第83回 長い付き合い
炎血族の少年には、記憶が無かった。
ここが何処なのか、自分が誰なのかも分からない。
何故、あんな場所にいたのか、どうして人攫い集団に狙われたのか、本人には分かっていなかった。
ただ、カインと言うその名は、聞き覚えがありそれが自分の名前だと思ったのだ。
その為、フォン達は彼をカインと呼ぶ事にした。
「それで、あなたは何故あの人を殺したんですか?」
ベッドに座るカインへと、椅子に腰掛けるカーブンが静かにそう尋ねる。
膝の上に両肘を置き、前のめりになるカーブンの鋭い眼差しを受け、カインは小さく首を傾げた。
サラサラの金色の髪が右へと流れ、ゆらりと揺れる。
大きな二重瞼の奥、曇りの無い黒い瞳が真っ直ぐにカーブンを見つめていた。
二人の視線が交錯し、沈黙が続く。
答える気が無いのか、それとも答えられない理由があるのか。
答えが分らず、カーブンは腕を組むと鼻から深く息を吐き出した。
重く静かな空間に、カーブンは肩の力を抜くと、肩を竦める。
「一体、あなたは何なのですか?」
険しい表情でカーブンがそう尋ねるが、カインはただ首を傾げるだけ。
言葉が理解出来ない――と、言う事は無いだろう。
現に、フォンと会話をしていたのだから。
その為、カインがどうして自分の言葉に答えないのか、その理由がカーブンには分からなかった。
静まり返る一室に、戸をノックする音が響く。
その音にカーブンはため息を漏らし立ち上がり、カインは不安そうに眉をひそめた。
「失礼します」
大人しげな綺麗な女声の声。
それは、隣りの部屋で寝ているはずのメリーナの声だった。
メリーナのその声に、カーブンは部屋のドアへと向かい、静かにドアを開いた。
「どうかしましたか?」
少々面倒臭そうに眉間にシワを寄せカーブンがそう尋ねると、ぶかぶかのシャツに身を包むメリーナは、胸の前で指をイジイジとさせながら、上目遣いでカーブンを見据えた。
「あ、あの……そ、その……ふぉ、フォンさんたちを知りませんか?」
恥ずかしそうに頬を赤らめ、メリーナはそう尋ねた。
つい先程、二度寝から目を覚ましたメリーナは、未だに部屋に戻っていないフォンとリオンが気になり部屋を出てきたのだ。
隣りの部屋にカーブンが居ると気付いたのは先程の声が廊下の向こうまで聞こえた為で、もしかするとフォンとリオンが居るのかもしれないと思ったのだ。
だが、生憎、部屋にはカーブンとカインの二人だけで、フォンとリオンの姿はなかった。
その為、カーブンは穏やかな表情で微笑し、
「いえ、お二人でしたら、町の方に向かわれましたよ? 何でも、依頼がどうとか?」
「そ、そうですか、あ、ありがとうございます」
長い金色の髪を揺らし、控えめにお辞儀をしたメリーナは、トボトボと部屋に戻って行った。
それを見送り、カーブンは困った表情でドアを閉めた。
すると、ベッドに座っていたカインが静かに立ち上がり、尋ねる。
「さっきの人は?」
「んっ? あぁ……彼女がキミを助けてくれた……癒天族のメリーナ」
「メリーナ……」
「気になるんですか? でしたら――」
「いえ。気になるわけじゃ……」
小さく俯くカインに、カーブンは小さく首を傾げた。
その頃、町へと出ていたフォンとリオンは、揉めていた。
理由は――
「何で、お前は依頼料を置いて行ったんだ!」
「いや、だって……メリーナが……」
獣討伐の依頼料を、フォンが投げ捨てメリーナを追いかけたと言う事だった。
揉めていると言うよりも、リオンが一方的に怒鳴っていると言う方が正しく、フォンは背を丸め申し訳なさそうな表情を浮かべる。
腰に右手を当て、深くため息を吐いたリオンは、左手で頭を抱え、やがて髪を掻き揚げた。
「どうするんだ? 結構な額、入ってんだぞ?」
「いや、そりゃ……うん。ごめん」
反論しようとしたが、すぐに自分のミスだと言う事を思い出し、俯き謝った。
そんなフォンに、リオンはもう一度深く息を吐くと、掻き揚げた黒髪を揺らすと、肩の力を抜き、
「全く……もう少し早く気付いていれば……」
と、リオンは複雑そうに表情を歪める。
そう。二人が、依頼料が無いのに気付いたのは、今日だった。
アレから、何日も過ぎている為、今更探した所で見つかるわけがないのだ。
「ほ、ホント、申し訳ない……」
フォンは申し訳なさそうに頭を下げた。
とりあえず、済んだ事だとリオンは諦めた様子で呟き、二人は足取り重く宿へと向かう。
茶色の髪を揺らすフォンは、これでもかと言わんばかりに大きなため息を吐き、隣りに並ぶリオンはジト目を向ける。
「そんな深いため息を吐くな。俺まで滅入ってくるだろ」
「けど……苦労して狩った四頭分だぞ?」
半泣きでそう言うフォンに、リオンは目を細める。
フォンにお金の管理を任せた時点で、自分にも僅かながら責任があると思った為、文句は言えない。
その為、フォンの肩を右手で叩き、
「また、狩ればいいだろ? いい修行にもなったし」
と、元気付けるように明るくそう言った。
だが、珍しく明るく弾んだ声に、フォンは一層恐怖を覚える。
本当は怒っているが、それを必死に押し殺している、と思ったのだ。
その為、フォンは立ち止まり、肩を震わせ、目に涙を溜め声を震わせる。
「ほ、ほほ、ほ、ホント、わ、悪かったって! そ、そんな、そんな怒んなくてもいいだろ」
「はぁ? 怒ってねぇーよ」
「いいや、その目は怒ってる。長い付き合いだから分かるぞ!」
フォンがそう言いながら、リオンの鋭い眼を指差す。
その行為に、「はぁ?」とやや怒り気味に吐き出したリオンは、右の眉をビクッと動かし、額に青筋を浮かべる。
“長い付き合いだから分かる”
と、言っておきながら、別に怒ってもいないのに、その目が怒っていると言われれば、怒りたくなるのも当然だった。
僅かに口元を引きつらせるリオンは、目元を僅かに緩め無理やり笑顔を作り、
「こ、これで、お、怒ってないって分かるだろ?」
と、言うが、その笑ってない目が一層怒りを増幅しており、フォンは身を引き深々と頭を下げた。
「ほ、ホント、申し訳ありません! 自分が、自分が全て悪いんです。煮るなり焼くなり、何なりと!」
「…………」
フォンの言葉に唖然とするリオンは、目を細める。
それから、押し殺した声で、
「もういい……」
と、静かに呟いた。
長い付き合いだが、まさかここまでフォンに恐れられているとは思っていなかった。
その為、リオンは多少なりに凹んでいた。
しかし、凹んだリオンの様子にフォンは、
(やべぇー……滅茶苦茶キレてる……)
と、内心思いリオンと距離を取っていた。
ここは、リオンの怒りが収まるまでは、近づかないほうがいいと、フォンは考えたのだ。
二人とも落ち込み、宿に戻る足取りが重かったのは言うまでもない。




