第90回 鬼! 悪魔! 鬼畜!
「平和ですねー」
防波堤から海を眺めるメリーナが、そう呟いた。
黒のワンピースは足元まで届く程長いスカートで、それが長い金色の髪と一緒に潮風に揺られる。
穏やかな表情を浮かべるメリーナは、少々垂れ下がった目元を緩め微笑する。
背中の大きく開いたワンピースだが、長い金色の髪がその背を隠している為、大して露出度は高くなかった。
右手で髪を耳へと掛けると、もう一度深い息を吐き出すと、波打つ海を見据え呟く。
「穏やかですねー」
ゆったりとした口調でそう言うメリーナは、ホッと息を吐いた。
そんなメリーナの隣りに座るフォンは、胡坐を掻き竿を垂らしていた。
波に揺られ浮きが浮き沈みするのをフォンはただ見据え、小さく「ああ」と答える。
しかし、穏やかな二人の会話とは裏腹に、海では――
「うおおおおーっ!」
必死に泳ぐレックの姿があり、
“うがあああああっ!”
と、野太い声をあげ巨大な怪魚が大口を開け、レックを追い回していた。
エメラルドの鱗を不気味に輝かせるその怪魚は鋭い背びれを海面へと出し、それが海を裂き波を荒げる。
海岸からそんなレックの状況を双眼鏡で確認するリオンは、深いため息を吐き不満そうに呟く。
「何をしてるんだ! アイツは!」
僅かに怒気の篭ったその声に、隣りに佇むカインは目を細める。
視力はそこそこの為、双眼鏡無しではどのような状態なのか、カインにはわからない。
ただ、巨大な怪魚が大口を開け、波を荒げているのだけは良く分かる。
そんな状況を眺めるカインは、ボソリと呟いた。
「焼けば一瞬じゃないのか?」
と。
その言葉に、双眼鏡を下したリオンは、ジト目をカインへと向ける。
「無理だろ。海の上だし、炎はすぐに鎮火される」
「……かな?」
「だろうな」
二人は微妙なやり取りを終え、沈黙する。
――数時間後。
「うぐぅ……」
砂浜にはレックが仰向けに倒れ、胸を激しく上下に揺らしていた。
釣竿を肩に担ぐフォンは、そんなレックの傍に座り尋ねる。
「大丈夫か?」
心配そうにフォンが尋ねると、レックは大きく口を開いたまま、
「……に、見えるか?」
と、吐き出す。
とてもじゃないが、大丈夫そうには見えず、フォンは右手で頭を掻き、隣りに座るメリーナへと顔を向けた。
「どうやら、大丈夫じゃないらしい」
「そうみたいですね……」
フォンの言葉にメリーナは苦笑し、困ったように眉を曲げた。
「しっかし……本当に一人で狩るとは、流石に驚いたな」
腰に手を当てるリオンは、砂浜に打ち上げられた巨大な怪魚を見上げていた。
完全に息の根を止め、グッタリと動かない怪魚の灰色の大きな目をカインは眺め、それから仰向けに倒れるレックに体を向ける。
「お前と同じ目してるな」
「うおい! 誰の目が死んだ魚だ! コラ!」
疲れ切っていたはずのレックはカインの言葉に体を起こし、激しく声を上げる。
その動きに、フォンとリオンはジト目を向け、メリーナは苦笑する。そして、レックは思い出した様に「はっ!」と声をあげた。
「うん。まだまだ、元気は有り余ってるみたいだな」
「そうだな。それじゃあ、もう一狩り行ってみるか」
フォンとリオンが顔を見合わせそう言うと、レックはすぐさま二人の方へと体を向け声を上げる。
「テメェーら、鬼か! 悪魔か! この鬼畜ども!」
「よし。あと二・三匹は狩れるらしいぞ!」
リオンが穏やかな笑みを浮かべ、そう言い放つと、リックは涙目で訴えかける。
「ほ、ホント、もう限界なんです! 今日は休ませてください! お願いします!」
「と、申してますが、どうしますか?」
