第56回 あの世へ向かう豪華客船
クレアが目を覚ましたのはベッドの上だった。
綺麗に整えられた一室。小さなテーブルの上に衣服が無残な形で置かれる。クレアの着ていた衣服だった。血が染み込み、切り裂かれた布。
上体を起こすクレアの体には、痛々しく包帯が巻かれていた。
体が重い。限界まで体力を消耗し、体を酷使してしまった。節々が痛み、体を起こすだけで痛みが全身を駆け巡る。
両腕で体を抱きしめ、奥歯を噛み締めた。肩を震わせクレアは、深く息を吐く。
ここが、何処か宿の部屋などだと気付くまで、そう時間はかからなかった。痛みの中で、クレアは色々考える。自分がどうしてここに居るのか、あの後どうなったのか。頭の中を巡る疑問に、答えはでず、彼女はゆっくりとベッドから立ち上がる。
足を床へと下ろすと、膝が軋む。痛みに表情を歪め、何とか壁を支えにして立ち上がった。フォンとリオンを探して、現状を確かめなければならないと、クレアは静かに足を動かす。
一歩進むだけで体に激痛が走る。その度に足を止め、痛みに耐える。
それから、数十分の時間を掛け、窓の傍まで辿り着く。閉じられたカーテンの向こうから、光が差し込む。間違いなく、外には誰かが居るはず。そう考え、クレアはまた一歩足を進める。
「はぁ……はぁ……」
窓の前に立ち、呼吸を整える。固唾を呑み、合わさったカーテンを両手で握った。瞼を閉じ、もう一度深呼吸。乾いた唇を湿らせる様に甘噛みし、肩の力を抜く。
(大丈夫……。皆、そこに居る……)
そう自分に言い聞かせ、クレアは一気にカーテンを開いた。
眩しい光がクレアの目を差し、思わず瞼を閉じる。閉じられた窓の向こうから、僅かな音が届く。幼い子供達の声に、波の音。そして、汽笛。
光に目がなれ、クレアは目を見開く。
広がる景色は絶景だった。
エメラルド色の海に描かれる白波の線。
水飛沫が煌き、空を優雅に無数の海鳥が舞う。
船上を子供達が元気に駆ける。
賑わう甲板。
そう。ここは、すでに船の上だった。
「ふ……ね? ど、どうして……」
クレアは驚いていた。何故、船に乗っているのか分からない。しかも、この部屋から見る限り、かなりの豪華客船だ。
何故、そんな所に居るのか分からず、クレアは困惑していた。
桜色の髪を振り乱し、クレアはその場に蹲る。きっと夢だと、自分に言い聞かせていた。だが、そこで、クレアは思い出す。リングとの戦いを。
「えっ! も、もしかして……わ、わわ、私、死んじゃったの?
そ、それで、この船は、あの世へと向かう豪華客船!」
「な、わけないだろ?」
突如、部屋の中に響く声に、クレアは潤んだ瞳を向ける。
そこに居たのは、フォンだった。真新しい衣服に身を包み、その上から古びた茶色のコートを着ていた。ボサボサの茶色の髪を左手で掻き、右手はコートのポケットに突っ込んでいた。
少々不機嫌そうな表情のフォンの顔を、クレアは潤んだ瞳でジッと見据える。
妙な間が空き、その間に耐え切れず、フォンは小さく吐息を漏らし肩を落とす。
「な、何だよ?」
「ふぉ、フォンざん……」
鼻声のクレアに、フォンは呆れた様な表情を見せる。すると、クレアは突然両手で顔を覆う。
「フォンさんも、死んでしまったんですね!」
「うおい! 誰が死んだだ! てか、俺もお前も死んでないから!」
「きっと、フォンさんは天国へ行けます! 私は、行けないかもしれません。けど、道中は一緒に――」
「だから、死んで無いから!」
取り乱すクレアが泣き叫び、フォンはひたすら大声で突っ込む。
その声に、部屋のドアが開く。
「何してるんだ……お前は? 様子を見て来いって言っただけだろ? 何一人で騒いでるんだ」
呆れた様子で部屋に入ってきたのはリオンだった。額に包帯を巻き、黒髪を揺らすリオンは呆れた顔をフォンへと向ける。鼻から静かに息を吐いたリオンの視線が、フォンの体越しにクレアへと向いた。何故、泣いているのか分からないが、何となく関わるのは危険だと瞬時に察知する。
「そうか。クレアは目を覚ましたのか。じゃあ、俺は部屋に戻ってるぞ」
と、早々に退散する。
「お、おい! ま、待て! 俺を一人にするな!」
