞄から鍵を出してドアを開ける。手を洗って、冷凍スパゲティをレンジ調理して食べる。

 歯を磨いて、午後四時を迎える。

「今日は来ないと思う」

 クラークが言った。

「一体は負傷させた。傷がまだ癒えていないんだろう」

「……」

 幸奈は苛立った。本気で殺しに来いよと思った。魔女ドロシーを倒したいなら、その力を宿した魔法少女が目障りなら。

 こちらがやる気になったときに限って、何故来ない。

「異次元空間って、どうやって行くの」

「な……、攻め込む気か」

「だって。この怠い時間は何なんだよって感じだし。何で向こうが来るの待ってなきゃならないの」

「こちらに異次元を開く技術はないんだ、幸奈」

「じゃあどうやって戦いを終わらせるのよ」

「ドロシーの復活を待つんだ。ユーフォリアと戦えるのは彼女しかいない」

「……」

 幸奈は足を揺する。

 こちらが異次元へ行くことができないのと同様に、異次元生命体も魔界へ侵攻することはできない。よって両者の中間にあるこの世界が戦いの舞台となっている。

 幸奈はそれを初めて聞かされた時激怒したが、今は受け入れている。魔法少女の力は、それだけの魅力があった。

 ただ、使われていること、自分のペースで戦えないことが気に入らない。

 溜息をつく。椅子から立ち上がり、風呂場へと向かった。人間の性というものを知らないクラークは、ついそれを追いかけてしまうが、ぴしゃりと閉められたガラス戸によって遮られる。

 脱いだ制服を畳んで、裸になって浴室に入る。幸奈はまず髪から洗う。無心で泡を立てる最中、鏡の中の自分と目が合った。

 目つきがよくないと思った。これは生まれつきだ。

 でも、少しは笑わないと、こんな顔の奴と話したいだなんて自分でも思わない。

 人を遠ざけているのはわたしだ。わかっている。

 落ち込んだ顔も、どこか卑屈だ。本当に、どうすればいいんだろう。

 葉竹美由とは自然と話せた気がする。……やはり、きっかけがないと。

 わたしをわかってもらえるイベントがないとだめだ。

 でもそんなの……。日常から隔離された魔法少女に、そんなこと……。

「幸奈っ、幸奈!」

 曇りガラスの向こうで影が揺れる。クラークが脱衣所に入ってきている。ムッとして幸奈は声を上げる。

「もう、何度言ったら――」

「異次元生命体が現れた! 早く出るんだ!」

「はあっ?……ちょ、ええ?」

 立ち上がって身体をペタペタ触る。裸だ。まだ頭しか洗っていない。このまま出るのには非常に抵抗がある。汚れた体だ。それを清潔なタオルで拭くのはなんか嫌だ。

「急げ! もういい、そこで変身するんだ!」

「いや、ちょっと……」

 変身をすれば魔法服が出現する。皮膚の水分は蒸発する。都合がいい。しかし、変身を解いた時に幸奈は裸となる。帰宅してから解けば問題ないのだが、正直、危うい予感しかしない。例えば、戦闘中に魔力が尽きたりすれば即裸だ。リスクが大きい。