フォンはレックを弄るようにそうリオンへと答えを求める。
腕を組むリオンは、そんなレックの涙で潤む瞳を見据え小さく頷く。
「よし。分かった」
「本当か!」
「ああ。あと三匹狩って来い!」
「この悪魔! 人の皮をかぶった悪魔め!」
リオンの顔を指差し、レックはそう声を荒げた。
その後、結局レックは狩りに行くこと無く、宿へと戻った。
何だかんだとあったが、全部冗談だった。
当然だ。ただでさえ海の中と言うのは体力を消耗する。そんな中で、一人あの巨大な怪魚を討伐したのだ、労を労うのが当たり前だった。
ベッドに横たわるレックは瞼を閉じ動かない。相当、疲れていたのだろう。狩りと言うよりも、狩りの後のツッコミにだ。
あの後もどれ程突っ込んだか分からない。疲れた体には流石にこたえたのだろう。
ソファーに腰掛けるリオンは足を組み、深く息を吐いた。今回の怪魚討伐で得た資金は数万程で、まだまだ資金は不足がちだった。
「さて……どうしたものか……」
深刻そうにそう呟いたリオンに対し、椅子に座るフォンは背を仰け反らせ尋ねる。
「何が、どうしたものなんだ?」
フォンの能天気な発言に、リオンは右手で頭を抱えた。
「考えても見ろ。ここに滞在してどれ位の時間が過ぎてると思ってるんだ?」
「そりゃ、そこそこだろ? けど、仕方ないだろ? リオンだって、歴史上もう少し先の話だって思ってるんだろ?」
フォンが軽い身振りを加えそう発言すると、リオンは眉間にシワを寄せ答える。
「ああ。仲間が集まって最終的な決戦をするのはまだまだ先だと思ってる。けど、歴史が変っている可能性だってある。悠長にしている時間も限られているって事だ」
「そっか……そうだよな……」
と、二人は話していた。
二人がこうも堂々とこんな話をしていたのは、その場に、メリーナとカインの二人がいないからだ。
レックに関しては深い眠りに就いている為、聞かれる心配は無い。だから、こうして堂々と話す事が出来た。
「しかし……どう思う?」
「んっ? 何が?」
「あのカインは、やっぱりあのカインで間違いないと思うか?」
リオンの発言にフォンは一瞬表情をしかめたが、すぐにその意味を理解し、腕を組み唸り声を上げる。
「うーん……どうなんだろうな? そもそも、もし、オイラ達の知ってるカインだとして、どうしてこの時代にいるのか、って話になるだろ?」
「まぁ……そうだが……」
妙に歯切れの悪いリオンは、ジト目をフォンへと向ける。
その眼差しに気付いたフォンはリオンの方へと顔を向け、訝しげに首をかしげた。
「な、何だよ?」
「いや、前々から気になってたんだが、その一人称やめないか? と、言うか、何で一人称を変えてるんだ?」
「えっ? いや、その……キャラ作り?」
苦笑しそう答えたフォンに、リオンは呆れた様に息を吐く。
「何の為にだ? そもそも、この時代の者じゃないんだ。キャラなんて作って何になる?」
「いや……ノリで……てか、今更やめらんねぇーだろ! なはははっ!」
大声で笑うフォンに、リオンは右手で頭を抱えた。
「全く……後先考えないからそうなるんだ」
「いや、まさか、こう言う展開になるとは思ってなかったし、元々、伝説の英雄を探すつもりだったじゃないか」
「そりゃそうだが……そもそも、俺達はどうやって元の世界に帰りゃいいんだ……」
不意にリオンがそう呟き、フォンも表情を沈めた。
今まで考えないようにしていたが、元の時代に帰る手段が全く思いつかなかった。
その為、いつも頭のどこかで不安に思っていた。一生この世界で生きていかなきゃいけないんじゃないかと。




