第58回 最終決戦が行われた場所
馬車に揺られ十日が過ぎ――。
フォン達はアルバー大陸の中心にして、あの大戦の傷が残る地に足を踏み入れていた。
とても、汚染されているとは思えぬ程、綺麗な空気が漂い、風が大地に咲き乱れる花々を揺らす。
川のせせらぎと鳥の囀りが折り重なり、清らかなメロディーを奏でる。
花の香りが薄らと漂い、心を癒す。
道など無く、馬車は咲き乱れる花の上を静かに進んでいた。様々な色の花びらが散り、後塵と共に舞う。
荷台の後ろからその光景を眺めるクレアは、静かに息を吐く。信じられなかった。ここが、三十年も前の大戦で戦火となった場所だと言う事が。
ニーナも同じく未だにこの光景を信じられずに居た。あれ程酷い戦いがあったと言うのに、一面花だらけ。一体、この花は何処から来ているのか、そう言う疑問がニーナの頭を過ぎる。
相変わらず荷台の隅でフォンは横たわっていた。乗り物酔いは未だ続いていた。ミイラ状態のフォンの姿に、リオンは呆れた様子でため息を吐き、肩を落とす。これで、一応フォンの事は認めている。認めているからこそ、こんな無様な姿は見ていて居た堪れなかった。
「アリアさん。目的地が見えてきましたよ」
手綱を握るスバルが笑顔でそう言うと、荷台からアリアの声が返ってくる。
「そうか。私も、アレを見るのは初めてだからな……」
悲しげでもあり、何処か嬉しげでもある複雑な表情を浮かべるアリアが静かに笑う。
この花畑の中心には、二つの墓石がある。
一つは英傑とし、身を挺し世界を救った者として名が刻まれ、もう一つは世界を破滅へと導こうとした男の名が刻まれる。
どうして、後者の墓石が立てられたのかは不明だが、これを知られたくない為にここが汚染された地だと言う噂が流れているのだ。
ただ、ある一部の者は言う。
“これは、彼の様にならない様にと、言う戒めの為に造られたのだ”
と。
その真実を知る者は少なく、今ではもうその者達が誰なのか知る者はいない。故に、この墓石が作られた理由はもう誰も知る事は出来ないのだ。
馬車を引く二頭の馬が僅かな声を上げ、ゆっくりとその足を止める。それに伴い、馬車の車輪が軋みながら動きを止めた。
「着きましたよ。目的地の最終決戦が行われた場所に」
スバルが静かにそう言い、いち早く馬車から降りた。そして、静かに二頭の馬へと歩み寄り、その頭を優しく撫でる。
「ここまで、お疲れさん」
その声に、二頭の馬は頭を僅かに振り返事を返すように声を吐いた。
馬車が止まり、荷台の隅に横たわっていたフォンが、ムクムクと起き上がる。だが、その足元は覚束無い。フォンの動きに皆の視線が集まる。クレアは心配そうな眼差しを向け、リオンはジト目を、ニーナは危ない人を見る様な目を向けていた。
やがて、荷台の一番後ろまで辿り着く。だが、手すりに脚を取られ、そのまま転落した。一瞬にしてフォンの姿が皆の視線から消える。何が起こったのか理解できず、一拍の間が空き――
「ふぉ、フォンさん!」
「フォン!」
リオンよりも一瞬早くクレアが声をあげ立ち上がり、遅れてリオンの声が響く。慌てて荷台から飛び降りたクレアの姿に、声を上げたリオンは驚き硬直していた。いや、リオンだけで無く、一番フォンに近い位置にいたニーナも、驚き動けなかった。
二人と対照的にアリアは腕を組み笑みを浮かべる。
「青春だね」
小さく何度も頷き、アリアもゆっくりと歩き出し、荷台から飛び降りる。その声はリオンとニーナにハッキリ聞こえ、二人共訝しげな表情で、
「青春って……」
と、同じ言葉を口にし同時にため息を吐いた。
「大丈夫ですか? フォンさん」
心配そうにクレアはフォンを抱き起こす。頭から地面に落ちた為、その心配は大きく何処か不安げだった。
そんなクレアの心配を他所に、目を回すフォンの頭は殆ど無傷だった。足元一杯に広がる花がクッションになったのだ。ただ、額が少しだけ赤く腫れ、コブになっていた。
すぐに目を覚ましたフォンは、右手で額を押さえる。
