第50回 道と道を繋ぐモノ
静かな闇。
町を照らす月。
聞こえる男達の声。
耳を澄ませる彼女は、一筋の汗を流す。冷たい夜風に吹かれて桜色の髪が揺れる。
乱れる呼吸。揺れる胸。彼女は必死に息を殺す。その手に剣を携えて。瞳孔が開き、白い息が口から漏れる。ゆっくりと流れる時。白衣を着た二人の男性が通路を歩む。それを見据え、彼女は飛び出す。そして、一閃。
鮮血が闇を彩り、壁や床へと放射線状に散った。床に横たわる二つの肉体。その体には頭は無い。血だけが傷口から溢れ、床に広がる。
呼吸を乱す少女。その手に握られた剣の切っ先から血がシトシトと落ちた。手が震え足が震える。恐怖を感じ、彼女の呼吸は一層荒くなった。
闇が濃くなり、彼女を包む。その闇に押しつぶされそうになる。と、その時、何処からとも無く声が響く。穏やかな優しい男の声が。
「――ア。――ア」
自分の名前を呼ぶその声に、彼女の闇にゆっくりと光が満ちた。
ゴンッと、鈍い音が響く。小さな宿の狭苦しい部屋の中に。
ベッドから体を起こすクレア。額に走る激痛に、思わず額を押さえる。
一方、その目の前。鼻血を噴き弾かれるフォン。寝苦しそうにしているクレアを起こそうとした。その結果がこれだ。勢い良く体が起こされ、クレアの額が彼の鼻に直撃した。
尻餅を着き鼻を押さえるフォンは、涙目でクレアを見据える。
「な、何すんだよ! 痛いだろ!」
鼻声でフォンが怒鳴る。鼻を押さえる手から血が零れ、クレアは彼が怪我をしたのだと分かった。慌ててベッドから飛び降り、両腕を激しく振る。
「ど、どど、どうしましょう! どうしましょう!」
と、何度も連呼する。彼女のあまりの慌てぶりに、フォンは冷静になれた。冷静になったと言うよりも、呆れてしまう。鼻の痛みも、何故だか引く。それ程、クレアの慌てっぷりは凄まじかった。とりあえず、鼻血を止める為に鼻を摘み、フォンはゆっくりと腰を上げる。そんな彼へとクレアは視線を向けた。胸の前で指を弄り、申し訳なさそうに俯きながら。その顔が、その仕草が愛らしい。静かに息を吐くフォンは、左手を軽く上げ、
「俺は大丈夫だから」
と、彼女を安心させる為に告げた。その言葉にクレアの表情はパッと明るく変り、いつもの笑顔が戻る。彼女の笑顔にフォンは口元に笑みを浮かべ、やがて吐息を漏らす。この笑顔が一番似合っている。そうフォンは思った。
静かなにドアが軋み、リオンが部屋に入ってきた。相変わらず渋い表情を浮かべるリオン。彼は、二人の姿に気付く。
「起きたのか?」
「ああ。ついさっきな」
鼻を押さえリオンへと体を向ける。そんなフォンに彼は怪訝そうな目を向け、
「何してるんだ? お前」
と、眉間にシワを寄せ静かに尋ねる。その声にフォンは苦笑し左手で頭を掻く。
「いや、ちょっとしたハプニングがあって……」
「ハプニング?」
「ま、まぁ、それはいいじゃないか。
それより、どうしたんだ? 渋い表情なんてしてたけど」
強引に話をすり替える。
腕を組むリオンは深く息を吐く。その表情は険しく、とても深刻そうだった。その為、すぐにフォンとクレアも表情を引き締め、リオンへと視線を送る。二人の視線にリオンは静かに息を吐き、地図をテーブルへと広げた。
現在、フォン達は港町まで数キロの所まで来ていた。今日、ゆっくり歩いたとしても港町に辿り着く。その予定だった。だが、ここでリオンは妙な噂を耳にした。現在、港へ行く道が封鎖されたと言うモノだ。何処まで信憑性があるのかは不明。だが、先日ここを出た商人が戻ってきていた。その事から、少なくとも港に行くまでに何かがある事だけは確かだろう。その確信があるわけではないが、警戒する事に越した事はない。
リオンの説明を二人は静かに聞く。フォンは右手で鼻を摘んだまま。クレアは額を両手で押さえたまま。そして、腕を組んだままのリオンは、静かに右手で地図を指差す。
「ここに、俺達はいる」
リオンが指差すのは現在いる村。ここから、港町までもう村や集落は無く一本道。森があり、川が流れている。だが、それは障害ではない。では、一体何が――。
そう考えるフォンに対し、リオンは静かに口を開く。
「ここから、港町に行く為に必ず通らなければならない場所が一箇所ある」
