第96回 天賦族 ブライド
長い腕を揺らし笑う男。
その男を睨むフォン。
辺りに僅かに聞こえるレックとエルバの呻き声。
立ち上がる事も出来ず、二人は地面に平伏していた。
不敵に笑う男と対峙するフォンは、握った拳を震わせていた。
恐怖を感じていた。この男の圧倒的な強さに。
震える拳を握り締め、フォンは静かに息を吐く。
心を静め、恐怖を拭う。
何度目かの深呼吸の後、フォンは真っ直ぐに真剣な眼差しを男へと向ける。
拳の震えは止まっていた。
男と対峙するフォンはゆっくりと左足を前へと出す。
その動きに対し、男はクケケケと笑い、右腕を振り抜いた。
ムチの様にしなる腕は、ゴムのように伸びる。
その腕に対応するように左腕を肘を曲げた形で顔の横に構える。
かわすのは無理だと判断し、受け止める事を優先に考えたのだ。
しなる男の腕は、フォンの構えた左腕を強打し、上体を大きく右へと弾き飛ばす。
「ぐっ!」
両足を踏ん張り、何とかその場に留まるフォンは、大きく弾かれた上半身を戻し、真っ直ぐに男を睨んだ。
噛み締めた歯の合間から血が溢れ、口角から流れ出る。
何とか防いだが、やはり衝撃は凄まじく意識はもうろうとしていた。それでも、フォンは一歩、二歩と足を進め、頭を左右に振る。
(くっそ……何て力だ……)
表情を歪めるフォンは、肩を大きく上下に揺らす。
一方、男の方は聊か驚いた表情を一瞬浮かべたが、すぐに笑みを浮かべケタケタと笑う。
まるで楽しんでいるようだった。
何とか意識を保ったフォンは、拳を構える。そして、地をを蹴った。
フォンが走り出すと、男は右腕を引き、肘を曲げ、拳を肩の位置に構える。
すると、その腕の肘から先がバネ状に螺旋を描き反発力を高める様にそれを縮めていた。
フォンはそれを目にし表情を歪める。その軋むバネ状の腕から放たれるであろう一撃の破壊力を瞬時に悟ったのだ。
しかも、フォン自身の突っ込む勢いもプラスされれば、恐らくその破壊力は数倍に上がるだろう。
だが、フォンもそこで足を緩める事はせず、更に加速する。相手が打ち込む前に間合いに入ればいい、と。
二人の距離が徐々に近づき、フォンは間合いに入る。それは当然、相手も間合いに入った事になり、男は腰を回転させ、右拳を突き出す。
肩から肘までをゴム状にし伸縮力を利用し、小さな予備動作でも大きく振り被るかの様に腕はしなる。
その溜めの時間は約ゼロコンマ数秒。
その間にフォンは更に踏み込み、腰の位置に構えた右拳に力を込め、握りこむ。
刹那、放たれる。しなった腕が伸縮力を利用し、勢いよく飛び出し、後れてスプリング状になった肘から先が反発力を利用し、更に勢いを加速させる。
それはもう目にも止まらぬ一撃だった。破裂音の様な打撃音が響き、フォンの顔は大きく跳ね上がる。
鼻から血が噴出し、上体は大きく後方へと弾かれた。
地面に踏ん張る両足は勢いに耐え切れず、地面から引き剥がされ、フォンの体は地面に何度も叩きつけられた。
勢いが止まったのは数百メートルも先でだった。家の壁を幾つも貫き、激しく舞った土煙だけが跡として残っていた。
「うっ……ガハッ!」
口の中一杯に広がる鉄の味に、思わずフォンは咳き込む。血が咳と共に周囲へと飛び散った。
殆ど何も見えなかった。右肩が僅かに動いたのを目視した瞬間、フォンの顔にはもう拳が叩き込まれていた。
反応する事さえ許さない一撃だった。
意識は混濁し、空が歪んで見えた。その視界の右側が赤く滲んで見えるのは、恐らく額から流れ出た血が右目に入ったからだった。
そして、鼻で呼吸が出来ないのは、両方の鼻の穴から鼻血が出ているから。だから、フォンは大きく口を開き、呼吸を乱していた。
