第47回 不気味な影
夜が明け、フォン達は再び歩き出す。
道が分からなくなった為、通った証として木の幹に剣で傷を付けながら足を進める。先頭を行くのはリオン。黒髪を揺らし、手に持った地図とにらみ合っていた。何処に居るのか分からないが、それでも何の当ても無く歩くよりかはマシだろうと地図と照らし合わせ森を歩む。
その後ろから続くのはクレア。珍しく桜色の髪を下ろし、腰の位置で揺らしていた。呼吸は僅かに乱れている。ここに来て大分疲れが出ている様だった。
最後尾を進むフォンはそんなクレアの背中を見据え、心配そうな表情を浮かべる。責任を感じていた。自分が道を間違えた所為で、遠回りをさせている事に。茶色のロングコートをはためかせ、静かに吐息を漏らすフォン。眉間にシワを寄せ、僅かに俯く。
足取りは重く、沈黙は続く。三人とも状況を良く分かっていた。深い森の中で迷う事の重大さを。僅かな焦り。戸惑い。不安。その影響から、リオンもフォンもいつも以上に疲弊し、呼吸を乱していた。
静かに足を止め、剣を抜いたリオンは右手に見える木の幹へと傷を付ける。半開きの口から漏れる呼吸音は荒く、額から零れ落ちる汗は地面で弾けた。静かに地面へと剣を突きたてたリオンは深く息を吐くと、空を見上げた。
リオンの行動にクレアとフォンも足を止め深く息を吐いていた。クレアは座り込むように膝を抱え、フォンは腰に手をあてリオンと同じ様に空を見上げる。誰も何も言わず、ただ三人の荒い呼吸音だけが響く。
その後、三人はその場から動く事が出来ず、そのままそこで一夜を過ごす事になった。
焚き火を囲う三人。やはり言葉は無く、ただ焚き木が燃える音だけが聞こえる。木々のザワメキ。冷たい穏やかな風。揺らぐ炎は火の粉を僅かに舞い上げる。
膝を抱え木の幹にもたれかかるクレア。虚ろで眠そうな目でジッと焚き火を見据えていた。相当疲れが溜まっているのは見て分かった。
リオンも相当神経をすり減らしたのだろう。俯いたまま動かない。起きているの寝ているのかも定かではなかった。
静かに火の番をするフォンも、ボンヤリとした眼でゆっくりと枯れ枝を焚き火へと突っ込む。廃人の様に覇気はなく、ただそれを命じられた様に一定の時間毎に動き出す。
どれ位の時間が過ぎたのか、皆自然と眠りに就いていた。そんな中で一番最初に目を覚ましたのはフォンだった。何か不気味な気配を感じ、薄らと瞼を開く。焚き火は消え、煙が上がっている。訝しげに目を細め、フォンは静かに右手で剣を握った。
フォンが剣を握ったのには理由がある。一つは焚き火。消えたのはついさっきの様だが、その焚き木はまだ燃えきっておらず、僅かに水気を帯びているのに気付いたからだ。誰かが意図的に消したのだ。一体誰が――。
薄目を開けリオンとクレアの姿を確認する。リオン、クレア共に動かない。寝ているのか、それともフォン同様に違和感を感じ寝たふりをしているのか、状況は分からずフォンは眉間にシワを寄せる。どうすればいいのかを考え、状況を確認する様に周囲を見回す。
大きく脈打つ心音。それを落ち着ける様に静かに息を吸いゆっくりと吐き出す。僅かながら心が落ち着くが、それでも気休め程度にしかならない。緊張感の中で、フォンは剣を握る手に力を込め息を呑む。
その時、事態は急変する。足元に漂う闇。不気味で重々しく、全てを呑み込む様なその闇にフォンは素早く立ち上がった。それに遅れ、リオン、クレアと続き、三人とも剣を抜く。二人共起きていたのだと安堵するフォンはすぐに二人と視線を合わせる。リオンもクレアもフォンと目を合わせると小さく頷き、真剣な顔で辺りを警戒する。何かがこの森に居る。それが、足元から漂う体に絡みつく様な不気味なオーラだった。
