第81回 何の為に生きている
黒煙が充満する洞窟の中を、フォンは駆ける。
口と鼻を右手で押さえ、全神経を研ぎ澄ましメリーナを探すフォンは、忙しなくその瞳を動かした。
視界は最悪だが、それでもフォンは必死にメリーナの気配を探る。
(何処だ! 何処にいる!)
フォンは焦りながらも必死に黒煙の中を駆ける。
やがて、フォンの足がピタリと止まった。メリーナの気配を感じ取ったのだ。
忙しなく頭を動かし、フォンは辺りを見回す。目を凝らし、必死に。
だが、もちろん黒煙で何も見えず、フォンは表情を険しくした。
そして、口を鼻を覆っていた右手を離し、フォンは声を上げる。
「メリーナ! 何処だ!」
フォンの声が黒煙立ち込める同空に反響する。そんな中、弱々しいメリーナの声が返って来た。
「ふぉ、フォンさん……」
「メリーナ!」
フォンはその声のした方へと顔を向け、走り出す。その直後、フォンは壁に激突し、額を強打する。
「いだっ!」
思わずフォンは尻餅を着いた。その額は僅かに切れ、血が静かに流れ出す。
何故、メリーナの声のした方に壁があるのか分らず、フォンは赤くなった額を押さえ目を細めた。
すると、そこに小さな穴が見えた。崩れた瓦礫が積み重なり出来た穴だった。
そして、その穴の向こうからメリーナの声が聞こえる。
「ふぉ、ふぉん……さん……」
「メリーナ! だ、大丈夫か!」
フォンがそう声を掛けるが、メリーナの声が返ってこなかった。
この状況で一酸化中毒になりつつあるのだとフォンが理解する。
それは、フォン自身ももう意識がもうろうとし始めていたから分かった事だった。
このままだとマズイと、フォンは拳を握り締め、それを壁へと叩き付けた。
「ぐっ!」
痛々しい打撃音と共に鮮血が迸る。皮膚が裂け、痛々しく血が溢れ出す。
だが、それと同時にそこに積もっていた岩が砕ける。
衝撃が黒煙を吹き飛ばし視界が開け、砕石は音を立て地面へと散らばった。
表情を歪めるフォンの視界に、うつ伏せに倒れるメリーナの姿が映った。その為、フォンは拳の痛みなど忘れ、すぐにメリーナへと歩み寄った。
「ゲホッ……メリー、ゲホッ! ゲホッ!」
奥から溢れ出す黒煙にフォンは咳き込み表情を歪める。どれ程、煙が溜め込まれていたのか、とても酷い状況だった。
それでも、倒れるメリーナの傍へと寄ると、その手を伸ばした。
メリーナの意識は無く呼吸は弱々しい。その為、早くここから連れ出さなければならないと、フォンはそのままメリーナの体を抱き上げた。
だが、その時、フォンは目にする。黒煙の漂うその先にまだ多くの人が居る事を。
「くっ!」
思わず声を漏らす。皆、虫の息で、今にも息絶えそうだった。
しかし、フォン一人ではここに居る全ての人を助ける事は出来ない。
その為、フォンは苦渋の決断を下した。
目を伏せ、唇を噛み締め、胸を締め付けられるその感覚に、ただただ耐え、メリーナを抱え立ち上がる。
そして、走り出す。唯一の出入口へと。全力で。
胸の痛みに奥歯を噛み、自分の感情を押し殺して走り抜ける。
洞窟の入り口が近づき、眩い光がその目に差し込む。
その瞬間、フォンは躓く。
(くっ! こんな所で!)
