第78回 狩り
「リオン! そっちに言ったぞ!」
大きく肩を揺らすフォンが大声で叫ぶ。
その前を走るのは大型の四足歩行の獣。
猪の様に鼻の付け根から二本の牙をむき出しにするその獣は、激しい後塵を巻き上げ直進する。
直進するその先に佇むリオンは腰にぶら下げた剣の柄を握ると、深く息を吐き出す。
脱力。そして、一瞬で剣を抜き一閃。
獣の踏み込まれた前足が切りつけられ、鮮血が迸る。
“グオオオオッ!”
悲鳴を上げ、獣の上体が大きく持ち上がった。
その背中に向かって後方から駆けて来たフォンが跳躍し、右拳を握り締めた。
「大人しく寝てろ!」
硬く握った右拳を伸びきった背に叩き込む。
こげ茶色の毛へとフォンの拳は吸い込まれ、その拳が分厚い肉へと減り込む。
その先に硬い手応えを感じ、フォンは更に力を込める。
それが背骨だと分かったからだ。
“グフォォォォッ!”
獣は更に声をあげ、持ち上げた前足を叩きつける様に地面へと落とした。
激しい衝撃が広がり、リオンの体を土煙が襲う。
「ぐっ! フォン!」
左腕を顔の前へともって行き、土煙から顔を守るリオンが、そう叫ぶ。
それ遅れ、更に鈍い打撃音が響き、続けざまに激しい衝撃が広がった。
重々しいその音にリオンはフッと息を吐き出すと剣を鞘へと納めた。
激しく舞う土煙が晴れると、そこには鼻の付け根から二本の牙をむき出しにした獣が地面へと平伏し、その背にフォンが仁王立ちしていた。
「はぁ……はぁ……」
「大丈夫か?」
息を切らせるフォンへと、リオンが目を細め尋ねる。
その声に、フォンは血の滲んだ右手を軽くあげた。
「だ、だい……丈夫……」
大分、疲弊していた。
この日、五頭目の討伐だった。
その為、フォンも大分体力を消耗していたのだ。
この獣は夜な夜な畑を荒らす大型草食獣で、食用としてもよく食べられる獣だ。
硬い皮膚の内側にはきめ細かい柔らかな肉が詰まっており、結構高値で取引される。
その硬い皮膚を覆うふさふさな毛も色々な用途に用いられる為、交渉次第では高額で取引されている。
「さて……今日はこれ位にするか……」
「あ、あぁ……」
深く息を吐き出したフォンは脱力すると、その大きな背から飛び降りリオンの隣りへと着地した。
「しかし……でかいなぁ」
フォンは倒れる獣を見上げる。
重量は百キロを悠に超える。
全長は十メートル程だろう。
この時代では巨大化した獣が多い事がここ最近で分かった。
そして、フォンとリオンはその獣達に随分と派手にやられまくった。
やられまくり、対策を練りやっとこの獣を五頭狩れる様になったのだ。
フォンの横を通り過ぎるリオンは腰のナイフを取り出すと、それを獣の喉元へと突き刺した。
血を抜き鮮度を保つ為の行為だった。
大量の血がナイフを横に引くとあふれ出し、リオンの手が赤く染まる。
それを払い、布で拭った。
「大丈夫か?」
「ああ。けど、こうしないと売る時に色々と問題が生じるからな」
涼しい顔でリオンはそう言い、肩を竦めた。
フォンとリオンが狩りをしていた時間、刻々と歴史は動き出していた。
丁度、この時、二人のいる北の大陸で一つの国が立ち上がる。
フォースト、アルバーの二国の争いからこの大陸を守るべくして立ち上がった国の名はグラスター。
龍臨族が中心となり建国され、初代国王の座には現・龍臨族の長ベルーラが座る事になった。
能力もさながら、長寿である龍臨族に長く平和を守って欲しいと言う人々の願いから彼が国王になった。
恐らくこの北の大陸で彼以上に人々に信頼されている者はいないだろう。
