2 鉄
日曜になった。山都駅に着いた幸奈を、美由が迎えた。
幸奈は彼女を上から下まで見回す。女の子らしい、しかし垢抜けた格好。
(……だから嫌なんだよ。日曜外に出るのは)
自分はジーンズにシャツに薄手の上着だ。もう少し髪が短ければ男子に見られるかもしれない。
「このまえ買い物した服だよ」美由はスカートの裾を摘まんだ。
山都市よりずっと都会な麻浜に住んでいながらこの服装格差は、出不精な幸奈の性格が原因している。
「へぇ」と、それ以上何と答えたらいいかわからない。
「幸奈ちゃんも似合ってる」
褒め合いの儀式をやめろよ、と思う。幸奈は何と言われても、心にないことは言えないのだ。それに例え心にあっても、不要と感じれば言わない。美由は可愛らしく見えたが、それが言葉となって出ることはない。……本来なら。
「葉竹さんも、似合ってて……凄く可愛いと思う」
無理をしなくては、会話が成り立たない。
幸奈は考えた。自分のロジックフローの中で、一体何が変容したのか。無理をさせたのは何か。
すぐに理解する。
わたしは、彼女と仲良くする必要性を感じた。
誰だって、嫌われたくはない。
「ここはちょっと大人な服があるの。ほら、高校生とか来てる」
自分に向けられる笑顔を崩したくはない。
ただ、守ろうと思ってもそれは叶わない。合わない人間だと知ると、みんな離れていく。
そういう全てが嫌になりつつも、無闇に壊したくはないだけだ。
よくわからない服の装飾やブランドの名前を聞きながら、幸奈は隣の売り場を横目で見ていた。
「これなんか、幸奈ちゃん似合うと思うなぁ……って、あれ。幸奈ちゃん、ゲーム好き?」
「……えっ、いや」
「私もするよー。どういうの好き? RPG?」
「……う、うん」
二人は陳列された新製品前まで歩いた。
「私ね、結構ゲームもするし、漫画も小説も。雑食なんだよね」
「へぇ……」
本当に楽しめているのだろうかと幸奈は思う。美由は創作文化に夢中になるような子には見えない。
「ファンタジーなやつ」
目を覗き込んで、美由は言った。
「剣と魔法で魔物を倒す。……ねえ、それと同じことを、今私たちやってるんだよ」
「そ、そうだね」
応えながら、思った。
ああ、この子は優越に浸ってるだけなんだ。
一年もやっているのに、まだ夢から醒めないんだ。
「すごいよね!」
美由の、興奮する顔。
どっちが、幸せなんだろう。
それから、駅ビル六階へエレベーターで上った。
「私も、本当に好きなもの見ちゃおうっと」
美由は言った。幸奈は、落ちがちだった視線を上げた。
「本当は、服とか好きじゃないんでしょ」
どきんとした。顔だけ平静を装おうとしたが、それも次第に崩れるのがわかった。美由の顔が笑った。
「やっぱりね。でも私は服目当てだったから、次は幸奈ちゃんの好きな所行こうね」
「え……、じゃあ、どうして……」
幸奈のそれも奇妙な返答だった。「ん?」と訊き返され、慌てて付け加える。
「その……、なんで、こうして、私と……」
自分が無理をして、うまく彼女を乗せたのだと思っていた。いわゆる女子というのは、表面上の会話だけで盛り上がって、その裏の本音を知らない。
万一知ってしまったのなら、理解不能のものとして離れていくのだと。
「んー、なんだっていいじゃん。遊びたいだけなんだから」
彼女は笑顔を崩さない。
「服とか、みんな会話のきっかけだよ。まぁ私は本当に好きだけど」
……遊びたいって、なんだろう。
同じ魔法少女だから、友達になれたのかな。
じゃあ、魔法少女じゃなければ、きっと……。
幸奈は考えるのをやめた。
時間が、回っていた。思考をする間もないほどに、世界が動いているのを感じていた。
美由は笑顔で走り出した。幸奈はそれを追った。
バッグに揺られて、キーホルダー型のクラークが見つめていた。
沢山の買い物袋を下げて、山都駅前通りを歩く。選んでもらった服のみが幸奈の買い物で、それ以外は全て美由のものだった。当然それは幸奈の片手にまで及んだ。
「ごめんね。荷物持ちな感じで……」
美由は冗談っぽく言う。幸奈は「ううん」と返した。
まだ言葉数は少ないものの、彼女への抵抗はあまりなくなっていた。
「お茶にしよう」そう言って、美由は道の先のコーヒー店を指差した。