三人はすぐに身を寄せると、背中合わせになり辺りを見回す。怪訝そうな表情を浮かべるリオンは、顔を右に向け、フォンの横顔を見据え静かに口を開く。
「感じるか?」
「分かんねぇ……」
リオンの言葉にフォンは表情をしかめた。全ての気配が消される程、濃度の高い不気味な闇。それが、フォン達三人の感覚を鈍らせていた。
静かな面持ちのクレアは、長い桜色の髪を揺らし、リオンの方に顔を向ける。すると、リオンと目が合う。
「どうかしたか?」
目が合うとリオンはそう尋ねた。すると、クレアは小さく首を振り「いえ。何でも……」と小声で呟く。ほんの一瞬だが何かの気配を感じた気がした。だが、すぐに消えた為、それは自分の勘違いだと思う。
緊張感漂う中で、フォンは静かに息を吐きクレアの方へ顔を向ける。フォンは分かっているのだ。この三人の中で一番感覚が鋭いのがクレアだと。だから、静かにクレアへと尋ねる。
「何か、気配は?」
「いえ……。ただ、一瞬だけ何かの気配を……」
「一瞬だけ?」
クレアの言葉に怪訝そうな声をあげるフォンに、リオンも険しい表情を見せた。だが、そんな二人にクレアは慌てて付け加える。
「わ、私の勘違いかもしれませんけど」
「いや……。クレアが感じたのなら、何か居るんだろう」
眉間にシワを寄せリオンが静かに呟くと、フォンは小さく頷いた。
だが、次の瞬間、三人は重々しい重圧に襲われる。
「な、何だ!」
「こ、これは……」
「気をつけてください! 何か来ます!」
一番感覚の優れているクレアが何かの気配を鮮明に感じ取りそう叫ぶ。だが、三人はその場を動けずに居た。体にのしかかる重圧が三人の体を地面へと押さえつけていたのだ。表情を歪め、額から汗を滲ませるフォンは、苦しそうに視線を前方へと向けると、闇の中に薄らと人影の様なモノを見つける。
目を凝らし、その人物を見据えるフォンに対し、リオンもクレアもゆっくりと顔を向ける。視界の端に見える人影。それをリオンもクレアも確認し、眉間にシワを寄せた。闇に浮かぶドス黒い眼が二つ。それが、三人を観察する。その目を目の当たりにし、寒気を感じ三人の体は硬くなる。だが、その影は三人を見据えるだけでそこから動こうとはしなかった。
硬直し、暫しの時間が過ぎる。剣の柄を握り締める手の平にはジットリと汗が滲み、三人の呼吸は僅かながら乱れていた。それ程、空気が重苦しく、体力を消費していた。
疲弊し顔色が優れないクレア。それをフォンとリオンは心配そうに横目で見据えながら、警戒を更に強める。
フォン達の前に現れたその影は、ドス黒い眼をゆっくりと閉じ、ゆっくりとその姿を闇へと溶け込ませる。姿が完全に闇に溶け込むと、三人を縛り付けていた重圧が解け、三人は同時に膝を地面へと落とした。
手を地面に着き大きく口を開き呼吸を繰り返すフォン。その横で地面に倒れ込むクレアは、弱々しく肩を上下させ、ゆっくりと瞼を閉じる。疲れがピークに達したのだろう。剣を抜いたまま寝息をたてる。
「な、何だったんだ……」
リオンが右手で額の汗を拭い静かに呟く。その声にフォンは小さく頭を左右に振り、
「分からねぇ……でも、何かヤバそうだった」
と、静かに答えた。何を考え、何の為に三人の前に現れたのか、全く持って理解出来なかったが、その強さだけは何となく分かる。間違いなくこの場に居る三人が束になっても敵う相手ではない。
「と、とにかく……助かった……」
フォンが震えた声でそう告げると、リオンも小さく頷き「だな……」と呟いた。
暫く二人は動く事が出来なかった。あのドス黒い眼の恐怖を改めて理解した所為だった。呆然と、抜き身の剣を地面に突きたて、二人は朝まで無言で時を待つ。またあの影が来るんじゃないかと言う恐怖と戦いながら。静かにただひたすら時が過ぎるのを待った。