この当時、彼はすでに四〇〇歳を超えていた。その為、この座に着くのは息子であるカーブンが相応しいと推薦した。
だが、カーブンも自分には荷が重いと言う事で、彼が足場を作る役を買って出たのだ。
「ふむ……」
まだ、建設途中の城を見上げ、ベルーラは息を吐いた。
長い漆黒の髪を揺らすベルーラは、周りの忙しなく働く兵達を見据え困った表情を浮かべる。
「やはり、ワシも一緒に――」
「何言ってるんですか! ベルーラ様は、国王になられるんですよ! ドーンと構えててください!」
木材を運ぶ一人の兵がそう声を荒げる。
下っ端中の下っ端の兵だが、こうしてベルーラに対してハッキリとモノを言えると言う関係性が、彼が信頼されていると言う現われだった。
その声に呆れた表情を浮かべるのは彼の息子、カーブンだった。
オレンジブラウンの髪を揺らすカーブンは、その背に鱗模様の刻まれた大剣を背負い落ち着いた面持ちでベルーラへと歩み寄る。
「父上。こんな所で何をしているんですか?」
「おおっ。カーブン。それがな、ワシが手伝おうとしたら、兵が文句を言うんだ!」
息子であるカーブンへと不満をぶちまけるベルーラだが、その言葉にカーブンは首を左右に振る。
「何を言ってるんですか? もう少し国王として自覚を持ってください!」
「何を言うか、国王と言うのは兵と共に苦しみ、楽しみを分かち合うモノだ! ワシはそんな王を目指している!」
胸の前で右拳を握り締めるベルーラの姿に、カーブンは右手で頭を抱え深くため息を吐いた。
正直呆れていた。
ベルーラは自分が国王だと言う自覚が足りないのだ。
元々、そう言う気質があり、何処か子供の様な所がある為、息子であるカーブンは常々苦労させられていた。
「そんな事して、怪我でもされたら困ります! それに、他の者達の邪魔です!」
「なっ! じゃ、邪魔だと! 仮にも国王に向かって!」
「国王だと言う自覚があるなら、こう言う事ではなく、もう少し内政などについて考えて頂きたいものですね!」
ベルーラを丸め込む様にカーブンは早口でそう捲くし立てる。
すると、流石のベルーラも意気消沈し、むぅーっと、静かに唸り声を上げていた。
全くどちらが親でどちらが子供なのか分からぬやり取りに、周囲では人々が笑う。
これでは、王としての威厳が台無しだと、カーブンは頭を抱え吐息を漏らした。
狩りを終えたフォンとリオンは宿へと戻っていた。
今回の狩りで暫くの食料と資金は調達できた。
取引をした商人が非常に優しく、高値で全てを買い取ってくれたのだ。
「これで、暫くは安心だな」
頭の後ろで手を組むフォンがニシシと笑う。
「そうだな……。しかし、こう順調に物事が進むと、少々不安になるな」
腕を組むリオンが眉間にシワを寄せたまま大きくため息を吐いた。
その様子にフォンは「考えすぎだよ」と、穏やかに笑い退けた。
だが、二人は忘れていた。
この時、メリーナを一人にしている事を。
そんな二人の横を一台の馬車が駆け抜ける。
その刹那、二人は荷台に乗った一人の見知った少女を目にした。
意識を失っているのか、縄で囚われ動かないその少女の姿を。
二人はその馬車を目で追い、やがて声を上げる。
「め、メリーナ!」
二人は振り返り、走る。
その馬車に向かって。
だが、馬車は徐々に加速し、二人を引き離していく。
「くっ! フォン!」
リオンが叫ぶ。
しかし、狩りで消耗しすぎたフォンに馬車に追いつくだけの体力など残されてはいなかった。
立ち止まり、二人は遠ざかる馬車をただ睨む事しか出来なかった。




