第53回 橋の上の攻防戦
木造の橋で兵士に挟まれるフォンとリオン。
目の前に佇むのはおぞましい殺気を溢れさせる男――グォーバー。
彼の姿に二人は息を呑み、剣を構える。全てを呑み込む様な闇。それが、彼に対する印象だった。
手が震える。膝が震える。魔獣人。それと同等の恐ろしさをリオンは感じていた。自然と足は半歩下がる。そんなリオンを横目で見据え、フォンは唇を噛み締めた。自分がどうにかしないと、と。
震える足に力を込め、手の震えを必死に殺す。強い眼差しを向け、右足を僅かに前に出す。
対照的な二人の動きにグォーバーは不適な笑みを浮かべる。光沢の美しい漆黒の鎧。それを輝かせ、静かに右手に持った剣を向ける。
「くっくっくっ……さぁ、掛かって来い。俺様が格の違いを見せてやるぜ」
グォーバーの声に、周りの兵士が指笛を鳴らし、声を張る。
「いいぞ! 隊長!」
「ガキ共に見せ付けてください!」
笑い声が響き、鎧がぶつかり合う音が周囲を包む。だが、その声をグォーバーは一喝する。
「うるせぇーっ! ボケどもっ! 貴様らは、こんなガキ共相手にてこずりやがって!
俺様の隊が弱いと思われたらどうすんだ!」
「す、すみません……」
兵士の一人が静かに謝る。鼻筋にシワを寄せるグォーバーは兵士達の顔を一人一人見据え、やがてその目をフォンへと向ける。手前に居たからだろう。二人の視線が交錯する。黒いフォンの瞳と茶色のグォーバーの瞳が。
張り詰めた空気。その中に吹き抜ける静かな風。揺れる橋。グォーバーと対峙する二人。額から汗が零れ、やがて時が動く。
駆け出すのはフォン。遅れてリオン。直線的にグォーバーへと向かう。策など無い。明らかな格上相手に、今の二人ではどんな策を練ろうとも効果が無いのは目に見えていた。
不敵な笑みが、余裕から生まれる。右手に握った剣を大きく振りかぶった。隙だらけのグォーバー。だが、その威圧感からフォンとリオンの動きは鈍る。それを、グォーバーは逃さない。
右足をすり足で前へと出す。その足に全体重を乗せると、橋が軋む。鎧の重さプラスのグォーバーの体重。その重量は悠に一五〇を超える。木の板はその重さに何とか耐えるが、今にも割れてしまいそうだった。
放たれる刃。右から左へと横一線に。闇を裂くただ一筋の閃き。その合間に響く金属音と、散る火花。大きく弾かれるフォン。重い一撃に体は大きく仰け反る。剣ごと腕は頭の後ろまで弾かれ、そのまま後方へと横転する。
激しく転がり、木の板が軋む。大きく揺らぐ。それでも、バランスを崩さないグォーバー。その目がリオンを見据える。威圧的な獣の様な眼差し。その視線にリオンの動きは更に鈍る。
恐怖が動き、判断力を鈍らせ、足が自然と止まった。ニターッとグォーバーは歯を見せ笑う。目を見張る。そして、我に返る。立ち止まってはダメだと。だが、足が動かない。膝が震える。完全に呑まれた。恐怖に。
放たれる一撃。払う様に左から右へと。鈍い金属音に遅れて火花が散る。後方へと弾かれるリオンの体。奥歯を噛み締め、表情が歪む。何とか転ぶ事は免れるが、その膝は木の板へと落ちる。
一撃が重い。剣の刃が振動し、その手は痺れていた。表情を歪めるリオン。その視線は横にいるフォンへと向く。
体を起こし奥歯を噛み締めるフォン。その視線は強くグォーバーを睨む。恐怖を感じながらも、彼の闘志は死んでいない。
「ふん……力の差を知りながらも、尚そんな目が出来るか」
グォーバーの静かな声。その声にフォンは表情を険しくする。
力の差。それはハッキリと理解している。だが、ここでコイツを止めなければならない。その使命感から、フォンは決して退かない。
彼の闘志に僅かに膝を震わせていたリオンは深く息を吐く。気持ちを落ち着ける為。恐怖を打ち消す為に。冷たい空気を鼻から吸い、肺へと送る。そして、腹の底からゆっくりと暖かい息を吐き出す。冷たくなった指先に感覚が戻る。ようやく、冷静さを取り戻し、静かな眼差しがグォーバーへと向く。
