第46回 森を彷徨い
フォン達と別れ、すでに一週間が過ぎようとしていた。
馬車で北を目指すスバル達はようやく目的地である港町に辿り着いていた。着いたのは昨晩遅く。その為、宿は寝静まっており、スバル達は仕方なく町の隅に馬車を止め、荷台で一夜を過ごした。
陽が昇る前に目を覚ましたスバルは、背筋を伸ばし背骨を鳴らす。パキッパキッと乾いたいい音が聞こえ、スバルはゆっくりと息を吐きながら体の力を抜いた。
荷台にはまだニーナが寝ており、山になった薄手の布がモゾモゾと動き時折エメラルドの長い髪がふわりと舞う。寝相は良い方だと思うが、その口から時折漏れる声がスバルは苦手だった。ただでさえ、男女で一緒に寝ていると言うのが緊張するのに、寝ている最中にもれる吐息に心臓は飛び出そうな位脈を打った。
その所為もあり、今日も早く目が覚め、最近は寝不足で目の下にクマが薄らと出来ていた。
「ふぁぁぁっ……」
大きな欠伸をしたスバルは寝癖でボサボサになった深い蒼の髪を右手で掻き毟り、ゆっくりと動き出す。まだ眠いのか、ボンヤリとするスバルはもう一度大きな欠伸をして、右目から涙を零し小さく頷く。誰もいない壁に向かって。
「…………? 何をしてるんだ? キミは」
壁に向かって何度も頷いていると、背後からアリアの声が飛ぶ。アリアはスバルよりも先に起きて、町の状況を視に行っていた。その帰りに壁に向かって頷くスバルを見つけたのだ。
訝しげな表情を浮かべるアリアは、真紅の髪を右手で掻き揚げると、腕を組み鼻から息を吐く。スバルが疲れている事はアリアが一番良く知っていた為、強く言う事も出来ず落ち着いた面持ちでスバルの背中を見据えると、小さく肩を竦め呟く。
「何をしてるかは分からんが、今日はゆっくり休め」
「ううん……わ、分かりました。はい……」
小さな唸り声を上げ静かな口調でそう言うスバルに、アリアは深くため息を吐き肩を落とした。まぁ、町に入っている為危ない事は無いだろうと、アリアは「私は馬車に戻ってるぞ」と告げて歩き出す。その背中を眠気眼で見据えるスバルはコクリと頭を揺らし、ゆっくりとまた動き出した。
それから数十分後、ニーナが目を覚ます。ニーナも慣れない馬車生活で体中が軋み痛む為、よく眠れなかったのか、僅かに目の下にクマを作っていた。寝起きだが、流石は女の子。すぐにボサボサだった長い髪を手グシで梳かし、髪を結う。ただ、寝不足の為かいつものツインテールは少しだけずれていた。そんな事と知らずゆっくりと荷台から降りる。
丁度、荷台から降りるとそこにアリアが戻ってきた。ボンヤリとするニーナの顔を見据え、アリアは「お前もか……」と静かに吐息を漏らし、右手で頭を抱える。
「おはようございますぅ……」
虚ろな目で静かに挨拶するニーナに、アリアは右手で額を掻き「ああ。おはよう」と呆れた声で返事をする。流石にスバルもニーナも大分疲れが見えていた。それ程ここまでの道のりが過酷だったのだ。もちろん、それはアリアも同じだが、引率である為その疲れは見せる事は無かった。
それから一時間程過ぎ、ようやくスバルもニーナも目が冴えて来る。ニーナは歪んだツインテールを直し、スバルは寝癖のたった髪を元に戻す。
「すみません。アリアさん」
ツインテールを元に戻したニーナが申し訳なさそうに深々と頭を下げる。だが、アリアは穏やかな笑みを浮かべると「気にしなくていい」と右手を軽く上げた。
「それより、食事にでも行きましょう」
「食事? いいですね、それ」
アリアの言葉に嬉しそうな笑みを浮かべるスバルがそう答えると、アリアはニコッと優しい笑みを浮かべ、「お前は留守番だ」と落ち着いた口調で告げた。その言葉にスバルは硬直するが、有無を言わせないアリアの眼差しに深く吐息を漏らし肩を落とすと、
「分かりましたよぉ」
と、半泣きで答えた。やっぱりこう言う扱いなんだとスバルも分かっており、背を向け膝を抱え蹲る。その背中は悲しげで悲壮感が漂っていた。引きつった笑みを浮かべるニーナはアリアへと目を向けると、スバルの背中を指差す。
「いいんですか? 放って置いて」
「ああ。アイツはこう言う扱いが好きなんだ」
「好きじゃないですから!」
アリアの言葉に素早く振り返りスバルが怒鳴る。その目から涙を流しながら。あまりの扱いの酷さにスバルを哀れに思うニーナは僅かに肩を揺らし乾いた笑い声を上げた。
哀れな眼差しを向ける二人に、スバルは怒った様に怒鳴る。
「もう放って置いてください!」
「と、彼も言っているし、私達は食事に行こうか」
アリアは冷酷にそう告げると、ゆっくりと歩き出す。そんなアリアの言葉に促され、ニーナは「悪いな」と両手を合わせスバルの背中へと軽く頭を下げアリアの後へと続いた。
一人残されたスバルは不貞腐れた様に頬を膨らすと静かに荷台の中で横たわり不貞寝する。お腹が小さく音を鳴らし、スバルは右手で腹を押さえ身をちぢ込ませる。
その頃、徒歩組みは――森をさまよっていた。