(うわぁ……)
なんか本当に、おしゃれな女の子の休日だなぁと思いながら、後に続いた。
自分が魔法少女でなければ、こんな日を過ごすこともないのだろう。さっきの考えが頭に現れては消えた。
店に入りかける、その時だった。
二人は同時に立ち止まった。
頭上の空を、暗い斑な雲が覆った。
「異次元生命体」見上げて言う、美由。荷物を置いて、右手に左手をかざすと、白色の石が浮き出る。
悪魔のキーホルダーが声を発した。「幸奈、我々も」
「やめろ」
声と同時に、ぼぼんとインコが現れる。
「ここは俺達の街だ。特にお前達は信用に値しない」
「しかし」
追いすがるクラークを、幸奈が止めた。
更に美由が笑顔で言う。
「買い物袋、お願いね。幸奈ちゃん、魔獣くん」
光が弾ける。
葉竹美由は、正体が見られることを厭わなかった。白昼堂々、繁華街での魔法少女への変身が行われた。
透けるような白の魔法服。手にバトンが握られた。
「行くよ、千代丸」
魔法少女ミユは飛び立つ。空が割れ、ヘドロのような生物が迎え討った。
「メランコリア――それも大きいぞ」クラークの切迫した声。
白い魔法少女は飛空し、バトンを回す。細かな光が空に撒かれた。道ゆく人が顔を上げ、口々に騒ぎ出す。
「魔法少女だ」
「また戦ってる」
綺麗、という声も聞こえる。幸奈は顰めた顔で見守った。
異次元生命体メランコリアは、重い動作でミユを飲み込もうとする。軽やかに躱し、彼女は更に飛翔した。
「包囲してる」
幸奈が呟くと同時、空に光の網が現れた。一瞬で圧縮し、不定形のヘドロ生物を包む。次の瞬間、全てが光となって爆散した。
「早い。無駄がない」
クラークの賞賛。幸奈も同様に思った。
拍手、歓声が沸き起こった。高空でミユはバトンをくるくると回し、お辞儀をした。隣でインコが胸を張った。
その時、幸奈だけが気づいた。
空の混濁が、晴れていない。
雷が鳴った。そう錯覚した。空に亀裂が入ったのだ。
何色でもない、異次元が見えた。
「うっ――!」
そのミユの呻きは、地上に届いたか。ただ、彼女が高空を吹き飛ぶ様は誰の目にも映った。
次に、鳥の鳴き声が聞こえた。黒の空に、鮮血が散った。
クラークが息をのんだ。
「魔獣が、やられたぞ……」
目を凝らして見る。赤い人影があった。
甲高い、無邪気な笑いが空を支配していた。
ミユは混乱の最中にあった。突然現れ、自分を殴り飛ばした赤い少女。彼女が伸ばした爪に、千代丸が引き裂かれた、気がする。
私は何も見ていない――そう思うことにする。良くも悪くも、そうして彼女は心の均衡を保ってきた。友達の、悪い面を見たときも。両親の喧嘩を目にしたときも。
バトンを握り直す。光の粒子が広がる。
そこへ赤い少女が突撃する。
光は、蹴散らされる。
獣のような蹴りを、バトン本体で受ける。
ミユは高速離脱。メランコリアにしたのと同様に、光を収束、敵を捕縛した。
光の凝固体を見下ろし、一瞬見た姿を思い返す。猫……だった。短い、赤髪の、猫のような少女。足の裏には肉球が見えた。爪にはもっと赤い、血があった。
いや、更に恐ろしいものを見た。
顔だ。彼女の顔は、好奇に歪んでいた。
恐怖が先行した。思考より先に腕は振られていた。バトンより光は千切れ、敵を包んだ魔力の網は、起爆した。
空が光に満ちた。だが、光は瞬時に吹き飛ぶ。暗雲がまた顔を出す。
ミユの肩に激痛が走る。少女の拳がめり込んでいた。
「変に避けるからだよっ! あはは!」
もう一撃。ミユはバトンで受けようとするが、衝撃に負ける。唯一の武器は弾き飛ばされる。そして頬を殴られている。
あとは、狂った笑いと、殴打の音が空に響くのみだった。
葉竹美由の魔力は失われ、魔法服の消失が始まる。浮力をなくせば、落下が起こる。美由は投身をすることとなるが、それを赤の少女は待たない。右手の爪を構える。
その時、一条の光が空を焼いた。危うく引いた猫の指先は、火傷を負った。
口許を歪め、射手を見る。地上に――、
長銃を構える、鉄色の魔法少女がいた。
「ユキナ、外したぞ!」
「見えてるって」
落ち着いた動作で、魔法少女ユキナは照準修正を行う。葉竹美由が頭から落下したことに、隣の魔獣が「ああっ!」と声を上げるも、動じない。