「待って。まずクラークそこから出てって。上がって服着るから」

 幸奈は慎重である。

「馬鹿か! そんな場合かっ! 私は発情などしない。問題などない!」

 ……腹立つ。

 そうやって言ってる間に去れば早いのに。

「だからちょっと待ってよ!」

 シャワーを取って頭を流した。水の音の中で、空気の違和を感じた。

 振り向くと、クラークがいた。

「はっ? え?」胸を隠す。「う、嘘! やだやだ! なに入ってきて――」

 縫いぐるみの拳が飛んだ。殴られた幸奈はタイルの上に手をついた。

「君の使命だ! 今すぐ変身をしろ!」

 幸奈はなんとも言えない顔になった。下からクラークを睨みつけて、右手に力を込めた。

 浴室が光で満ちた。変身は完了した。魔法服というより戦闘服の、鉄色魔法少女がそこにいる。

 クラークの次元移動により、一瞬で夕焼けのビル上へと景色は変わった。雨は止んでいた。代わりに、不穏な雲が浮いていた。

「見た……?」

「見たが、ただの裸だった」

「……最悪」

 中二女子のからだである。誰にも見せたことはない。上も下も、全部見られた。その上、殴られた。でも自分から命じたことだから、文句など言えない。

 上を睨む。この怒りは敵にぶつけることにする。

 雲が割れ、どす黒い煙が漏れ出した中に、それが現れる。

「あめんちあ。あめんちあ」

 丸い体に、目がふたつ。キュートな異次元生命体、アメンチアである。

 ユキナは一気に脱力した。


「すごいっ! イソラ十五人抜き!」

「ここのゲーセン、レベル低いなぁ」

 格闘ゲームの筐体に向かう、中学制服の青髪男子。後ろで赤髪の女子が跳ねている。

 対戦していた青年が、暴言に怒りを露わにし、男子の元へと向かう。しかし、傍にいた金髪肥満児の強面を見るなり、そのままの足で退店した。

「せっかく中学生の格好だから、らしい遊びをしなきゃね」

 イソラが言う。

「ねーねー、次はプリクラ撮ろうよ」

「だめ……。次はクレーンゲーム」

 ネガの視線の先にはひよこの縫いぐるみ。

「もう一戦してからね」

 画面に乱入者現る。対戦が始まると、イソラは軽い操作でコンボを繰り出し、相手を瞬殺。席を立って、クレーンゲーム前に行った。

「ネガ、自分で取れなかったの?」

「俺、がさつ」

「ねーねー、プリクラぁ」

「しょうがないなぁ。ゲームの神であるこの僕が、ちゃちゃっと獲得してあげよう」

「イソラ、好き……」

「……!」カイリは飛びのいた。

 なに、今のは。お、男の子が、男の子に、好きって言った。

 奇妙な胸の高鳴り。

「おっ、むずいな」

 イソラは百円無駄にした。

「俺よりはいいセンいってる……」

「……」

 カイリは二人から離れ、一人考え込む。

 普通に……友情じゃん。好きって聞いたぐらいで、なにを変なふうに思ってるの、あたしは……。

 後ろから見る、二人の背中は近い。肩が何度も触れ合う。カイリはドキドキする。

「よし、ゲット」

 冷静に告げるイソラ。縫いぐるみを掲げるネガ。

「ごめんごめん。プリクラだったっけ? 行こうか」

 振り向いて言う彼に、カイリはうまく表情を作れなかった。

「え……。もうちょっとそれ、やってていいよ……」

「ん? プリクラ行きたいんじゃなかったの?」

「俺もう、満足した。カイリの好きなとこ行こう」

「え……っと。う、うん」

 プリクラ台に向かう。四百円を入れ、撮影が始まる。カイリを中心に、三人が並ぶ。

『じゃあ撮るよぉー。さん、にぃ、いち――』

 ぱしゃっ。

「プリクラって喋るんだね」感心するイソラ。

 画面には三人の写真が早速映る。棒立ちのイソラ。腕組みのネガ。両手でピースをしつつ、二人を気にするカイリ。

『もう一枚撮るよぉー。ポーズを変えて、笑ってねぇー』

 はっとしたカイリ。素早く端に移動して、二人を隣同士にさせた。

「なんだよ、真ん中じゃなくていいの?」

「何でも、赤は真ん中って、決まってる……」

「いいのっ……! もっとくっついて!」

 興奮気味に真ん中のネガを押す。ぱしゃっと機械が鳴り、撮影完了。出てきたプリクラを見て、カイリは言いようのない気持ちになった。

「喉乾いたね。ジュース買おうよ」

「うん」

「僕とネガは一緒でいいよね。カイリは一応女の子だから別ね」

 炭酸の缶を二本持ってくるイソラ。

 カイリは歓喜した。


 空を焼き乱れる光。異次元生命体アメンチアを中心に、幾条ものレーザービームは逸れ、夕焼けに消える。

 ユキナは引鉄から指を離した。魔力が尽きれば全裸である。クラークに見られたことで自棄になりつつもあったが、その事実は彼女を慎重にしていた。

「どういうこと?」

 ビームが曲がる。可愛い外見に反して、敵はこちらの唯一の攻撃を無力化している。

 クラークが情報端末からデータを読み上げる。

「混乱を伝播させる能力……」

「倒し方は?」

「ちょっと待て」

 ユキナは球状の敵を睨んだ。高出力で撃ってみるか……? ライフルのパネルを操作する。魔力がチャージされる。余力を半分残して、普段雑魚相手には使わない溜め撃ちを試行する。