強い眼差し。強い口調。自信があるのだ。その答えに対して。
自信の溢れる彼を見据え、フォンはその視線を地図へと落とす。その答えが何かを探す様に。
隣で静かに話を聞いていたクレアは小さく頷く。すでにその答えを見つけていた。ニコッとリオンに微笑み、その唇が開こうとする。しかし、その時リオンと目が合う。まだ言うな、と言う眼差し。その眼差しにクレアは開きかけた唇を閉じ、隣りのフォンへと目を向けた。
腕を組み考える。唸り声が上がり、静かに時が過ぎた。頭からゆっくりと湯気が噴く。流石に限界か、とリオンが小さく吐息を漏らし、唇を開く。だが、それより早くクレアがフォンへと口を開く。
「フォンさん。道と道を繋ぐモノって何だと思いますか?」
と、言う質問。わけが分からないその問いに、フォンは怪訝そうな表情を浮かべた。今、関係ある話なのかと。クレアの微笑み。その微笑みにフォンは腕を組み考える。道と道を繋ぐモノについて。
道は本来町と町をと繋ぐモノ。その道は途絶える事なく続いている。それを繋ぐモノ。頭を働かせ、静かにゆっくりと考える。地図上の道をその目で辿る。そして、その視線が止まった。地図上の川の中腹で。瞳孔が開き、フォンの口に笑みが浮かぶ。その視線の先。川の中腹。そこに描かれる。道と道を繋ぐただ一つの線。
「そうか! 橋!」
「正解です」
明るく元気に声をあげるフォンに、クレアは笑顔でそう答えた。リオンとクレアは視線を合わせ小さく頷く。そして、リオンは話を戻す。
「そう。橋。それが、この町と目的地である港町を繋ぐ唯一の場所でもある」
「そうか……じゃあ、その橋に……」
フォンもようやく状況を呑み込む。閉鎖されたのは十中八九その橋だろう。その事を理解し、フォンは渋い表情を浮かべる。橋が通れなければ向こうにいけないと言う現実。どうすればいいのか考える。一方のクレアは変らぬ笑顔を見せていた。
その笑顔にリオンは訝しげな表情を浮かべる。この状況を分かっていないはずは無いのに、何故笑顔なのかと。眉間にシワを寄せる。不意に彼女と目が合う。彼女もその事に気付いたのか、小さく会釈する。なんとも妙な感覚だった。
「クレアは、何か考えがあるのか?」
その微妙な感じを払拭する様にリオンはそう口にした。その問いにクレアは小さく首を振り答える。
「考えはありません。まず、行って、この目で見てみないと何があるか分かりませんから」
「じゃあ、さっきから何笑ってるんだ?」
フォンも不思議に思っていたのか、そう尋ねる。すると、クレアは「えへへ」と笑い答えた。
「なんだか、お二人を見てると面白くて――て、別にバカにしてるわけじゃないですよ!」
慌てて訂正するクレア。だが、すでに二人はジト目を向ける。その眼差しに必死に取り繕う。その必死さが更に怪しく思えた。しかし、必死のクレアの姿はおかしく、二人は思わず笑いを噴出す。
「ぷっ!」
「くくっ……」
「な、何ですか? 二人して」
ぷくっと頬を膨らし、クレアがその頬を赤く染める。恥ずかしいのだろう。しかし、そのクレアの顔が一層二人に拍車をかける。必死に笑いを堪えるリオン。その隣りで腹を抱え笑うフォン。二人の態度に更に頬を膨らす。
「ひ、酷いですっ! 二人して笑うなんて!」
「い、いっ、くくっ……いや……くっ、わ、わる、くくっ……」
笑いを堪えるのに必死のリオン。その言葉は途切れ途切れで、半分以上何を言っているのか分からなかった。
その横でフォンはお腹を押さえ蹲る。クレアのギャップがあまりにも面白くて。普段は確かに可愛らしい。その仕草も言動も。別にそれだけだと大した事は無い。ただ可愛いなぁと、思うだけだろう。
しかし、フォンもリオンも彼女が元暗殺部隊の隊長だと知っている。それ故のギャップだろう。愛らしく振舞っていても、戦闘中のクレアが頭を過ぎりつい笑ってしまう。
ベッドの上でクレアは膝を抱える。完全に不貞腐れ、頬を膨らし唇を尖らせる。フォンは相変わらず肩を揺らし笑い、リオンは落ち着き静かに息を吐く。
「しかし……ああもギャップがあると……」
「あ、あぁ……ぷっ! お、面白いなぁ」
テーブルに顔を伏せ茶色の髪だけを揺らす。呆れるリオンは目を細め深くため息を吐く。その額を右手で押さえて。