「うぐぅー……いてぇ……」
ボーッとする目でクレアの顔を見据えたまま、そう呟く。その声に、クレアは安心した様に笑みを零す。
「良かった……生きてたんですね」
「…………あーぁ。俺は死んだのかー。花畑が広がって――」
「寝言は寝て言え」
馬車から飛び降りたリオンがそう言いフォンの腫れた額を左手で叩いた。
「ウガァァァァッ! な、ななな、何すんだ! 痛いじゃないか!」
跳ね上がる様に起き上がったフォンが大声をあげ、リオンへと涙目を向ける。だが、リオンは相変わらずの冷めた目を向け、小さく息を吐く。
「それだけ元気があるなら、間違いなく生きてるな」
「い、生きてるのは分かってるよ! ボケただけだろ!」
フォンが両手で額を押さえ、頬を膨らせると、クレアが驚いた様子で立ち上がる。
「ぼ、ボケたって! そんな若い歳でボケが始まってしまったんですか! やっぱり、打ち所が――」
いたって真面目にクレアがそう告げた。真剣に考え込む様に右手で口元を覆い俯く。そんなクレアの姿に、フォンを始め、リオン、ニーナも呆れた眼差しを向ける。
クレアはちょっと人と違う。いや、大分人と違う。それは、クレアがクローンとして生まれ、暗殺者として育てられた影響だろう。冗談を言い合うと言う環境になかった為、時々常人では普通の事が分からない事がある。
目を細めるフォンは右手で頬を掻き、深く吐息を漏らす。その吐息に、クレアは胸の前で手を組み不安そうに潤んだ眼差しをフォンへと向ける。
「例え、その歳でボケても、私はフォンさんの事、見捨てたりしませんから……」
クレアは潤んだ目を閉じ、鼻を啜り背を向けた。桜色の髪が優雅に宙を舞い、煌く。
クレアの背中から出る妙な空気に、フォンはゆっくりとその視線をリオンとニーナへと向ける。助けを求める様に。しかし――
「さぁ、後は任せるぞ」
「良かったわね。看取ってくれる娘がいて」
と、二人はそのままその場を後にする。フォンとクレアをおいて。
静まり返ったその場にフォンとクレアは佇む。右手を伸ばし硬直するフォンと、背を向けるクレアの間を風が吹き抜ける。足元では色鮮やかな花たちが揺れていた。
困り顔のフォンはとりあえず、クレアの方へと向き直り右肩を落とす。どうしたものかと、右手で頭を掻いたフォンは、意を決する。
「あ、あの……クレア、さん?」
恐る恐る尋ねると、クレアは小さく頷く。
「最後まで言わなくても大丈夫ですよ。私はフォンさんの味方ですから!」
「いや、そうじゃなくて、もう皆行っちゃったんだけど……」
苦笑するフォンの言葉に、クレアは慌てて振り返った。
「ふぇぇっ! お、置いていかれちゃったんですか! もうっ、酷いです!」
愛らしく頬を膨らし、クレアが頬を僅かに赤く染めそう怒鳴る。その言葉に、フォンは頭を掻いた。
「と、とりあえず、行こうか?」
「はい! 全く……一言言ってやりますよ!」
「そ、そっか……うん。じゃあ、行こう」
苦笑するフォンがそう言い歩き出すと、クレアもそれに続いて歩き出す。
二人で並んで花畑を歩む。頭の後ろで手を組むフォンは、僅かに背を仰け反らせる。腰にぶら下げた剣が僅かに揺れ、フォンの太股を叩く。その音だけが鳴り響く。
少しだけフォンの後ろを歩むクレアは、その背中を横目で見据え微笑む。この所、クレアは上機嫌だった。気分が妙に高揚し、まさに絶好調だった。何故、この様な状態になっているのか、クレアには分からなかった。
「おーい! フォン! こっちこっち!」
スバルが笑顔で両腕を頭上で振る。その姿にフォンは笑顔を返す。
「おう! 今行く!」
頭の後ろで組んでいた手を離し、右手を振り上げる。満面の笑みを浮かべるフォンの姿に、皆の視線が集まる。リオンの鋭い目――、スバルのにこやかな目――、ニーナの呆れた目――、アリアの期待を含んだ目――。そして、クレアの穏やかで優しい目。
まだフォン達は知らない。再び、ここで起こる大事件を――。誰もまだ――。