空気が変った。僅かにだが、確実に風の流れが変った。二人が駆ける。ほぼ同時に。グォーバーが放つ威圧感、殺気の恐怖に打ち勝ち、足を進める。
この状況でも立ち向かってくる二人の姿に、グォーバーは薄ら笑いを浮かべた。心の底から楽しんでいた。圧倒的に自分よりも格下の二人との戦いを。
先に間合いに入ったのはフォン。右足を踏み込むと同時に、剣を右下から左上へと切り上げる。大きく体を捻るグォーバー。彼の鎧を切っ先が掠め、嫌な音が僅かに響き、火花が散る。火花に照らされたその恐ろしい形相。グォーバーは大きく剣を振りかぶる。
「人を斬るってのは、こうすんだよ!」
叫び声と同時に、勢いよく剣が振り下ろされる。鈍い金属音が響き、火花が散る。ぶつかり合う二つの刃。佇むのはリオン。思いっきり勢いをつけ振り抜いた――つもりだった。だが、刃は弾かれ、リオンの体は軽々と後方に飛ぶ。
一方、リオンを弾いたグォーバーの剣はそのまま足場の木の板を貫く。橋が激しく揺れ、両端に並んでいた兵士がバランスを崩し、谷へと落ちた。悲鳴が響き、やがて消える。水音と共に。
揺れる橋の上。バックステップで距離を取るフォンは、リオンの隣りに並ぶ。呼吸が乱れ、体が重い。沼に足を突っ込んでいるそんな感覚。それ程、グォーバーの体から溢れるオーラは気持ちが悪かった。
呼吸を乱すフォンは、もう一度突っ込む為に右足を半歩踏み出す。それに遅れ、リオンも足を踏み出す。
「このまま無駄に突っ込んでもしょうがないぞ」
小声でリオンが告げる。フォンにしか届かない程の声で。
その声にフォンは小さく頷く。
「分かってる……でも、何とか、突破口を見つけないと……」
静かに答え険しい表情を見せる。リオンも同じだった。険しい表情を見せ、グォーバーを見据える。
木の板へと突き刺さった剣を抜くグォーバー。その口が僅かに開き、吐息が漏れる。アレだけ重量のある鎧をまとっている分、それなりに体力は消耗していた。それでも、今のフォンとリオンよりかは余力を残していた。
橋を渡った先。
闇の中に幾重にも火花が散る。美しい金属の音色。闇を彩る火花。そして、鮮血。
激しさを増すリングの斬撃。クレアはそれを防ぐので精一杯だった。
スピードはクレアに分がある。だが、その他の部分で大幅にリングが勝っていた。力も、体力も。
楽しげな笑みを浮かべ、手に持った二本の剣を交互に振り抜く。これにより、クレアは通常よりも大幅に体力を消耗していた。二本の剣を一本の剣で防ぐのだから、無理もない。
額から溢れる汗。舞う桜色の毛。彼の刃が何度か、彼女の髪を掠めていた。深く肩を上下に揺らし、苦しそうに右目を閉じる。半開きの口から荒々しい息遣いが聞こえ、リングは静かに手を止める。
「お疲れの様だね。けど、僕は攻撃をやめないけどね」
語尾を強調し、地を蹴る。一瞬で間合いを詰めるその素早い身のこなし。そして、一撃一撃、的確に急所を狙う。間違いなく、彼も暗殺を得意とする部類の人だとクレアは悟る。何となくだが、自分と同じ臭いがした。だからだろう。この人には負けたくないと言う気持ちになるのは。
疲弊し、今にも膝を落としてしまいそうになりながら、その攻撃を全て防いでいた。今までのクレアならこの時点で意識を失っている。それでも、気力で持ち堪えていた。
視界が霞み、もうハッキリとリングの姿は確認出来ない。それでも、聴覚を研ぎ澄ませ、触覚を張り巡らせる。足音。肌に感じる風。そして、暗殺部隊隊長としての直感。それにより、リングの動きを捉える。
右から飛んできた刃を叩き落し、左から飛んできた刃を受け止める。何度も何度も。激しい攻防が繰り返されていた。