再捕捉、回避予測。
「クラーク、うるさい」
発射。
初射を赤の少女は躱す。しかしそこに第二射が来る。
「うっ!」空を叩くように飛び退いたそこに、
第三射が来る。
赤子めいた悲鳴が上がり、腕が千切れて落ちる。
空に、ユキナは再度銃を向け、
「美由が死ぬぞ!」
騒がしい魔獣に命じる。「あんたが助けに行けるでしょ」
クラークははっとする。すぐに魔力による次元移動を発動。彼を少しも見ず、ユキナは敵回避力を測定したデータを元に、射撃パターンの調整を完了する。
放たれた一射目、赤の少女の腋の下をかすめる。
「い……いや!」恐怖に顔を歪めた少女は、全速離脱を図る。それも、予測されている。足首を貫く光線。泣き声が上がる。次の一射、涙と血流を撒き散らしながら、目視で避ける。
「やだ、やだああ!」
必死の回避運動を行うが、射撃は止まない。徐々に少女は追い詰められる。
最中、拡声された声が高空に届く。
『秒間三度の射撃を一セットとして、あんたの最高回避速度ギリギリで避けられるパターンを作成。随時調整を加え、破綻がないレベルで変化をつける』
冷徹なユキナの声。
『更に、あんたの体を撃ち抜ける最低限まで出力を絞った。この銃は自動で、あと六時間――約六万五千発の射撃を続ける』
赤の少女は声にならない声を上げた。
『まぁ当然』
ユキナは固定された長銃から身体を離す。その際、中から拳銃を引き抜いた。
「待つ気はない」
構えた銃口から、光弾が発射された。赤の少女の回避パターンが狂う。
ビーム射線上に身を曝した彼女を、しかし、空の切れ目がさらった。
「!?」ユキナは見回す。そこに、美由を抱えたクラークが着地する。
「ユキナ、敵は……」
グリップを兼ねる拳銃ユニットを長銃に接続。砲座より外し、専用武器リプレッションライフルをユキナは――クラークへ向ける。
「なっ」
ビクつく彼の背後に、異空間が発生していた。ぐすぐすという嗚咽がして、赤の少女が地面にへたり込む。
その隣に、青髪の少年がいる。かざした手は、クラークと美由に向けられている。
「……うああああん。イソラぁ……痛熱いよぉぉ」
青の少年イソラは、ぷっと失笑した。
「何で慎重に戦わないんだろ。ウケる……」
ユキナは少年を照準する。目元を隠す青髪。細い体躯は犬のようにも見える。
最も混乱したのはクラークである。
「異次元生命体なのか……」
その言葉に、イソラが答えた。「そう」
「現存のタイプとは違う。こんな……」
クラークは彼らを見回す。人型である。異次元生命体は、クイーンを除いて全てが単細胞的な姿だった。知能を持つかすらも怪しい。ましてや会話ができるなど、あり得なかった。
ばこんと、その時、空気が揺れる。彼らを取り巻いていた通行人の後ろで、空間に穴があいた。小太りの少年がそこから這い出した。
「すみません……」人の間を割って、騒動の現場に踏み入る。金髪の、豚を想起させる風貌である。
ユキナは焦燥する。三対一の構図。一体は負傷しているとはいえ、クラークと美由を人質にされた状況。そこに更なる援軍がきた。対処はできない。
「いーたーいー! いーたーいー! ネガぁー!」
ごろごろと転がって金髪少年の足にぶち当たる猫少女。彼――ネガは微動だにしない。
「カイリは構ってほしいだけだよ」イソラが言った。「もう痛くないんだろ?」
「痛くないけど……」赤のカイリはユキナを睨む。「さいあく! あたし、イジメにあった!」
ネガが屈んだ。カイリのやわらかい髪を撫でた。
「あ……。にゃーん……」カイリはおとなしくなった。
瞬間、ビームが撃たれる。イソラが仰け反り、その先のビルが貫かれる。ガラスが割れるが、幸い、人的被害はない。
ユキナはライフルを構え直す。
「普通撃つかな……」
イソラは苦笑した。無言で狙うユキナに言う。
「今日はただの挨拶。もう帰るから許してね。……僕はイソラ」
淡々とした口調。ネガを指差す。「彼はネガ。赤いのがカイリ。対魔法少女部隊スマイルフォースっていいます」
「決めポーズとテーマソング募集中!」とカイリ。
ユキナの歯軋りが響いた。
「ふざけてないで、かかってきたら? 三匹とも瞬殺してやるよ」
「そうされたら困るくせに」