フォンは叫び、リオンの腕を掴もうとした。だが、その手は空振った。そして、ドアは音を立て閉じられる。
重い空気の漂う部屋に泣きじゃくるクレアと二人。目を細めるフォンは、深く息を吐いた。
それから、数十分後。
落ち着きを取り戻したクレアにフォンは状況を説明した。
現在、自分達が客船フェイリアで、西のアルバー大陸へ向かっている事、目的地を決めたのはアリアだと言う事。
アリアがアルバーを目的地に選んだ理由。それは、あの最終決戦が行われた場所を一度見てもらいたいと言う事だった。フォンも一度見ておきたい場所だった為、異論はなかった。もちろん、リオンもスバルも、ニーナもあの場所を見た事がなかった為、文句は言わなかった。
何故、アリアがあの場所を見せたいのか、その理由は分からない。だが、見る価値はあると、アリアは微笑んでいたのを、フォンは鮮明に記憶していた。
この船を手配したのもアリアだった。フォン達が来るまでの間に、相当の資金を集めていた為、余裕で人数分のチケットを入手できた。一体、どんな事をして資金を稼いだのかは聞いていないが、スバルの表情を見る限りろくな事ではないと、フォンは確信している。
小さく吐息を漏らすフォンは、後ろ向きに椅子に座り、ベッドの上にいるクレアを見ていた。
「全く、人を勝手に死人にするなよな」
「だ、だって……普通、いきなりこんな場所……死んだと思うじゃないですか? あの戦いの後ですよ?」
恥ずかしそうに顔を赤くしたクレアはモジモジとしていた。よっぽど恥ずかしかったのだ。
呆れ顔のフォンはもう一度小さく吐息を零すと、ジト目を向ける。
「それより、上着着た方がいいんじゃないか? 幾ら包帯巻いてるからって、裸は寒いだろ?」
「ふぇっ? ふぇぇぇっ! な、な、な、何見てるんですか!」
「はがっ!」
フォンの額を鈍器が直撃する。一体、何処から取り出したのかは不明だが、その鈍器によって、フォンは額から血を噴き横転した。
布団に包まるクレアは赤面し、頬を膨らせフォンへと怒鳴る。
「で、で、出て行ってください! な、な、何、ど、ど、ど、どう、堂々と、居座ってるんですか!」
だが、フォンの返答は無い。何しろ、先程、彼女が鈍器をぶつけ、血を噴き伸びているのだから。
そんな事とは知らず、クレアは更に怒鳴る。
「そ、そ、そそ、そんな死んだふりしたって、ご、ごご、誤魔化されませんから!」
怒鳴った後に布団の中へと頭を隠した。
隣りの部屋では、リオンとスバルが談笑していた。隣りで行われている騒ぎなど聞こえていない。それ程、この船の壁は厚いのだ。
ベッドに腹ばいに寝そべるスバルは、両足をぱたつかせていた。よっぽど、今まで辛い事があったのか、とても幸せそうな顔をしている。リオンですら、あんなにも幸せそうなスバルの顔を見た事がなかった。
「幸せそうだな」
「ああ……幸せだよ。フカフカのベッドに寝そべれるって言うのは」
椅子に座り足を組むリオンは、ジト目を向ける。そんな小さな事でそこまで幸せそうな顔が出来るのかと。
小さく息を吐き、リオンは頬杖を付く。肘を置いたテーブルには、リオンの剣が鞘に納まり置かれていた。と、言っても刃は無い。鞘と柄だけの剣。グォーバーとの戦いで、その刃は砕けた。長い間使っていた為、結構愛着があった。故にショックは大きい。
深くため息を吐き、リオンは目を細める。そんなリオンにスバルは不思議そうに尋ねる。
「どうかした? なんだか、落ち込んでる様に見えるけど?」
「まぁ、色々とな」
「ふーん。てかさぁ、フォンとクレアって、そんなに仲良いの?」
自分から話を振って置いて、呆気なく話を摩り替えるスバルに、リオンはジト目を向ける。だが、別に話す必要も無いと、気にする事無くリオンはスバルの質問へと答えた。
「そうだな。俺が思うに、あの二人は似てるんだ」
「えぇーっ? 全然そうは見えなかったけど?」
不服そうにそう言うスバルだが、その顔は相変わらず緩んでいた。深い蒼い髪をゆらゆら揺らすスバルの姿に、リオンは冷ややかな視線を送った。どうせこの話にも興味は無いんだろうと。