「どう言う事ですか! フォンさん!」
ふっくらとした頬を膨らすクレアが腰に手を当て、怒った様な声を上げる。その声に先頭を歩むフォンは足を止め茶色の髪を掻き毟り、「おかしいなぁ?」と首を傾げる。その手に握られる地図と睨み合い、唇を尖らせる。
腕を組み深くため息を吐くのはリオン。眉間にシワを寄せ、切れ長の目をフォンへと向け、もう一度ため息を吐く。何も言っていないがフォンはそれだけで分かった。リオンが自分を責めていると言う事が。
時は数時間前に遡る。それは突然起きた。
「アレ? ここって、さっきも通ったよな?」
先頭を歩むリオンに対し、フォンがそんな口を利いたのだ。まるで自分はこの道を覚えていると言わんばかりに。その言葉にリオンは「いや。初めてだ」と地図を確認し告げたが、フォンが「前にも通った」と言い張った為、リオンはフォンに地図を渡し先頭を任せたのだ。案の定、それにより三人は森を彷徨う事となったのだ。
あははは、と笑い頭を掻くフォンに対し、呆れた様にリオンとクレアは息を合わせた様に同時にため息を吐き、リオンは右手で頭を抱え、クレアは大きく肩を落とした。
二人の落ち込み様にフォンも責任は感じており、両手を合わせすぐに頭を下げる。
「わ、悪い! ホント、悪かった!」
「悪いで済むと思ってるのか?」
「そうですよ! 今日もまた野宿なんですか?」
リオンとクレアが許さんと言う様に言葉をぶつけ、フォンは顔をあげ目を細める。最初の頃に比べ、クレアもリオンやフォンに対し、普通に文句を言う様になった。それだけ、良い関係が築けているのだ。
小さくなるフォンに対し、二人の説教は続く。何故、こうなったのか、どうしてあんな事を言ったのかと言う事から始まり、最終的に何でお前は乗り物酔いをするんだと言う話になっていた。怒られながら、それは関係ないだろと、思っていたフォンだったが何も言わずただ小さく「すみません」と謝り続けた。今の状況で反論しようものなら、更に倍の言葉が返ってくると悟ったのだ。
一時間程続いた説教から解放されたフォンは正座していた所為で痺れた足を伸ばし木の幹にもたれかかっていた。
「うはぁーっ……足が……」
「触っていいですか?」
「ダメに決まってるだろ!」
興味津々にフォンの足へと右手の人差し指を伸ばし、愛らしく顔を覗きこんだクレアの言葉にフォンは即答した。足が痺れた人を見るのが初めてなのか、とても面白そうに軽く右手の人差し指で足を突付く。「つーんつーん」と、可愛らしい声をあげて。言葉にならない声を上げ、身をよじるフォン。その姿が更に面白かったのか、キラキラとクレアは目を輝かせていた。
楽しそうなクレアを横目で見ながら、リオンは深いため息を吐きフォンから回収した地図へと目を向ける。一体、ここが何処なのか分からず、険しい表情を浮かべるリオンは、左手で頭を掻きフォンへと目を向ける。
「今までの道順は覚えてるか?」
「お、おぼ、いででっ! や、やめろって!」
「つーんつーん」
「や、んごごっ! やめろ! この……ぎゃーっ!」
「えいっ! えいっ!」
「…………」
ジト目を向けるリオンの目の前で子供の様に無邪気にフォンの足を突付きまくるクレアの姿。これは暫く放置しておくしかないだろうと、リオンは大きなため息を吐きもう一度地図へと目を落とした。とりあえず、近くに村があると言う印はあるが、果たして何処へ進めば村に辿り着けるだろうか、と一人考えていた。
幸い、食料はたくさんあった。つい先日、群れのガルルと呼ばれる獣を狩った為、大量の干し肉を所有している。狩ったと言うよりかは、向こうがフォン達三人を狩りに来たと言う方が正しいだろう。それを返り討ちにし、二・三体のガルルを仕留めた。一人一体ずつ。もちろん、無闇に殺す気は無く、その後は当身で気絶させその場は逃げ出した。
ガルルと言うのは群れで行動する肉食獣で、四足歩行のイヌ科の獣だ。牙や骨、皮など加工し商品に出来る為、重宝されており売ればそれなりの金になる。それもガルルを狩った理由の一つだった。
とりあえず、もう陽が暮れ始めている為、リオンはここで野宿をする準備をする。暗くなって下手に森を彷徨うのは危険だと判断したのだ。
静かにテントの準備をするリオンに気付いたクレアは軽快な足取りでリオンへと歩み寄るとニコリと笑みを浮かべる。
「私も手伝います」
「いや。いい。クレアは焚き火の準備をしてくれ」
「はい。分かりました」
ニコッを笑みを浮かべクレアは颯爽と行動に移す。最近、少し体力がついたのか、休む時間が少なくなっていた。それでも、夜は体力を回復する為と一番早く寝て、朝は一番遅くに起きる。無理をしているんじゃないかとフォンもリオンも心配していたが、クレアが全くそれを顔に出さない為、何も言わずにいた。
焚き木を集め、石を円形に並べその中に並べるクレア。楽しそうなクレアの姿を見据え、リオンは小さく吐息を漏らし、ゆっくりとテントを建てる作業に移った。
 