イソラは手を下ろす。ぶらぶらと歩いて猫少女の首後ろを掴むと、ネガに合図をして人集りから出た。空いたままの異次元穴に入っていく。転がっていた空間の蓋を持って、ネガが続いた。内部から蓋がされて、穴は消失する。通行人が不思議そうに手をやるが、何もない。
ユキナはどっと息をついた。
クラークは異常に発汗していた。
「スマイルフォース…………〝歪な笑み〟……」
山都市総合病院の病室にて、葉竹美由は目覚める。
ベッドの上の彼女を、幸奈が覗き込んだ。
「軽い打撲だって」
美由は肩に手をやる。湿布による処置がされていた。その他の部分に異常はない。
「無意識を突かれたのが効いたな」
布団の上のクラークが言う。
「以降の打撃は魔力防御が働いた。まぁ、そのために変身が解けたんだが」
美由は虚ろな目をしていた。ぽつりと、「怖かった」と言った。
「無理ないよ。なんだっけ、スマイルフォース? 未確認の新型だったんでしょ」
「今、ネットワークに情報が追加された」
クラークの手には幸奈のお古の携帯電話がある。魔界電波を受信できるよう改造されたものだ。
「対魔法少女とはよく言ったものだ。メランコリアなどとはレベルが違った。……幸奈のあれも、ハッタリだったんだろう?」
「六時間も持つわけないじゃん。あと十秒で魔力切れだったよ」
何のことかわからない顔で美由は見つめる。
そして、唐突に気づく。
「……千代丸」
「魔獣の宿命だ。……君を死なせなかったことで、彼はそれを全うしたと言える」
険しい表情で言うクラーク。幸奈が続ける。
「代わりの魔獣が来るらしいよ。……」
励ましを言うか迷った。鳥が一羽死んだことは、幸奈には本当に些事だった。共感できない悲しみを、口にはできない。
美由は、「うん……」と俯いた。
「あ、お母さんに連絡いってるから。それまでわたしたちここにいるね。買い物も、……そこに」部屋隅の袋を指した。
美由は頷く。
それから、数十秒の沈黙が降りる。
「美由」
口を開いたのはクラークだった。
「戦えそうか」
言った瞬間に彼は飛び上がる。幸奈が尻尾を爪でかじっていた。
「……最低」
クラークは口を噤んだ。
また沈黙となる。
「お茶、買ってこようか」
幸奈が立ち上がったその時、
「……戦わなきゃいけない」
美由が呟いた。空洞のような声。
「この街の魔法少女は、私。……やらないと、みんなが困る」
幸奈は醒めた感覚だった。以前、美由は洗脳されていると自分は言った。
今わかった。他でもない、彼女は彼女自身を洗脳している。
立ったまま、美由と目を合わせる。
「ねえ、倒したの、幸奈ちゃん……?」
「え、うん。逃がしたけどね」
予想外に向こうから言葉がかかったので、幸奈は戸惑った。
〝次は死ぬ〟
そう言おうとしていた。クラークは困るだろうが、今日の戦闘での率直な見解だ。
「凄いんだね。私、全然歯が立たなかった」
「相性が悪かったんだよ」
幸奈は続ける。
「美由ちゃんは……、隙がないタイプだと思う。だから綺麗に戦えるけど、スペック自体ダンチな敵には全部突き破られる」
美由はすでに口をぽかんと開けている。
「わたしは……バランス悪いけど、運用次第で効率ぐっと上げられるタイプ。だからどうにか対処できた」
「……幸奈ちゃんって、戦術おたく?」
幸奈は顔を赤らめた。「ち、ちがうし」
「幸奈の趣味は男子的だ。プラモデルに、戦争ゲーム……がはっ」
後ろから首を締められるクラーク。
美由は笑った。「そっか。私とは合わないよね。ごめん、付き合わせちゃって」
「ちがう……」目を彷徨わせながら、「服、良かったし……その……」
「幸奈は付き合いを継続したいらしい。学校で友達がいないんだ」
「もーっ!」がたがたとクラークの首を揺らした。
「戦いのアドバイスも相互にできる」
「……そうだね」美由は苦笑する。
クラークは振り向いて言う。
「共通の話題が一つでもあれば友人は作りやすい。美由も言っていたろう。結局人と人は仲良くしたいだけだ。きっかけは何だっていい。どうだ、魔法少女も悪くはないだろう」
「ちっとも笑わずに言うなー!」
美由はくすくすと笑っていた。そこに彼女の母親が慌ててやってくる。部屋内の賑やかさに呆気であった。