「はぁ……はぁ……」
呼吸を乱しながら、フォンは考える。
どうするべきかを。
頭が働かない。上手く呼吸が出来ない為、酸素が頭に回らないのだ。
横たわり空を見上げるフォンの耳に足音が聞こえる。
恐らく先ほどの男が近づいているのだ。何かを引き摺る音も一緒に聞こえた。
何を引き摺っているのかは分からないが、何となく予測はついた。
男は右手にレックの右足を掴み、左手にエルバの頭を掴み歩みを進めていた。
引き摺られる二人の表情は険しい。
意識はあるものの、それはまだもうろうとしており、体を自由に動かす事は出来なかった。
「ケタケタケタ」
と、笑う男はレックをフォンの方へと投げ、遅れてエルバを投げる。
三人を並べる様に横たえる男は、もう一度肩を揺らす。
そんな時だった。
疾走する足音と共に一つの若い男の声が響く。
「これ以上の暴挙は許さないぞ!」
その声と共に一人の若い男が巨大なハンマーを男へと振り下ろした。
鈍い音が風を切り、そのハンマーは地面を砕く。
後方へと跳躍した男は、二度、三度とバックステップを踏むとまた両肩を揺らし笑う。
「ケタケタケタ……」
笑う男に対し、若い男は黒髪を揺らし、地面を砕き先端を減り込ませるハンマーを持ち上げる。
か細い腕に細い体付き。とてもじゃないが腕力などありそうに無いその若い男は、自分の背丈とほぼ同じ大きさのハンマーを構える。
重量感のあるそのハンマーの柄には幾つかのボタンらしきものがあり、若い男はそのボタンの一つを押す。
すると、手に持っていたはずのハンマーは形を変え、手の平サイズのボックスへと変化した。
そのボックスを目にしたフォンは、理解する。
(コイツが……天賦族の……)
ボックス型の武器を創った人物、天賦族のブライド、だと言う事が分かった。
ボックスを握るブライドは、切れ長の目でチラリとフォン達を見ると、
「大丈夫か?」
ブライドの言葉に、フォンは小さく頷く。
それを目にした後、ブライドは男の方へと顔を向けボックスのボタンを押す。
すると、ボックスは瞬く間に双剣へと変化した。
それを構え、ブライドは右足をすり足で前へと出した。
「さぁ、ここからは僕が相手だ」
双剣を構え、ブライドは走り出す。
その動き出しに、男は右腕を振り抜く。
タメが足りなかった所為か、その拳に勢いはない。
その為、ブライドはその拳を顔を右へと傾けかわし、一気に懐へと潜り込む。
「貰った!」
ブライドが叫び、右手の剣を振り抜く。だが、男はそれを身を仰け反らせかわし、左手でブライドの髪を掴んだ。
「くっ!」
表情をしかめるブライドに対し、男は仰け反らせた背を戻し、そのままブライドの額へと頭突きを見舞った。
「ぐあっ!」
衝撃でブライドの上体が大きく後方へと弾かれた。
だが、頭突きを見舞われる直前、ブライドも左手に持った剣を突き出し、切っ先を男の腹部へと突き立てていた。
互いに表情を歪め、距離を取る。
額から血を流すブライドと、腹部から血を流す男。
二人は険しい表情を浮かべ、互いの顔を真っ直ぐに見据える。
何とか男と互角に渡り合うブライドだが、その表情は険しい。
一方で、男の方は腹部から溢れる血を右手で触り、
「ケタケタケタ!」
と、更に笑い声を上げる。
まるで楽しんでいるようだった。
自分の体が傷つけられる事にも、相手を傷つける事にも快楽を感じているようだった。
だが、その時、一発の花火が上がる。
それが、合図だったのか、男は笑うのをやめると、深く息を吐き出し何も言わずその場を逃げ出した。
深く息を吐くブライドは静かに腰を下ろすと、そのまま仰向けに倒れ込んだ。