体が前のめりになり、抱えていたメリーナがその手から離れる。
どうするかを考える。だが、フォンの思考はそこで止まった。
フォン自身、煙を吸い過ぎたのだ。
視界が揺らぎ、徐々に闇へと引き込まれる。
(もう……少し……)
宙へと投げ出されたメリーナへとフォンは腕を伸ばす。
もう少し、もう少し、と、何度も自分に言い聞かせ、思考を、体を動かそうとする。
だが、無情にもそのフォンの意識は断たれた。
プッツリと全ての電源が落ちたかの様に。
洞窟から投げ出されたメリーナ。
煤に塗れた金色の長い髪がなびき、宙を舞うメリーナにリオンが気付いた。
「メリーナ!」
慌ててリオンは走り出す。
あのままの勢いで地面に落ちれば大怪我になると、踏んだのだ。
意識が無く腕が力なくうな垂れていた。
その為、リオンは更に焦る。命に別状はないだろうか、そう思ったのだ。
洞窟から噴出す黒煙から見て、大分煙を吸っているだろう。
そう考えると心は嫌がおうにも焦った。
腰の剣を投げ捨て、身を軽くし更に加速し、地面に広がる血溜まりを踏み締め、遺体を飛び越え、ようやくメリーナを正面に捉える。
そして、両腕を広げ、メリーナを迎え入れる様にその胸で受け止めた。
凄まじい衝撃で上体が大きく後方へと仰け反り、地に踏み締める両足には力が入る。
脹脛の筋肉が収縮し、地面が僅かに砕け砕石が飛び散った。
勢い全てを体全体で受け止めたリオンは二歩、三歩と後退し、やがてゆっくりと膝を落とした。
「はぁ……はぁ……あ、あの馬鹿……」
息を切らせ、リオンは顔を上げる。
視線の先には派手に横転し、土煙を巻き上げ横たわるフォンを真っ直ぐに見据えていた。
どれ位の時間が経ったのか、フォンは誰かが名を呼ぶ声に静かに目を覚ました。
薄らと開かれた視界にまず最初に飛び込んだのはメリーナの眩しいほどの笑顔だった。
だが、すぐにフォンは異変に気付いた。
鮮血に染まる頬。
弱々しく上下する肩と胸。
そして、その眩しい程の笑顔はやがて失われ、そのままフォンの上へと崩れ落ちた。
「メリーナ!」
思わず叫び体を起こすフォンは、自分の体に倒れ込んだメリーナの体を抱き上げる。
体は傷だらけで、血が溢れていた。助け出した時は確か怪我はなかった。なのに、どうして――。
そう考えるフォンに、リオンが深く息を吐き答える。
「力を使ったんだよ。癒天族の」
「――ッ!」
驚き、フォンは表情を険しくする。
癒天族の力――人の傷を癒す力。
その代償として、癒した傷の一割を自らが負う事になる。
その為、癒天族は時見族に次いで貴重な存在だと、重宝されている。
一部では奴隷として高値で売り買いされていると言う。
何故、癒天族が奴隷として売り買いされるのか――。
それは、癒天族が時見族に比べて守られていないからだ。
未来を見通す力のある時見族と、傷を癒すだけの癒天族ではやはりそれだけ希少価値が違うのだ。
傷付き弱々しい呼吸のメリーナの姿に、唇を噛み締めるフォンは、キッとリオンを睨んだ。
「何でとめねぇーんだよ! お前だって知ってるだろ! 癒天族の力の事は!」
「ああ……知ってるさ」
腕を組みフォンと目を合わせようとせず複雑そうに息を漏らす。
そんなリオンにフォンは怒鳴る。
「知ってるなら止めろよ! こうなる事位分ってただろ!」
フォンのその言葉にギリッと奥歯を噛み締めたリオンは、右腕を外へと振り怒鳴った。
「じゃあ、お前なら止めれたのか! 儚げな顔で、自分に出来るのは傷を癒す事しか出来ないから、と言われて!」
苛立ちからリオンの口調は荒々しい。
思い出していた。メリーナに言われた言葉を――。
“癒す事も許されないのなら、私は何の為に生きているんですか”
そんな事を今にも泣き出しそうな悲しい瞳を向けられ言われたら、もう何もいえなかった。
止める事など出来るわけがなかった。
どう言う結果が待ってるにしても、もうリオンが何かを言える立場ではなかった。
メリーナはすぐに炎血族の少年の傷を癒し、続けてフォンを癒した。
自分も煙を吸い意識を保っているだけでも辛いはずなのに。
炎血族の少年の傷は深く、その傷の一割でも相当メリーナの体は傷付き血が溢れた。
その結果、衣服を赤く染め、その頬にまで血飛沫が散った。
痛々しいメリーナの姿から、全ての事を理解し、フォンは唇を噛み締める。
「何で……こんな事に……」
小声で呟くフォンの悲しい顔に、リオンは目を伏せる。
思い返せばフォンは癒天族の力を嫌っていた。
傷を癒す代わりに自らが傷を得ると言うその力が――。