 極太のビームは弾けた。四散し、それぞれが滅茶苦茶な方向に飛んで行く。

 ユキナは舌打ちをする。


「そうそう、忘れてたよ」

 休憩用テーブルに座って、イソラはちょんと空間を引っ掻く。麻浜市ビル街上空での戦闘が映し出された。

「魔法少女と戦うんだったね」

「あっ、アメンチア」

 可愛いアメンチアはカイリのお気に入りである。異次元空間に浮いているのを何匹もとってきては、一緒に遊んでいる。

「なんか魔法少女、苦戦してる? 基本攻撃力はないんだけどね。アメンチアって」

「役立たず……」

「ええっ! そんなことないし。超癒しだもん!」

 カイリが騒いだ。

「でも、その役立たず相手にピンチじゃない? 汗いっぱいかいてるよ」

 モニターには焦るユキナの顔。

「これで魔法少女が負けたら、カイリはアメンチア以下……」

「え゛っ」


「ユキナ、何やってる!」

「ちょっと撃ってみただけでしょ!」

 光が散った後には、無傷のアメンチアが現れた。変わらず、ぷよぷよしている。

「魔力は?」

「残ってる! ちゃんと考えてるって!」

「なら大丈夫だな。攻略が見つかった。単純に接近戦だ」

「え……」

 ユキナは青ざめる。

 クラークは不敵に笑った。

「他の者にはできないが、君には可能なことだ。魔法少女ユキナの、今こそ力を示す時――」

「やだよ!」

 必死の叫びが空に響いた。辺りを目で伺いつつ、小声で続ける。

「だって、わたし、今……」

「ここは上空二百メートルだ。問題ない」

「ふ、ふざけんな……ほんと、あんたって」


「あっ」

 ばしん、と音が聞こえそうな程、モニターの魔獣は強く魔法少女を殴った。

「……変な関係なのかな。えすとえむみたいな」

 カイリが呟くと、場が静まった。

「……お前、脳内えろいよね」イソラが呆れ顔で言った。「昨日も一人で身体火照らせてたし」

「ち、ちがうし。あれはあの子供が……」

「女の方が、えろい。淫ら」

 世の必然である。

「ちがうもん! やめて! あたしのイメージが落ちる!」

「ちょっと、えろい子は黙ってて。何かするよ、あいつ」

 モニターに変化がある。俯いていた魔法少女はくっと顔を上げた。右手を前に出した。

 瞬間、三人は絶句する。

 中二少女のあられもない裸体が映し出されたのだ。

 直後、赤色めいた光がその肌を包む。タイトな戦闘服の、赤鉄の魔法少女が現れる。

「はだか……」カイリが赤面した。

「女子、えろい……」ネガは頬を押さえた。

「一度、変身を解いた」

 イソラは画面を見つめる。

「……まったく別の魔法少女になった」

 モニターは魔法少女の高速を追尾する。異次元生命体との距離は一瞬で詰められる。手にした両刃の大剣が、アメンチアを切り裂いた。

「おお……」

 カイリから感嘆が漏れた。

「強い」ネガもぽつりと言う。「カイリに足りないのは、これだ」

「えっ」

「脱ぎ、だ」

「い、いや、今でこそこんな服着てるけど」カイリは女子夏服を指す。「元々は裸だよ」

「裸、なめるな。カイリのは、毛で隠れてる。剃れ」

「ええ、やだよ!」

「俺も、イソラも、剃る」

「えっ、それは……」

 ちょっと期待かも、とカイリは思った。

 盛り上がる二人を他所に、イソラは真剣にモニターを見ていた。空を見回し、羞恥の表情をする赤鉄の魔法少女。

「なんだ、こいつ……」


「クラークも、目瞑ってた?」

「……ああ」

 隠すように身体を抱くユキナ。近接戦闘形態ブラッドフォームのコスチュームは体密着型。胸のラインが浮き出るのが悩みである。

 ちなみに、クラークは目を瞑ってなどいなかったが、ユキナを扱うには嘘も必要と覚えたらしい。

 視線を逸らす彼に、ユキナは早口で言う。

「とにかく家に戻して。当然お風呂の中ね。あんたはすぐ出てってね」

 夕焼けで影になった魔獣は頷く。ユキナは息を吐いた。

 異次元生命体が消えた空では、雲も消滅する。どれ程の雨が降っていても、晴れ空となる。

 ユキナは少し、この現象が好きだ。心も同じくすっきりする。

 ……その時だけだけど。

 二人は浴室に戻ってきた。ユキナに睨まれて、クラークは出て行く。

 色々な感情を溜息にして、屈みこんだ。鏡の中の魔法少女を見た。

 悪いと思っていた目つきが、よく似合っている。わたしは女の子するより、戦いに向いている。

 変身を解いて、もう一度髪を洗い始めた。

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